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核開発の歴史

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第 3 章 国際関係のなかの核危機

第 3 節 朝鮮半島と核:危機の両面性

1. 核開発の歴史

朝鮮半島における核開発の動きもまた、国際的な「核の平和利用」と核兵器の不拡散の 動きと直接的かかわっていた。特に、冷戦後のNPT-IAEA体制の変動のなかで生じた核危 機は、アメリカのNPT-IAEA体制の維持と強化の政策を揺るがしたが、それ以前にすでに 核危機の勃発可能性は高まっていた。以下では、まず韓国と北朝鮮の核開発について概観

195 黒沢満、前掲書(1994)、7頁。同時に、イラクの核開発問題が浮上した時期は、北朝鮮の核開発に対 する「国際社会」の懸念が高まりつつあった頃と重なった195。前述した第4回目のNPTレビュー会議にお いて、ハビエル・クエヤル(Javier Perez de Cuellar)国連事務総長とハンス・ブリックスIAEA事務総 長(以上、当時)は、イラクや北朝鮮の核開発に懸念を表明した。この懸念は言い換えれば、当時IAEAと の保障措置を締結していなかった北朝鮮への圧力でもあった。

196 SIPRI, SIPRI Yearbook 1992、p96.

197 ドン・オーバードーファー、前掲書、316頁。

198 このようにして、IAEAとアメリカは核拡散防止という目標で利害が一致し、一層の協力関係の強化に 努めた。特にアメリカによる衛星情報の提供は、北朝鮮に対する圧力と核査察時の根拠として頻繁に活用 されることとなった。

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し、1993-94年の核危機に至るまでの過程と背景について考察する。

まず韓国の場合、李承晩政権の積極的な原子力政策とアメリカの協力のもとで、1959年 にTRIGA Mark Ⅱ型の研究用原子炉1基をアメリカから導入し、1962年より試験運転を 開始した。また、1971年3月に最初の原子力発電所(原発)の工事を始め、1978年7月 に完工した。この間、1977年3月には第2期目の原発工事が着手された199

韓国最初の原発は、軽水炉型原子力発電(軽水炉)であったが、核兵器製造が比較的容 易といわれる重水炉型原子力発電(重水炉)に強く拘った時期もあった。その背景には、

アメリカの地域戦略の変更や地域情勢の変動があげられる。1960年代後半から1970 年代 にかけて、アメリカの韓国に対する安全保障のコミットメントは低下し、朝鮮半島の緊張 緩和を促す政策的転換が行われた200。韓国政府は独自の安全保障強化策を推し進めようと した201。当時の朴正煕政権は、防衛産業政策に重点を置く一方で、独自の核兵器開発にも 力を入れた。朴政権の核開発の重点は、重水炉原発の建設とともに核燃料の再処理施設を 手に入れることにあった。その詳細に関する韓国政府の資料は公開されてないが、オーバ ードーファーの『二つのコリア』(2007)においてその詳細な経緯が記されている202。ただ し韓国の試みは、アメリカの圧力によって失敗に終わった203

しかし韓国政府が、IAEAの設立メンバーとして1956年9月にIAEA設立憲章に署名し、

また1970年にはNPT条約を締結しながらも、同条約の批准に消極的であったその理由は、

前述した日本の事情と同様であって、核兵器開発計画への一抹の可能性を残していたため であった。結局ところ、韓国がNPT条約を批准したのは1975年3月のことであった。その 後は基本的に商業用としての核開発に徹してきたと評価できる204

一方、北朝鮮の場合、主にソ連との協力のもとに独自の計画と努力を積み重ねて核開発 を進めてきた。中国の協力を得てウラニウム鉱山を共同調査した時期もあったが、ソ連と の協力を抜きにして北朝鮮の核開発を語ることはできない。韓国高等技術研究院の報告書 によれば、北朝鮮は、1956年にソ連との間で原子力研究協力協定を締結し、1959年には原

199 イ・ジョンフン「世界原子力史のなかから見た韓国原子力史」(1部〜4部)『韓国の核主権』(月刊誌『新 東亜』の特別付録)東亜日報社2006年、36-83頁(原題:이정훈「세계 원자력사 속에서 한국 원자 력사」『한국의 핵주권』-월간지『신동아』200612월호 특별부록, 동아일보사)。

200 1969年7月に同盟諸国の自助努力の強化を求める内容を主とするニクソン・ドクトリンや1970年代

半ばのカーターの在韓米軍撤収発言があげられる。参照、川田侃・大畠英樹編『国際政治経済事典』(199 3)東京書籍、484頁。

201 シン・ウッヒ「デタント時期の韓米葛藤  情況的要因としての脅威認識」チョン・ソンファ編『朴正煕 時代研究の争点と課題』2005)ソンイン、342-349頁(原題:신욱희「데탕트 시기의 한미갈등  정향적 요인으로서의 위협인식」정성화편저『박정희시대 연구의 쟁점과 과제』(2005)선인)。

202 ドン・オーバードーファー、前掲書、89-95頁。また、朴政権の核開発に対するアメリカ側の情報収集 や対応を見ると、韓国の独自の核開発がどの程度であったかが窺える。なお、当時の核開発については、

次の文献を参照されたい。イ・フンファン編『米国秘密文書から見る韓国現代史35場面』サ(2002)ム イン、69-83頁(原題:이흥환편저『미국 비밀 문서로 한국 현대사 35장면』(2002)삼인)。

203 韓国とフランスとの間での再処理施設問題を含む韓国の原子力建設全般については、次の文献を参照さ れたい。河英善『韓半島の核兵器と世界秩序』(1991)ナナム、110-118頁(原題:하영선 『한반도의 무기와 세계질서』(1991)나남)。

204 ただし、20049月に明らかになったように、過去において韓国は、少なくとも2回程度の核実験を 行ったが、それらはすべて保障措置の違反と認定された。参照、『朝日新聞』2004914日付朝刊。

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子力平和利用協定を締結した。また、国内においては1950年代末から大学に核物理学科を 設置し人材養成に乗り出した。

このような努力の結果、1961年以後の寧辺地域には原子力関連設備が立ち並び始めた205。 初期の施設としては、1962 年にソ連の支援のもとで建設が始まったIRT-2000 型206実験用 原子炉があげられる。この原子炉は寧辺に位置し、1967年より稼動を開始した。後に問題 の対象となる5メガワット級原子炉は、1979年より着工を開始し、1986年1月には稼働 を始めた。また、1987年には、独自の技術で30メガワット級の黒鉛式原子炉の竣工、1980 年代の後半には50メガワット級と200メガワット級の黒鉛式原子炉を次々と建設し始めた。

これらの設備については、1992 年5 月にIAEAに提出した北朝鮮の『イニシャル・レポー ト』207にも掲載されていた(参照、表3-2)。

その間に北朝鮮は1974年9月にIAEAに加盟し、1977年7月にはIAEAとの部分的保障 措置を締結した。当時の保障措置はINFCIR/66型であり、主な査察対象となったのがこの IRT-2000型実験炉であった208

北朝鮮の核開発の特徴といえば、ソ連との協力のほかに、独自の技術を着実に蓄えてき たこと、また開発当初から核兵器としての核開発に強い意志があったことがあげられる。

特にその全貌については不明な点が多いが、核兵器への傾斜は早い時期から始まったと判 断できる。オーバードーファーによれば、北朝鮮は1964年に中国が核実験を行ったことに 影響を受け、中国に協力を要請したことがあると述べた。その後の1974年にも再び協力を 要請したものの、中国はその都度北朝鮮の要請を拒否したという209。したがって、北朝鮮 の独自の核兵器開発は、その後に本格化したとも考えられる210

このように、南北の核開発は、当然ながらエネルギー源としての開発とともに、安全保 障の観点が強く反映されていたといえる。それが不連続的な試みであったのか、それとも 持続的なものであったのかは別として、国家の存亡をかけての計画として実行されていた のは南北において共通するといえよう。

205 高等技術研究院「北韓エネルギーシステム技術特性分析に関する研究」(1997)科学技術処、28-43

(原題:고등기술연구원・연구대표 임효빈「북한 에너지 시스템 기술특성 분석에 관한 연구」(1997) 학기술처)。

206 Defense Technical Informations Center, “Soviet Nuclear Research Reactors of the IRT-2000 Type Review of Soviet Literature”,

http://stinet.dtic.mil/cgi-bin/GetTRDoc?AD=AD403811&Location=U2&doc=GetTRDoc.pdf(20089 月)

207 IAEAとの保障措置締結以後、核査察を実施する前にその対象となる施設などを明記し、IAEAに提出

するレポートのことを『イニシャル・レポート』という。

208 参照、IAEA, “In Focus: IAEA and DPRK”, www.iaea.org/NewsCenter/Focus/IaeaDprk/fact_shee t_may2003.shtml(200812月)

209 ドン・オーバードーファー、前掲書、297-298頁。

210 なお、高等技術研究院の前掲書「北韓エネルギーシステム技術特性分析に関する研究」(1997)によれ ば、1970年代の北朝鮮を「国際社会の一部では潜在的な核保有国として認識し始めた」と記している。た だし、その根拠はとして金日成の発言を取り上げているが、その詳細については記されていない。高等技 術研究院、前掲書、61頁。

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また、朝鮮戦争中のアメリカによる核攻撃が検討されたが211、戦争が終わった後にはア メリカの「核の傘」政策に基づいて、1958年1月以降アメリカの核兵器が韓国に持ち込ま れ始めた212。さらに、歴史をさかのぼれば、第 2 次世界大戦以前から朝鮮半島は常に核開 発と関連していたことを勘案すると213、広い意味における核拡散の危機は冷戦を越えて朝 鮮半島にまとっていたといえる(参照、表1-2)。

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