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JA さん――ウェブサイト「捕虜 日米の対話」代表

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 76-82)

4 捕虜問題と日本人――フィールド調査より

4.3 POW 研究会――日本人活動家へのインタビュー

4.3.1 JA さん――ウェブサイト「捕虜 日米の対話」代表

戦後和解はどこでおこなわれているのだろうか。戦後和解の調査をどこからはじめたら よいのかわからず、次のように考えた。日本は加害の歴史に向き合わないと言われるが、

第二次世界大戦の歴史にかかわっている人たちはいるのではないか。もしいたとしたら、

その人たちの動機は何であり、どのような活動をしているのだろうか。まずは加害の歴史 に限らず、日本人の第二次世界大戦の歴史へのかかわり方を調べることにした。

手始めに「全国特定非営利活動法人情報の検索91」を利用した。その際、活動分野のカテ ゴリーを「社会教育の推進を図る活動」「学術、文化、芸術又はスポーツの推進を図る活動」

「人権の擁護又は平和の推進を図る活動」「国際協力の活動」の4つに絞った。カテゴリー 選択のポイントは、「歴史」と「海外との交流」である。第二次世界大戦の歴史に関連する 活動のなかでも、海外の人たちとの関係のなかで何が問題とされ、どのような活動がなさ れているのか、また、そこでの困難は何かということを知るためである。

検索結果のほとんどは、友好促進や相互理解、平和への貢献を活動目的にしているが、

91 https://www.npo-homepage.go.jp/Portal/corpSearch!show2.action(2015年10月30日)。

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第二次世界大戦の歴史に関係する活動は少なかった。戦後和解に近いと思われた活動には、

旧日本兵の遺骨収集事業を展開しながらミャンマーとの友好促進を目指すもの、近現代史 調査の成果を共有しながらアジア太平洋地域の人びととの相互理解と友好促進を目指すも の、海外とは関係しないが、元学徒兵の歴史調査をしながら元学徒兵と青年との交流を促 進するもの、そして、中国残留邦人および帰国者と2世、3世を支援する活動があった。こ のなかでも加害の歴史に関係がありそうなものは、アジア太平洋地域の近現代史の調査と 人びととの交流をおこなう団体だけである。しかし、歴史研究自体に関心があったわけで はないので、戦後和解のフィールドとしては適切でないような気がした。

そんなとき、新聞の一面に「元米捕虜 日本に招待 政府、来年度」という見出しを見 つけた。「第2次大戦『バターン死の行進』」「駐米大使、5月に謝罪」という文字も目に入 った。戦後和解という文字はなかったが、招聘は日本の加害の歴史に起因する問題を解決 する「実践」である。招聘が実施される場を調査することによって戦後和解の実態に関す る知見を得られるのではないかと思った。しかし、日本政府の招聘事業について、新聞記 事に掲載されたこと以上の情報を得るのは難しかった。記事には「記念行事への参加や日 本の青少年との交流、一般家庭へのホームステイなどが想定されている」とあり、そのよ うな現場を調査したいと思っていたが、招聘の正確な時期も、いつ、どこで、何がおこな われるのかもまったくわからなかった。心理的にも政治的にも非常な繊細さが要求される 問題であるため、やはり一般の人が招聘の現場に近づくのは難しいのだと思った。青少年 との交流や一般家庭へのホームステイとあるが、それらは「特別な一般の人たち」がおこ なうのだろうと考えた。

そこで、招聘事業の調査を諦めて、捕虜問題に関連した活動をおこなう民間団体を調べ ることにした。ここではふたつの団体が見つかった。ひとつは「捕虜 日米の対話」とい うウェブサイトを運営する団体、もうひとつは「POW研究会」である。POW研究会は捕 虜の歴史調査を目的とする団体であるが、「対話」はひとつの和解実践である。その実態が 知りたいと思ったので「捕虜 日米の対話」にインタビューをお願いするメールを送った ところ、代表のJAさんから丁寧なお返事をいただき、インタビューさせていただけること になった。

移動の途中に30分だけでもよいのなら、ということで、東京駅構内のカフェでお話しを うかがった。アメリカでNPO法人資格をとってウェブサイトを運営するという活動は珍し い。何か活動をしていて、その活動について発表するホームページを作るのが一般的だと 思ったので、ウェブサイトをはじめたきっかけについて聞いてみた。すると、アメリカで 元捕虜によって起こされた訴訟について4年にわたって取材し、雑誌に発表してきた、裁 判は訴訟の棄却というかたちで終わってしまったが、コンピューターには元捕虜の体験を 聞いたデータがたくさん残されている、補償よりも「自分たちの体験を忘れて欲しくない」

という気持ちで元捕虜が裁判を起こしたことを知っていたので、英語と日本語で伝えてい くことにしたということであった。

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しかし、そもそも、なぜ元捕虜による裁判の取材をはじめたのだろうか。カリフォルニ ア州に住んでいたJAさんは、1998年ごろからアメリカで日本の日中戦争中の加害責任を 問う中国系の団体の人たちと親しくなったという。しかし、彼らの活動を記事に書いたり はしたけれども、運動家であり、被害当事者ではない、自分と同年代の人たちの活動には

「ひとつ、気持ち的な入れ込み」がなかったという。そんなとき、「本当に被害者だった元 捕虜の方たち」に取材する機会があり、「本当にひどい目にあった本人たちの話」を聞くよ うになった。訴訟がはじまる前のことであり、記事の内容は訴訟とは関係のないものであ った。そのうち、取材で知り合った元捕虜レスター・テニーさんが代表として訴訟を起こ すことになったが、そのときには、元捕虜の人たちとは「すでに友人」であり、訴訟がカ リフォルニア州で起こされたということもあって「自然にフォロー」するようになったと いう。それを日本の出版社が雑誌に書かせてくれた。

ウェブサイトを立ち上げるときの反応を聞いてみると、元捕虜も家族の人たちも好意的 であったという。

その時点で捕虜の方たちにはもうずいぶん知り合いがいて、私が日本に(向けて)

書いてくれているのには彼らも感謝してくれていました。でも、「雑誌にはもう書け なくなったと思う。棄却されたから。でも今度ウェブサイトで、少なくとも日本で 読んでくれる人たちにはあなたたちの体験を伝えていきたいからやりたいんだけど」

って言ったら、もちろんみんな、アメリカ側の捕虜の人とか、その子供さんたちと かは、支援してくれました。

日本からの反応はどうだったのであろうか。

スタートした最初はね、じゃあ、広島の原爆はどうなるのかとか、何件かありまし たね。でも私は、名前がきっちり書いてあって、自分の立場もきっちり書いてある 人たちには返事しましたけど、名前も書いていないし、ただの嫌がらせみたいなメ ールはまったく無視しました。ただ、本当に自分の、たとえば、「祖母が原爆で死ん だって聞いているし、自分たちのこともアメリカの人たちは知ってくれているのだ ろうか」とか、そういう誠実な質問にはきっちり(答えました)。

私はアメリカに住んでいるし、広島に住んでないし、私ひとりの人間がどっちの 側も、すべてのことをカバーはできないけど、私のいつもの返事は、「アメリカ側の こういう被害者の気持ちを日本とアメリカに伝えようっていう私のようなひとりの 人間がいたら、きっと広島に住んでいるアメリカ人もおんなじような気持ちになっ て、この人たちの、毎日私が接する、この人たちの気持ちを自分の国のアメリカに 英語で伝えようっていう人が出てくるかもしれない」(というものです。)だから、

「自分たちのことはどうなるんだ」って聞いてきたメールに対しては、「私のような

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人間がいるから逆に、アメリカの人もあなたたちのために同じようなことをしたい って思うんじゃないですか、そういうふうに捉えて欲しい」っていうふうに、私の 返事はいつもそのアプローチで書いてきました。私も実際、それを信じていますし。

はじめの数か月は「嫌がらせ」やネガティヴな考えの反応があったが、そのあとは、ほ とんど「ポジティヴなメールしか入らない」という。

JAさんは元捕虜の人たちを友人だという。JAさんを信頼して元捕虜の人たちは体験を 話し、JAさんは彼らの思いを汲んで捕虜体験を日本に伝える活動をする。そのようなJA さんの努力に元捕虜や家族の人たちは感謝している。しかし、このような友情を結ぶ前に、

JAさんには日本人として捕虜問題にかかわることへの困難はなかったのであろうか。

*:JAさんは日本人でいらっしゃって。特に何か、元捕虜の方たちとかかわるとき に、自分が日本人だっていうことを意識されたりしますか。

JA:ありますよ。まあ、研究者の方だから全部しゃべってもいいと思うけど。ウェ ブサイトには出していないけど、「あなたは日本人からのまわし者で、自分たち を懐柔しようとしているんだろう」とか、そういう態度の捕虜の方もいなかっ たわけじゃないです。[中略]まあ、たくさんはいないです。最初にそれを言っ ておかないといけないね。[中略]30人にひとりくらい。それほどもいないか な。でも、いたことはいました。

元捕虜の日本人に対する強い不信感があらわれているエピソードである。JAさんは躊躇 しながらも、聞き手が「研究者」であることからこのエピソードを明かしてくれた。そし て、日本人には会いたくもないという人もいたこと、そのうちの何人かは何年もかかった のちに信頼してくれるようになり、今では最大の支援者であることを話してくれた。しか し、JAさんは何年もかけて信頼を得られることが「現実」ではないという。

「もういいよ、過去のことは。いろいろやってくれてありがとう」って、ほとんど の人が私にそうしてくれるけれど、でもそれが現実じゃなくて。私は、目に見えな い、来てくれてない人のことも忘れちゃいけないっていつも思っているから。むし ろ、「話しなんかしたくない」って言ってくれる人のほうが…。むしろ、言ってもら ったほうがいいの。たぶん、それさえもしてない人がいるわけだから。「なんか、日 本の女がいろいろやっているみたいだけど一切かかわりたくない。僕はあなたなん か信じてないよ」って言ってもらったほうが、そういう、目に見えない存在がわか るから。何人かはいました。だけどね、それは責められない。そのぐらい、やっぱ り、一生やっぱりゆるせないような、本当にひどい思いをしているわけだから。

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 76-82)