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二つのケース

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第 5 章 KEDO 事業の原動力と限界

第 3 節 KEDO事業の原動力と限界

1. 二つのケース

これまで議論したように、費用分担や軽水炉型選定(主契約者選定)をめぐる対立の原 因は、KEDO 事業の根幹である「米朝間の枠組み合意」と実態としての多国間の協力枠組 みによる推進体制に起因する。また多国間関係と 2 国間関係は相いれない性質をもってい たが、それぞれの関係においても対立が生じていた。「米朝間の枠組み合意」のもとで設立 されたKEDO は、北朝鮮を除く日米韓の協力関係による KEDO事業を進めようとしたた め、米朝間だけではなく日米韓の協議と合意が必要であった。第 1 節で述べたとおり、北 朝鮮が軽水炉型選定をめぐる対立を経験するなかで、アメリカに対して中心的役割を果た すようと促した理由がここにあった。

KEDO 事業は、ビジネスのための国際コンソーシアムというより、各国の政治的判断や 情勢変動に影響されやすい性質を持っていた。韓国政府の懸念は経済的利益を優先した判 断ではなく、政治的判断が強かった。アメリカや日本もまた表面的にはコストや同盟国と の協力という名目が優先されたが、実際は政治的判断と国内世論への配慮が強かった。以 下では、北朝鮮による1996年の潜水艦事件と1998年のテポドン発射の二つの事例を取り 上げて、当時の複雑な地域情勢とKEDO事業とのかかわりについて論ずる。

1996年に入ってもKEDO事業の進展は五里霧中の状況であった。同年9月18日に北朝 鮮の小型潜水艦が韓国東海岸に位置する江陵の沖合で座礁する事件が起きた。韓国政府は、

北朝鮮のスパイ活動であると非難し、逃走する乗組員の追跡を 2 ヵ月程度行った。また、

この事件について韓国政府は、北朝鮮が謝罪しない限り、軽水炉支援も凍結するとの意思 を示した。

この時期は、第 6章で論ずるように、アメリカ、中国、南北による4者会談のための説 明会を調整する協議が行われていた。アメリカからも北朝鮮の謝罪が求められた413。北朝 鮮は誤って入ったという論理を展開したが、仮にそれが本当であっても、韓国の反発と KEDO事業の遅延は必至となった。

しかしこの事件については、「スパイ活動中の座礁」の観点による分析のほかに、より 多角的な観点から考察する必要がある。潜水艦座礁事件は、KEDO事業の進展があまりみ られず、また 4 者会談のための説明会を調整していた最中であった。さらに北朝鮮による 停戦体制の無力化が一段と強くなってきたなかでの出来事であったため、今後の情勢を方 向づけるうえで重要な意味を持っていた。特に北朝鮮の停戦体制の無力化と関連しては、

413 『読売新聞』19961113日付夕刊。

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潜水艦事件の少し前の4月4日に北朝鮮は、軍事分界線(MDL)と非武装地帯(DMZ)におけ る任務を放棄すると宣言し、4月5-7日には板門店を中心とした共同警備区域(JSA)に武 装兵力を超過投入し、重火器搬入を進めた。このような北朝鮮の停戦体制の無力化への動 きは、1991年以降具体的な措置としてとられたが、これはアメリカの朝鮮半島における軍 事戦略とも連動していた414

ここで重要なのは、北朝鮮の停戦体制の無力化政策が単に緊張情勢を助成するものでは なく、またアメリカに対する単純な対抗措置を超えて、朝鮮半島情勢の根本的な転換を図 る意図を持っていたことにある。太錫新は、潜水艦事件を契機に地域の安定と平和のため の制度的措置が必要であると主張したが415、北朝鮮にとってはアメリカとの平和体制構築 の交渉を進める契機となったことを否めない416。最終的にこの事件は、12 月 29 日に北朝 鮮が遺憾の意を表明したことで収束された417

しかし潜水艦事件が一段落したとはいえ、KEDO事業は未だ費用分担をめぐって原加盟 国間で対立し、進展のない状況が続いた。そのなかで1998年5月頃から、前述した北朝鮮 の金倉里地域における「地下核施設」疑惑が浮かび上がった。その詳細については第 6 章 で論ずるが、この疑惑によってアメリカの国内政治とクリントン政権の北朝鮮に対する反 発と圧力は一層強まった。

また、同年 7 月からはアメリカを中心とする合同軍事演習リムパック(rim pacific, RIMPAC)が予定されていたこともあり、地域情勢に緊張が高まりつつあった。北朝鮮外 交部はリムパックの開始と関連して、次のような談話を発表した。

414 これに関して北朝鮮側は、「アメリカは、一九五六年六月、停戦協定第四〇項と第四三項によって派遣 されていた中立国監視グループを南朝鮮( マ マ )から強制的に追い出したのにつづき、一九五七年には朝鮮域外か らの作戦装備搬入を禁止した停戦協定第一三項D目を一方的に破棄するなど(中略)…一九九一年には何 の法律的妥当性もなしに南朝鮮( マ マ )軍『将星』を『国連軍』側主席委員に交代させることによって、停戦監視 機構を完全に麻痺状態に陥れた」とし、停戦体制が有名無実になってきたと主張する(1995512 の北朝鮮外交部スポークスマンの談話内容)。参照、朝鮮問題研究所『月間朝鮮資料』19957月号(第 410号)、32-33頁。

415 太錫新「『潜水艦事件』解決後の朝鮮半島情勢」朝鮮問題研究所『月間朝鮮資料』19972 月号、31-37頁。

416 実際、潜水艦事件が4者会談のための説明会を調整していたところに起きたことから、これまで4者会 談参加を留保してきた北朝鮮の態度にも変化がみられた。北朝鮮と4者会談の関係については、第6章を 参照されたい。

417 太錫新、前掲書。しかし翌19972月には、主体思想の確立に大いに貢献したといわれる黄長燁氏の 亡命事件もあり、韓国との政治的対立は依然として厳しい状況下であった。北朝鮮は、この1996年と19 97年において4者会談という多国間協議の場に参加はしたものの、朝鮮半島の平和と安定のために関係諸 国に歩み寄ったのではなかった。

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米国が冷戦時代の遺物である『リムパック』演習を今日にいたってもひきつづ き拡大、強行しているのは(中略)…露骨な軍事的挑戦であり、当方にたいする 一種の威嚇、恐喝である(中略)…米国は最近『米(ママ)防衛協力方針』を朝鮮半島

『有事」を想定してより侵略的なものに改悪したのにつづいて、今回は当方に対し

て南朝鮮( マ マ )傀儡と結んだ『相互防衛条約』を改定しようとしているのは、決して偶

然ではない418

リムパックは1971年から実施されてきた、アメリカを中心とした環太平洋地域の諸国が 参加する合同軍事演習であるが、回数を重ねるうちに参加国や規模が大きくなってきた。

同演習に韓国は小規模ではありながら1990年から、また日本は1980年から参加した。つ まり、北朝鮮の談話は1998年の同演習開催を特別に意識したというよりは、朝鮮半島情勢 の緊張が高まりつつある状況に対する「懸念」の意味を内包していたといえる。

また、北朝鮮が問題視する「米(ママ)防衛協力方針」とはいわゆる「新ガイドライン」を指 し示すが、1978年の日米防衛協力のための指針(いわゆる「ガイドライン」)を改めたもの である。「新ガイドライン」では、以前の方針ではみられなかった日本の役割をより具体的 に規定している。これは同盟強化の見方としても分析できるが、これまで運用されること のなかった「ガイドライン」の実質的な運用を想定した改正であるといえよう419

このような朝鮮半島情勢に再び緊張が漂い始めるなか、1998年8月31日に北朝鮮のテ ポドン(白頭山)420が日本の上空を越え、その推進体の一部が太平洋に落下したことが発 生した。近隣諸国はもちろんのこと、アメリカに衝撃が走ったとは言うまでもない。その 理由は、テポドンがアメリカ本土に到達する能力を有する可能性にあった421

そのうえ、テポドン発射実験は、次の側面で重要な意味を持っていたといえる。まず KEDO事業と関連して言えば、今回の発射実験を受けて日米韓の費用分担の決定の直前で その協議が中断されたとの報道があった。1998年9月1日付朝刊『朝日新聞』には、「朝 鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の理事国が同日、北朝鮮の軽水炉建設の分担額を定 める文書を採択する予定だったが、(日本政府は)ほかの理事国とともに採択延期の方針を 固めた」(括弧筆者)と報じられた。また1999年版『外交青書』には、「98 年7月に、軽 水炉プロジェクトの経費負担についてKEDO理事会メンバー(日、韓、米、EU)間で実質 的な意見の一致がみられ、8月中にKEDO理事会決議案が正式採択される予定であったが、

418 朝鮮問題研究所『月間朝鮮資料』19988月号、33-34頁。

419 参照、浅井も基文『ここが問題  新ガイドラインQ&A』(1997)青木書店。

420 「テポドン」Teapodong)は、前述した「ロドン」Rohdong)と同じく、北朝鮮の地名「大浦洞」を 発音どおり表記したものである。一方の北朝鮮は、後述するように人工衛星「光明星」を乗せた白頭山の 発射であったと公式コメントを出した。なお、「大浦洞」は発射実験前にすでに「舞水端里」に改名されて いたが、旧地名をそのまま用いたのである。以下本稿では、テポドン(白頭山)発射実験を「8月(の)

発射実験」と略して用いる場合がある。

421 当時の『ニューヨーク・タイムズ』によれば、国防総省関係者は「これは深刻な問題だ」(this is seri ous stuff)とし、さらに「テポドン2は(中略)アラスカまでを射程に収める」とコメントした。New York Times, August 31 1998.

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