• 検索結果がありません。

秩序の不確実性

ドキュメント内 untitled (ページ 34-37)

第 2 章 冷戦終焉と朝鮮半島

第 1 節 不完全な終焉

2. 秩序の不確実性

新しい秩序の不明確さにもかかわらず、グローバル規模における自由市場(主義)の体 制的勝利には疑う余地がなく、「歴史の終焉」に伴う薔薇色の展望が世界に広がった。そ の展望は、国家的・政治経済体制的な期待だけではなく、多くの人がよりよい未来を期待 し、行動でその意思を示した。それは東ヨーロッパの共産諸国、韓国、台湾、中国を含む 世界各地における民主化の進展とも連動したが、冷戦終焉はその動きを一層加速化させた。

また、新しい秩序、新しい時代は、転換期という言葉で表現されたが、転換という意味 合いは複合的であった。例えば、これまでうまく機能してこなかった安保理、特に安保理 の常任理事国間の協調があげられる。イラクに対する制裁決議にすべての安保理国が賛成 したものではなかったが(参照、表2-1)、安保理という枠組みでの議論とそれを通じた制 裁、とりわけ常任理事国の協調はまれな出来事であった。加藤朗は、「事実上の第三次世 界大戦である冷戦が終焉した」ことから、「第二次世界大戦後十分に機能しなかった安保 理の多国間協調が、湾岸危機ではじめて機能したのであ」り、その象徴的出来事が、イラ クのクウェート侵攻に対する国連の非難決議採択や多国籍軍の軍事介入であると分析した

77。冷戦後の多国間協調の本格的な始まりを予告した。

しかし、多国間協調はすべてのメンバーが同等な立場による参加を意味するものではな い。この「多国間の協調」の概念は、17世紀に成立したヨーロッパでの勢力均衡(balance

of power)を経て、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパの混乱を、多国間の協力によ

って安定を図る「ヨーロッパの協調」(concert of Europe)の時代に定着した。ただし、

多国間による均衡と協調は大国間を中心としたものであり、地域構成メンバーすべての平 等な参加ではなかった。また平和的協調といえども、戦争の可能性や軍拡競争を排除した ものではなく、緊張は続き、対立は常に武力衝突へと発展しかねなかった状況であった78

同じく冷戦終焉後の新秩序も、決して平等な関係を意味するものでも、また無から有へ の新たな関係の形成でもなかった。そこにはヒエラルキー(hierarchy)な世界秩序を維持 しつつ、多国間協力といった多様な形での取り組みを模索する過程が含まれていた。既存 のものと新たな動きが混在し、相互が影響を与え合いながら、米ソ対立終焉後の時代を迎 えていた。アメリカが構想する新秩序は、前述したとおり、不明確なところがあったが、

アメリカを頂点とする多国間協力が前提となったことは違いなかった。この傾向は、例え

77 加藤朗「安全保障における多国間協調主義」日本国際問題研究所『国際問題』(1999)No. 470、34頁。

78 クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)が『戦争論』を著したのも、ヨーロッパの協調の時代であ 1832年のことであった。

34

ば、かつてカーター政権時代の「日米欧委員会」79の活動を受け継ぎ、冷戦後の新たな秩序 構築を可能とする主張を生み出したが80、アメリカからしてみれば、多国間による費用と役 割の分担は、冷戦終焉後の情勢を効果的に収束するアプローチであったといえる。

このような新しく展開されている秩序の変動について、ジョセフ・ナイ(Joseph S. Nye Jr.)は、1.二極体制への回帰(return to bipolarity)、2.多極化(multipolarity)、3.

経済ブロック(economic blocks)、4.一極ヘゲモニー(unipolar hegemony)、5.多層 的相互依存(multilevel interdependence)の五つの可能性として分析した。ナイによれば、

ヨーロッパにおける政治的単一性の欠如、日本の軍事力に対する姿勢などから多極化は否 定的であり、また安全保障関係を考慮すると経済のブロック化もそう簡単には進まないと 指摘し81、最も有力な方向として「多層的相互依存」を取り上げた82。これはかつての相互 依存論の発展的概念であるといえよう。

一方、猪口邦子は、冷戦終焉後の国際システムの特質として、1.デモクラティク・ピー ス(democratic peace)、2.エピステミック・コミュニティ(epistemic community)、3.

ポスト・ヘゲモニー・システム(post hegemony system)の三つの性質をあげた83。とり わけ、最後のポスト覇権システムに関して猪口は、冷戦終焉後における混沌と無秩序へと 回帰する見解に対し、「国際秩序の各分野において最も中心的な役割を担う複数の諸国が 互いに利害と目的の連続的微調整を行いながらコンソーシアム型の共同管理方式による秩 序維持を試み始めている」84と分析するが、この「コンソーシアム型の共同管理」とは、ア メリカが世界レベルから地域レベルへ政策対応の中心を転換したこととも関係する。

アメリカが地域レベルの問題対応を重視し、連合的協力を活用するなかで形成されたの は多国間協力の枠組みであった。より正確には「多国間協力的ヒエラルキー秩序」ともい

79 日米欧委員会は、デビッド・ロックフェラー(David Rockefeller)の働きかけによって構成されたアメ リカと西欧、日本の政治家、企業家などが参加する会議であり、最初の委員会は1973年に東京で開催され た。現在は「日米欧三極委員会」として名称を改め、日米欧以外の国々からも参加を拡大している。参照、

The Trilateral Commission, http://www.trilateral.org/(200812月)。

80 参照、Bruce Cumings, “The Seventy Years' Crisis and the Logic of a Trilateral ‘New World Order’”, World Policy Institute, World Policy Journal, (1991), Vol. 8, No. 2.また、神谷不二は、「日米欧・三極主 義(トライラテラリズム)は、いま再評価と再構築の時を迎えたかに見える(中略)…第一の原因は、ソ 連・東欧における共産主義の崩壊と冷戦の終焉(中略)…また他方、ヨーロッパからアジアへやがて波及 するのであろう共産主義体制の変革」による地域情勢の変動を予測したが、ここでも日米欧の役割が強調 された。神谷不二「三極主義の再構築を目指せ」時事通信社『世界週報』1991528日号、68頁。

81 船橋洋一は、冷戦後ではあっても日本とドイツの国内事情は軍事力を中心とした協力には強い反発があ り、結局は経済を中心とした協力となるが、この経済分野において3ヵ国の摩擦が激しさを増すと展望し た。船橋は3ヵ国の対立を「内戦」として表現した。新潮社『Foresight』19912月号、6-8頁。

82 Joseph S. Nye, Jr., “What New World Order?”, Council on Foreign Relation, Foreign Affairs, (1992), Vol. 71, No. 2, pp86-89.

83 三つの特質を概略すれば、次のとおりである。1.デモクラティク・ピース:民主的平和論、つまり民 主的国家同士の間では戦争を交えない、2.エピステミック・コミュニティ:認識共同体、国境・国家を超 えての専門家集団による連携、3.ポスト・ヘゲモニー・システム:ポスト覇権システム、二極覇権システ ムの終焉後においても世界秩序は無政府状態に陥ることはない。猪口邦子「冷戦後の国際システムの特質 と日本外交  理論研究に基づく考察」日本国際問題研究所『国際問題』(1995)No. 420、22-38頁。

84 猪口邦子、前掲書、34頁。

35

えるが、多国間協力と地域化85の具現はアメリカの必然的ともいえる政策転換と関係してい た。アメリカが地域化を意図的に誘導したのか、それともそうせざるを得なかったのかに ついては議論の余地があるが、湾岸危機と湾岸戦争の経験は単独覇権を求めながらも、ヒ エラルキーの頂点において自力での制御ができなくなったことの反証であった。

アメリカが単独で世界秩序を再編できない背景には、アメリカのパワーの衰退が説得力 を得ている。例えば、ポール・ケネディ(Paul Kennedy)は『大国の興亡』(1988、原著 1987)で、次のように、経済生産性と軍事力との相関関係を中心に歴史上の大国の衰退を 分析した。

かつての「ナンバー・ワン」諸国が直面した共通のジレンマは、相対的な経済 力が低下し、海外からその地位を脅かされたために、より多くの資源を軍事面に 投入することを余儀なくされた結果、生産部門への投資が圧迫され、長期的には 成長率のいちじるしい低下、重税、支出の優先順位をめぐる国内の意見の対立に よって、防衛面での責任分担能力が低下する(中略)86

大国アメリカもまた例外でなく、経済的衰退に陥りつつ、その現像が徐々に現れてきた。

無論、ケネディの主張に対する反論も多く、例えばジョセフ・ナイは『不滅の大国アメリカ』(1990)

において、アメリカは海外過剰展開していなく、むしろGNP対国防費は以前より低下してきたう え、世界の生産シェアにおけるアメリカの比率も安定維持されていると反駁する87。ナイの指摘ど おり、世界全体の貿易におけるアメリカの比率は一定の水準を維持してきているし、世界経済に おけるアメリカのシェアは断然トップの地位を維持してきた。国際通貨基金(International Monetary Fund, IMF)の資料によれば、世界経済におけるアメリカの国内総生産(GDP)の割

合は、1980年に24%だったのが、2000年には31%と増加した。アメリカの国内総生産は、全世

界の約3分の1に達していることがいえる88

しかし、アメリカの力は、確実に低下してきているのも事実である。佐藤公久は、アメ リカ経済は主力産業の輸入依存の増加や設備に対する投資減少、企業マインドの欠落、製 造業の著しい低迷を含む経済全般に問題を山積していると指摘した89。1990 年代のアメリ カの経済事情は、1980年代のいわゆる「レーガノミックス」の経済政策に起因する。減税

85 今日、「地域化」の用語は、主に域内の経済統合の進展について多く用いられている。制度化としての地 域主義と区別して使うこともあるが、根底には「経済」を重点としていることに相違ない。参考、平塚大 祐「地域統合」アジア経済研究所, http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Theme/Eco/Int/(20088 月)。本稿では、経済的統合だけではなく、政治秩序の再編などまで拡大した概念として用いる。

86 ポール・ケネディ、鈴木主税訳『大国の興亡  1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争 下巻』

(1988)草思社、370-371頁。

87 参照、ジョセフ・S・ナイJr, 久保伸太郎訳『不滅の大国アメリカ』(1990)読売新聞社、序章。

88 IMFのWorld Economic Outlook Database(2007)によれば、1980年、1990年、2000年におけるGDP 比率の変化は、アメリカが24%、26%、31%、EC(EU)が32%、32%、27%、日本が9%、13%、15%

となっている。データだけを見る限り、アメリカの経済力が衰退しているとは言いがたが、規模の経済だ けでは実体を把握するうえで限界があるといえよう。

89 佐藤公久「米国経済は衰退する」時事通信社『世界週報』19911029日号、10-15頁。

36

ドキュメント内 untitled (ページ 34-37)