第 6 章 KEDO 事業の終了と核危機の連続性
第 2 節 多国間協力と地域の優先課題
1. 地域安定の表と裏:同盟強化の現実
KEDO 設立メンバーである日米韓は、北朝鮮の崩壊であろうが、軟着陸であろうが、北 朝鮮が何らか形で変化することを共有していた。ただし、それはあくまでも地域情勢の安 定を前提する共通認識であった。つまり既存の秩序内での変化を意味した。すなわち日米 韓の地域政策・対北朝鮮政策は、既存のパワー・バランスを維持することを前提としてい た。そのため、地域安定(または地域安定化)という曖昧な言説のもとで北朝鮮とは敵対 対立を根幹として維持しながらも、急激な変化には躊躇したのである。
しかし日米韓の曖昧な地域認識共有は、各国の対北朝鮮・対朝鮮半島政策とそのアプロ ーチの不一致を許容した。したがって、日米韓の間における対北朝鮮・対朝鮮半島政策の 混乱は十分に予想できたといえよう。そのうえ 3 ヵ国の協力の質的格差にも注目する必要 があった。前述したように、アメリカと韓国に比べてアメリカと日本との間における軍事 同盟の実質的強化が図られたことがあげられる466。
特に日本政府は実質的な同盟関係の強化とともに、より進んだ形での独自の安全保障政 策に取り込もうとした。例えば、1994年2月に、細川政権のもとで「防衛問題懇談会」が 構成されたが、同懇談会は同年8月に報告書『日本の安全保障と防衛力のあり方−21世紀 へ向けての展望−」をまとめたが、この報告書によれば、「米国がその卓越した軍事力を背 後に持ちながら,多角的協力のなかでリーダーシップを発揮できるかどうかである。それ はある程度までは,米国と協力すべき立場にある諸国の側の行動次第で,きまってくるで あろう」としたうえで、「日米安全保障協力関係の機能充実」に努めながらも、日本の「能 動的・建設的な安全保障政策」として、国連と自衛隊の積極的な活用を提案した。いわゆ る「多角的安全保障」戦略の推進であった467。日本が安全保障の面において、その役割を 国際舞台にまで引き延ばそうとしたのは、言うまでもなく日米軍事同盟の実質的運用化と も連動していた。同時に独自の政治力を発揮しようとした行動とも深くかかわっていたと いえよう468。
一方、アメリカからすれば、日米同盟を維持・強化することは、冷戦後にも続くアジア
466 実際、北朝鮮の挑発的行為が行われる前に日米間では軍事力強化が図られた。例えば、1993年1月に 日米の間ではイージス艦やエイワックス(AWACs)導入が合意された。AWACsは1980年から在日米軍基 地に配備されたが、今回の合意により1998年1からは自衛隊への配備が始まった。また日米におけるミ サイル防衛(MD)計画に関する実務レベルの協議も1993年の後半から本格化した。Andrew K. Hanami,
“The Emerging Military-Industrial Relationship in Japan and the U.S. Connection”, University of California, Asian Survey, (1993), Vol. 33, No. 6, p597.
467 防衛問題懇談会「日本の安全保障と防衛力のあり方―21世紀へ向けての展望―」(1994年8月12日)、
『世界と日本』戦後日本政治・国際関係データベース, http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents /texts/JPSC/19940812.O1J.html(2008年7月)。
468 なお、第4章で述べたとおり、当時の日本政府が安保理常任理事国入りを通じて、より強力な「国際貢 献」を果たそうとしたことにも注目する必要がある。
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における米軍の海外展開に伴う負担の軽減を意味した。このような連携は、斎藤良和の指 摘する、「(アメリカが)アジアで主導権を確保し、経済的利益を得る一方、国防費削減か らくるコスト負担を安保体制に吸収させる図式である」(括弧筆者)469ともいえるが、第2 章で言及した「アジアへのシフト」の背景でもあった。同時に1980年代から加速化されて きた日米間の軍事関連の技術協力や産業関係の密接化とも深くかかわってきた470。
李三星は、核危機当時のクリントン政権の外交路線を「自由主義的国際主義」と位置づ け、その特徴を「クリントン政権の国際主義の自由主義的側面とは、国防費を共和党より 多く削減しようとし(中略)…国連などといった国際政治制度を重視する、軍事力を背景 に一方的な行動よりは異質的な国家を含めた諸国との協議と共同行動を強調する多国間主 義の性格」であると分析した471。第4章で述べたとおり、1993年7月に日本と韓国を訪問 した際のクリントン大統領が打ち出した「新太平洋共同体」という構想は、既存の同盟関 係の維持と強化を前提とした多国間レベルでの協力に対するコミットメントであった。
ところが、日米韓が共有する地域安定と北朝鮮の朝鮮半島政策との間ではかなりの隔た りが見え隠れていた。その核心たる要素は、朝鮮戦争以降半世紀以上も続いている「不安 定のなかの安定」を維持するのか、それとも新たな秩序形成を築くのか、その内容と方向 性は異なる性質のものであった。北朝鮮が望む新たな秩序形成とは、朝鮮半島における戦 争状態を解消し、ひいてはそれまでの諸国敵対関係を払拭することであった。北朝鮮にと ってKEDO事業はそのための有用な手段であった。
しかし、日米韓が共有する現状維持政策は、KEDO 事業においても投影された。KEDO 設立協定に、「朝鮮半島における平和及び安全の維持が最も重要であることに留意」(参照、
第5章)すると記されているように、北朝鮮が望むKEDOを通じた新たな秩序形成は、日 米韓の共通認識ではなかったのである。日米韓の地域秩序認識と北朝鮮が望んでいる新た な秩序の構築とはかなりの距離があったといえる。
無論、地域情勢は永遠に現状のままであるとは限らない性質を持っていた。特にパワー・
バランスの変動によって地域の諸国が対立を繰り広げ、国家間の武力衝突に至ったことも 多々生じてきた。その最大の原因は朝鮮半島が各国にとって、いわば死活的な地域ではな いとしても、政治経済や安全保障上において重要な地域であり、必然的に多国間の激しい 駆け引きと葛藤を触発させてきたことが背景であった。姜尚中が指摘したように、かつて 日本が朝鮮半島を地理的「利益線」として認識し、ひいては「国防上」の重要な位置とし て認識し472、植民地として支配した時期もあった。さらに、第 2 次世界大戦が終結する頃 にはソ連とアメリカによって占領されたが、ここにも地政学からみた朝鮮半島の位置づけ がその本質にあったといえる。
469 『世界週報』1993年8月3日号、9頁。
470 木原正雄『日本の軍事産業』(1994)新日本出版社、特に第8章から第10章までを参照されたい。
471 李三星「北韓核問題と米国の対外政策」韓国国際政治学会『国際政治論叢』(1994)第34集2号、190 頁(原題:이삼성「북한핵문제와 미국의 대외정책」한국국제정치학회『국제정치논총』(1994)제34집 2호)。
472 姜尚中『二つの戦後と日本 アジアから問う戦後五〇年』(1995)三一書房、45-65頁。
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言い換えれば、この地域が安定的であることは、パワー間の勢力均衡が保たれているこ とを意味する。つまり、朝鮮戦争後の情勢が「不安定のなかの安定」であれ、「安定のなか の不安定」であれ、大きな武力衝突や戦争のない状態を維持してきたことは、パワー・バ ランスが維持されていることの反証であった。同時に、いずれは変化に伴う安定(または 不安定)であることにも逆説的に通じる。第 1 章で取り上げたように、朝鮮半島が「火薬 庫」(powder keg)の状態であるということは、適切な評価でありながら、一方では必ずし もそういえない自己矛盾的な性質であった。したがって、中長期観点からすれば、遠くな い時点において、かつかなりの確率で秩序の流動化が予想され得る。
2. 4者会談
KEDO事業は、軽水炉提供を通じた核危機の解消と米朝関係の改善を目標にしながらも、
日米韓の思惑の相違と米朝の歩み寄り難き条件のため、北朝鮮の願いは簡単に叶える状況 ではなかった。以下で議論する地域におけるKEDO以外の多国間の政治的協力もまた、上 述した困難な状況で進められた経緯があった。
まず4者会談の場合、正式には1996年4月に行われた米韓の首脳会談後の共同発表文を 通じて提案された。共同発表文の主な内容は、次のとおりである。
米朝首脳会談共同声明(抜粋)
1. 韓国に対する米国の確固とした安保公約を確認
2. 恒久的平和体制を追求することは南北が主導権をとるべきであり、朝鮮半島の平和 と関連して米国と北朝鮮との間での別途の交渉は考慮できない
3. 韓国は一切の前提条件なしに北朝鮮代表と政府レベルで会う用意がある
4. 韓国、北朝鮮、中国、米国の代表による 4 者会談を一切の前提条件なしに早期に開 催することを提案した473
この共同声明の特徴としては、まず「南北の主導権」、「南北会談」といった南北関係を 強調した点にあった。北川広和は、韓国が4者会談を提案した理由について、「北朝鮮との 対話の扉を開く機会がほしかったから」474だと説明したが、当時の南北関係は対話のチャ ンネルがほぼ閉ざされており、それの修復が重要な課題となっていた。また、当時北朝鮮 が停戦体制を無力化しつつ、停戦体制を平和体制へと代替するようアメリカに働きかけて いたこととも関連する475。
473 『朝日新聞』1996年4月16日付夕刊。
474 北川広和『北朝鮮バッシング』(2000)緑風出版、19頁。
475 北川広和、前掲書、21頁。ユ・ジンギュ『4者会談経過と北韓の協商戦略』(2000)2000国防政策研 究報告書、韓国戦略問題研究所、18-22頁(原題:유진규『4자회담 경과와 북한의 협상전략』(2000)2000 국방정책 연구보고서, 한국전략문제연구소)。なお、第5章を参照されたい。
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