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危機の端緒

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第 3 章 国際関係のなかの核危機

第 3 節 朝鮮半島と核:危機の両面性

2. 危機の端緒

また、朝鮮戦争中のアメリカによる核攻撃が検討されたが211、戦争が終わった後にはア メリカの「核の傘」政策に基づいて、1958年1月以降アメリカの核兵器が韓国に持ち込ま れ始めた212。さらに、歴史をさかのぼれば、第 2 次世界大戦以前から朝鮮半島は常に核開 発と関連していたことを勘案すると213、広い意味における核拡散の危機は冷戦を越えて朝 鮮半島にまとっていたといえる(参照、表1-2)。

いた時期であった。1970年代にアメリカが提案した内容を、形は違ったが、今度は北朝鮮 が提案するしかない現実があったといえる。

この時期の北朝鮮の核開発をめぐる争点は核兵器のための開発より、それまでの核開発 をいかにしてNPT-IAEA体制の統制下に置くかに焦点が当てられていた。1989 年 11 月付

『朝日新聞』によれば、日本政府の判断は、北朝鮮が「原子力発電以外の核開発を考えてい る疑わしい兆候がある」ものの、その疑わしい兆候とは、「平壌北部にプルトニウム原爆開 発に結びつく核燃料再処理工場を建設しているという情報がある」219という程度であった

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また、外務省の太田博科学技術官(当時)は、「(北朝鮮の核開発の真相は)正直のとこ ろ、真相は分らない。だが、金日成主席がいうように、本当に『核兵器を開発する意思も 能力もない』のなら査察を受けてもいいはずです。それを拒否するから疑惑が生まれる」221 と述べた。このように、北朝鮮の核開発の動きに関する情報は、北朝鮮外部から様々な内 容で伝えられてきたが、確実な根拠を持たなかった。

しかし時間の経過とともに、北朝鮮の核開発の目的が核兵器開発であるとの報道も多く なりつつ222、そのうえイラクの経験や核不拡散の動きの広まりを受け、北朝鮮の核開発問 題は徐々に国際問題として移動してきた。

ところが、北朝鮮の各政策が曖昧で不明確であるとはいえ、朝鮮半島の非核化について は明確な目標とプロセスをもっていた。その非核化のプロセスにおける最も重要な相手と はアメリカであった。1988 年 10 月に平壌で開かれた非核化関連の国際会議に送った金日 成主席(当時)の祝賀文には、「米国は南朝鮮( マ マ )に膨大な侵略武力をおくいかなる理由も口実 もなく、ひいては非核国家である我々と対峙し南朝鮮( マ マ )に核武器を持ち込み核基地化するい かなる名分もない」223とし、北朝鮮が非核兵器国であると同時に朝鮮半島の非核化につい て言及した。さらに、1990年11月には外交部の声明を通じて、「われわれは米国が当方に 核の脅威を与えないという法的保証を与える条件でのみ核保証協定に調印することができ る」224と述べ、保障措置締結のためにはアメリカによる安全保障が前提条件であることを 明確にした。

究所『月刊朝鮮資料』19901月号(第344号)、10-12頁。

219 『朝日新聞』19891110日付朝刊。

220 また199029日付朝刊『読売新聞』によれば、東海大学情報技術センターの坂田俊文所長(当時)

は、19866月と198911月にフランスの地球観測衛星による画像を分析したところ、「平壌北方約九 十キロの寧辺近くを流れる九竜江が大きく湾曲している付近に原子炉のほか、再処理、濃縮などの燃料施 設、研究実験施設、職員集合住宅とみられるコンクリートの人工建造物が分散配置して」おり、「今回の衛 星写真だけからでは、北朝鮮がこれらの関連施設を平和目的に限定した使用を意図しているのか、核兵器 開発の準備を目的にしているのか判断できない」と指摘した。

221 小林慶二「南北朝鮮の国連同時加盟後の情勢」朝日新聞社『AERA』1991108日号、22頁。

222 1990618日付朝刊『朝日新聞』によれば、ソ連はアメリカに、北朝鮮が共産主義諸国から核関

連の材料などを入手し独自の核開発を進めており、核兵器生産の可能性を伝えた。

223 朝鮮中央通信社『朝鮮中央年鑑』(1989)1989年版、57頁(原題:조선중앙통신사『조선중앙년감』

19891989년판)。

224 『月刊朝鮮資料』19911月号(第356号)、2-3頁。

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アメリカの立場からすれば、非核化という大義のもとで、北朝鮮との協議に応じること が可能であった。米ソ間の冷戦対立が終焉しつつ、核拡散防止政策を積極的に進めるうえ でも好機であった。シニア・ブッシュ政権が固く閉じてきた北朝鮮との政府間対話を始め たのは正にこの時期のことであった225

さらに北朝鮮は、自らの非核化政策を明確にしていく。1991年6月に日本の共同通信社 とのインタビューで金日成は、「我々には核武器がなく、我々は核武器を生産しません。し たがって、我々は核査察を反対しません。今南朝鮮( マ マ )には 1 千あまりの核武器が配備されて います。核査察をするならば、我々に限ることなく、核武器のある南朝鮮( マ マ )に対しても同時 に行わなければなりません」226と述べ、北朝鮮は核兵器を持たず、持たないことを明確に する一方、IAEAの核査察に応じる用意があることを明確にした。次はアメリカの対応とな った。

1991年9月にシニア・ブッシュ大統領は、ヨーロッパとアジアにおける戦術核の撤収を 宣言したが、それには韓国における米軍の核兵器も含まれていた。さらに、1991年11月、

当時の盧泰愚大統領は、「朝鮮半島の非核化と平和構築のための宣言」(朝鮮半島の非核化 宣言)を提唱し、核兵器の撤収を公式に確認させた。ただし北朝鮮は、アメリカによる南 北相互査察の保障を前提としていたため、上記の朝鮮半島の非核化宣言によって直ちに

IAEAによる核査察を受け入れるとは限らなかった227

ただしアメリカが北朝鮮の要求に応じたことは、両国の関係改善を本格化する意味では なかった。しかし、地域情勢全体からすれば、非核化に向けた協力は前進しつつあった。

1991 年 12 月には南北の間で「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」が仮調印された後、

翌年 2 月には正式調印され発効された。また、朝鮮半島における緊張緩和のための措置も 同時進行された。同共同宣言とともに「南北間の和解と不可侵と交流・協力に関する合意 書」も発効された228。そのうえ1992年1月7日に韓国政府は、長年にわたって北朝鮮を悩 ませた米韓の合同軍事演習チーム・スピリット229の中止を正式発表した230。北朝鮮は同演 習が核戦争を想定したものであると非難し、演習の中止を求め続けてきた231

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225 キノネスによれば、「穏健なイニシアチブ」といわれる当時米政府の対北朝鮮政策の転換の目的は、「一 九八八年のソウル五輪の際に、北朝鮮がテロ事件を引き起こす可能性を減らすこと」にあったとするが、

その一方では「核をめぐる対話」の必要性もあったと考えられる。参照、ケネス・キノネス、伊豆見元監、

山岡邦彦・山口瑞彦訳『北朝鮮Ⅱ  核の秘密都市寧辺を往く』(2003)中央公論新社、42-43頁。

226 朝鮮中央通信社『朝鮮中央年鑑』19921992年版、44頁(原題:조선중앙통신사『조선중앙년감』

(1992)1992년판)。

227 New Y rk Times, Nov 27, 1991.

228 統一部南北会談事務局『南北合意書』(2004)44-49頁(原題:통일부 남북회담사무국『남북합의서』

(2004)

229 チーム・スピリットは1976年から始まり、毎年の春に数週間程度をかけて行う韓国軍と米軍合同の朝 鮮半島で最大規模の軍事演習である。1990年に規模を縮小し、1994年からは中止のままである。同演習 については、次のサイトを参照されたい。Global Security, http://www.globalsecurity.org/military/ops/t eam-spirit.htm(20091月)

230 『朝日新聞』199217日付夕刊。

231 1984年度版『朝鮮中央年鑑』では、チーム・スピリットについてそれまでより詳しく取り上げた。参

照、朝鮮中央通信社『朝鮮中央年鑑』(1984)1984年版、320-321頁(原題:조선중앙통신사『조선중앙 78

そして、1992年1月30日、北朝鮮はそれまで硬く拒んでいたIAEAとの保障措置を締 結した。北朝鮮は、朝鮮半島における非核化の可能性が高まりつつあることを確認し、ま たアメリカの意志を確認したうえ、核査察を受け入れようとした。これは、NPT条約に署 名してからおよそ5年以上もの歳月が過ぎてからのことであった。

この1991年後半から1992年前半にかけての短い期間は、朝鮮半島の未来を予測するう えで最も重要な要素を内包していた。その特徴といえば、前述したように、これまでなく 非核化の可能性が最も高まった時期であった。また、日朝間の国交正常化のための政府間 交渉が始まったのも1991年11月のことであった。そのうえ南北関係の改善も重なり、緊 張緩和と平和構築の可能性が高まったのである。このような情勢変動の背景には、第 1 章 で述べたとおり、米朝関係における「ギブ・アンド・テイク」、「相互性」の基本行動様式 が作動していたことがいえよう。

同時に情勢変化の波に乗って、北朝鮮の核施設に対する核査察の動きも急速に進められ た。前述したように1992年1月に保障措置締結の後、同年4月9日には北朝鮮の国会にあ たる最高人民会議において、保障措置締結が批准された。同年5月には、北朝鮮がIAEAに 対して『イニシャル・レポート』を提出したことによって、核査察の準備が整えられた。

なお、150頁に及ぶ『イニシャル・レポート』には、査察の対象となる核施設・核開発の現 況が盛り込まれていた232。IAEAは、この報告書の内容に基づいて査察を行うことになった。

北朝鮮が申告した核関連施設は、次のとおりである233

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년감』(1984)1984년판)。なお同演習の詳細については、第3節を参照されたい。

232 Yonhap News Agency, Nor h Korea Handbook, (2003), An East Gate Book, New York, p70.

233 CNS, IAEA-North Korea: Nuclear Safeguards and Inspections 1992, http://cns.miis.edu/research/korea/nuc/iaea92.htm(200712月)

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