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生の感知

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 145-151)

7 承認と生の感知

7.3 生の感知

ここまで承認の困難と非対称性の困難について考察をおこなった。被害者を納得させる ように承認の条件を満たすことは難しく、加害者には自分たちも被害者だという思いもあ る。ところが招聘プログラムでは、日本人が承認の条件を満たしていなかったり自分たち を元捕虜と同じ被害者に位置づけたりしているにもかかわらず、元捕虜が感謝をあらわし たり日本の被害のナラティヴに共感を示したりする場面が確認された。前章では4つの場 面を記述、分析し、承認にもとづかない、もうひとつの戦後和解が遂行されていることを 明らかにした。本節ではもうひとつの戦後和解について、「生の感知」の視点から考えてみ たい。

J・バトラーは『戦争の枠組』(2009=2012)で、「承認する(recognize)」と区別するか

たちで「感知する(apprehend)」という問題を提起している。感知と承認の関係は次のよ うなものである。感知も承認も知のかたちであるが、承認が概念化された認知であるのに 対して、感知は完全な認知を欠いたまま、概念化される手前で「注意をむけ、心にとめ、

みとめる」というような意味を持つ。私たちは承認の規範に依拠してものごとを感知する のであるが、承認の規範によらずに、承認されていない何かを感知することもできる。承 認の規範は「承認可能性」の諸条件に依拠しているのであるが、その承認可能性の諸条件 は「理解可能性(intelligibility)」の諸図式によって条件づけられ、つくり出されている。

理解可能性の諸図式が知りうるものの領域を制定するのであるが、それは歴史的、社会的 に構成される。

バトラーは知りうるものとして特に「生」を問題とし、生が生として感知されるための 条件を問うのであるが、それは、理解可能性の諸図式を捉える試みである。理解可能性の 諸図式は移ろいやすいものである。この移ろいやすさ、つまり、図式の可変性がそれまで 感知されないでいたものが感知されるようになる可能性を保障するのであるが、バトラー

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はそれを捉えるために、「枠組」をみずからの領域を超えて機能するもの(「脱出/脱獄」

するもの)として理解し、枠組をたえず問い直すことによって新しい感知の可能性を探ろ うとする。バトラーが『戦争の枠組』で問題とするのは、感知される生とされない生がつ くり出される条件である。無理を承知で非常に単純化してしまえば、戦争という暴力で失 われたり傷つけられたりした生命のなかで、感知され、嘆かれる生命(味方の生命)と嘆 かれない生命(敵の生命)をつくり出す枠組の探究と言える。

前章の4つの場面のうち、3つの場面では元捕虜による日本の被害への共感が見られた。

記者会見で涙ながらに語られた空襲のナラティヴ、南方で亡くなった父親と残された家族 の苦労のナラティヴ、そして工場で空襲により115人の日本人が亡くなったという史実が 語られることに対して、招聘プログラムに参加したアメリカの人たちはその意義を認め、

受け入れていた。もうひとつの場面では、収容所の場所を特定するという、道徳的価値判 断も罪の告白もともなわない日本人の歴史解明の努力が元捕虜に非常な満足を与えていた。

前者では元捕虜による日本人の生の感知が、後者では日本人による元捕虜の生の感知がお こなわれていると仮定すると、ここでは敵による生の感知がおこなわれ、承認の視点から は成功とは言えない戦後和解が、「生の感知」の戦後和解として成立していると考えられる。

バトラーは、なぜ敵による生の感知が可能であるのかを、生を感知する者の理解の諸図式 の枠組を問うことで明らかにしようとする。しかし、日本の被害のナラティヴへの共感を 示した元捕虜や収容所の場所を特定しようとした日本人の理解の諸図式を明らかにするこ とは筆者の能力を超えている。そこで、それぞれの場面で語られているナラティヴの様態 をひとつずつ検討することで、生の感知による戦後和解を捉えてみたい。

日本の被害のナラティヴは元捕虜のナラティヴとのあいだに齟齬を生じさせてしまう。

また、日本人が日本の被害と元捕虜の被害を対置させて正義や平和を追求しようとしてい るのに対して、元捕虜は捕虜の歴史の承認を求めており、日本の被害の承認の問題は彼ら の問題関心の外にあるか、ときには捕虜の歴史の承認を阻害するものとされていた。日本 人は自分たちが前提としている対称的な関係を元捕虜と共有できておらず、彼らの被害の ナラティヴは、日本人と元捕虜を対称的な被害者の位置におかない元捕虜のナラティヴと すれ違ってしまうのであった。それでは、なぜ、記者会見での空襲被害と高岡での父親の 戦死にまつわる被害のナラティヴは共感を得られたのであろうか。

その要因はふたつ考えられる。ひとつは、齟齬を生じさせてしまう日本の被害のナラテ ィヴにおいては、加害者と被害者の非対称性が解消されてしまっているのに対して、共感 を得られた被害のナラティヴにおいてはその非対称性が残されている可能性である。リク ールは、相互承認のためには根源的な非対称性が忘却されるのではなく、相互性の名のも とに非対称性が忘却されていることを発見するほうがよいとしていた。ここでは承認では なく生の感知が問題となっているのであるが、生の感知に関しても同じことが言えるので はないだろうか。つまり、元捕虜の生と日本人の生の非対称性は忘却されるのではなく、

忘却が発見されなくてはならない。しかし、たとえば元日本兵の「愚かな戦争や非人間的

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な戦争では勝っても負けても惨めでつらい思いをする」というナラティヴでは、元捕虜の 被害は認められても日米(自他)の非対称性が確認できない。元捕虜が被害者であるため には加害者に対して非対称であることが必要なのであり、日米の生が明確に区別されるこ となく嘆かれているように見えた場合、元捕虜がそのナラティヴを共有することは難しい と考えられる。元捕虜に支持されたナラティヴの場合、逆説的ではあるが、捕虜の歴史か ら独立して語られた日本の被害のナラティヴであったために、戦争で傷つけられた生を嘆 くものとして受け入れられているのではないだろうか。それらのナラティヴもまた、「戦争 というものはですね、絶対にしてはいかん」という空襲被害者の言葉からわかるように非 対称性の忘却のうえに語られているのであるが、実際に語られているのはほとんど日本の 被害だけである。そのため、そこで語られている日本の被害が、捕虜の歴史も含め、ほか のいかなる歴史とも比較不可能なものとなったのではないだろうか。つまり、日本の被害 だけが語られることによって日本の被害と捕虜の被害の等価性が排除され、日本人の被害 者としての非対称性が発見されたのである。被害者としての非対称性をゆずることができ ない元捕虜に日本人被害者の生が感知されるためには、この非対称性が必要なのだと思わ れる。

次に、空襲で115人が犠牲となったというナラティヴである。被害当事者によって語ら れたわけでもない普遍性の高い空襲被害のナラティヴが元捕虜、特に次世代の人たちに受 け入れられたのはなぜであろうか。DDさんは、歴史を知らない自分たちの世代は父親が見 た日本の惨状を知る必要があるとしていたが、なぜ、捕虜であった父親の見た日本の被害 を知らなければならないのだろうか。次世代の人たちにとって、日本の被害の歴史を知る ことにどのような意味があるのだろうか。

アメリカの地方紙にPDさん父子の記事がある。その記事によると、DDさんはアジア中 を訪問していたが、招聘プログラムで訪日するまで、日本だけは一度も訪れなかったとい う。また、記事のなかでは、東京本所跡地を訪れたときのことが次のように回想されてい る。

父の心のなかに、飲み込むのが難しいたくさんの記憶があることがわかりました。

(競艇場入口の門の横にある)平和観音像の近くに行ったとき、父は腰をおろしま した。父は元気に立っていたのですが、観音像に着いたときには、座って地面を見 つめていました。そのとき、さまざまな思いが父の心をよぎっていたのだと思いま す118

元捕虜の子どもたちは、父親とはまた違う感情を日本に対して抱いている。このナラテ

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http://www.pasadenastarnews.com/general-news/20141110/former-wwii-pow-went-back -to-japan-to-visit-the-place-he-was-held-captive(2016年4月21日)。

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 145-151)