3 招聘プログラムの背景――文献調査より
3.2 捕虜体験のナラティヴ――死の行進、収容所、地獄船、殲滅
招聘プログラムでもっとも多く語られるのは捕虜体験のナラティヴである。スケジュー ルの都合や元捕虜が高齢であることから、講演会、市民交流会、記者会見といった催しの 所要時間は1時間半から2時間である。このなかで7人(場合によっては人数に多少の違 いがある)の元捕虜のスピーチと質疑応答がおこなわれる。そのため、元捕虜ひとりの持 ち時間はたいてい、5分から10分程度である。体験の過酷さや、ほとんどの元捕虜が約3 年半にわたって収容されていることを考えると、このような短い時間で体験を語ることの 難しさは想像にかたくない。しかし彼らは、それでも体験を語りうる。しかも、比較的整 然と、内容のまとまったナラティヴを語るのである。
おそらく、そのことを可能にしているのはすでに語られている捕虜体験のナラティヴの 存在である。元捕虜が語るナラティヴは今回の招聘プログラムのために準備されたもので あるかもしれない。しかし、元捕虜が、今回の招聘が決まってはじめて捕虜体験を(実際 に人に聞かせたかどうかは別として)言語化したとは考えにくいし、言葉はほかの言葉と の関係のなかでしか存在できないという論理に照らしてみても、既存のナラティヴからの 影響をまったく受けずに、3年半の捕虜体験をそれほどの短い時間にまとめて語ることは不 可能である。既存のナラティヴは元捕虜自身が以前に語ったナラティヴであるかもしれな いし、ほかの元捕虜のナラティヴであるかもしれない。歴史研究者によって著された捕虜 の歴史のナラティヴである場合もあるだろう。いずれにせよ、招聘プログラムの捕虜体験 のナラティヴは、すでにあるナラティヴとの関係のなかで語られることが可能になったと 推測することは妥当と思われる。
そうであるならば、彼らの体験の語りの前提となっている捕虜体験のナラティヴを共有 しておくことは、彼らのナラティヴへの理解を深めるために必須である。以下、筆者の文 献調査およびフィールド調査から抽出された捕虜体験のナラティヴの4つのモチーフを見 ていくが、その前に、調査対象とした文献の選択について述べておきたい。
元捕虜の体験のナラティヴをもっとも直接的に把握できるのは元捕虜自身の手記をとお してである。捕虜体験については一説に、マッカーサー将軍が戦後の日米関係を配慮して
35 http://www.cas.go.jp/jp/siryou/050412heiwa.pdf(2013年5月30日)。オランダの場合 は元捕虜の孫が招聘された。
36 たとえば、クリントン国務長官(当時)への嘆願書を参照。
http://www.us-japandialogueonpows.org/index-J.htm(2011年9月15日)。2010年9月 11日づけのAP通信の記事には、招聘プログラム実現までの経緯が紹介されている。
http://cbs13.com/local/bataan.death.march.2.1907642.html(2010年11月7日)。
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解放された捕虜たちに自身の体験を語ることを禁じたと言われている。2011年に招聘され たある元捕虜は市民交流会で、マッカーサー将軍の名前が入った書類に署名し、命令に従 わなければ軍法会議にかけられたであろう、そのために30年間、捕虜の本は1冊もなかっ たと語っている。しかし、同席していたほかの元捕虜はどのような制約もなかったと言っ ている。このように情報が錯綜するなか、捕虜体験のナラティヴがいつ頃から語られるよ うになったのか、どのくらいの数の手記が存在するのかなど、全体像を把握し、体系的に 調査対象とする文献を選択することは難しい。歴史書になると、ワールドキャットでフィ リピンのコレヒドール島の戦闘を検索するだけでも検索結果は172件にのぼる。そこで、
本研究ではフィールドで知った文献を起点に、必要に応じて関連資料に対象を広げていく 方法をとった。
中心となるのは、元捕虜による4冊の手記と、捕虜の息子によって書かれた2冊の父親 の体験を調査した本である(表1)。
表1 捕虜体験のナラティヴ基本文献
著者 タイトル 出版年
元捕虜による手記
Frazier, Glenn Hell's Guest 2007
Heimbuch, Raymond 5 Brothers in Arms 2008
Lawton, Manny Some Survived 1984
Tenney, Lester I. My Hitch in Hell: the Bataan Death March
(『バターン――遠い道のりのさきに』)
1995=
2003 息子による父親の捕虜体験の調査
Heisinger, Duane Father Found: Life and Death as a Prisoner of the Japanese in World War II
2003
Kwiecinski, Stephen Honor, Courage, Faith: a Corregidor Story 2012
元捕虜によって書かれた4冊の手記の著者のうち、3名とはフィールド調査で直接に面会 したことがある。フレージャーさんとは2011年にアメリカの元捕虜の会で出会った。前章 でふれた、手記を購入したときにサインとともに書いてくれたメッセージと手記の内容の 落差に驚いたという経験はフレージャーさんとのことである。ヘイムバッハさんは2012年 のフィリピンツアーの参加者であった。テニーさんとは2010年の招聘プログラムで会って いる。もう1冊の『生き残った者たち(Some Survived)』についてはフィリピンツアーで 知った。捕虜の歴史に関係のある史跡を巡るツアーでは、移動のバスのなかで参加者であ る元捕虜の体験が語られたり、ガイドによる歴史の説明がなされていたりしたのであるが、
ガイドの説明のなかで捕虜のナラティヴとして引用されていたのがこの本であった。捕虜 の歴史に関心のある人たちのあいだでは良書とされている。
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捕虜の息子による2冊の書物との出会いもフィールドにおいてである。『父の発見(Father
Found)』の著者であるハイジンガーさんは2006年に亡くなっている。2011年に筆者がア
メリカの元捕虜の会にはじめて調査に行ったときには、すでに亡くなっていたのである。
ところが、筆者が会場を歩いていると、そこでハイジンガーさんの本を販売していた女性
(おそらく、ハイジンガーさんのお母様と思われる)が筆者に1冊差し出してきたのであ る。筆者が代金を払おうとすると、必要ないとのことであった。その後、調査を続けるう ちにハイジンガーさんが日米問わずに非常に尊敬されている人物であることがわかった。
フィリピンには移送船で亡くなった捕虜の記念碑が2006年に建立されたが、ハイジンガー さんは中心となって建立実現に尽力した人物であった。次章で紹介する日本人インタビュ イーの戦史研究家の男性は、ハイジンガーさんの書物を「[移送船の歴史を調べていたJB さんは]『鴨緑丸』と『江の浦丸』については、諸説紛々としてどの説が正しいのか不明、
と言っておられましたが、Duaneの本を基にして、誰も反論できないほど綺麗に整理でき ました」と評している。また、次のようにハイジンガーさんの人柄について述べている。
職業で国境のないものの第一は神父、その次が海軍だと言われていますが、Duane も私も兵学校にいたことで、とても親しみを感じていましたが、交流が深まる前に、
がんで亡くなりました。Duaneは、横須賀にもいたことがあり、その時73期の人37と 家族ぐるみの交際をしていたのですが、父親が戦時中日本の捕虜だったことは一言も 話さなかったようです。73期の人も亡くなっていましたので、Duaneが亡くなった ことを未亡人に伝えた時に彼の父親のことを話したら、吃驚していました。もし、捕 虜になっていたことを話せば、こちらが気を使うことを心配して、話さなかったのだ ろうとのことでした。Duaneの死は、惜しんでも、余りあるものがあります。
『名誉・勇気・信義(Honor, Courage, Faith)』の著者であるスティーヴさんはフィリピ ンツアーのガイドであった。スティーヴさんについては、次章のフィールドにおける日本 人性のところで詳しく紹介する。3つのフィールドをとおして出会ったこれらの書物は本研 究にもっとも近い関係にある文献と言えるだろう。
文献調査は上記の6冊を中心に歴史書や学術論文などへと対象を広げた。捕虜体験のナ ラティヴの4つのモチーフは上記の6冊のほかに、以下の表の文献を参考に抽出した。戦 後和解がテーマの文献も含めているのは、そこにも捕虜体験のナラティヴが多く見受けら れるからである。そのほかに映画やウェブサイトも参考にしている(表2)。
37 1944年3月に兵学校を卒業した、JCさんの先輩にあたる人である。
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表2 文献調査対象一覧
書名 出版年 ジャンル テーマ
1 Chalker, Jack 元イギリス兵捕虜 Burma Railway: Images of War(『歴史和解と泰緬鉄道――英国人
捕虜が描いた収容所の真実』) 2007=2008 手記 捕虜
2 Goldsworthy, Robert 元アメリカ兵捕虜 Our Last Mission 2010 手記 捕虜
3 Gordon, Ernest 元イギリス兵捕虜 Through the Valley of the Kwai: From Death-Camp Despair to
Spiritual Triumph(『死の谷をすぎて――クワイ河収容所』) 1962=1981 手記 捕虜 4 Lindeijer, Evert Willem 元オランダ兵捕虜 Kusjes aan Nel en kinderen(『ネルと子供たちにキスを――日本の
捕虜収容所から』) 2000 手記 捕虜
5 Lomax, Eric 元イギリス兵捕虜 The Railway Man(『癒される時を求めて――泰緬鉄道』) 1995=1996 手記 捕虜
6 E・ロマックス/永瀬隆 元イギリス兵捕虜/
元日本軍通訳 陸軍通訳の責任 私家版 1997 手記 捕虜
7 永瀬隆 元日本軍通訳 <戦場にかける橋>のウソと真実 1986 手記 捕虜
8 永瀬隆著訳 元日本軍通訳 虎と十字架 1987 手記 捕虜
9 永瀬隆著訳 元日本軍通訳 ドキュメント クワイ河捕虜墓地捜索行 1988 手記 捕虜
10 Nagase, Takashi 元日本軍通訳 Crosses and Tigers/ the Double-Edged Dagger: the Cowra
Incident of 1944 (Second Edition) 2010 手記 捕虜
11 Seiker, Fred 元イギリス兵捕虜 Lest We Forget(『忘れないように』) 1995=2001 画集 捕虜
12 Daws, Gavan Prisoners of the Japanese: POWs of World War II in the Pacific 1994 歴史書 捕虜 13 Norman, Michael /Elizabeth M. Norman Tears in the Darkness: The Story of the Bataan Death March and
Its Aftermath(『バターン――死の行進』) 2009=2011 歴史書 捕虜
14 大庭定男 戦中ロンドン日本語学校 1988 歴史書 捕虜
15 笹本妙子 連合軍捕虜の墓碑銘 2005 歴史書 捕虜
16 Sides, Hampton
Ghost Soldiers: The Forgotten Epic Story of World War II's Most Dramatic Mission(『ゴースト・ソルジャーズ――第二次世界大戦最 大の捕虜救出作戦』)
2001=2003 歴史書 捕虜
17 鷹沢のり子 バターン<死の行進>を歩く 1995 歴史書 捕虜
18 奥住善重/工藤洋三/福林徹 捕虜収容所補給作戦――B-29部隊最後の作戦 2004 資料集 捕虜
19 内海愛子/永井均編 東京裁判資料――俘虜情報局関係文書 1999 資料集 捕虜
20 内海愛子・宇田川幸大・カプリオ・マーク編 東京裁判――捕虜関係資料 2012 資料集 捕虜
21 内海愛子 日本軍の捕虜政策 2005 学術書 捕虜
22 小菅信子 連合軍捕虜 1994 論文 捕虜
23 中尾知代 響きあう声――オーラル・ヒストリーの可能性 2006 論文 捕虜
24 徳留絹枝 太平洋戦争――米兵捕虜体験の伝承を 2005 論文 捕虜
25 Aluit, Alphonso, J. The Galleon History of Corregidor 1968 歴史書 WWII
26 Kennedy, Maxwell T.
Danger's Hour: The Story of the USS Bunker Hill and the Kamikaze Pilot Who Crippled Her(『特攻――空母バンカーヒルと二 人のカミカゼ』)
2008=2010 歴史書 WWII
27 増田弘 マッカーサー――フィリピン統治から日本占領へ 2009 歴史書 WWII
28 Gause, Damon "Rocky" 元アメリカ兵 The War Journal of Major Damon "Rocky" Gause(『敵中漂流』) 1999=2000 手記 WWII 29 Moore, Frederick 元外交官
With Japan's Leaders : an Intimate Record of Fourteen Years as Counsellor to the Japanese Government, Ending December 7, 1941(『日米外交秘史――日本の指導者と共に』)
1942=1951 手記 WWII
30 Morton, Louis The Fall of the Philippines ※電子書籍
(http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-PI/) 1953 歴史書 WWII
31 黒沢文貴/イアン・ニッシュ編 歴史と和解 2011 学術書 戦後和解
32 内海愛子/G・マコーマック/H・ネルソン編著 泰緬鉄道と日本の戦争責任――捕虜とロームシャと朝鮮人と 1994 学術書 戦後和解
33 小菅信子 戦後和解――日本は<過去>から解き放たれるのか 2005 学術書 日英和解
34 小菅信子 ポピーと桜――日英和解を紡ぎなおす 2008 学術書 日英和解
35 小菅信子/ヒューゴ・ドブソン編著 戦争と和解の日英関係史 2011 学術書 日英和解
36 中尾知代 日本人はなぜ謝りつづけるのか――日英<戦後和解>の失敗に
学ぶ 2008 学術書 日英和解
37 小菅信子 英軍捕虜たちの終わらない戦争――凍りついた記憶を対話の水脈
に 1997 論文 日英和解
38 小菅信子 続・英軍捕虜たちの終わらない戦争 1998 論文 日英和解
39 小菅信子 原爆に<救われた者>の語り――平和教育のモチーフとして 2000 論文 日英和解
40 小菅信子 日本軍による<白人>捕虜虐待をめぐるイギリスの対応 2011 論文 日英和解
41 小菅信子 記憶の歴史化と和解――日英を事例として 2011 論文 日英和解
42 Kosuge, M. Nobuko A Narrative of a British FEPOW and the Nagasaki Disaster 2007 論文 日英和解
43 1945
44 2001
45 2014
46 47
著者 捕虜の歴史
The Railway Man(レイルウェイ)
捕虜 日米の対話(http://www.us-japandialogueonpows.org/index-J.htm)
POW研究会(http://www.powresearch.jp/jp/index.html)
第二次世界大戦の歴史
元捕虜との戦後和解
映画
ウェブサイト
Back to Bataan(バターンを奪回せよ)
To End All Wars(クワイ河収容所の奇跡)