5 日米間対話の齟齬
5.1 招聘プログラムの日米間対話
5.1.1 元捕虜レスター・テニーさんのナラティヴ
調査をはじめてからレスター・テニーさんの名前は何度も聞くことがあった。JAさんは インタビューで、取材で知り合ったテニーさんが代表として訴訟を起こしたのでそれにつ いて記事を書くことになったと言っていた。JDさんはテニーさんの著書の翻訳者のひとり である。大牟田で案内をしてくれた女性とはJDさんの紹介で知り合ったが、彼女がJDさ んに連絡を取ったこともテニーさんが関係している。大牟田市石炭産業科学館で上映され ていた映画99にテニーさんのインタビューがあり、その女性は朝鮮や中国の人たちの労働の 歴史については教えられたが連合軍捕虜については何も知らなかったため、テニーさんの 話に衝撃を受けた。その後、彼女はJDさんが翻訳したテニーさんの著書を市立図書館に入 れてもらったという。
2010年の第1回招聘プログラムで来日したテニーさんは、大学の講演会でのスピーチで 捕虜になったときの状況とバターン死の行進の体験について語り、自分は共感と相互理解 について自分の持ち時間を使うつもりであるが、最初に知っておいて欲しいこととして「日 本人によって負わされた」ひどい怪我の状態を説明した。テニーさんのスピーチは次のよ うに締め括られている。
完全な過去の真実をみなさんに知っていただきたいのです。私は日本のすべての人 びととの平和の道を見つけたいと思っています。もう日本人に憎しみを抱いてはい ません。今日、憎しみは私にとって遠い昔のことです。2万7千人のアメリカ兵捕
虜のうち40%が死亡しました。ドイツ軍に捕えられたアメリカ兵捕虜の1.5%が死
亡したのと比較して、日本軍のアメリカ兵捕虜は40%が死亡したのです。それにも かかわらず私はもう日本軍の捕虜ではありません。私を虐待した人びとが私の心に あらわれることはもうありません。わかりますか。私はゆるし、憎しみを克服する
99 熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』(2005)。
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準備ができています。ゆるしは屈服や忘却を意味するのではありません。ゆるしが 意味するのは、過去を手放したい、虐待を克服したいということです。私を傷つけ、
恥辱を与えた人びとに、私はもう手錠をかけられていません。ゆるしは人生でもっ ともすばらしい贈り物のひとつです。ゆるしは自分自身に与える贈り物です。私が
「あなたをゆるします」と言うとき、あなたはそれに続くことを知らないでしょう。
ずっと心にあった、すべての悪い記憶が取り除かれました。そのために私は長年、
非常にたくさんのエネルギーを費やしてきたのです。ゆるしは彼らがしたことを取 り消すものではありません。それがゆるしの意味です。
テニーさんに続いてほかの元捕虜がスピーチをしたあと、質疑応答がおこなわれた。そ のうちのひとつは歴史観の相違についてであった。この質問に対してテニーさんは次のよ うに答えている。
私はいつも私自身として話しています。ほかの誰かのかわりに話したことはありま せん。〔中略〕多くの人がわかっていないのは、まず1点目が、戦争が敵によっては じめられたということです。彼らが戦争をはじめた。彼らが真珠湾にきて爆撃と殺 人をおこなったのです。これが1点目です。彼らが戦争をはじめた。戦争が終わり に近づいたとき、日本が降伏しないことは明白でした。28回東京を空襲しても彼ら は降伏しなかったのです。〔中略〕2点目は、日本にはアメリカ人、イギリス人、オ ランダ人、ドイツ人、オーストラリア人の約14万の捕虜や抑留者がいました。1944 年11月、東条将軍はすべての捕虜収容所の指揮官に命令を出しました。その要約は、
もし連合軍が日本に上陸したら、収容所の指揮官は痕跡を残さずにすべての捕虜を 処分しろというものでした。〔中略〕パラワンで捕虜が焼き殺され、銃殺されたのが 証拠であることを私たちは知っています。最後に言いたいのは、感情的になって申 し訳ありませんが、〔質問者に向かって〕若い人にこれだけは覚えておいて欲しい。
原爆が戦争を終わらせたのです。〔中略〕彼らにとっては公平ではないかもしれない が、これが私の感情です。
講演会にはJAさんとJDさんが元捕虜の人たちに同行していた。講演会が終わったとき、
JAさんと話すことができた。後日、交流会にも参加するつもりであることを告げると、JA さんから質問を用意しておくように言われた。講演会でもテニーさんは何度も質問するよ うに促していたが、JAさんは質問が出ないことを心配しているようであった。
交流会では、アメリカ側参加者のうち3名が代表としてスピーチをおこなった。グルー プリーダーであるテニーさんは一番はじめにスピーチをした。アメリカでの藤崎駐米大使
(当時)の謝罪が日本でほとんど報道されなかったのに対し、招聘プログラムにおける岡 田外相(当時)の謝罪が広く報道されたことを評価し、1週間にわたる外務省の厚遇に謝意
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を短く表明した。またPOW研究会が元捕虜の過去に対しておこなっている活動についての 感謝を述べたのち、招聘メンバーを紹介した。
ほかの2人のスピーチが終わると質疑応答に入った。交流会には、主催者が招待し、事 前に発言の時間が割り当てられていた日本人参加者が3名いた。質疑応答はこの3人のス ピーチではじめられることになっていた。彼らはふたりの若者と、ひとりの元兵士であっ た。若者のうちひとりはフィリピンとマレーシアで子どもたちの支援をおこなう活動を、
もうひとりは元日本兵の体験を聞きとる活動をしており、元兵士はフィリピンでアメリカ 兵と戦い、のちにシベリアに抑留された経験を持つ人であった。3人の日本人が紹介された ところでテニーさんが「一言いいですか」といって発言の機会を求め、質問の大切さに注 意を促した。
今日のプログラムはあなた方(日本人の)プログラムです。もし質問がないのであ れば、あなた方はこのプログラムを必要としていないのです。もし質疑応答ができ ないのであれば、あなた方は熱意のない傍観者であることになります。
ふたりの若者のスピーチは、若い自分たちが最近まで捕虜の歴史を知らず、フィリピン で捕虜の人たちの身に起きたことを知ったときに大きなショックを受けたこと、そして、
現在の日本人は、戦争中に日本人がフィリピンでおこなったことを知るべきである、とい う内容であった。ひとりめの若者のスピーチが終わったとき、テニーさんは彼女には質問 がないのかと司会者と通訳者に確認していた。その後、ふたりめの若者がアメリカでの歴 史教育について質問すると、テニーさんは直ちに「日本でもアメリカでも第二次世界大戦 について若者が知らないことが3つある」として、ひとつめはバターン死の行進において 捕虜が理由もなく殺されたこと、ふたつめは地獄船で日本に送られ民間企業で働かされた こと、三つめは、民間企業が捕虜を12時間働かせ、企業に所属する民間人が捕虜に暴力を ふるったことをあげた。
歴史教育についての議論が落ちつき、元日本兵のスピーチがはじまった。
元日本兵:みなさんはフィリピンで捕虜になったんですか? 私はフィリピンで一兵 隊として、バターン、そういうところで戦争をしました。個人が好んで戦争は したんじゃないです。皆さん方、アメリカも日本も同じだと思うんです。いろ いろ国の事情があって、たまたまその国民は国の兵隊に従わなきゃならないと。
戦争をやれば勝ち負けがある。負けた方は非常にこれは惨めです。勝っても惨 めです。
そして、フィリピンでアメリカ兵と一晩を山の中で過ごしたエピソードを紹介した。
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元日本兵:あなた方の同僚、アメリカ兵の方と一晩私は山の中で一緒に寝ました。
兵隊には戦争なんか関係ないです。一晩一緒に寝て、それから、言葉は通じな かったけど、今でも覚えてます。だいたいお年は私と同じぐらいだったんです よ。そのときにアメリカの兵隊さんがペンダントをかけとったんです。日本人 にはまったくそういうのはありませんでしたから。言葉は通じないけれども身 振り手振りで、何が入ってるのかしら、あけて見せてくれ(と言うと)、スィー トハートだと(いうことでした)。娘さんの写真が入っとったんです。〔中略〕
そのときに、一緒に寝て。それはもう兵隊だから敵も味方もないです。一緒に 寝て、次の日の別れるときに、その当時は日本が勢いがよかったから私がカン パン、カンパンっておそらくご存じないでしょうけれども、それをひとつ持っ とったから、それをアメリカの兵隊さんにさしあげて、そして、バターン半島 の山ん中で別れました。
元日本兵は、このアメリカ兵はこのあとバターン死の行進に行ったのではないかと続け ている。元日本兵の「人間を抹殺する」戦争はいけないというコメントが訳されている途 中で、テニーさんは「これは彼の質問ですか」と通訳に確認していた。
シベリア抑留の経験を持つこの元日本兵が続けてシベリア抑留について話そうとしたと き、今度は別の元捕虜が発言の機会を求めた。元日本兵が「いいですよ、せっかくアメリ カから来たから、おっしゃってください」と応じると、元捕虜は次の短いコメントを挟ん だ。
元捕虜:私には[個人名]さんという日本人の友人がいます。彼は捕虜収容所の看 守でした。彼とは17年間の付き合いがあり、その間、彼を訪ねて何度も日本 に来ました。
このコメントがなされるとすぐに、テニーさんは「もっと質問を!(more questions!)」
と声をあげている。それを受けて司会者が「また、これからは自由に質問をしていただき たいと思います」と言ったことによって、元日本兵のナラティヴはそこで終わることにな った。そのあと、満州や細菌戦、ロシア軍へと話題が展開するなかで、テニーさんは次の ような見解を表明した。
ひとつはっきりさせたいことがあります。すべての日本人が悪い人であったわけで はなく、悪いことをしたわけではありません。悪いことをしたのは何人かの日本人 です。その原因はコミュニケーションの欠如だと思っていることをお話ししたいと 思います。彼らは英語を理解せず、多くの日本人はそれまで白人を見たことがあり ませんでした。彼らは白人が違う言葉を話すということを知らなかったのではない