第 4 章 危機解消と KEDO
第 2 節 枠組み合意への道のり
2. 迫られる選択
北朝鮮の対応もエスカレートしていき、1994年4月27日には、5メガワット級黒鉛炉か ら使用済みの核燃料棒を取り出すことをIAEAに通告した。これに対してIAEAは、使用済 み核燃料棒の放射線スペクトラム測定を要求し、査察官の派遣の受け入れを要請した。こ れに北朝鮮は立ち入りだけを許可したが、査察官が到着する前の1994年5月14日にはす でに燃料棒の取り出す作業を開始した301。IAEAはこの事実を安保理に報告したが、安保理 は5月30日に使用済み核燃料棒の今後の計測可能性保全を促す議長声明を採択した302。さ らにIAEAは6月10日に、年間56万ドルに相当する北朝鮮への技術援助を中断とする制裁 案を採択した303。
このような動きに対して北朝鮮は 6月13日にIAEAからの脱退を宣言し、これをアメリ カに通告した。この時期のクリントン政権は、ちょうど朝鮮半島情勢に対応するための米 軍を増員するか否かを判断するところであった304。また韓国では6月15日に、民間レベル における戦争時の避難訓練である「民防衛訓練」が実施された。緊張は高まる一方であっ た。
安保理への提出を考慮していた。
アメリカの段階別制裁案(抜粋)
第1段階 核関連の技術・科学支援の禁止、航空機乗り入れの原則禁止、
経済協力の禁止、武器の禁輸など
※ 第1段階の制裁は決議後30日以内に実行する 第2段階 資産の凍結と送金の停止
第3段階 必要に応じてさらなる行動を起こすことを決定する307
しかし、アメリカの段階的制裁案は、二つの課題を抱えていた。まず、段階的制裁であ っても常任理事国であるロシアと中国の協力が前提となったが、両国の協力を得られる確 証はなかった。前述したとおり、地域情勢の急激な変化はロシアと中国の望むところでは なかった。したがって、この二つの国が安保理常任理事国である以上、安保理における強 力な制裁決議案の可決には前途不明な状況であったといえる。
また、アメリカの制裁案が持つ効果・効力とその結果を明確に予測することは至難であ ったこともあげられる。何より更なる経済制裁の実行に対して、北朝鮮がどのような行動 をとるかについて、クリントン政権は考慮しなければならなかった。北朝鮮は、国連によ る制裁は「宣戦布告」とみなすことを繰り返し強調してきたが308、海上封鎖309をはじめと する北朝鮮に決定的な影響を与えるような経済制裁が実行されれば、全面的な武力衝突も あり得る状況であった。したがって、事実上制裁は象徴的な程度になる可能性が高かった といえる。崔龍桓は、アメリカの制裁措置構想について次のように分析した。
アメリカの持続的で広範囲な制裁措置の持続は、北朝鮮の経済構造をより閉鎖 的にさせたが、さらにそれ以上の制裁措置が無意味な状況に至っている。すでに 加えられている措置を超えた強力な制裁措置、海上封鎖、または飛行禁止などの 極端な措置しか残ってない。しかし、このような措置は戦争またはこれに准ずる 危機状況だけ可能であり、韓国と中国、ロシアなどの協力が必須である310
307 時事通信社『世界週報』1994年7月12日号、63-67頁。
308 北朝鮮外交部は1994年6月10日に、IAEAが新たに決議を採択したことに対し、「1.IAEAからの即 時脱退、2.査察拒否、3.国連の制裁は宣戦布告とみなす」との声明を発表した。朝鮮問題研究所『月間 朝鮮資料』1994年8月号、14頁。
309 公海における海上封鎖は、情勢をより悪化させる可能性があった。ミサイル輸出など大量破壊兵器の拡 散には有効的な方策ではあったが、航行や漁業、調査など、いわゆる公海自由の原則までを制限すること は経済活動の抑制、ひいては主権の侵害にもなりかねなかった。1982年12月に署名され、1996年に発効 された「国連海洋法条約」に明記されている公海の自由(freedom of the high sea)にもそぐわなかった のである(第87条)。参照、UN, “United Nations Convention on the Law of the Sea Agreement Relating to the Implementation of Part XI of the Convention”,
http://www.un.org/Depts/los/convention_agreements/texts/unclos/closindx.htm(2008年7月)。
310 崔龍桓「北韓の対米戦略:採択背景と作動論理」新亜細亜研究所『新亜細亜』(2004)第11巻第1号
、42頁(原題:최용환「북한의 대미전략:채택배경과 작동논리」신아시아연구소『신아시아』(2004)제
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前述したように、アメリカの北朝鮮に対する経済制裁は、すでに朝鮮戦争とともに始ま り、幅広い範囲で包括的な制裁が継続されている。逆に言えば北朝鮮は、アメリカの制裁 に半世紀以上にわたって耐えてきたため、さらなる制裁の効力については明確な保証はな かった。
一方、軍事的手段による制裁は、より明確な結果をもたらすと予測された。軍事的制裁 は、寧辺の核施設を空爆する計画が主であったが、この種の核施設に対する空爆は、1981 年 6 月にイスラエルがイラクの核施設を空爆したケースと似通っていた。つまり、戦闘機 を用いた核施設だけの限定的空爆であった。北朝鮮の核施設に対する空爆計画については、
グローバル・セキュリティ(Global Security)の記事によれば、空爆はステルス戦闘機(F117)
を中心に寧辺の核施設破壊を主とする計画であったが、この計画は当時の在韓米軍総司令 官であるゲリー・ラック(Gary E. Luck)によって考案された311。やがて米政府は北朝鮮 とのウォー・シミュレーションを実施するに至った。
しかし、クリントン政権が実施したウォー・シミュレーションの結果、コストの問題が 懸念された。空爆が寧辺に限定されるとはいえ、北朝鮮の何らかの反撃も予想され、ひい ては全面戦争に突入する可能性も高かった。オーバードーファーは、「朝鮮半島で戦争が勃 発すれば、最初の九十日間で米軍兵士の死傷者が五万二千人、韓国軍の死傷者が四十九万 人に上る上(中略)…財政支出も六百十億ドルを越えると思われるが、同盟国からの資金 供給はほとんど期待できない」312とする、1994年5月に米軍当局者がクリントン大統領に 説明した内容を明らかにした313。アメリカのプライドと名誉を考えれば、武力行使は当然 たる選択肢の一つであったが、前述したとおり、全面的な衝突へと転じる可能性が非常に 高く、その場合のコストとリスクを考慮すると、アメリカにとって決して合理的選択では なかったのである。
第 1 章で確認したとおり、アメリカの圧倒的なパワーにもかかわらず、なぜウォー・シ ミュレーションでは「悲惨」な結果となったのか。今のところ、その全貌を把握すること は、まずは当時の政府資料へのアクセスができない限界があり、コストの算出の根拠や北 朝鮮の戦力の評価を含む重要な情報を把握するには、相当の時間がかかる。したがって、
クリントン政権が制裁ではなく対話を選択した理由を把握するには、状況判断を通じた分 析が最も有効的である。
11권1호)。
311 Global Security, “OPLAN 5026-Air Strikes”, http://www.globalsecurity.org/military/ops/oplan-50 26.htm(2008年7月)。
312 ドン・オーバードーファー、前掲書、369頁。また、クリントン元米大統領も自伝で、「もし戦争が勃 発したら、両側が耐えがたき損失を蒙ることについて報告を受けた」ことを記した。William Jefferson Clinton, My Life, Knopf, (2004), New York, p603, を参照されたい。
313 その判断は、すでに1993年末に検討済みとなっていた。1993年12月13日付『ワシントンポスト』
によれば、国防総省アスピン長官は、朝鮮半島で戦争が起こった場合、「特に市民にとってそのコストがと ても高く付く」としたうえ、同時に戦費の調達にも問題があることを明らかにした。Washington Post, December 13, 1993.
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当時クリントン政権が最も懸念した要素といえば、核とミサイルがあったと考えられる が、以下本稿では核を中心に議論を進める。北朝鮮の核能力については、特に1990年代に 入るとその核開発能力についての分析や報道が増加した。例えば、ジョン・ドイッチ(John
M. Deutch)は、1992年秋号の『フォーリン・アフェアーズ』の掲載論文で、北朝鮮の核
開発は、その放射能研究施設の大きさからみても、また高度の爆発実験によってできたと 見られるクレーターの存在からしても、核兵器を獲得するための行動であると分析した314。 このクレーターの存在と関連して言えば、1993 年 12 月にヨーロッパ地域のある大使は、
北朝鮮が「数発の核を持っている」と断言したが、その根拠としてクレーター状の跡を取 り上げた315。
また、前掲したパク・チャンピョの韓国国会報告書「北韓核問題;現況と課題」(1993)
にも、北朝鮮がすでに核兵器用としてのプルトニウムの相当量を抽出したと分析した316。 クリントン政権内部では、北朝鮮の核兵器に関する一致した見解はなかったものの、国防 総省を中心に「北朝鮮が1・2個の核兵器を所有」していると判断していた317。これらの状 況からして、少なくとも北朝鮮がある程度の兵器用プルトニウムを所有していた可能性が 高く、1996 年に刊行されたJane’s Intelligence Reviewのジョセフ・バーミューデッツ
(Joseph S. Bermudez Jr.)のレポートによれば、「(北朝鮮は)1991年までにおよそ10〜
13Kg程度のプルトニウムを持っていた」(括弧筆者)318可能性があると分析した。
しかし、ブルース・カミングスは、「CIAが揚げる金科玉条である『一、二個の原子爆弾』
は…一九九三年十一月発行の国家諜報予測(National Intelligence Estimate)に基づいて いるのである。これは政府内の北朝鮮専門家を一堂に集めて、北朝鮮が原子爆弾を開発し たと思う者はどれぐらいいるかと、挙手を求めるという方法で導き出された数字である」319 と述べ、その信憑性に疑問を呈した。仮に上述のような「1-2個」の核兵器の保有、または 兵器用のプルトニウムを保有していたとして、この最大 2 発の兵器がアメリカの軍事力に 対抗できるものであったのだろうか。果たして「1-2個」の量を持ってアメリカの先制攻撃 を思いとどまらせる、または対抗することが可能であったのだろうか。
より現実的な問題として、当時の米政府は、北朝鮮が「1-2個」の核兵器を保有したか否 かというより、核の技術や物質が拡散されることに懸念を抱いたと考えられる。もし北朝 鮮がアメリカの脅威に対して核開発能力を拡散させれば、アメリカの核の威力は有名無実 化し、覇権運用に深刻な支障をきたす可能性があった。特に、アメリカにとって重要なエ ネルギー源確保地域であり、地政学的観点からして重要な中東地域に関連技術が拡散すれ
314 John M. Deutch, “The New Nuclear Threat”, Council on Foreign Relations, Foreign Affairs, (1992), New York, Vol. 71, No. 4, p131. なお、ダッチは、シニア・ブッシュ政権からクリントン政権に至るまで政 府閣僚を務めた。
315 『朝日新聞』1993年12月20日付朝刊。
316 パク・チャンピョ、前掲書、22-26頁。
317 参照、『朝日新聞』1993年20日付朝刊、同1993年10月25日付朝刊、同1993年12月27日付夕刊。
318 Joseph S. Bermudez Jr., “North Korea’s Nuclear Arsenal”, Jane’s Intelligence Review, (1996), Special Report No. 9, p10.
319 ブルース・カミングス、前掲書、88頁。
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