第 3 章 国際関係のなかの核危機
第 2 節 NPT条約とIAEA
1. NPT-IAEA体制
.1. 国際原子力機関(International Atomic Energy Agency, IAEA)
れでは、核拡散防止の国際的取り組みのなかで、最も重要な役割を果たしている N
が失敗に 帰
議が採択さ れ
ではないが、核兵器の利用手段を統制する広義での核拡散防止措置といえる。外務省に よれば、「(MTCRは)兵器等の大量破壊兵器不拡散の観点から、大量破壊兵器(WMD)の 運搬手段となるミサイルとその開発に寄与しうる関連汎用品・技術の輸出を規制すること を目的とする」(括弧筆者)159と説明しているように、核兵器をはじめとする大量破壊兵器 に対する間接的統制である。なお、MTCRの場合、「非公式的で自発的な提携」であり、国 際機関ではない、いわゆる国際レジーム(regime)として運用されている160。ただし、ロ シアと中国はこの体制に入っていない。
このように、1960年代から 1970年代
構や条約、国際法制度161、さらには準国家レベルでの取り組みが本格化したが、すでに いくつもの危機と核兵器開発の競争が一段落した後のことであった。つまり「公認」の核 兵器国5ヵ国が出揃い、さらに「非公認」の核兵器国が出現してからのことであった。
2
1
そ
PT-IAEA体制162について考察してみよう。以下では多国間の条約としてのNPT条約と、
国際機構としてのIAEAについて、それぞれの背景と機能の形成過程を考察し、さらに冷戦 終焉後のNPT-IAEA体制の変化の過程と北朝鮮とのかかわりについて議論する。
まずIAEAの場合、前述したように、1940年代の米ソの核不拡散に向けた協調
した後、1953 年 12 月にアイゼンハワーによる「核の平和利用」提唱が行われたが、以 降はアメリカのイニシアチブによって国際的核統制の取り組みが本格化した。
1954 年 12 月の国連総会において「核の平和利用」への国際協力に関する決
、本格的な国際協議が開始された。1956年10 月に81ヵ国がIAEA設立に関する草案を
159 参照、日本外務省「ミサイル技術管理レジーム」、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mtcr/mtcr.html
(2008年5月)。
160 参照、MTCR, http://www.mtcr.info/english/index.html(2008年5月)。
161 核兵器規制を国際法から考察した文献としては、森川幸一「核兵器と国際法 核兵器使用の合法性に関 する国際司法裁判所の判断」金沢工業大学国際学研究所編『核兵器と国際関係』(2006)内外出版、171-2 03頁を参照されたい。
162 ただし、IAEAとNPTは、それぞれの目的を異にする「組織」と「条約」である。本稿では、この二つ の核兵器に対する不拡散の取組が一つの完結したレジームではないにしても、十分に相互補完的で有機的 な関係であるという意味から「NPT-IAEA」または「NPT-IAEA体制」として表現することにした。
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承認し、1957年11月にIAEA憲章が批准された163。IAEAは、以下のIAEA憲章第2条が定 める目的のとおり、商業目的のための核開発の普及と軍事目的への転用を防ぐための国際 組織として設立された。
第2条 目的
保健及び繁栄に対する原子力の貢献を促進し、及 び
記の目的において、「軍事的目的を助長するような方法で利用されないことを確保」す る
。まず、総会 の
(
て事務局長・事務次長、専門の職員・一般の職員から構 成
機関は、全世界における平和、
増大するように努力しなければならない。機関は、できる限り、機関がみずから 提供し、その要請により提供され、又はその監督下若しくは管理下において提供さ れた援助がいずれかの軍事的目的を助長するような方法で利用されないことを確 保しなければならない164
上
ために用いられる手段が「保障措置」(safety guard)であった。保障措置とは、いわゆ るIAEAが対象国で行う核査察の根拠とその具体的方法を示すものであり、IAEAと対象国 との間で締結する165。ただし、IAEA憲章には保障措置締結を義務付ける規定や強制的措置 がなかったため、後述するようなNPT条約の必要性が出てきたのである。
次にIAEAの組織構成をみると、総会、理事会、事務局から構成されている
場合、IAEA加盟国のすべての代表が出席する。会期は、年1回の通常会期と、理事会の 要請や加盟国の過半数の要請による特別会期となる166。IAEAの2006年版Annual Report AR2006)によると、2006年現在の総加盟国数は143ヵ国となっている167。また、理事会 の場合、原子力の技術が最も進展している国、いわゆる「理事会指定理事国」と総会で選 出される「総会選出理事国」から構成される。前掲書『国際機構総覧』(2002)によれば、
理事会は、理事会指定理事国と総会選出理事国を合わせて35 ヵ国から構成されている168。 理事会は、IAEA憲章で「機関の任務を遂行する権限を有する」と規定しているどおり、重 要な案件を協議し決定を行う。
事務局は、実務を担う機関とし
される。2006年の時点で関係専門家とスタッフの総勢は2,307人に上る(AR2006)。そ のなかでも事務局長の役割は大きく、職員の任命や組織の運営など、IAEA全般に関する業 務を遂行する。例えば、1981年から1997年まで事務局長を努めたハンス・ブリック(Hans Martin Blix)は、湾岸戦争後のイラクにおける核活動の検証への協力を主導し、また北朝
163 “History of the IAEA”, IAEA, http://www.iaea.org/About/history.html(2008年7月)。
164 IAEA憲章は、次のサイトから参照できる。文部科学省, http://www.anzenkakuho.mext.go.jp/lawlist/
pdf/s320807_14.pdf(2008年6月)。以下特記しない限り、IAEA憲章は同資料からの引用である。
165 保障措置の詳細については、次のNPT-IAEA体制の項目を参照されたい。
166 国際法学会編『国際条約法律辞典』(第2版)(2005)三省堂、275頁。
167 IAEA, Annual Report 2006, IAEA , http://www.iaea.org/Publications/Reports/Anrep2006/anrep2 006_full.pdf(2008年7月)。
168 外務省総合外交政策局国際社会協力部、前掲書、541頁。
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鮮の核査察と関連しては北朝鮮や関係国との協議、さらに査察の前面に立って指揮をとる など、重要な役割を担った169。なお、事務局長の任期は4年で再任を妨げない。
ところが、IAEAは、設立当初においては保障措置よりも商業用として「核の平和利用」
に
1.2. 核兵器の不拡散に関する条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons, NPT,
兵器の不拡散の目標は、IAEAの核査察機能をもって保障されていたが、核査察を規定 す
NPT条約であった。1950年代から1960年代
に
努力の末、1968年7月1日に62ヵ国の署名をもって、正式にNPT条約が締 結
重点を置いていたため、核不拡散には不十分な体制であった。今井隆吉は、「IAEAを通 じて供給される技術や核燃料が、平和利用から軍事目的に転用されることがないように保 障措置(Safeguards)を制度化することは、はじめから強く認識されていたわけではない」
と指摘したうえで、「一九五七年のソ連のスプートニクに始まった核ミサイル論争、一九六 二年にはキューバ・ミサイル危機で核戦争の瀬戸際までいき(中略)…核不拡散条約(NPT)
の草案が合意されるに至る」まで、核の不拡散体制は整えられていなかったと指摘する170。
NPT条約)
核
る保障措置は IAEA と対象国との協議を通じた協定をもって行われるため、協定の内容 も対象国によって様々であった。現状においては、後述するように、既存の保障措置には 欠点が多く、保障措置締結を義務付ける国際法的根拠がなかったため、核兵器の拡散を完 全に防ぐ取り組みではなかったといえる。
そこで新たな取り組みとして浮上したのが
かけて核兵器の拡散が地球規模で確実になりつつ、黒沢満の表現を借りれば「放置する と核兵器国の数は大幅に増加し、その結果として核戦争の可能性も増加することが危惧さ れるようになった」171のである。そこでポーランド、アイルランド、スウェーデンによる 核不拡散に関する提案が次々と出されるようになったが、そのなかでもアイルランドの提 案はNPT条約の前身ともいうべく、核兵器の保有国と非保有国それぞれの役割を規定して いた内容となった。特にアイルランド案を中心に、1965年から本格的な議論が始まったの である172。
このような
され、1970年3月に発効された(発効当時68ヵ国参加)173。NPT条約は、同条約を締 結する側が、アメリカ、イギリス、ソ連(ロシア)を寄託国として条約を締結し、その後 寄託国が国連に登記(register)することで手続きが完了する。
169 湾岸戦争後のイラクの核開発に関する検証活動については、次のサイトを参照されたい。UN Special Commission on Iraq, http://www.un.org/Depts/unscom/(2009年1月)。
170 今井隆吉『IAEA査察と核拡散』(1994)日刊工業新聞社、30-32頁。なお、今井は、軍縮会議の日本大 使などを歴任した。
171 黒沢満『軍縮問題入門』(1999)東信堂、47頁。
172 ファン・ヨンチェ『NPT、どんな条約か』(1995)ハンウル、30-41頁(原題:황영채 저『NPT, 어떤 조약인가』(1995)한울)。
173 2007年現在は190ヵ国が加盟している。日本外務省, http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/g aiyo.html(2008年5月)。
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しかし、各国の政治システムによっては国会での批准のような国内承認の手続きが必要 で
NPT条約の批准問題については(中略)…自由民主党の中でも現在いろいろ異 論
後の「非常にはっきりしない」という発言どおり、当初日本政府の立場は明確ではな か
百六十七 年
あり、IAEAとの保障措置履行までには相当の時間がかかる場合が生じた(参照、図3-2)。
例えば、日本の場合1970年の2月に同条約に署名したが、国会で批准したのは1976年6 月であった。その間、国内では様々な議論が繰り広げられた。その一つとして1973年当時 の国会での政府側の発言を一つ取り上げてみよう。
もありますし(中略)…外務省としては、一言にいえばいまだに検討中であり ます。その検討中の理由というのは、ヨーロッパにおける軍縮交渉の発展のいか んも見きわめていきたい、それから、非核兵器国の安全保障の確保という問題に ついて、日本がそのなかに入ってくるわけですが、その将来性についてももう少 し見きわめをしていきたい。あるいは原子力の平和利用という面におきまして、
ほかの諸国との実質的な平等性が確保されるかどうかというような問題も含めて、
もう少し検討を続けた上で批准を国会にお願いしたい、こういう態度でございま す。非常にはっきりしませんけれども174
最
った。黒崎輝は、当時の日本政府のNPT条約の批准に対する消極的な姿勢について、チ ェコ事件やヨーロッパとIAEA間の保障措置に関する取り組みなど、当時のヨーロッパ情勢 を見極めていたこと、また政権党である自民党内で意見の統一が見られなかったことの二 つをその理由として取り上げた175。そこには、日本が核兵器を持つ可能性を完全に否定し ない政策決定者の思惑が入りこんでいたとも考えられる176。つまり、核兵器開発と同様に 非核兵器政策も、政治的判断を最も重要な要素としていることがいえよう177。
一方、NPT条約第9条第3項に、「この条約の適用上、『核兵器国』とは、千九
一月一日前に核兵器そのほかの核爆発装置を製造しかつ爆発させた国をいう」と規定し、
核兵器国(NWSs)と非核兵器国(Non-NWSs)との地位を分離固定した。そのうえ、NPT
174 衆議院「外務委員会」1973年6月15日。国会記録検索システム, http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KE NSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=25331(2008年8月)。なお、この発言は、同「外務委員会」での石 原慎太郎議員(自由民主党、当時)が、1973年1月6日付の『朝日新聞』の社説「核拡防条約の批准に真 剣に取組め」を取り上げて、日本政府の立場を聞いたところ、政府側の水野清外務省政務次官(当時)が 答弁した内容であった。
175 黒崎輝『核兵器と日米関係 アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』 (2006)有志舎、101-102頁。なお、第6章を参照されたい。
176 これまで日本政府は核兵器の製造について、不可能ではないことを繰り返し主張してきた。これまでの 政府関係者の発言については、次の文献を参照されたい。中島尚志『日本核武装 廃絶への道を求めて』
(2003)はまの出版、19-21頁。
177 一方、黒崎が「日本の国会でNPT批准承認手続きが続いている間、アメリカ政府ができたことと言え ば、日本の国会審議の行方を静観することぐらいしかなかったし、それ以上のことをしようという意思は アメリカ政府にはなかった」と指摘したように、日本政府の曖昧な立場の背景には米政府の態度が重なっ たことも重要な要素といえる。黒崎輝、前掲書、260頁。
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