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輸入代替政策に対応する日本企業の動き

ドキュメント内 博士論文 (ページ 58-63)

第三章 ASEAN 進出の再開と輸入代替政策への対応(戦後~1971 年)

3.4 輸入代替政策に対応する日本企業の動き

寺西重郎ら(2008)によると ASEAN諸国における工業化過程には一定の共通性が 見られる。1950~1960 年代半ばにかけては、各国では農産物・鉱山物を主な輸出 品としながら、軽工業製品の輸入代替が進められた60

また、吉原久仁夫(1995)によれば、「ASEAN諸国が工業化のために採用した戦略 は、国によって程度の差こそあれ、一様に輸入代替に力点を置くものであった。こ の輸入代替工業戦略は、輸入数量統制や高関税、外国為替管理などの輸入制限政策 を用いて輸入製品を規制し、その結果生まれた国内市場に向けて、外資を含む国内 企業による生産を次々と開始しながら、輸入を国内生産によって代替していくとい う方法である61。」

また、吉原は、「輸入代替される財が、まずは消費財などの最終製品であり、素 材、中間財、資本財を輸入して、それを最終製品に加工し、国内市場に供給する。

次いで、最終製品の輸出、そして中間製品、素材、資本財の国内生産を次々に開始 するという工業化の順序が想定された」とした。この工業化戦略は 1930 年代にア

59 小島清『日本の海外直接投資』(文眞堂、1985年)、pp.22-23。Kojima. K. (1978).Direct foreign investment: a Japanese model of multinational business operations, London:

Croom Helm参照。

60 寺西重郎・福田慎一・奥田英信・三重野文晴『アジアの経済発展と金融システム(東南 アジア編)』(東洋経済新報社、2008年)、p.18。

61 吉原久仁夫『東南アジアの経済』(弘文堂、1995年)、p.5。

ルゼンチン、ブラジル、トルコなど当時独立国であった発展途上国が採用した開発 戦略と同様であった。

図表3-7 タイにおける自動車輸入関税率

(単位: %)

車種

1962 1969 1978

CKD CBU CKD CBU CKD CBU

乗用車 30 60 50 80 80 150

ピックアップ・トラック 20 40 40 60 40 80

トラック 10 20 30 40 30 40

注: CKD (Completely knock-down), CBU(Completely Built-up Unit)

出所: 末廣昭『タイの経済政策―制度・組織・アクタ―』(アジア経済研究所、2000年)、p.136。

この時期に工業化の主役を演じたのは、外国企業と華人系企業であった。ASEAN 諸国では一般に工業化を担う企業家が十分育成されていなかったので、外国企業と 比較的蓄積をもつ華人系企業との合弁という形態をとることが多かった。華人系企 業が合弁事業のパートナーとして選ばれることが多かった理由はほかにもある。輸 入代替生産が国内市場向けの消費財を中心に行われたため、ASEAN で従来からこ れら商品の輸入、販売を行い、当該商品の流通網を実質的に握っていた華人系企業 が合弁のパートナーとして選ばれることが多かったという事情もある。

華人系企業に関連して、例えば、タイトヨタでは、1980年半ばまでに、タイ全土 で 64 店のディーラーを有し、オーナーはいずれも中国系タイ人であった。これら のオーナーは商才に長けた地元の有力者や資産家が多く、バンコク銀行などの地元 の金融機関の推薦や、タイトヨタの幹部が直接発掘したもので、資金援助や経営指 導を通じて育てていった62

このような輸入代替政策は、工業完成品、特に消費関連財の輸入関税の引き上げ、

輸入数量規制などの措置を講じたため、日本企業は既存市場を確保するために、

1960年代に入り日本からの製品輸出に代わる原材料・部品の輸出を行うという目的 で現地生産を行うに至った。こうして日本企業の主導のもとにASEANに設立され た企業は、綿紡績、家庭電器、毛織物、食品、自動車組立などASEANにすでに流 通網ができているもの、資本が少なくてもすむもの、高度の技術を要しないものが 中心であった。

日本企業にとってASEANはこれらの商品の有力市場であったので、各国の完成

62 川邉信雄『タイトヨタの経営史-海外子会社の自立と途上国産業の自立-』、p.61。

品の輸入規制に対処するため、あるいは各国の所得増大にともなって創出される新 需要に対応して、最終工程に近い一部の工程、あるいは市場に最も近い市場のニー ズに即応しなければならない工程を移植し、これに対して機械設備、原材料部品な どを提供するという体制を整えた。

これは日本企業が完成品輸出によって確保した市場を維持するという利点だけ でなく、日本政府が輸出企業に与えた各種の恩典を継続して享受し、さらに原材料、

部品の国内生産にスケール・メリットを見出すという点で経営面に貢献するもので あった63。例えば、いすゞ自動車が大型トラックのタイ国内販売を拡大するために、

1963年11月に三菱商事とともに行った組立工場の建設がある64

図表3-8 日本の対ASEAN5直接投資推移(1965~1971年)

(単位: 100万、件)

出所: 日本貿易振興機構「直接投資統計」

(http://www.jetro.go.jp/world/japan/stats/fdi.html)より作成(2015/5/25)。

このようにして、1970年ごろまでに日本企業は、ASEANへの第一次投資ブーム を迎えた。日本の対 ASEAN5 への直接投資額推移を見ると、1968 年には金額が 6,000万ドルで前年度比18.9%減少した後、1969年には前年比25%増の7,500万ド ル、1970年には同 52%増の 1億1,400万ドルと初めて1 億ドル台を突破した。そ して、1971年には前年比34%増の1億5,300万ドルに達した。投資件数で見ても、

63『東南アジアの近代化と日本』(早稲田大学社会学研究所、研究シリーズ 419738) p.136。

64『三菱商事社史』、p.335。

1965年にはわずか25件であった。その後毎年増加した。1971年には1965年に比 べて、約5.6倍増の163件になった。

国別で見ると、1965年から1971年にかけて日本の対タイ、マレーシア、シンガ ポール、フィリピンへの直接投資額推移はフィリピンの 1970 年を除いて、すべて

2,000万ドル以下にとどまっていた。それに対して、インドネシアの直接投資額は、

1967年に 5,200 万ドルに達した後、1968年には若干減少したものの、4,000 万ド ル以上を維持し、その後一貫して拡大した。

さらに、対インドネシア投資は 1971年に入ると、前年度比128%増の1億1,200 万ドルと1億ドル台を突破した。それは、石油などの大型資源開発投資案件があっ たためと考えられる(図表3-8及び3-9参照)。

図表3-9 日本の対 ASEAN5直接投資推移(国別) (1965~1971年)

(単位: 100万ドル)

出所: 日本貿易振興機構「直接投資統計」

(http://www.jetro.go.jp/world/japan/stats/fdi.html)より作成(2015/5/25)。

一方、国内市場確保による輸入代替政策は、ASEAN 諸国の工業化に一定の貢献 をしたものの、同時に伝統部門や輸出部門が停滞することにより、輸入代替生産の マーケットを狭め、規模の経済の実現を遅らせた。また、輸出の停滞と消費財、原 材料の輸入増加は、国際収支を悪化させ、それがさらに強力な輸入抑制措置を招く という悪循環をもたらすなどの経済に様々な歪みをもたらした。

例えば、タイの場合 1960 年代は輸入代替工業化政策が採られ、消費財や重化学 工業製品などの製品輸入に代替する国内産業が奨励された。しかし、輸入代替工業

化政策は、高関税による国内産業保護の影響による産業の非効率化、為替の過大評 価による中間財・原材料、資本財の輸入増加を招き、貿易収支が大幅に悪化するこ ととなった。1962年には同国の貿易赤字が19億8,000万バーツであったのに対し、

1970年には122億2,000万バーツに拡大している65

このため、ASEAN諸国はのちに工業政策の転換を迫られることになり、1970年 代初頭までに従来の輸入代替工業政策の修正を余儀なくされることとなった66。新 しい政策は、輸出促進政策であるが、この政策はアジアNIES(新興工業経済群)の輸 出志向型工業化の成功から大きな影響を受けたことも否定できない67

上述のような ASEAN 諸国の工業政策に対応するために、「戦後の松下電器の対 東南アジア進出はタイに始まり、1970年代前半までに、マレーシア、フィリピン、

インドネシア、ベトナムに対して行われ、各法人が現地資本との共同出資で設立さ れた。こうした展開に見られる特徴は、受入国の輸入代替工業化政策に対応して、

日本からの製品輸出が現地生産に切り換えられており、しかも進出後は当該市場が 狭隘なこともあり、比較的短時間に一つの生産拠点で現地生産品の多角化が進めら れ、さらには漸次、代理店販売から松下電器自身の出資による現地販売会社の設立 に移行させるか、あるいは当初から販売会社方式でもって、現地生産品の販売活動 にも着手していったことである68。」

図表3-10 ASEAN 諸国の輸入構造の変化

(単位: %)

国別 消費財(食料) 原料 資本財

インドネシア 1960 45 (23) 28 27

1970 27 (15) 26 48

マレーシア 1960 45 (24) 36 19

1970 35 (18) 31 35

フィリピン 1960 27 (15) 27 46

1970 16 (10) 39 46

タイ 1960 39 (8) 23 38

1970 23 (4) 31 46

出所: 吉原久仁夫『講座 東南アジア学-東南アジアの経済-』第八巻(弘文堂、1991年)、p.246。

65『アジア中小企業の現状に関する調査研究(タイ編)』通巻番号66号(財団法人中小企業総 合研究機構19993)p.17

66 インドネシア政府は、1980年代に輸入代替工業政策を輸出志向型工業政策に移行した。

67「自由な貿易・投資がつなぐ先進国と新興経済」『年次世界経済報告』(経済企画庁、1994 年)(http://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/wp-we94/wp-we94-00302.html)(201 5/5/3)参照。

68 藤田順也「戦後の日本企業の対東南アジア進出と合弁経営-タイにおける松下電器産業 を中心に-」、pp.73-74。

図表3-11 1972年における日系製造業現地法人の売上の仕向地域別 (単位: %) 北米 ヨーロッパ アジア インドネシア マレーシア シンガポール タイ 現地 42.9 67.6 62.4 96.0 87.3 62.5 93.9 第三国 24.2 29.9 30.9 0.1 4.8 32.2 5.5

日本 32.9 2.6 5.8 3.9 7.8 4.9 0.6

出所:『第3回調査我が国企業の海外事業活動』(通産省、1974年)、p.44。

図表3-12 1972年における仕入高の調達先別の割合(製造業)

(単位: %) 北米 ヨーロッパ アジア インドネシア マレーシア シンガポール タイ 現地 76.8 27.9 32.6 6.8 40.1 15.9 26.4

第三国 0 4.9 15.8 15.3 19.1 36.9 17.6

日本 23.2 67.2 51.6 77.8 40.9 47.2 56.0 出所:『第3回調査我が国企業の海外事業活動』、pp.49-50。

ドキュメント内 博士論文 (ページ 58-63)