8 結論――国民と戦後和解
8.4 戦後和解との接続
国民にとっての戦後和解とは何か。国民は国家の代表として謝罪することができるわけ でも、企業の代表として補償できるわけでもない。国家や企業の戦後和解への対応に責任 があるという意味では当事者であるが、間接的な当事者である。国民と戦後和解の距離は 遠く、国民は自分を戦後和解に接続することが難しい。そこで、人びとはそれぞれの理由 で自分と戦後和解を結びつける理由を考える。
歴史の承認は、人びとと戦後和解のつながりを説明するもっとも一般的かつ説得力のあ る理由である。捕虜の歴史の前に立たされ、戦後和解の当事者となった民間企業の所長と JCさんは、自国の加害の歴史を自分の記憶にどのように留めるのかを判断するため、また、
日本の被害の歴史も含めたすべての国家の加害を承認するためという理由で戦後和解を自
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分の問題としていた。これらの理由は承認の問題への応答である。
しかし、所長のもうひとつの「歴史を知らなければならない」という理由は承認では説 明できない。「承認のために歴史を知らなければならない」というのであればわかる。しか し、なぜ歴史を知らなければならないのか。民間企業の所長も、JAさんもJBさんも、と にかく歴史を知らなければならないという。JAさんは、元捕虜のナラティヴを聞く目的を 考えずに、ただナラティヴに耳を傾け、そうすることで元捕虜や次世代の人たちと人間同 士としての関係や友情を築いている。JBさんは死亡した捕虜の収容先を調べることを中心 に、どんなに細かな史実でも明らかにしようとする。そしてJAさんと同じように、何のた めにという目的は考えていない。JBさんの捕虜の歴史の知識は元捕虜や彼らの家族にも劣 らないが、招聘プログラムで来日した元捕虜たちにJBさんは時間がゆるす限り質問を続け ている。
理由が明確でないまま、とにかく歴史を知らなければならないと人びとに思わせる要因、
それが生の感知ではないだろうか。JAさんは、捕虜体験のナラティヴを聞くことによって 人間関係を構築しているが、JBさんには、史実の探究を通じて人間関係を構築していると いう意識はない。生の感知とは関係を構築する以前の行為であるように思われる。JAさん の友情は、生の感知が先にあって、それが発展したものであろう。
体験のナラティヴと史実では歴史の質が違う。しかし、その質の違いは歴史の探究が生 の感知として作用する場合、問題とならないようである。JA さんの生の感知は、JA さん に死亡記事を依頼した元捕虜によって確認できる。高岡の民間企業の人たちの生の感知は、
戦後和解に積極的に意味を見出すことができず、来日するまで招聘プログラムへの参加を ためらっていたPAさんが、自分が収容されていた建物の場所を特定しようとする人たちの 努力に重要な意味を見出し、高く評価されたことによって確認された。JAさんの歴史は物 語だが、建物の場所の特定や細かな史実は物語ではない。ただし、JAさんは体験のナラテ ィヴを聞くが、ナラティヴからどのようなメッセージも引き出さずに無心で記録している。
つまり、歴史の探究が生の感知として作用するためには、歴史に意味が付されたり、解釈 されたりしてはならないのではないだろうか。このことは、歴史の探究が生の感知である ために決定的であるのは、承認と違って、歴史が決して生を感知する人の手に届かないと ころにあるということと関連している。DDさんは、父親PDさんの生を感知しているがゆ えにPDさんの経験を想像するしかない。逆に言えば、DDさんがPDさんの経験を承認し たり意味づけたりすることができないからこそ、PDさんの生を感知することが可能なので ある。
しかし、絶対的非対称である他者の生を感知すること、そして、生の感知の戦後和解に 個人が接続するというのはどういうことであろうか。本研究では、生を感知する主体の解 釈枠組を問い直すというバトラーの方法を取らずに、戦後和解のコミュニケーションにお けるナラティヴの様態から生の感知を確認してきた。そのため、承認の戦後和解とは別の 生の戦後和解があること、承認の戦後和解と並行して生の戦後和解が実践されていること
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を確認できた。一方で、彼らがなぜ生の感知をおこなうことができるのか、バトラーの言 葉で言えば、生の感知をおこなう彼らの理解可能性の解釈図式はどのようなものであるの か、生の感知ができない人たちの解釈図式との違いは何か、という問いに答えることはで きない。彼らには「歴史を知らなければならない」という理由があるだけである。彼らが どのように生の感知の戦後和解と自身とを接続させているのか(どのように自分なりの戦 後和解の意義を見つけ出しているのか)はわからないのである。
このような限界はあるが、本研究の生の感知の戦後和解の発見の意義は失われないだろ う。なぜなら、生の感知の戦後和解実践の様態を明らかにすることで、生の感知の多様な 可能性を示すことができたと考えるからである。バトラーは、枠組を問い直すためには枠 組を主題化しなければならず、写真家ソンタグに依拠しながら戦時における視覚文化に主 題化の役割があるとし、ソンタグの「残虐なイメージを私たちに憑かせよ」(Butler 2009
=2012: 125)という命令を引用する。もし憑かれることを拒否できる状況があり、憑かれ ないのであれば、その人にとって失われた生はなかったことになる。バトラーは承認と生 の感知を区別しているが、そのふたつは承認可能性および理解可能性を媒介にして密接に 結びついており、理解可能性のうつろいやすい図式(およびそこでの生の感知)が承認可 能性、ひいては承認の批判の土台になることを重視している。バトラーは傷つきやすい生 としての主体を問い直し、罪悪感を問い直し、責任と応答性について論じる。バトラーの 議論は非常に説得的であり、まったく異論はないが、国家の枠組(規範)を議論の中心に することによって、国民のレベルでの多様な生の感知が示す可能性があまり追究されてい ないように思われる。
民間企業の所長は自分なりの理由を考え出し、元捕虜PAさんは理由を考えられないまま 招聘プログラムに参加した。ふたりの面会の場において、生の感知による戦後和解は予期 せずに生じている。元捕虜による日本人被害者の生の感知も、招聘プログラムという捕虜 の歴史への取り組みのなかで偶然になされたものである。さらに言えば、フィールドでの 筆者のぎこちないコミュニケーションも生の感知の戦後和解と言えなくもない。結果は生 産的ではなかったが、コミュニケーションそのものが戦後和解の実践であるなら、筆者も 戦後和解を実践したのである。そして、コミュニケーションがあのようにぎこちないもの であるのは、筆者が実際に目の前にいる元捕虜、または、次世代が語る父親の生を感知し たから、そして、生を感知しながらも承認によってうまく自分と捕虜の歴史を接続できな かった(しなかった)からであると言えないだろうか。つまり、承認と生の感知の関係は、
バトラーが考えているほど直線的に結びついてはいないのではないだろうか。
残虐なイメージに憑かれなくても、「歴史を知らなければならない」という理由になって いない理由であっても、それすらもなく、どうしてよいかわからずに右往左往しているだ けでも、私たちは生を「拒否」しないで、感知したのではないだろうか。なぜ、筆者を含 めて人びとが生を感知できたのか、その解釈枠組を問うことは重要である。しかし、コミ ュニケーションそのものへ注意を向け、すでにそこにあらわれている生の感知を分析する
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ことにも意義があると思われる。承認とは別の角度から生の感知を探究することによって、
生の感知による戦後和解のコミュニケーションの特性をより明確に捉えることができ、結 果的に人びとの多様な生の感知を理解することへとつながるのではないだろうか。
国民は、国家の枠組を共有しながらも、実はそれとは別の枠組で生を感知している場合 が多いのではないだろうか。そして、積極的な意味づけができないまま、ときにはぎこち ないコミュニケーションをおこないながら、さまざまに生の感知の戦後和解を実践してい るのではないだろうか。本研究はそのような戦後和解のコミュニケーションの一端を提示 したに過ぎない。ほかにはどのようなコミュニケーションがおこなわれているのであろう か。そこでは、生を感知する主体と、感知される生を生きる主体との関係はどのようにな っているのだろうか。非対称性や国民性が持つ歴史の重みといった問題はどのように影響 しているのであろうか。何が生の感知の決定要因であり、コミュニケーションの結果を左 右するのであろうか。本研究で明らかにできなかったことは多い。今後の課題としたい。