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脅威の多様性と対応の二重性

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第 4 章 危機解消と KEDO

第 1 節 危機の表面化

2. 脅威の多様性と対応の二重性

米政府は決議案 825 採択の直後において、米朝間の高位級会談のための実務レベル協議 を進めた。1993年5月18日付『ニューヨーク・タイム』よれば、米朝は5月17日に高官

265 決議案825全文の出典は、次のとおりである。UN, http://daccessdds.un.org/doc/UNDOC/GEN/N93/

280/49/IMG/N9328049.pdf?OpenElement(20076月)

266 「追加措置」は、原文では「further security council action」と記されていたが、決議825には具体 的な措置については示されてなかった。

267 『東亜日報』1993513日付。

268 平岩俊司(1997)「孤立化のなかの伝統回帰」小此木政夫編著『北朝鮮ハンドブック』講談社、396頁。

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レベルの会談開催のための会談を開いた269

しかし、クリントン政権のある高官は、6月に予定されている米朝間高官レベルの協議に おいて、「核問題」以外は協議しないことを表明し、北朝鮮の要求を退けようとした270。北 朝鮮がノドン・ミサイルを発射したのは、米朝間の駆け引きが激化するなかでのことであ った。北朝鮮は5月29日に、従来のスカッド・ミサイルを改良したノドン・ミサイル271を 発射した。ノドンは、最大の射程距離がおよそ1,500kmと評価された(参照、表4-1)。

表 4-1  北朝鮮のミサイル開発現況

ミサイル 射程距離(km 実戦配備(年) 等級*6 重さ(kg*2 段階

スカッド-A 180-170 - SRBM - 1

スカッド-B 180-300 1981 SRBM 1,000 1

ファソン5 180-330 1984 SRBM 1,000 1

500-700 ファソン6

500(M*1*2 1989 SRBM 700-770 1

ノドン 1,350-1,500 1993*2/1999 MRBM 700-1,200 1

1,500+α*3 2000 -

2,500(M*1*2 1988*2 700-1,000

2,000-2,200*4 2000

MRBM/

ICBM

-

2 テポドン1

9,000-10,000*5 2000 ICBM - 3

6,700M*1*2 2000 ICBM 700-1,000 2

テポドン2

10,000-*2 - ICBM 500-1,000 3

※  特に表記しないデータ資料は、下記の李章旭(2001)による。

*1MMaximum *2Joseph S. Bermudez Jr.  *3Joseph Cirincione

*4Federation of American Scientists *5:ハン・ホソク

*6:等級(射程距離)については、次のとおりである。短距離弾道ミサイル(SRBM)=700-1,000km 度、準中距離弾道ミサイル(MRBM)=1,000-3,000km程度、中距離弾道ミサイル(IRBM)=3,000-5,500km 程度、大陸間弾道ミサイル(ICBM)=5,500km 以上。参照、UN Institute Disarmament Research, Disarmament Forum Missile Control, 2007, No.1, p12.

269 New York Times, May 18, 1993.

270 『朝日新聞』1993526日付夕刊。記事は、米国務省高官が、62日に行われる予定の高官レベ ル会談において、「米朝関係正常化は言うに及ばず、二国間の関係改善についてはいっさい協議しない」と したうえ、「北朝鮮が核不拡散条約(NPT)、国際原子力機関(IAEA)の査察、南北非核化合意のそれぞれ に関して求められていることを完全に実行するまで、米朝関係の改善はあり得ない」と述べたと報じた。

271 「ノドン」とは、ミサイルが発射された北朝鮮の「蘆洞」(ロドン)という地名であるが、韓国では「ノ

ドン」と発音する。アメリカでは、「ロドン」(Rohdong)として表記するのが一般的である。実際は、ス カード・ミサイルの改良型である。

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出典:李章旭「北韓はなぜ核兵器とミサイルを持ちたがるか:対米非対称抑止戦略分析」(2001)、Joseph S. Bermudez Jr., “A History of Ballistic Missile Development in the DPRK”, (1999), James Martin Center for Nonproliferation Studies (CNS), http://cns.miis.edu/pubs/opapers/op2/op2.pdf(20088月)

より作成。

当時の北朝鮮のミサイル現況については、イギリスの国際戦略研究所(IISS)が発行す

る1993-94年版『ミリタリー・バランス』(Military Balance)によれば、ソ連から導入し

たFROG-3/-5/-7が54基、スカッドB型・C型(改良型)が30 数基程度となっていた272。 この時点でノドンの存在は、国際的にはあまり認識されていなかったのである。ノドン発 射については、発射実験から約2週間が経った6月11日、日本政府による発表で明らかに なった経緯を持っている273

北朝鮮のミサイル技術は着実に向上してきていたが、1993年5月の発射により、その開 発能力が立証されたのである。問題はノドンの射程に、韓国全域をはじめ東京や大阪など の日本の重要都市が含まれたことであった。言い換えれば、地域安保上の重要な懸念要因 となってきたことを意味する。

ノドン発射実験は、日米のミサイル共同防衛の可能性を高めた契機となったが274、当分 の間北朝鮮のミサイル(開発)に対して、周辺諸国の状況は無防備状態であった。もしも の場合、アメリカは、朝鮮半島、同盟諸国、地域全体の安全保障問題に介入せねばならい 状況となったが、特に韓国や日本に駐屯する米軍にとって深刻な脅威の要素となった。そ のうえ、北朝鮮はミサイルや関連技術をいわゆる「ならず者国家」へ輸出してきたため、

アメリカにとっては、大量破壊兵器の拡散の観点からして懸念材料が増えたことになった

275。政権発足間もなくしてクリントン政権は、核だけではなくミサイルの拡散にも対応を 迫られたのである276。限定的な関与を模索してきたクリントン政権の希望は崩れてしまい、

アメリカの直接で広範囲な関与は不可欠な状況となりつつあった。そして北朝鮮が実施し た新たなミサイル発射実験によって、米朝間の協議はさらに進展していく。

ノドン発射後の翌 6月2日からの米朝間の高位級会談において、米朝は激しい駆け引き を繰り広げていく。いわゆる米朝間の第 1 ラウンド協議の始まりであったが、この協議機 関を通じて、それまで「核問題」だけが米朝間の議題であるとしてきたクリントン政権の

272 The International Institute for Strategic Studies (IISS), Military Balance 1993-1994, (1993), London, p160.

273 『朝日新聞』1993611日付夕刊。

274 199382日付夕刊『朝日新聞』の記事によれば、防衛庁によると「日米の防衛当局者で正式にミ

サイル防衛について意見を交換したのは初めて」のことだという。

275 SIPRI資料によれば、ミサイルを含む武器全般の主な輸出先はイラン、シリア、リビアといった、その

ほとんどがアメリカにとって「非協力的」な国々であったため、ミサイル(技術)拡散にも早急な対応が 迫られたのである。なお、1950年から2007年の間に、北朝鮮の武器輸出額は世界20位であったが、輸 出の大半がミサイル関連であった。参照、SIPRI Arms Transfers Database, http://www.sipri.org/conte nts/armstrad/at_db.html(20088月)

276 当然ながら、ノドン発射を契機に米朝間の協議対象にミサイルが組み込まれていくことも注目に値する が、本稿では問題の焦点を北朝鮮の核開発・核拡散に当てて議論する。

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立場にも変化が現れた。そして、米朝間の第1ラウンド協議の成果は、北朝鮮がNPT条約 からの脱退を宣言してから3ヵ月が経とうとした6月11日に、次のような共同声明によっ て具現された。

米朝間の6月合意(抜粋)

1.核兵器を含む武力を使用しない、また威嚇もしない

2.保障措置の公平性保障、朝鮮半島の非核化と平和・安全を保障、内政非干渉 3.朝鮮の平和的統一を支持

4.上記の原則に基づいて米朝対話を継続

5.NPT条約からの脱退を一方的に臨時停止277

この共同声明は、国際法的拘束力のある条約などとは違ったし、合意内容の履行を強制 するような措置は何もなかった。さらに、これまで北朝鮮が主張してきた停戦体制を代替 する平和体制に関する内容も盛り込まれなかった。

しかし、同声明は、今後の米朝関係や朝鮮半島情勢に関する基本的な方向性を示した。

まず米政府は北朝鮮の安全保障を確約したが、何より北朝鮮にとっては、長年にわたり危 惧してきた核による脅威が解消されることに重要な意味を持っていた。また、北朝鮮の核 開発だけではなく、朝鮮半島全体を視野に入れた非核化と平和定着、またそれを前提とし た米朝協議の継続が合意されたことも、地域情勢を大きく変動させる要素となり得た。

最も重要な点としては、NPT条約からの脱退を撤回したことであった。つまり前代未聞 の事態の広がりを阻止したことに意義を持っていた。しかし、合意文句には、「NPT条約か らの脱退を一方的に臨時停止」したと表記された。脱退の「臨時停止」が意味することは、

NPT条約にとどまることでありながらも、今後において3ヵ月の猶予期間なしで、いつで も即時に脱退できることを意味した。

北朝鮮はなぜNPT条約への完全な復帰ではなく、脱退の「臨時停止」に固執したのか。

これには次のような理由が考えられる。まず、核拡散の手段を完全に排除しないことで、

今後にも活用できる余地を残した点である。実際北朝鮮は、2003年早々にKEDO事業の破 綻を理由に、NPT条約からの完全脱退を宣言した。1月10日に北朝鮮は、安保理議長あて に送った書簡で、NPT条約脱退発効を「臨時停止」したことから、翌11日から脱退するこ とを明確にした278

また、「臨時停止」によって、NPT 条約が規定する核兵器国(NWSs)でも非核兵器国

(Non-NWSs)でもない地位に置かれ、将来における核兵器国としての地位獲得にも可能性 を残したと解釈できる。前述したとおり、当時は未だNPT条約の無期限延長協議の前であ ったが、もし NPT 条約が無期限延長となった場合、NPT 条約に加入している限り、非核

277 共同声明の内容は、次のサイトを参照されたい。朝鮮通信, http://www.kcna.co.jp/index-k.htm(2008 8月)

278参照、朝鮮通信、同上。

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兵器国の地位から逃れる方法はなくなる。つまり、曖昧な地位においておくことによって、

将来の核兵器国への編入の可能性を残したと考えられる。

しかし米政府は、取り急ぎ北朝鮮をNPT条約へ残留させることを最優先課題としたため、

共同声明については重要な意味合いを付与しなかった。当然ながら、北朝鮮が期待してい た関係改善に向けた早急な政策転換も必要としなかった。むしろクリントン政権は、北朝 鮮との核開発問題を解決するための協議の傍ら、北朝鮮に対する圧力を同時にかけ始めた。

例えば、1993年7月10 日に日本に続き韓国を訪問したクリントン大統領は、韓国国会で の演説で、在韓米軍の駐留を継続する一方で、核拡散・安全保障問題への共同対応につい ても言及した279。このコミットメントは、訪韓直前の日本訪問の際に提案した「新太平洋 共同体」(new pacific community)280という新たな地域戦略の構想とも連動しており、韓 国や日本の安全保障に関するコミットメントとしても理解できたが281、北朝鮮にとっては アメリカが主導する多国間の圧力として受け取れたのも当然であった。

クリントン政権の関与政策は不明確であると評価される背景がここにあった。米朝間の 協議は、アメリカの対北朝鮮に対する敵対政策の維持を基本とした柔軟姿勢の表れであっ た。米政府は、いわゆるアメとムチを併用することで、地域情勢の流動化に対応しようと した。米政府の曖昧な姿勢は、米朝間の協議の継続と中断が繰り返される原因ともなった のである。

しかし大局的にみれば、米朝関係が改善の方向へ向かっていることには間違いなかった。

米朝間の第1ラウンド協議の共同声明から、約1ヵ月後の7月14日から同月19日の間に、

第2ラウンド協議が行われた。第2ラウンド協議では、前回より具体化された内容で合意 が得られた。主な合意内容は、以下のとおりである。

米朝間の7月合意(抜粋)

1.黒鉛型原子力発電を軽水炉型に切り替える

2.未解決のIAEA保障措置内容を協議する

3.南北協議の開始

4.米朝協議を2ヵ月以内に再開(核、軽水炉、関係改善などを協議)282

第 1 ラウンド協議の合意が相互の立場を確認し今後の方向性に同意したのに対し、第 2

279 『東亜日報』1993711日付。

280 この提案は、199377日に日本を訪問したクリントン大統領が早稲田大学にて行った演説のなか で表明された。参照、『朝日新聞』199377日付夕刊。

281 アメリカの伝統的な立場から考えて、クリントン政権が東北アジア地域における安全保障共同体を構築 しようとしていたとは考えがたい。その前のシニア・ブッシュ政権と同じく、2国間の安保体制を維持す ることを基本とした地域の安全保障政策には大差がなかった。

282 2ラウンドの合意内容に関しては、John Merrill (1994), “North Korea in 1993: In the Eye of the Storm”, University of California, Asian Survey, Vol. 36, No. 1, pp10-11、原子力図書館,

http://atomica.nucpal.gr.jp/atomica/14040122_1.html(20078月)を参照されたい。

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