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軽水炉型選定

ドキュメント内 untitled (ページ 123-129)

第 5 章 KEDO 事業の原動力と限界

第 2 節 KEDO事業の実像

1. 軽水炉型選定

軽水炉型選定は軽水炉提供事業の前提条件であって、費用分担問題と並んでKEDO事業 の最も重要な課題の一つであった。第1節で確認したように、韓国政府は、KEDO設立の 前の段階から軽水炉事業に多くの費用を負担すると明言し、軽水炉型が韓国型として決定

358 199811月に軽水炉工事にかかわる費用に合意したが、1999年度の会計はすでに1998年に決まっ ていることから、実質的な工事にかかわる費用の支出は2000年度からになる。

359 軽水炉事業支援企画団、前掲書、45-46頁。

360 統一部, http://www.unikorea.go.kr/data/src/whitepaper/1998.pdf(20086月) 123

されることに自身を持っていた。

しかし、軽水炉型選定は、原子炉の生産地または組み立て地という表面的な問題ではな く、核心となる技術と部品がどの国のものであるか、またはどの会社のものかという実質 的な問題に焦点が当てられた。つまり実際に原子炉を生産し供給を行う、最終的には、「主 契約者」選定の問題に帰着することになった。

枠組み合意では、「米国は、北朝鮮に提供する軽水炉計画を資金的に支え、計画を供与す る国際事業体を米国主導で組織」し、「目標年である2003年までに約2000メガワットの 発電総量を持つ軽水炉」を提供することが明記されており、北朝鮮からすればアメリカの 主導的役割、つまりアメリカの技術や部品による軽水炉提供は当然であった。もとを辿れ ば軽水炉提供は、1993年7月の米朝間の第2ラウンド協議の合意事項であり、それを1994 年10月の「米朝間の枠組み合意」においてより具体化したものであった。

したがって、韓国型を選定するためには、次の二つの課題を解決しなければならなかっ た。まず何より韓国型を北朝鮮に納得させてもらう必要があった。次に韓国型とは何を指 し示すかを明確にする必要があった。ただし前者の課題が解決されなければ、後者が解決 されても無意味なことであった。

それでは韓国型とはどのようなものであるだろうか。韓国型とは、韓国政府によれば、

1992年から本格的に工事を開始したウルジン地域の原子炉第3号機と第4号機を指す361。 ウルジン3号機と4号機は、それぞれ約100万キロワットの発電力として建設される予定 であったが362、米朝が合意した発電量からしても、また軽水炉型であることからしても適 していた。

しかし、韓国の平和問題研究所イ・ジョンウ常任研究員(当時)によれば、「韓国型軽水 炉と呼ばれているものは、これまでアメリカの技術を通じて建設された我々(韓国)の原 子炉形式を韓国の実情に合わせて100万キロワット級に標準化した原子炉をいう」(括弧筆 者)363のであった。ここで重要なのは、韓国型と呼ばれる軽水炉とは、「アメリカの技術を 通じて」建設されたものであった。

また、チョ・クァンドンは、「原子炉専門家によれば、現在韓国型という韓国原子炉はア メリカの原子力専門会社の技術協調を得て韓国で組み立てられたもので、重要部分と技術 はほとんどアメリカに依存しているという。韓国型を採択するとはいえ、アメリカ技術陣 とアメリカの部品支援を受けない限り原子炉を建設できない」364と分析した。つまり韓国 型軽水炉は、アメリカの技術と部品を抜きにしては成立できないものを意味した。

361 軽水炉事業支援企画団、前掲書、50-53頁。

362 ウルジン3号機・4号機や韓国標準型については、ウルジン原子力本部の資料を参照されたい。KHNP, http://www.khnp.co.kr/uj/ulchin/head3_2.html(20088月)

363 イ・ジョンウ「集中分析:北、韓国型拒否以後軽水炉支援展望  大単位コンソーシアム構成必要」平和 問題研究所『統一韓国』(1994)通巻第130号、93頁(原題:이정우「집중분석:북, 한국형 거부 이후 수로 지원 전망: 대단위 컨소시엄 구성 필요」평화문제연구소『통일한국』(1994)통권 130호)。

364 チョ・クァンドン「軽水炉協商と米国」平和問題研究所『統一韓国』(1995)通巻第137号、47頁(原 題:조광동「경수로협상과 미국」평화문제연구소『통일한국』(1995)통권 137호)。

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したがって、韓国型軽水炉がアメリカの技術のうえで成り立つものであれば、その名称 が何であろうが、特に問題になるはずはなかった。しかし、北朝鮮のほうは韓国型の意味 合いを深刻に受け止めたのである。セリーグ・ハーリソンは、『月刊マル』(1995年6月号)

とのインタビューを通じて、北朝鮮が韓国型を受け入れられない理由として、「北朝鮮は、

軽水炉建設における韓国の重要な役割を認め、それを受け入れる準備ができていると思い ます。しかし、韓国側の言う『中心的役割」には明確に反対していますが、その『中心的 役割』というのが、結局は支配的役割を意味すると、北朝鮮は考えているようです」と述 べた365。言い換えれば、韓国型とは国家の面子の問題でもあった。当時、金日成主席の死 亡に伴う弔問問題をめぐる対立もあって、韓国型と韓国の中心的役割は簡単に決着付ける 問題ではなかった。

より根本的な反対の背景としては、仮に南北関係が良好であったとしても、韓国型が北 朝鮮に入ってくることによって生じる韓国の影響力の増大への懸念があった。軽水炉型選 定を含むKEDO事業は、北朝鮮がアメリカとの交渉を続けるための最も重要な牽引車であ ったことから、韓国型も、韓国の中心的役割も、とうてい受け入れがたいところがあった。

繰り返しとなるが、軽水炉型選定をはじめとするKEDO事業は、基本的に米朝間で取り 決める課題であった。そのため、枠組み合意の後の米朝両国は、軽水炉提供のための専門 家協議の開催を合意した。『月刊朝鮮資料』1995 年 2 月号の「順調に進む朝・米合意履行 過程」資料(履行資料)によれば、米朝の「軽水炉提供に関する協議」は、「使用済み燃料 の安全保管に関する協議」と「連絡事務所開設に関する協議」とともに1994年11月以降 開催された366。同履行資料によれば、第1回目の軽水炉提供に関する専門家協議は、1994 年11月30日から同年12月2日まで北京で行われた。この協議では特に問題となるものは なく、第2回目を翌年1月に再開することを確認し終了した。

第2回目の協議は、1995年1月28日から2月1日までにベルリンで行われたが、この 第2回目を境に、軽水炉型選定をめぐる米朝間の対立が激化し始めた。また3月25日から 3月27 日までにベルリンで開かれた第 3回目の協議でも溝は埋まらなかった。そして、4 月12日から13日までの第3回目協議の第2ラウンド協議が決裂したことを最後に、米朝 協議は暫く中止となった。

北朝鮮政府は協議の決裂について、アメリカが「南朝鮮( マ マ )型」軽水炉を最後まで主張した ことが原因であると非難した367。米政府は、費用の多くを同盟諸国に負担させることによ って同盟諸国の意見、とりわけ韓国政府の主張を無視することができなかった。したがっ て、韓国政府が韓国型の選定を望んでいる限り、アメリカと北朝鮮との間の意見対立も続

365 チョン・キヨル「韓国型軽水炉、代案ではない」民衆のソリ『月刊  マル』19956月号、通巻108 号、128頁(原題:정기열「한국형 경수로, 대안이 아니다」민중의 소리『월간 말』19956월호, 108호)。

366 「順調に進む朝・米合意履行過程」『月刊  朝鮮資料』19952月号、12-20頁。この資料は、1995 2月号から始まり、199711月号まで計13回掲載された。以下、同資料の本稿での引用は、「履行資 料」と略して用いる。

367 『労働新聞』1995423日付。

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く構図を形成した。韓国の立場を考慮せねばならいない米政府と、原則に徹する北朝鮮政 府との対立であった368

米朝協議が難航していくなかで、軽水炉型選定問題はより複雑な様相を見せ始めた。韓 国政府は、KEDO事業にかかわる費用の多くを分担する方針を固めようとしたが、そのた めにも名分と実利が必要であった。費用の多くは、それが財政からの拠出であれ国債発行 であれ、税金でまかなうことには変わらず、政治的同意と世論の後押しを得るためにも韓 国型を固守するしか選択肢はなかった。1995 年 3 月末の時点で、金泳三大統領が、「韓国 型が採択されなく、韓国が中心役割を果たせない場合は、一文も出さない」369と発言した のは、北朝鮮に対する圧力だけでなく、国内事情を考慮したうえでのコメントであった。

同時に米朝協議の進展を促す、アメリカへの間接的な圧力でもあったといえよう。

ここで興味深いことは、金泳三政権の圧力に対して、今度はクリントン政権が圧力をか け始めたことである。先の金泳三の発言から数日後の4月3 日、米国務省の定例ブリーフ ィングで、アメリカがロシアにKEDO事業への参加を促したことを明らかにした370。第 3 節で説明するように、ロシアはKEDO事業に積極的な参加を目論んでいたため、アメリカ とロシアの接近は韓国にとって一種の圧力であった。韓国政府が韓国型に固執することに 伴い、軽水炉型と主契約者の選定をめぐる駆け引きは、アメリカと北朝鮮の基本軸に、既 存の韓国に加えロシアがかかわる構図となってきた。さらに、韓国型をめぐる対立が深ま るなか、後にEUも新しく競争に加わり、軽水炉型選定(主契約者選定)は、複雑なゲーム となってきた。

このような状況に対して韓国政府は、焦燥感を隠せなかった。1995年4月に入り、韓国 の孔魯明外務部長官(当時)は、「韓国型でなければKEDOから脱退する」371と発言した。

さらに、オーバードーファーは『二つのコリア』において、「北朝鮮に圧力をかけるため、

韓国の孔魯明外相は米空母艦隊を朝鮮半島近海に派遣するよう提案した。孔魯明の提案は 拒否されたものの、ワシントンの関係者は在韓米軍の大幅な増強という選択肢を再検討す るようになった」372と記したように、韓国の圧力は益々強まってきた。

しかし、クリントン政権内では北朝鮮への不信を抱く強硬派も存在したが373、枠組み合 意やKEDO事業そのものを否定するまでにして、再び核危機を招くまでには至らなかった。

368 この間、北朝鮮政府は、「韓国型は絶対に受け入れられない」(311日、外交部スポークスマン会見)

ことを繰り返し強調した。北朝鮮は、「朝

(マ

マ)

、朝 日

(ママ)

関係改善に南側が介入する名分はない」331日、

朝鮮中央通信論評、以上「履行資料」)という論評を出し、韓国政府をけん制した。

369 199541日付『東亜日報』の1面トップ記事の内容であったが、さらに同記事では「米朝間の枠 組み合意もすべてだめになる」と警告した。

370 また、ロシア外務部官僚は、「ロシア製の軽水炉を北朝鮮に提供する代わりに、韓国に対する債務を返 済できる」とコメントしたと報じられた。参照、『東亜日報』199546日付。

371 『朝日新聞』199548日付朝刊。

372 ドン・オーバードーファー、前掲書、428頁。

373 ソ・ボヒョク「ジュネーブ合意崩壊の原因に関する多次元的分析」平和問題研究所『統一問題研究』

(2003)通巻第39号、18頁(原題:서보혁「제네바합의 붕괴 원인에 관한 다차원적 분석」평화문제연 구소『통일문제연구』(2003)통권 39호)。

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