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承認をめぐる困難

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 135-140)

7 承認と生の感知

7.1 承認をめぐる困難

元捕虜が期待する戦後和解のひとつのあり方に、正義のために捕虜の歴史の承認が要求 され、補償や謝罪、歴史研究を承認の条件とするものがあった。また、正義ではなく平和 や友情が追求されている場合でも、その前提には捕虜の歴史の承認がおかれていた。戦後 和解の問題意識や前提条件として捕虜の歴史の承認があるのだが、なぜ、これほどまでに 元捕虜たちは被害の歴史を語り、その承認を求めるのであろうか。リクールの承認の定義 を参考に、元捕虜が承認を要求することで何をおこなおうとしているのかを考えてみたい。

承認には、すでに知っていることを記憶に呼び起こすという「反復」の意味があった。

承認は発見ではなく、すでに知っていることの反復である。ロングらは、戦後和解の要で ある真実委員会でおこなわれるのは、真実の発見ではなく承認であるとしていた。真実委 員会で被害の真実は発見されるのではなく承認されるのである。元捕虜は招聘プログラム で同じことをおこなおうとしている。テニーさんは招聘プログラムの10年前から日本に来 るたびに新聞やテレビの取材を受けていた。経団連にも手紙を書き、企業の株主総会にも

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出向いている。テニーさんは招聘プログラムの前にも、何度も日本人に自分のナラティヴ を語っているのである。しかしテニーさんのナラティヴでは、日本人は「政府が言明しな い限り」「この問題に興味を持た」なかった、招聘プログラムで「自国の指導者の謝罪を聞 き」、はじめて「何か過ちがあったことを知った」とされている。レデラックは承認を知る こと以上のものであると定義していたが、テニーさんが何度も日本人に話しながらも日本 人は歴史を知らないと思っていたのは、承認されたという確証が得られなかったからであ る115

テニーさんが招聘プログラムで承認を得たと満足することができたのは、政府高官によ る謝罪がおこなわれたからである。しかし、承認がなされたとみなさるための条件はそれ ほど単純ではない。条件が政府高官の謝罪であるならば、招聘プログラムが実施される前 にもADBCで藤崎駐米大使が謝罪をおこなっている。テニーさんは藤崎大使の行為を称え、

謝罪を受け入れながらも、そのことが日本で報道されなかったことを批判していた。それ と比較しながら、招聘プログラムにおける岡田外相の謝罪が広く報道されたことには満足 をあらわしている。承認の条件としての謝罪は、厳密には謝罪が報道されることだと言え る。しかし、時間を遡れば、承認の条件は補償の支払いであった。さらに市民交流会では 学校で捕虜の歴史が教えられていないことが問題とされ、歴史教育も条件として提示され ていた。今回、招聘プログラムで政府による謝罪がおこなわれ、広く報道されたが、それ で承認の条件が満たされるのかといえば必ずしもそうではない。残された課題として企業 の謝罪が要求されているし、歴史教育は引き続き批判されるだろう。条件の多様さや、さ らには同じ条件をくり返し満たすことを要求される可能性も考慮した場合、承認の条件を 満たすことに終わりはないとも言える。

承認が困難であるのは、補償、謝罪、歴史教育という条件が捕虜問題解決を政治的なも のにせざるを得ないからである。承認の政治的問題解決の困難は、手続きが厳密に決めら れている補償は別として、謝罪や歴史教育が適切かどうか、それらの条件が満たされたか どうかという判断基準が曖昧なことである。真実委員会は通常、政府の嘱託を受けた公的 な組織であり、被害者のナラティヴの承認は規定や形式にしたがって検証される。そのた め、真実委員会のプロセスを経て承認された歴史は政府の公式見解とされる。一方、招聘 プログラムの謝罪が承認の条件を満たしているかどうかの判断は難しい。招聘プログラム は政府による公式な事業である。テニーさんはプログラムの実施、およびそこでの謝罪に

115 テニーさんの「彼ら(日本政府)の沈黙の理由は、問題が自然に消滅すると思ったのか もしれません」というナラティヴや、ほかの元捕虜の「机の下の問題は隠しておいて過ぎ 去るのを待つと、忘れるのを待つということだったのかもしれません」というナラティヴ からは、彼らがリクールのいう「否定された後に、あるいは疑いをかけられた後に、本当 のこととして容認する、故意の言い落としにもかかわらず受け入れる」という意味での承 認を追求していることもうかがえる。招聘プログラムの実現はこの意味での承認の追求に 応えたものであると言えるが、元捕虜たちは招聘プログラムでも同じ要求をくり返してい る。長年、この意味での承認を求めてきた元捕虜にとって、その承認の追求のナラティヴ を語ることの意義は、この時点ではまだ失われていないことがわかる。

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よって日本政府による承認はなされたと判断している。しかし、招聘プログラムに参加し たPBさんは帰国後、AP通信のインタビューに対して「日本の人びとはゆるしたが、政府 はゆるしていない」とし、さらに政府の謝罪を求める発言をしているのである。

2011年の友好訪問に参加し、奴隷とされていた工場を再訪して彼〔PBさん〕の日 本を見る目は変わった。従業員は捕虜が経験したことに対して「心から」謝罪した。

「日本について大変違った印象を抱いて帰ってきました。最高の扱いを受けました。」 アリゾナ州フェニックスの近くに住む〔PBさんの名前〕は、日本の人びとはゆる したが、政府はゆるしていないと語った。彼は過去に生きているわけではない。しか し「真実が語られる必要がある…それが起きたように語られる必要がある」という116

PBさんは政府高官に直接面会して謝罪を受けているのであるが、それでも日本は真実を 語っていないという。日本政府による公式な招聘プログラムにおいて謝罪がおこなわれて も、承認の政治的問題解決は限定的でしかない。

次に考えてみたいのは、リクールが転換点とする「真なるもの、争う余地のないものと して認めること、受け入れること」という承認の意味である。ガバーは承認の反対物に否 定をおいているが、転換点であるこの承認に対置されるのは、否定の類型のなかでも「あ なたが言うようなことは、起きなかった」とする直接的な否定であろう。この承認がなさ れるためには、直接的な否定の余地はない。テニーさんの「完全な過去の真実をみなさん に知っていただきたいのです」というナラティヴは、テニーさんがこの意味での承認を求 めていることを示している。

ここでの困難は、承認が求められる歴史が元捕虜の直接体験のナラティヴに限定されず、

伝聞や戦後の歴史書のナラティヴも含む捕虜の歴史、さらには第二次世界大戦の解釈にま でおよんでいることである。歴史研究が活動の中心であるPOW研究会では、講演会や研究 会のほかに、会員のメーリングリストでも歴史の真実について議論がなされることがある。

あるとき、招聘プログラムの交流会における元捕虜の「証言」の信憑性に疑問が付された ことがあった。その元捕虜は「原爆の閃光を見た」と証言したのだが、収容されていた場 所から閃光を見ることは物理的に不可能であるという議論であった。このとき、戦史研究 家であるJCさんは次のように発言している。

「戦史」を研究していますと、その時、そこにいた人たちの証言に食い違のあるこ とが日常茶飯事だと分かりました。あった物を見ていない。なかった物を見ている。

極言すれば、100人の証言者がいれば、100の証言があるということです。しかも、

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http://news.yahoo.com/japans-views-wwii-history-rankles-us-veterans-041530399.html

(2015年4月28日)。

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それが時間の経過と共に微妙に変化して行きます。[元捕虜の個人名]氏の場合、最 初に申し上げましたように、戦後、いろいろな資料や人の話を見聞しているうちに、

自分の体験と思い込むようになったのではないでしょうか。何かで読みましたが、

変化は、自分が当時したかった、したらよかったと思っていたことを、「実際にした」

という方向に変化するみたいです。

いい勉強になりました。これで、今までのモヤモヤが一応解消しました。

史実の正確さに厳密であろうとするJCさんは、不正確な証言に「モヤモヤ」したものを 感じている。しかし、一連の議論を経て、記憶について「いい勉強」になったとすること で、体験にもとづく証言をその不正確さも含めて受け入れている。それでは、第二次世界 大戦の解釈についてはどうであろうか。

テニーさんが「完全な過去の真実」として語ったのは日本軍捕虜の死亡率の高さである が、歴史観の相違についての質問に対しては「原爆が戦争を終わらせた」というナラティ ヴを含む第二次世界大戦の歴史を語り、「彼らにとっては公平ではないかもしれないが、こ れが私の感情です」と言うことで自分の歴史観の正当性を強調している。ほかの元捕虜も 日本人の心情に配慮を見せながらも「原爆によって救われた」というナラティヴを語って いる。一方、日本人のナラティヴは、元捕虜の気持ちを考えれば「原爆によって救われた」

というナラティヴを理解できるとしている。同時に、それでも、原爆が非人道的であると いうナラティヴを語らずにはいられない。テニーさんの著書の日本語版の最後では、テニ ーさんの家に100日間滞在したという日本人留学生で相互理解のパートナーである田坂徹 さんのナラティヴを読むことができる。そこには、原爆をめぐる日米のナラティヴの齟齬 が直接的にあらわれている。

広島・長崎の原爆に関してはおおいに議論しました。私は「原爆は大量殺戮兵器で あり、それを使用するのは非人道的な行為です。非戦闘員である一般市民を巻き添 えにする、米国による最悪の残虐兵器だと思います」と言いました。それにたいし テニーさんはこう言いました。「それは確かにそのとおりだ。しかし核兵器使用によ って、戦争を早く終結することができたのだよ。」

(Tenney 1995=2003: 316)

原爆は非人道的で二度と使われるべきではない兵器だが、当時の戦況、特に元捕虜がお かれた状況を考えれば別の見方ができるというのは、2011年の記者会見でグループリーダ ーが語ったことである。元捕虜の視点に立ち、感情にしたがえば歴史はそのように見える。

そのような歴史観に対して日本人は理解を示しながらも、原爆の非人道性を訴えるのであ る。

「真なるもの、争う余地のないものとして認めること、受け入れること」である承認は、

ドキュメント内 ――元アメリカ兵捕虜問題を事例に―― (ページ 135-140)