8 結論――国民と戦後和解
8.1 戦後和解の当事者
第二次世界大戦は今から70年以上前の過去の出来事である。戦後和解の再検討を求める 人たちは、その歴史が現代を生きる私たちの「問題」であり、私たちは問題の当事者であ るという。彼らによると、国家間の講和による戦後和解は被害者を阻害している点で被害 者への不正であり、被害者は戦時中の加害によって、そして戦後の戦後和解によって二重 に抑圧されてきた。自国の政府に被害者の抑圧をゆるす国民は、自分たちも抑圧に加担し ているのであり、国民には被害の歴史を知り、被害者への国家による不正を認識し、国家 を真の和解へと導く責任がある。
このような問題提起が重要であることに異論はない。しかし、このような説明で国民が 当事者であることを訴えるだけでは、戦後和解は解決できないのではないのだろうか。こ の議論にはひとつの前提がある。国民が歴史を知れば、国家への異議申し立ての声が強ま り、国家は真の和解をおこなうという前提である。この前提に立てば、国家の戦後和解失 敗の原因は国民が歴史を知らないからだということになるが、はたして、戦後和解失敗の 原因はそれだけであろうか。国民がある被害の歴史を知っていると仮定する。そして、自 国には加害責任があると考えているとする。それでも彼/彼女は、自分が問題の当事者で あることに戸惑ったり、国家への異議申し立てを自分が積極的におこなわなければならな いとは考えたりしないこともありうるのではないだろうか。
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高岡市の戦後世代の民間企業の所長、そして、海軍兵学校在学中に終戦をむかえたJCさ んはそのような日本国民である。所長は元捕虜との面会を打診されたとき、すぐには承諾 できずに、承諾するための理由を考える必要があった。所長が考えた理由は、当時の歴史 を知るため、そして、歴史を自分の記憶にどのように留めるのかという問題に取り組むた めというものである。JCさんも捕虜問題にかかわることに心理的負担を感じているが、理 由を考えることによって自分を納得させている。日本に限らず加害の歴史はひとつずつ検 証されるべきであると考えるJCさんの理由は、日本が加害の歴史に取り組めば、日本の被 害の歴史もほかの国に取り組んでもらえるからというものである。
ふたりとも、日本が捕虜を過酷に取り扱った歴史を知っている。戦後和解における承認 は「知っている」以上のことを意味するとされているが、ふたりは捕虜の歴史が不正とし て承認されるべきであるとも思っている。それでも、ふたりとも捕虜の歴史にかかわるこ とには心理的葛藤を覚えている。そして、葛藤を乗り越えるために自分を納得させる理由 を必要としている。葛藤の種類も葛藤を乗り越えるための理由も異なるが、戦後和解の当 事者となることでふたりとも、日本の加害の歴史に自身を接続する理由を考え出さなけれ ばならないという困難に直面しているのである。
所長と JC さんが捕虜の歴史にかかわるときの心理的葛藤を説明することは本研究の範 囲を超えているが、捕虜の歴史に対して日本人が何らかの心理的負担を感じることが多い とは言えるだろう。それは、戦後22年間、映画『バターンを奪回せよ(Back to Bataan)』 が「日本人の感情を刺激」することを恐れて日本で上映されなかった事実、また、家族ぐ るみの付き合いをしていたにもかかわらず、父親が日本軍の捕虜であったことをハイジン ガーさんに告げられなかった理由を JCさんの先輩が「こちらが気を使うことを心配して」
ではないかと推測している(そして、JCさんもそのような理由であると思っている)こと などからうかがえる。ナショナリズムや恥などが葛藤の要因として論考されているが、そ れがどのような感情によるものであったとしても、戦後和解の当事者となったとき、日本 人に心理的葛藤が生じることはあらためて指摘するまでもないだろう。ここで注目したい のは、所長とJCさんの心理的葛藤ではなく、彼らにとって自分と捕虜問題との関係は自明 ではなく、自分と戦後和解の接続を必要としていることである。結果的にふたりともそれ ぞれのやり方(理由づけ)で接続に成功し、心理的負担を乗り越えているが、戦後和解に 自身を接続するための理由は日本政府への責任とはまったく違うものである。日本が戦後 和解に失敗している要因のひとつには、この国民が自己と戦後和解とを接続することの難 しさがあると思われる。
戦後和解の当事者となることで困難を感じるのは加害国民だけではない。被害当事者で ある元捕虜も戸惑いを見せている。戦後和解は歴史の忘却を問題提起してきたが、歴史を 忘却から救い出すことが元捕虜に、当事者でなければわからない精神的苦痛をもたらして しまうことは日本人の心理的葛藤以上に指摘するまでもないことである。戦後和解が元捕 虜の精神的苦痛を引き起こしてしまうことは重要な問題である。しかし、ここで問いたい
151 のは戦後和解の是非ではない。
PAさんは招聘プログラムへの参加を決めてから来日するまで、後悔と前向きな気持ちを 往復する日々を過ごした。ここでPAさんは、せっかく落ち着いている感情が揺り動かされ るという困難に直面している(「寝た子は起こすな」)。この困難と関連しているが別の困難 は、日本に「戻りたい理由なんてない」というものである。PAさんは、感情を乱されてま で戦後和解を実践する理由を見つけられないでいる。PAさんと同じような心理的葛藤を抱 えていたかどうかはわからないが、「はじめに思ったのは、70年後に日本に戻ってくること で何かよいことがあるのかどうかということでした」と発言した元捕虜や、戦後、決して 後ろをふり向かなかったという元捕虜も戦後和解の意義を見つけられないでいる。日本人 と同じように元捕虜も、戦後和解の当事者となったとき、戦後和解と自分とのつながりを うまく説明できないでいるのである。
ガバーのスペクトラムによれば和解の解釈拡大によって被害者の感情がより重視される ようになったが、その感情は正義と強い関連がある。正義が直接問題となるのはスペクト ラムのなかで3番目に感情面の弱い8の応報的司法と7の修復的司法である。しかし、ガ バーは法的解決が現実的でない場合は真実の承認が正義の代替物となると考えていること から、6の承認も正義の問題と言える。さらに、5の関係の構築、4のゆるし、3の癒しと、
感情面が強くなる和解においても、本研究の分析から明らかにされたように、その前提条 件として承認が求められていることを考えると、それらの和解も承認という正義があって はじめて可能である場合が多いと思われる。徹底的に被害の歴史の承認を追求するガバー は調和や統一という意味での和解を評価していないが、それらの和解では承認されるべき 歴史の被害者の非対称性が失われてしまうであろうことを考えれば理解できる。ここから ガバーの戦後和解は正義の戦後和解と言えるだろう。同様に、トーピーも 4 つの政治問題 の中心に正義をおいているし、リクールの戦後和解も基本的には承認にもとづいたゆるし の戦後和解である。このように見てみると、戦後和解は、たとえ旧敵国間の関係改善が強 調されていても、ほとんど正義(=承認)の問題として捉えられていることがわかる。
戦後和解当事者には、心理的葛藤の乗り越えのほかに戦後和解と自分を接続する理由を 必要とするという困難があるが、上記のような戦後和解の捉え方においては後者の困難が、
加害国民には責任を問うことで、被害者には正義を主張することで度外視されていないだ ろうか。(前者の困難は、実践においては戦後和解の可能性を左右する重要な課題であり、
倫理的にも問われるべき問題であると思われるが、管見の限り、加害者の否定以外の問題 として戦後和解研究で追究されることはほとんどないことも付け加えておきたい。)
この戦後和解と自己との接続という困難はもっと真剣に考えられなければならないし、
正義という狭義の戦後和解を超えて、当事者が戦後和解と自己とを接続するその仕方(戦 後和解の意味づけの仕方)を探る必要があるだろう。結果的にPAさんは招聘プログラムへ 参加したことによって戦後和解の意義を見出すのであるが(8.3 で後述)、戦後和解の当事 者になることで直面する接続の問題は、接続の失敗が戦後和解の成否を左右する要因のひ