第 6 章 KEDO 事業の終了と核危機の連続性
第 3 節 KEDO後へ向けて
1. 新しい核開発計画と核危機の再現
新しい核開発計画をめぐる対立は、2002 年 10 月に当時の米国務次官補ジェームス・ケ リー(James Kelly)が平壌を訪問した際、北朝鮮が新しい核開発計画を持っていると攻め 寄ったことから本格化した。当時の姜錫柱第 1 外務次官はケリー側の責め立てに対して、
484 アン・ムンソク『北韓を必要とする米国、米国を必要とする韓国』(2006)パクヨンリュル出版社、58 頁(原題:안문석『북한이 필요한 미국, 미국이 필요한 한국』(2006)박영률 출판사)。
485 『日本経済新聞』2001年3月27日付朝刊。
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新しい核計画だけでなく、「それより強力なものも持っている」と主張したとされる486。ア メリカ側が主張する新しい計画とは、「高濃縮ウラン」(highly enriched uranium, HEU)
計画であったが、いわゆる濃縮ウラン型による核兵器製造はプルトニウム型による容易で あると知られる。北朝鮮は天然ウラン資源が豊富で、もしこれが事実であるとすれば、深 刻な懸念材料になるはずであった。ただし、北朝鮮政府の公式コメントはなく、北朝鮮の 新しい核開発計画がHEU計画であるとの報道だけが乱舞するようになった。
しかし、この問題はより広い視野をもって分析する必要がある。新しい核開発問題が浮 上する時期といえば、2002年9月に小泉純一郎首相(当時)が日本の首相としては初めて 訪朝し、初めての日朝首脳会談を行い、両国の関係正常化が再び実現可能な課題として浮 上してきたときであった。さらに日朝首脳会談の前の2000年6月には、初の南北首脳会談 が行われ、南北交流の活性化が本格化するなど、地域の新しい秩序の胎動が活発になりつ つあった。
地域情勢の新しい動きは、アメリカ抜きの冷戦的対立を解消する方向に向かおうとして いたため、アメリカの同地域における地位の変動は必然となってきた。ところが、当時の アメリカといえば「対テロ戦争」(Global War on Terrorism, GWOT)を重要な政策として 推し進めていたため、韓国・日本のような新たな共存を図る介入ではなかった。むしろHEU 計画は、当時のブッシュ政権が北朝鮮に対して強硬姿勢で対応する契機となった。金大中 政権時に情報院長を努めた林東源は、米政府の北朝鮮のHEU計画と関連する情報や動きに 対して、「ネオコン強硬派たちが不順な政治的意図を持って(HEU計画に関する)諜報を歪 曲するのではないかと疑っていた(中略)…その年の夏から南北関係改善が活性化されて いるなかで韓国と日本の両政府に対し露骨的に制御をかけるための情報操作ではないか」
(括弧筆者)と指摘したが487、HEU計画は急変する地域情勢へのネガティブな関与を可能と する材料であった。ブッシュ政権は、疑惑を解明するための北朝鮮との対話を拒否し、北 朝鮮が核放棄を行うことを前提とする対話の方針で一貫したのである。
これに対して北朝鮮政府は、米朝間の不可侵条約の締結が優先されるべきだと主張した が488、ブッシュ政権は「ならず者国家」に対する核先制攻撃を主張することで一段と圧力 を高めた。金民雄は、「北朝鮮の核プログラム発言は、アメリカが既成事実のものにしよう
486 New York Times, October 17 2002.
487 林東源[『ピースメーカー』(2008)中央ブックス、667-668頁(原題:임동원『피스메이커』(2008)
중앙북스)。また同著書には、当時のケリー次官補が訪朝後に韓国で行ったHEU計画に関する説明と、林 東源の批判的意見が記されている。なおHEU計画と関連して河信基は、「現在では、イラク開戦時のよう な情報操作、もしくはケリー特使が通訳を聞き間違えたとの見方が有力」であると述べ、HEU計画がアメ リカの名分づくりとして活用された可能性を指摘する。HEU計画については、未だその真相が明確にされ てない状況である。河信基『証言「北」ビジネス裏外交 金正日と稲山嘉寛、小泉、金丸をつなぐもの』
(2008)講談社、19頁。
488 米朝間の不可侵条約締結提案は、2002年10月25日の北朝鮮外務省の声明を通じて行われたが、さら に同声明の最後には「協商の方法もあり得るが、抑止力の方法もあり得る。しかし、我々はできるだけ前 者を望んでいる」と述べた。協商とは、対話を通じた問題解決であるが、「抑止力」が何を意味するかにつ いては明らかにしなかった。なお、同声明については、次のサイトから確認できる。朝鮮通信, http://ww w.kcna.co.jp/index-k.htm(2008年8月)。
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としているような核兵器の保有を認めたものではなく、自らの主権と国家の安全がアメリ カ・ブッシュ政権の先制攻撃によって脅かされていることに対する最後の自衛的措置」で あり、問題解決のため北朝鮮が提案した「不可侵条約の締結」の要求は、「アメリカによっ て不可侵が保障されれば、北朝鮮の核プログラムが放棄されることを意味する」ものだと 分析した489。しかし新しい核開発計画をめぐる対立は、敵対政策を維持しようとするアメ リカと北朝鮮との対立のなかで膨らみ続けた
両者の主張が平行のまま、すでに米政府は次なる方針を固めた。その一つが、これまで の北朝鮮への重油提供を中止することであった。2002 年 11 月のKEDO理事会においてそ の提供中止が決定されたが490、これによって「米朝間の枠組み合意」における重要な履行 事項の一つが中断されることとなった。これを受けて北朝鮮は、2002 年末までにIAEA査 察団を追放し、2003年1月には「一時停止」状態であったNPT条約からの完全脱退を宣言 するなど、これまでの核凍結を解除し始めた。第 5 章で言及したように、重油提供は単な るエネルギー源の提供を超えて、「相互主義」に基づく核凍結の要であった。アメリカの重 油提供が中断されれば、それまでの核凍結措置の解除も当然なことであった。
そして核凍結の解除によりアメリカの介入は必然的となったが、その介入方法とはほか ならぬ「制裁」の検討であった。ブッシュ政権は、クリントン政権が行ったことと同様の 軍事力行使について検討した491。2003年5月に行われた米韓首脳会談で合意された文書に は、北朝鮮の核開発への対応として「更なる手段」(further steps)という文言が盛り込ま れたが492、明らかに軍事手段を念頭に入れた言葉であった。
さ ら に 米 韓 首 脳 会 談 と ほ ぼ 同 じ 時 期 、 米 政 府 は 「 拡 散 に 対 す る 安 全 保 障 構 想 」
(Proliferation Security Initiative, PSI)を打ち出した。この構想は大量破壊兵器の拡散に 対する海上での多国間の共同取り締まりを目的とするものであった。同構想は9.11事件の 影響も強く、いわゆる「悪の枢軸」に該当するイラン、イラク、北朝鮮を含むテロ組織や テロ支援国家に対する取締りが主な役割とされた493。
前のクリントン政権も北朝鮮に対する先制攻撃を含む軍事的制裁を検討し、北朝鮮がこ れに反発したことによって「第 1 次核危機」が形成されたが、当時と類似した形で「第 2 次核危機」が形成されつつあった494。むしろ今回の情勢は過去より深刻であるかにみえた。
489 参照、金民雄「北朝鮮核問題の本質」岩波書店『世界』2003年1月号、195-197頁。
490 『読売新聞』2002年11月15日付夕刊。
491 Center for Defense Information, “Stand-off with North Korea: War Scenarios and Consequences”, http://www.cdi.org/north-korea/north-korea-crisis.pdf(2008年9月)。
492 両首脳は、「平和的手段」や「国際協調」を通じた問題解決を強調したが、その一方で、場合によって は「更なる手段」(further steps)も辞さないことをも言及したのである。参照、韓国統一部、Korean U nification Bulletin, No.55, May 2003.
493 PSIの背景や概要、これまでの経緯などについては、次のサイトを参照されたい。外務省, http://www.
mofa.go.jp/Mofaj/gaiko/fukaku_j/psi/psi.html(2008年8月)。
494 PSIは、日本では時折「有志連合」として訳されるが、その言葉どおり、国際法的な根拠があるわけで
はなく、アメリカを中心とした国際協力レジームといえる。しかし第4章で述べたように、この種の制度
(組織、グループなど)が公海上において他国に制裁を加えることは、主権に対する侵害の恐れがあること も事実である。同時に、このような動きが活発になりつつある背景には、アメリカが国連などの既存の国
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2003 年 5 月に発表された武貞秀士の論文によれば、「米国が軍事的手段をとる可能性は 1994 年当時より大きい」とし、その理由について、1.同時多発テロを経験した米国世論 が大量破壊兵器の拡散に厳しくなっていること、2.軍事技術の発達により、目標物だけ破 壊できるようになったこと、3.HEU計画は枠組み合意を有名無実化したことの根拠を取り 上げた495。
「第2次核危機」の背景には、ブッシュ政権が北朝鮮との関係正常化の反対だけではなく、
北朝鮮政権そのものを強く否定する政策関係者によって構成されたことに起因する。その ため、同政権発足とともに関係の敵対性の色合いを鮮明に打ち出したことは当然ともいえ るが、HEU計画はそれまでの対北朝鮮政策を転換するための口実、名分を与えた。ロナル ド・スティール(Ronald Steel)は、歴史上のアメリカの名分作りについて、次のように分 析した。
米国の外交政策エリートたちの業務はほかの民主国家の場合よりもよっぽど難 しい(中略)…米国が対外紛争に介入する場合、このような介入を合理化できる 正 当 化 作 業 を 経 な け れ ば な ら な い 。 外 交 政 策 の 正 当 化 作 業 は 、 対 外 国 益
(self-interest)、利他主義(altruism)、イデオロギーなどによって成せる。韓国 戦、ベトナム戦などのようにクーデター工作、ニカラグア、アンゴラなどのよう な代理戦などはすべてこのような正当化作業を経た。正当化する名分があまりな いときには、様々な新しい論理が開発された496
当時のブッシュ政権は2003年にはイラク戦争を推し進めたが、戦場をさらにアフガニス タンへと移動しつつあった。ブッシュ政権の名分作りは、北朝鮮を次のターゲットとして 考慮したのである。ただしブッシュ政権は、クリントン政権同様に明確な根拠を持たなか った。