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対立から危機へ

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第 3 章 国際関係のなかの核危機

第 3 節 朝鮮半島と核:危機の両面性

3. 対立から危機へ

その後、第2回目の査察(1992年7月6日〜)を境に、IAEAと北朝鮮との間に対立が 表面化し始めた。2回目の対象は、再処理施設と疑われた「放射化学実験室」であり、この 時点から北朝鮮のプルトニウムの再処理疑惑に査察と検証の活動が集中した。

第3回目の査察(8月31日〜)以降は、IAEA査察チームによって、『イニシャル・レポ ート』のリスト以外の場所へのアクセスが要求されたが、これを北朝鮮が拒否する、とい う繰り返しとなった。IAEAは、北朝鮮が申告したプルトニウムの量が、査察の結果と異な ると主張し、放射性廃棄物貯蔵施設と疑われる寧辺地域の 2 ヵ所への特別査察(special

inspections)を要求したが236、北朝鮮はIAEAの要求を拒否した。

特別査察とは、IAEAと北朝鮮との間で締結された保障措置(INFCIRC/403)の第73条 に明記されている、「IAEAは、1.特別報告(special reports)の情報を検証するため、2.

通常の査察から得られた情報や北朝鮮の説明などを検証するため」237に行う査察を指し示 す。しかし、特別査察の対象へのアクセスは北朝鮮との協議を必要とする。北朝鮮は、IAEA の要求に対して異議を申し立てることができる(INFCIRC/403、第21 条、第 22条)。た だし、この異議申立てもまた核兵器または核爆発への転用をしていないことをIAEAが検証 できなかった場合は、例外(INFCIRC/403、第 19 条)となるため、解釈をめぐる対立の 余地があったといえる。

問題の焦点は、北朝鮮が合意しない限り、『イニシャル・レポート』の対象外の施設や場 所へのアクセスは、IAEA単独では不可能であったことである。更なる査察には、北朝鮮の 合意を取り付けるか、それともイラクのケースを活かすかであった。当然、IAEAとしては、

疑惑のある場所や建物を自由に歩き回り調べることを望んでいたため、後者を選択するこ とに傾きつつあった。しかし黒沢満は、イラクと北朝鮮の間では核疑惑をめぐる異なる背 景を指摘する。

235 CNS, 同上。

236 IAEA, “Fact Sheet on DPRK Nuclear Safeguards”, http://www.iaea.org/NewsCenter/Focus/Iaea Dprk/fact_sheet_may2003.shtml(20077月)

237 IAEA, “INFCIRC/403 (May 1992)”, http://www.iaea.org/Publications/Documents/Infcircs/Others/i nf403.shtml(20083月)。

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イラクのケースは、国連の強制的な制裁の一部として実施されているため、査 察員にはあらゆる場所にアクセスできる無制限な権利が認められていた。しかし、

北朝鮮のケースは保障措置協定に基づく査察であって、査察員に完全に自由な行 動が認められているわけではない(中略)…すなわちイラクの場合は、クウェー ト侵略という国際法の基本原則の違反という事態を前提に、国連憲章第七章の下 での行動がとられたのに対し、北朝鮮の場合は、保障措置協定に関連して、北朝 鮮が原子力平和利用を核兵器に転用していないということをIAEAが確認できな いという事態である238

北朝鮮の場合、イラクのような他国への侵攻でもなく、確実たる証拠は何もなかった。

いくら疑わしい施設であっても、既存のNPT-IAEA体制では、北朝鮮との交渉を通じた査 察が、最も国際ルールに準じていたのである。

岡本三夫は、NPT条約を締結した非核兵器国は「核の平和利用」のための権利(設備や 資料、技術などを得る権利)を得るとともに、「これと引き換えに、IAEAとの間に、査察 受け入れを含む保障措置協定を結ぶ義務が生じる。ここで問題が生じてくる。米国との関 係が正常である場合は問題ないのだが、イラクや北朝鮮のような米国に批判的な国の場合、

IAEAの査察は米国の圧力によって政治性を帯びてくることが多いからだ」239と述べたよう

に、IAEAの要求は、言うまでもなくアメリカの政治的意図を背景としていた。査察を通じ た非核化の進展も無視できないが、強制的な査察を要求することによって対立が高まるこ とも否定できなかった。

IAEAの特別査察の要求が強まるなか、1992 年には一度中止を決定したチーム・スピリ

ット演習について、同年 10 月に米韓両政府は、「米韓定期安保協議で、北朝鮮の核開発疑 惑に関連して、今年中止したチーム・スピリットの再開へ準備を続ける」ことで合意した240。 これに対して、北朝鮮外交部は、チーム・スピリットを中止しない限り、IAEA査察の受け 入れを中止するとコメントした。

そのなか、1992年11月2日から行われた第4回目の査察において、北朝鮮側がIAEA 査察チームのチーフ・インスペクターのウィリー・テイス(Willi Theis)がCIA要員だとし、

協力を拒否すると発表した(参照、表3-3)。その後、1992年12月に第5回目の査察、1993 年1月26日〜2月6日には6回目のIAEAによる査察が行われた。この6回目の査察をも って、IAEA は査察の結果と北朝鮮が申告したプルトニウム量(the composition and quantity)との間で不一致(inconsistencies)があると指摘したが、そのためにも再処理施 設と思われる場所への特別査察を改めて要求した。

IAEA理事会は1993年2月22日に、アメリカの情報衛星が撮影した寧辺周辺の関連施 設の衛星写真を回覧した後、同年2月25日に北朝鮮に対して1ヵ月以内に不明瞭な2ヵ所

238 黒沢満、前掲書(1994)、12頁。

239 岡本三夫『平和学は訴える  平和を望むなら平和に備えよ』(2005)法律文化社、12頁。

240 『朝日新聞』1992111日付朝刊。

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へのアクセスの受け入れを主な内容とする決議案を可決した。その後の動きは、第 4 章で 論ずるような朝鮮半島におけるいわゆる「第1次核危機」の本格化であった。

オーバードーファーは、「1991年の冬は、南北関係と米朝関係が異例の発展を遂げる時期 の始まりとなった。このころが極めてまれな時期であったのは、南北の政策が協調と合意 という方向で一致し、ほかの主要国も中立的な姿勢をとるか支持する立場をとったからで ある」241と述べたが、この不思議な時期も核査察をめぐる対立によって、対決ムードに戻 ろうとした。いわば、地域における短い期間でのデタントと非核化の終焉であった。これ によって、IAEAの特別査察に対していかに情報源を取り扱うかの問題があり242、また特別 査察を拒否した場合の国際法的な措置がないことも事実であったが、最も深刻といえるの は、核査察をめぐる対立が結果的に1993-94年の核危機へと発展したことである。

ただし、査察をめぐる対立を通じて北朝鮮の意図が確認されたことも事実である。北朝 鮮からすれば、アメリカとの協力によるIAEAの特別査察要求は、主権侵害の側面もあった が、一方ではこの査察をめぐる駆け引きをアメリカとの交渉へと転換させる契機にもなっ た。パク・ホンヨンらの、「この時期に、北朝鮮が核開発カードを利用したことは、北朝鮮 がソ連の影響圏から抜け出したことを意味した。米ソ協調が現実化すれば、この時期の北 朝鮮は日米との関係改善を通じた生存戦略を、核問題を通して模索していたとみられる」243 と分析したように、核問題をめぐる駆け引きによる情勢転換は十分にあり得ることであっ た。北朝鮮の核開発は、外交カードとしての役割があったといえよう244

しかし北朝鮮の意図が何であろうが、前述したように、当時の北朝鮮の非協力的姿勢は、

アメリカにとって看過できるものではなかったのである。李泳禧は、北朝鮮の核開発関連 の動きは、「(冷戦後)数年間、国家的存立の危機に追い込まれた北朝鮮が、その軍事的危 機状況を『正面突破』するために選択した核による対抗構想と計画」であり、冷戦後直面 している厳しい国内外情勢を乗り越える手段として用いたとの見解を示した245。そのうえ、

北朝鮮の行為が、「唯一の核超大国として世界的な核兵器の秩序を支配しようとするアメリ

245 李泳禧、徐勝監訳『朝鮮半島新ミレ二アム』(2000)社会評論社、130頁。

241 ドン・オーバードーファー、前掲書、306頁。

242 今井隆吉、前掲書、86-90頁。

243 パク・ホンヨン、ホ・マンホ「北核問題に対する日本の安保政策の制約と機会の考察  北韓のNPT 入と脱退時期(1989-1993)事例」ソウル大学校国際学研究所『国際・地域研究』(2002)第113号、66-67 頁(原題:박홍영, 허만호「북핵문제에 대한 일본안보정책의 제약과 기회고찰  북한의 NPT가입 퇴시기(1989-1993)사례」서울대학교국제학연구소『국제지역연구』(2002)제113호)。また、北 朝鮮の核政策の曖昧さについて、外交カードの側面から検証した研究としては、次の文献を参照されたい。

辛成澤「北韓の核開発の現況とわが国の対応方向」韓国戦略問題研究所『戦略研究』(2000)第20号(原 題:신성택「북한 핵개발의 현황과 아국의 대응방향」한국전략문제연구소『전략연구』(2000)제20호)

244 小此木政夫と李鍾元は対談を通じて、「よく日本では、北朝鮮の核保有は外交のカードとしてなのか、

実際の使用可能な兵器としてなのかという議論がありますが(中略)…両方ともある。軍事的な安全保障 を考えた場合、核兵器は必要(中略)…しかし、同時に、大国の懐に入る時の外交のカードとしても必要」

であると指摘したように、アメリカとの交渉用として考察することが求められた。小此木政夫・李鍾元「北 朝鮮の核にどう対するべきか」岩波書店『世界』20037月号、56頁。ただし、核政策の曖昧さの背景 についても検証が必要であった。

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