第 2 章 冷戦終焉と朝鮮半島
第 2 節 冷戦終焉と地域情勢
1. 変化の非連続性
一つの時代の区切りの観点からすれば、冷戦終焉の影響は、ヨーロッパとは異なりなが らも、朝鮮半島・東北アジアにも確実に波及した。その特徴としては、地域化と多国間協 力の台頭があげられる。両者の共通点と言えば、経済を中心に形成されてきたことである。
経済を中心とした地域の協力と統合の具体例としては、1989 年 11 月の「アジア太平洋 経済協力」(Asian Pacific Economic Cooperation, APEC)の設立があげられる。APEC は、1989年11月にオーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、日本、韓国、
ASEAN(当時の加盟国)を合わせた12 ヵ国によって発足した。APECは、各国の政府代
表者が参加する公式的な協議でありながら、法的な規則や強制措置を設けていない、いわ ゆる非公式的なフォーラム形式の緩やかな組織として始まった。
APECが事実上公式的政府間機構でありながら、非公式という形式をとった背景には、こ の地域独特の事情があげられる。ジョン・ジンホは、「ヨーロッパの経験からみられるよう に、多者間の地域協力体は、大体『現状の維持』と『域内国家の同質性』という前提条件 を必要とするため、東アジアにおいてこの二つの条件が充足することは難しい現実である」
97と分析したように、アジアは共通する部分も存在したが、政治経済状況や安全保障関係を 考慮するとヨーロッパ並みの経済共同体に近づくまでには、多くの課題を乗り越えなけれ ばならなかった。何より、東北アジアにおける特殊条件、つまりヨーロッパとは違っ て冷戦的対立が存続することをいかに克服するかが焦点となった。つまり、敵対対 立という不安定要素を抱いたまま、地域統合に向けた協力が並行する状況であると 接的)暴力に分けられる。構造的暴力の場合、社会的不正を背景とするため、したがって社会的不正を無 くすことは、つまり構造的暴力が不在する状態を意味する。そして、この状態こそが積極的平和の状態で あるという。ヨハン・ガルトゥング、高柳先男・塩屋保・酒井由美子訳『構造的暴力と平和』(1991)中央 大学出版部、構造的暴力に関する分析は「第1章」を、帝国主義の批判的検証は「第2章」を参照された い。
97 ジョン・ジンホ「東北亜多者主義の模索:KEDOとTCOGを超えて」現代日本学会『日本研究論叢』(2003)
第17号、48-49頁(原題:전진호「동북아 다자주의의 모색: KEDO와 TCOG을 넘어서」현대일본학회
『일본연구논총』(2003)제17호)。
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いえる。
そのため、東北アジアの多国間協力は、制度化(または組織化)までには発展できず、
緩やかな協議体やフォーラムの形を借りざるを得ない状況となった。また、このような背 景からして、地域全体というよりは、サブ・リージョン(sub-region)の形成が目立つよう になったことも特徴の一つとしてあげられる。特に「経済圏」という名称が頻繁に用いら れるようになったが、例えば中国と韓国を中心に広がる「環黄海経済圏」、また日本とロシ ア極東地域、韓国、場合によっては中国や北朝鮮の一部の地域を含む「環日本海経済圏」(環 東海経済圏)に関する研究成果が数多く出された98。
経済分野では政治や歴史、安全保障問題とは異なり、相互の必要性による自然な成り行 きで、緊密な協力関係が形成されやすい環境であった。1991 年にロバート・スカラピノ
(Robert A. Scalapino) が 、 東 北 ア ジ ア を 自 然 体 的 な 経 済 地 区 (Natural Economic
Territories, NETs)として分析したのも99、上述した背景があるといえよう。
また、渡辺利夫は地域統合の展望について、「アジア社会主義国と周辺諸国とのこの ような 2 つの衝動の『合成』が、すなわち『局地経済圏』の生成にほかならない。アジア 社会主義国と周辺国との国境にまたがる諸地域間に潜在していた経済的補完関係が、冷戦 構図の熔解とともにいちどきに顕在化したのである」と分析したが100、もはや経済レベル における冷戦は明確に終戦したかにみえた。
ところが、経済を中心とした地域経済の緊密化には負の部分も確認できる。その一つの 例として、域内経済のブロック化、または地域経済の急成長、相互依存深化の裏には、ア メリカ経済とも深く連動していたため、凃・北原が指摘したように、アメリカ経済の衰退 によって域内の成長国家の経済も鈍化につながる傾向が強まった101。つまり、経済の相互 依存関係は、ポジティブな側面だけでなく、ネガティブな要素をも持っているといえる。
さらに、渡辺の言う「冷戦構図の熔解」は、未だ完全な段階ではないことも指摘できる。
冷戦終焉と東北アジアは、ヨーロッパの変化とは違って、社会主義諸国の崩壊にはつなが らず、基本的には政治経済体制の対立の構図は今日も継続されている。特に、この地域に
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98 東北アジアにおける地域経済圏を取り扱った著書・論文は数多く刊行されている。日本語による文献と しては、小川和男・小牧輝夫編『環日本海経済圏 北東アジア・シベリア時代の幕開け』(1991)日本経済 新聞社、西村明・林一信編著『環黄海経済圏創生の課題と展望』(1992)九州大学出版会、金田一郎『環日 本経済圏』(1997)日本放送出版協会、などがあげられる。
99 NETsに関しては、Robert A. Scalapino, “The United States and Asia: future prospects”, Council on Foreign Relations, Foreign Affairs, (1991), Vol. 70, No. 5, pp20-21を参照されたい。それ以前の分析に関 しては、次の文献を参照されたい。Robert A. Scalapino and Masataka Kosaka ed., P ace, Politics &
Economics in Asia: The Challenge to coope ate, (1988), Pergamon Brassay’s International Defense Publishers, Washington, p10.
100 渡辺利夫編著『北東アジアの新動態 NIESが中国を変える』(1992)日本貿易振興会、14頁。
101 凃・北原は、「アジアNIESは、対米輸出(製品、黒字)と対日輸入(機械設備・部品、赤字)関係にお いて、周辺的地域におかれながらも、この『成長のトライアングル』網にうまくコミットすることができ たのだが、一九八八〜八九年を境に対米輸出に鈍化がみえ、マイナス成長さえみられた(中略)…アメリ カの地域の後退を象徴するものばかりであるが、一九九〇〜九一年のアメリカの景気後退がオーバラップ し、『成長のトライアングル』機能を一挙に後退させた」と、相互依存の負の側面について分析した。凃照 彦・北原淳編『アジアNIESと第三世界の発展』(1991)有信堂高文社、6-7頁。
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は未だ 2 国間関係が正常ではないケースがあり、「冷戦構図」は今なお地域統合の障壁と して残されている(参照、表2-3)。
表 2-3 6者会談参加国の2国間関係の現況
米国 日本 韓国 ロシア 中国 北朝鮮
米 国 ◎*1
1951
◎*2 1953
○*3 1933
○*4
1978 ●
日 本 ◎ ○*5
1965
○*6 1956
○*7
1972:1978 ●
韓 国 ◎ ○ ○*8
1990
○*9
1992 ●
ロシア ○ ○ ○ ◎*10→○(?)
1950
◎*11→○(?)
1961:2000
中 国 ○ ○ ○ ○ ◎*12
1949:1961
北朝鮮 ● ● ● ○ ◎
◎…正常化(または平和協定締結)の状態+軍事同盟。
○…正常化(または平和協定締結)の状態のみ。
●…正式な国交関係を結んでいない。
*1:サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約(1960年に改める)、以下すべて通称名で表記する。
*2:米韓相互防衛条約 *3:アメリカのソ連承認 *4:米中共同コミュニケ
*5:日韓基本条約 *6:日ソ共同宣言
*7:日中共同声明(1972)、日中平和友好条約(1978)
*8:韓ソ共同コミュニケ *9:韓中共同声明 *10:中ソ友好同盟相互援助条約
*11:ソ朝友好協力相互援助条約(1961、1996年失効)、 ロ朝友好善隣協力条約(2000、軍事内容は含まれず)
*12:大使レベル関係(1949)、中朝友好協力、相互援助条約(1961)
出典:韓国外交通産部『外交白書』、朝鮮中央通信社『朝鮮中央年鑑』(以上、各年度)、谷口弘行『現代国 際関係論入門』(1998)を参考に作成。
冷戦が終焉したにもかかわらず持続する冷戦的対立、そこから強まる安全保障を重視す る傾向、つまり同盟関係の強化や軍備増強につながっているといえる。さらに、制度論か らすれば、冷戦的対立の残存は、安全保障に関する多国間の制度(組織)の不在による問 題としても分析できる102。そのうえ、歴史認識や領土問題をめぐる葛藤、ナショナリズム
102 そのほかの(構造的)背景としては、中国の存在、地域内地域問題(朝鮮半島、中台関係など)、緩衝 41
の台頭も2国間の関係改善を停滞させる要因となっている。