第 5 章 KEDO 事業の原動力と限界
第 3 節 KEDO事業の原動力と限界
2. 有名無実化するロード・マップ
第5章においては、KEDO事業の本格的な稼働のための二つの重要課題である軽水炉型 SIA_content/documents/UnclassReport.pdf (2004年9月)。なお、第6章の内容を参照されたい。
432 だが、北朝鮮に有利な情勢になっただけではない。前述したように、テポドン発射によって日米間のミ サイル防御をめぐる緊密化が図られたことも事実である。
433 北朝鮮政府が使う「苦難の行軍」は、1938年冬から1939年春までの間、日本の抑圧に対抗したゲリ ラ活動の期間にも用いられていたという。過酷な移動と生活のなかで、日本軍との戦いを貫いてきたとい う。当時の「苦難の行軍」については、次の文献を参照されたい。朝鮮労働党出版社『苦難の行軍』(1977) 平壌出版社、ユン・ヒョンチョル『苦難の行軍を楽園の行軍として』(2002)平壌出版社(原題:조선노동 당출판사『고난의 행군』(1977)평양출판사, 윤형철『고난의 행군을 낙원의 행군으로』(2002)평양출 판사)。
434 冷戦後の北朝鮮の経済事情については、第2章を参照されたい。
435 1998年9月15日の最高人民会議において金正日は、国防委員会委員長として推戴された。また、「強 盛大国」は、同年9月17日付『労働新聞』などの共同社説で公式に用いられた。
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選定と費用分担の問題が、常に朝鮮半島情勢と連動していることを確認した。KEDO 事業 の進展が行き詰ると、米朝間の協議、ときには北朝鮮の武力示威による状況打開が図られ てきたことが確認できた。
KEDO事業のなかで比較的円滑に進められていた事業といえば、重油提供と北朝鮮の核 活動の凍結があげられる。これらの事業においても様々な課題があったが、「ギブ・アンド・
テイク」、「相互主義」の行動様式がある程度守られ順調に進められた。特に北朝鮮の核凍 結に関しては、韓国原子力研究所の報告書によれば、1996年から1999年にかけて米NAC
(Nuclear Assurance Company)社による寧辺の5メガワット級原子炉から取り出した使用 済み核燃料棒の密封作業の終了を成果の一つとしてあげられる。また、同じく寧辺にある 核燃料の加工工場や放射科学実験室(再処理施設と疑われていた施設)、50メガワット級原 子炉も閉鎖・封印され、運営が不可能になったが、1995 年以降IAEA査察官が監視業務に 携わってきたことも収穫の一つであった436。
436 韓国原子力研究所「KEDO事業に国際原子力統制規範適用のための研究」(2000)科学技術処、2頁(한 국원자력연구소「KEDO사업에 국제원자력 통제규범 적용을 위한 연구」(2000)과학기술처)。
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図 5-3 軽水炉提供の計画と現況
枠組み合意 契約、議定書、合意等 工事状況 1994年10月
米朝間の枠組み合意
(軽水炉提供等明記)
KEDO設立(本部、NY) 1995年3月
1995 6月 KEDO-北朝鮮
年
供給協定締結
2003年をめどに 軽水炉を提供
1996 7月 KEDO-韓電
年
主契約者選定に合意
1999 11月 KEDO-韓電、主契約締結
年
そのほかの付属議定書など
敷地調査 1995年8月〜
基盤施設工事 1997年8月〜
本工事開始 2001年9月〜
KEDO-韓国、MOU締結*1 1997年7月
2008年に完成?*3 米朝間、原子力供給協定*2
寧辺の核施設 に対する核活 動の凍結およ び監視業務
(KEDOが重 油提供の中止 を決定した 2002年11月ま
でに続く)
履行済、または履行中
履行されていない
*1:この了解覚書(MOU)の締結により、工事開始は1997年8月からとの予測があった。参照、Presidents
& Prime Ministers, Jul/Aug 1997, Vol. 6, Issue 4, p34.
*2:詳細についてはカン・チョンミン「北核問題の技術的分析とKEDO軽水炉事業」(2003)を参照され
たい。
*3:TheEconomist, May 11 2002, Vol. 363, p38、KEPCO資料。
出典:上記資料、『朝日新聞』関連記事、外務省『外交青書』(1995年版)、22頁を参考に作成。
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しかし軽水炉提供は予定を大幅に超えることになった。韓電が軽水炉の本格的な工事の ための基礎工事を始めたのは2001年9月のことであったが、枠組み合意で建設完了のめど としていた2003年までには間に合わない状況となった。新たに予想された完成予定は、図 5-3の参考資料や韓電の資料によれば、第1号機の竣工予定が2008年11月、第2号機は 2009年9月の竣工を予定していた437。さらに、アメリカの核心技術が用いられることを勘 案すると、米議会の同意も取り付けなければならなかったため438、2009年の目処も事実上 不可能に近かったのである。
また韓電が第1号機の本格的な工事を始めたときには、すでにアメリカにはKEDO事業 に予てから反対してきた共和党のブッシュ政権が発足した後のことであった。ブッシュ政 権は北朝鮮に対して否定的でありKEDO事業に反対であったが、さらにはその根拠となる 枠組み合意を反故にする可能性も高まった。
無論、いくら共和党・ブッシュ政権がKEDO事業と北朝鮮に反対していたとはいえ、米 政府自らが行った国際的な合意を一方的に無視することには躊躇いがあった。つまり、
KEDO 事業を停止するための根拠や理由が必要となった。いわば、正当性づくり、名分づ くりが必要になってきた。その正当性・名分づくりが、第 6 章で説明する北朝鮮の新たな 核開発計画をめぐる葛藤であり、そこから始まる重油提供の中止とKEDO事業の終了とい った一連の米朝関係改善の動きの後退につながったのである。
437 韓電(KEPCO)「KEDO事業概要」, http://www.kepco.co.kr/customer/electric_info/kedo01_2.html
(2008年7月)。なお、表5-2を参照されたい。
438 カン・チョンミン「北核問題の技術的分析とKEDO軽水炉事業」ボンヤンサ『科学思想』(2003)第45 号、80頁、83-84頁(原題:강정민「북핵 문제의 기술적 분석과 KEDO 경수로 사업」범양사『과학사 상』(2003)제45호)。
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