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KEDO事業終了

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第 6 章 KEDO 事業の終了と核危機の連続性

第 3 節 KEDO後へ向けて

2. KEDO事業終了

2003 年 5 月に発表された武貞秀士の論文によれば、「米国が軍事的手段をとる可能性は 1994 年当時より大きい」とし、その理由について、1.同時多発テロを経験した米国世論 が大量破壊兵器の拡散に厳しくなっていること、2.軍事技術の発達により、目標物だけ破 壊できるようになったこと、3.HEU計画は枠組み合意を有名無実化したことの根拠を取り 上げた495

「第2次核危機」の背景には、ブッシュ政権が北朝鮮との関係正常化の反対だけではなく、

北朝鮮政権そのものを強く否定する政策関係者によって構成されたことに起因する。その ため、同政権発足とともに関係の敵対性の色合いを鮮明に打ち出したことは当然ともいえ るが、HEU計画はそれまでの対北朝鮮政策を転換するための口実、名分を与えた。ロナル ド・スティール(Ronald Steel)は、歴史上のアメリカの名分作りについて、次のように分 析した。

米国の外交政策エリートたちの業務はほかの民主国家の場合よりもよっぽど難 しい(中略)…米国が対外紛争に介入する場合、このような介入を合理化できる 正 当 化 作 業 を 経 な け れ ば な ら な い 。 外 交 政 策 の 正 当 化 作 業 は 、 対 外 国 益

(self-interest)、利他主義(altruism)、イデオロギーなどによって成せる。韓国 戦、ベトナム戦などのようにクーデター工作、ニカラグア、アンゴラなどのよう な代理戦などはすべてこのような正当化作業を経た。正当化する名分があまりな いときには、様々な新しい論理が開発された496

当時のブッシュ政権は2003年にはイラク戦争を推し進めたが、戦場をさらにアフガニス タンへと移動しつつあった。ブッシュ政権の名分作りは、北朝鮮を次のターゲットとして 考慮したのである。ただしブッシュ政権は、クリントン政権同様に明確な根拠を持たなか った。

事業の中止までに及んだ。2003年6月にカートマンKEDO 事務局長と尹永寬韓国外交通 商部長官(以上、当時)との会談において、カートマンは、アメリカ国内に悲観的な立場 の政策決定者が多く、軽水炉事業の継続に対する雰囲気が芳しくないため、これ以上軽水 炉建設プログラムを継続することは至難であり、KEDO事業の中断を示唆した。

ところが、KEDO事業の終了を決定するためには、理事会メンバーの同意を得る必要が あった。特に韓国政府の反発は強く、事業終了の合意を取り付けることは容易ではなかっ た497。2003年11月5日のKEDO理事会では、すでに予告されていたKEDO事業の中止を めぐる議論が行われた。韓国は事業の継続を求めたが、アメリカは完全終了の立場で一貫 し、折衝案として一時中止が合意された498

その後の2004年11月の理事会では、中止の1年延長が決定された499。すでに中止され ていた重油提供事業の回復の見通しはなく、アメリカからの資金拠出も行われなかったこ とや、さらには日本政府の立場が米政府に同調していたこと500、との理由からKEDO事業 の継続は至難な状況となった。そして、2006年5月から6月にかけてのKEDOの理事会と 総会を通じて、KEDO事業の完全な終了が確認された。正式には同年11月に終了決定が行 われた。

韓国政府はKEDO事業の中止を最後まで反対していたが、最終的にはアメリカと日本の 要求に応じたのである。仮にこの 3 ヵ国の政策的一致を各国の政治的判断に基づくもので あると仮定すれば、それは各国の国益501が一致した結果といえる。当時の韓国政府は米政 府のKEDO事業終了の主張に反対していたが、結局は国益の観点から同事業の終了に合意 した。つまり、KEDO事業の継続よりアメリカや日本との協調に国益の重みがあったとい えよう。

497 日米韓の局長級調整会合(TCOG)においても、アメリカはKEDOの「全面停止」を主張したが、これ に対して韓国は反対の意思を表明し結論までには至らなかった。しかし、3ヵ国の協調が崩れたことによ って、事業の停止(中止)は避けられない状況となったのである。なお、日本は「一時停止」を提案した。

参照、『毎日新聞』200371日付朝刊。

498 韓国の尹永寛外交通商部長官は、2003115日の記者会見で、「1年後の建設再開を前提とした中 断」と述べた。『朝日新聞』2003116日付朝刊。

499 KEDO, http://www.kedo.org/news_detail.asp?NewsID=29(200510月)

500 米政府の事業中止方針に対して、日本政府は公式見解を明らかにしていなかったが、200373 の記者会見で茂木敏充外務副大臣(当時)が、個人的見解と断ったうえで、「KEDOとしてきちんと意思決 定して停止することが適切だ」と述べ、政府高官としては初めてKEDO事業中止の考えを公言した。『朝日 新聞』200374日付朝刊。

501 ハンス・モーゲンソー(Hans J. Morgenthau)によれば、国益とは、「政治的現実主義にとって国際 政治の環境のなかで道標となるのは、パワーによって規定される利益と言う概念である」と定義される。

このような国益の定義の背景には、モーゲンソーの国際関係への視座としてのパワー・ポリティックスに 依拠した国内政治、そしてその延長としての国際関係が根底であることを考慮しなければならない。Hans J. Morgenthau, Politics among Nations: the Struggle for Power and Peace, (1978), Fifth Editio n, Revised, New York, Alfred A. Knopf, 1978, pp5-15. 訳文は次の文献から引用、ヘンリー・R・ナウ、

村田晃嗣・島村直幸・石川卓・高橋杉雄訳『アメリカの対外関与』(2005)有斐閣、21頁。なお、国益に ついては、次の文献を参照されたい。ジョセフ・フランケル、河合秀和訳『国益』1970)福村出版。Do nald E. Nuechterlein, United States National Interests in a Changing World, (1973), University Press of Kentucky, Kentucky. 阿部斉「現代民主主義と「国益」」日本国際問題研究所『国際問題』(19 75)No.188。中村菊男『日本国益論』(1972)自由社。

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表 6-5  KEDO事業概要(2004年3月現在)

項目 内容 備考

事業内容 北朝鮮に対する軽水炉提供 参照、枠組み合意

軽水炉容量 1千キロワット級加圧軽水炉×2 同上

位置 咸鏡南道琴湖地区 参照、図6-1

工事完了予定 1号機は200811月、2号機は20099 参照、図5-3 総合工程率 34.54%(うち施行は8.41% 代替エネルギー提供 重油356万トン 参照、図5-2

出典:韓国統一部「軽水炉事業主要統計」, http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=4 3359KEPCOKEDO事業概要」, http://www.kepco.co.kr/customer/electric_info/kedo01_2.html(以 20087月)より作成。

前述したとおり、正式なKEDO事業の終了決定は2006年のことであったが、2002年の 重油提供中止をもってKEDO事業は事実上終了した。軽水炉は完成されることなく、同時 に核凍結や核検証も完了することなく、KEDO 事業の終了によってすべての関連事項が流 動的になった。それまでの工事実績は、表6-5のどおり、総合工程率が約34.5%であった。

しかし、実際の施行は 10%にも至らず、最初の目標時限であった 2003年も、後に変更さ れた2008年までの工事完了予定も大幅に遅れることとなった。

一方、KEDO事業を通じて得られた「教訓」の部分も明確にする必要がある。梅津は、「北

朝鮮が米朝合意およびKEDOとの合意を尊守し、南北関係に資する具体的な措置をとるよ うに仕向けていくべきである(中略)…そうした過程を通じて北朝鮮が国際社会に対して より開かれた責任ある態度をとるようになれば、朝鮮半島ひいては北東アジア地域の緊張 緩和につながる」502と分析したが、緊張緩和と平和定着に貢献した点は明確であった。

また、軽水炉事業支援企画団政策調整部長の洪良活(当時)は、「軽水炉推進過程で積み 重なる南北交流協力の経験は、今後の南北経済交流にも有用な先例を残すだろう。また、

502 梅津至、前掲書、26-27頁。なお、KEDO事務局長であったスティーブン・ボズワースは、19973 26日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』において、「北朝鮮との交渉は容易ではない、

関係は事務的で、無限の辛らつさと政治的論争にあふれているが、コミットメントや検証は厳格な相互主 義に基づいている」と述べた。第4章と第5章で議論したように、アメリカの「ギブ・アンド・テイク」

と北朝鮮の「行動対行動」という原則がうまく作動した時期もあったといえる。Stephen W. Bosworth,

“Korean Peninsula: Pragmatic Multilateralism is Working”, International Herald Tribune (IHT), Wednesday, March 26, 1997.

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多様な接触を通じて、北朝鮮が国際社会の責任たる一員として行動するための学習機会を 提供し、これを通じて北朝鮮社会の開放化と国際化に寄与できる」503と展望したが、梅津 の分析と相通するところがあった。多様な接触と経験を通じて北朝鮮に変化がもたらされ、

その結果地域の緊張緩和と平和安定につながるという評価であった。

さらに、KEDO事業終了後に出された軽水炉支援企画団の前掲書『KEDO軽水炉支援白 書』(2007)には、1.北核危機解消と韓半島平和・安定回復、2.南北経協モデル創出と大 量交流時代開幕、3.北韓の変化促進、4.国内経済的効果、5.東北亜多者主義実験が軽水 炉事業の意義と成果であると評価した504

このように、KEDO 事業はアメリカと北朝鮮の関係進展、ひいては朝鮮半島情勢の真ん 中に位置し核危機の解消と情勢安定に寄与した。何よりKEDO事業が継続していた期間に おいては、核危機のような深刻な情勢変動や極端な状況に陥ったことはなかった。KEDO 事業が地域安定に一定の貢献を果たしたことは否めない。前述した日米韓の地域安定化が 既存の秩序を基本とするものであるとすれば、KEDO 事業は平和的秩序変動を目指したと いえよう。

3. 6者会談

したがって、KEDO事業のポジティブな側面をいかに活かせるかは、KEDO事業終了後 の地域の平和と安定において重要な課題となった。流動化する情勢のなかで最も注目に値 する出来事といえば、北朝鮮の核凍結の解除と核開発の再開があげられる。前述したとお り、北朝鮮はブッシュ政権の重油提供中止に対して非難を繰り返すと同時に2002年末まで IAEA査察団を追放し、2003 年1月にはNPT条約からの完全脱退を宣言した状況であっ た。

米国は、新しい核開発計画をめぐる対立によって連鎖的に生じた、1.KEDO事業の終了 とその対応、2.多国間協力の行方、3.KEDO事業を通じて定着されつつあった日米韓の 協力や地域における多国間協力の制度化の動きを、いかに収拾するかについて考慮しなけ ればならなくなった。とりわけKEDO事業終了後の原加盟国の政策的調整が急務となって きた。

ところが、ブッシュ政権はKEDO事業の中止によって生じる、北朝鮮の核凍結の解除に いかに対応するかについては具体的な対策を持たなかった。この状況に対するブッシュ政 権の選択肢は、クリントン政権時より狭い選択空間になっていたといえる。1993-94年とは 違って北朝鮮は、すでに国内政治を安定化させつつ、「強盛大国」、「先軍政治」、「先軍外交」

といった対外的に強硬路線を標榜するようになった状況であった。結局ブッシュ政権の選 択は、クリントン政権と同じく「対話による危機解消」を試みることに帰結されたが、2国

503 パク・ヨンギュ、前掲、110頁。

504 軽水炉事業支援企画団、前掲書、281-287頁。

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