第 6 章 KEDO 事業の終了と核危機の連続性
第 1 節 葛藤の二重構造
1. 二重構造と日米韓の国内政治要素
KEDO 事業は、原加盟国である日米韓の協力を一つの軸として進められた。その協力関 係の特徴とは、韓国と日本が資金面で貢献し、アメリカが北朝鮮との交渉を担当する役割 分担形式であった。ただし、KEDO 事業は「米朝間の枠組み合意」に基づくため、元来米 朝協議を基本として進められた。つまり米朝協議とアメリカを頂点とする日米韓の協力と いう二つの軸によってKEDO事業は進められたが、それぞれの軸に葛藤が生じる葛藤の二 重構図(二重構造)が形成された。
特に、第 5 章で確認したように、原加盟国の日米韓の間にはKEDO事業を含む北朝鮮に 対する思惑の溝は歴然としていた。日米韓の3ヵ国は、「KEDO事業が地域の平和と安定に 寄与する」との共通の認識を持っていたが439、そのプロセスと志向する目的には隔たりが 見え隠れていた。政権の変動と国内事情によって政策の変動が生じるなど、KEDO設立後 においてその亀裂はより鮮明になった。KEDO事業に対する日米韓の協力は決して一枚岩 ではなく、KEDO事業の全過程をみると、そこには常に葛藤があったといえる。
表 6-1 KEDO事業:日米韓の国内レベル対応(1994-2001)
米国 日本 韓国
政権党 民主党(1993-2001)
共和党(2001-2009)
自民党→8 党派連合→自 民党・社民党連合→自民党
*2
民自党(-1998)
民主党(1998-2006)
政権
基本立場 関与と多国間協力(主義) 不明確、曖昧 積極的協力
政府内支援体制 政府内横断的組織を構成 ―
(外務省が中心)
政府・民間の横断的組織を 構成:軽水炉事業支援企画 団(1994年12月)
法的根拠 ― ― 憲法解釈
統一関係長官会議規定*3
国内政治状況
(国会・世論等)
1994年11月以降、野党 共 和 党 が 最 大 政 党 と な り、政策遂行が困難(い わゆる「ねじれ国会」状 況が続く*1)
政治変動が激しく*2、 国内世論の動向を重視
大きな障害要因が相対的 に少なく、民主党政権時に はより積極的に協力
*1:表6-2を参照されたい。 *2:表6-3を参照されたい。
*3:軽水炉事業支援企画団、前掲書、44頁。
439 第5章で紹介したKEDO設立協定全文には、「朝鮮半島における平和及び安全の維持が最も重要である」
と記されている。
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出典:筆者作成
表 6-1 は、KEDO事業におけるKEDO原加盟国である日米韓の国内レベルでの対応につ いて比較したものである。目立つ点といえば、韓国だけが憲法解釈に基づいて「統一関係 長官会議規定」(改正令、1994年12 月12 日)を改め、先述したとおり「軽水炉事業支援 企画団」を設置したことである(発足、1995年1月)。同企画団は、「次官級の団長と、当 時の統一院、財経部、外務部、通産部、科技処などの関係部処と韓電、原子力研究所など から派遣された人員によって」440構成された。企画団は、基本的には政府内横断的組織で あったが、同時に民間団体を包括する新たな官民共同の組織であった。以後、韓国は同企 画団が中心となってKEDO事業を対応した。
しかし前述したように、故金日成主席の弔問問題と関連して、南北間の感情的対立の溝 は埋まらず、軽水炉事業支援企画団が発足する頃の南北関係は完全に冷え切った状況であ った。そのために、本格的な南北の政府間レベルにおける交渉や協議は至難な状況となっ た。根本的には、金泳三政権の一貫性に欠けた対北朝鮮政策441や当事者観点に強く拘って いたことが南北関係や同盟国関係にも影響を及ぼしたといえよう。
特に韓国政府は朝鮮半島情勢の当事者として、KEDO 事業における中心的役割を果たそ うとしたため、KEDO 事業が米朝主導で進められることを強く反対した。金泳三政権はク リントン政権の北朝鮮に対する政策転換に不満と懸念を抱いていた。ガーソンは、枠組み 合意に向けた米朝の歩み寄りについての金泳三政権の反応を、次のように分析した。
重大な問題が残った。米が提案する保障では、IAEAの核施設および寧辺への立 ち入り問題は解決されないのである。韓国の金泳三大統領と韓国指導部の保守勢 力は、アメリカが妥協の合図を送ったと激怒した。彼らには、アメリカが長年の 同盟国に相談もせず重大な譲歩をしようとしているようにみえた。彼らは、米朝 直接交渉はアメリカが朝鮮民主主義人民共和国の正当性を尊重することを示唆し ており、クリントン外交の新政策は北朝鮮に核開発計画を完了させる時間を与え ていると警告した442
朝鮮半島情勢の当事者であることを強調してきた韓国政府にとって、米朝関係の進展は 簡単に容認できるものではなかった。第 2 章で述べたように、日朝間の正常化協議に対す る韓国政府の反応とも類似したが、金泳三政権もまた韓国を頭越したアメリカの北朝鮮へ
440 軽水炉事業支援企画団、前掲書、44頁。
441 参照、オム・テユン『韓・米両国の対北政策と南北経協』(2007)ジプムンダン、81-88頁(原題:엄 태윤『한・미양국의 대북정책과 남북경협』(2007)집문당)、咸成得編『金泳三政府の成功と失敗』(2001)
ナナム出版、特に「金泳三大統領高麗大講義」(31-59頁)部分を参照されたい(原題:함성득 편『김영 삼 정부의 성공과 실패』(2001)나남출판)。なお、北朝鮮崩壊に関しては、次の第2項以下を参照され たい。
442 ジョゼフ・ガーソン、前掲書、194頁。
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の接近に不満を募らせたのである。
前述した不満と懸念はKEDO事業のなかでも投影された。前掲した『KEDO軽水炉事業 白書』(2007)によれば、KEDOと北朝鮮の間で行われた供給協定のための協議において、
韓国政府は、「北朝鮮がKEDOとの協商の枠を割って、対米協商に走らないよう慎重に協議 を主導した」443が、KEDO事業をはじめとする朝鮮半島情勢が米朝中心に進むことへの懸 念であった。
韓国政府の懸念は北朝鮮に対する不信と強い当事者意識から起因したが、それはかえっ てKEDO事業の円滑な進展に妨げとなった。軽水炉型選定をめぐる対立は代表的な例であ るが、KEDO事業の本格的な工事のために必要な参加労働者の法的保障措置や通行・通信・
敷地に関する合意など、軽水炉提供のための多くの合意とそのための長い交渉がKEDOと 北朝鮮との間に、より正確には南北間の課題として待ち構えていたのである(参照、附録4)。
アメリカの場合、KEDO事業の根拠となる枠組み合意を履行するための政府内横断的組 織「朝鮮問題作業グループ」を構成したが、同作業グループの担当としては、これまで米 朝交渉を率いてきたロバート・ガルーチが責任者として任命された444。第 4 章で述べたと おり、枠組み合意が条約ではない合意であったとはいえ、国家間の約束事項であり、それ を履行するのは米政府の義務であった。
しかし、前述したような政権内の不協和音と議会多数党が共和党へと変わったことによ って、クリントン政権の対北朝鮮政策の安定運用にもかげりが出てきた。特に、クリント ン政権の対外政策の不明確さや政権内の反北朝鮮派の存在を背景に445、クリントン政権の 政策実現は限定された。例えば、1995年1月に実施した北朝鮮に対する制裁措置の緩和は 限られたものにとどまった。制裁の緩和措置によって米朝間の交易が大きく増加したこと も事実であるが、枠組み合意に含まれている通信、金融、貿易、投資などの分野に関する 制裁措置の全面的解除までには至らなかった446。
また議会権力の変化は、クリントン政権の政策運用に大きな影響を与えた。1994 年 11 月の中間選挙の結果、これまでの上下両院の多数党であった民主党に代わって野党の共和 党が多数党となった。特に民主党は40年間にわたって多数党を占めてきた下院まで共和党
443 軽水炉事業支援企画団、前掲書、64頁。
444 「朝鮮問題作業グループ」は、次の計6つのチームによって構成された。「軽水炉チーム」、「KEDOチ ーム」、「燃料用重油チーム」、「連絡事務所チーム」、「ミサイル輸出チーム」、そして「使用済み核燃料チー ム」である。参照、ケネス・キノネス、伊豆見元監、山岡邦彦・山口端彦訳『北朝鮮Ⅱ―核の秘密都市寧 辺を往く』(2003)中央公論新社、50-54頁。
445 藤本一美著は、「要するに、クリントン政権の外交トライアングルの二つの重要ポストを占める責任者 は、いずれも指導力、構想力および積極性に欠けているといわれ、外交上の政策決定過程において“連携関 係”(コンビネーション)が生かされておらず、そのためにクリントン政権の外交チームは、一貫性のある 外交ビジョンをより明確な形で提示できない弱みがある」と分析したが、クリントン政権内部の対外政策 における政権内の強硬派(国家情報局、国防総省国防情報局、統合参謀本部情報局など)と穏健派(国務 省および国務省情報調査局など)との間の対立が目立っていたことも事実である。藤本一美著(2001)『米 国議会と大統領選挙』同文舘出版株式会社、236頁。
446 チョン・オクイム「米国の対北経済制裁現況と緩和展望」現代経済研究所『月刊 統一経済』(1999)
5月号、11頁(原題:정옥임「미국의 대북경제제재 현황과 완화 전망」현대경제연구소『월간 통일경제』
(1999)5월호)。
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