第七章 グローバル金融危機、自然災害と新たな展開(2008 年以降)
7.1 グローバル金融・財政危機、為替レートの変動
第七章 グローバル金融危機、自然災害と新たな展開
では、リーマン・ショックが、日本経済と企業にどのような影響を与えたのか、
考察しよう。小峰隆夫(2010)は、「直接的な影響を受けた震源地であるアメリカより も、間接的な影響を受けた日本経済の方が落ち込みの程度が大きかった」と主張す る4。
まず、落ち込みの程度はどうか。アメリカでは、リーマン・ショック直後の2008 年10~12月期の実質 GDPの前期比年率成長率はマイナス 5.4%、2009年1~3月 期はマイナス6.4%であった。これに対して、日本は2008年10~12月期が実にマ イナス10.2%、2009年1~3月期はさらにマイナス11.9%も落ち込んだ。この日本 の落ち込みは、四半期ベースで戦後最大の落ち込みであった。次に GDP のレベル を見よう。2009年7~9月期の実質 GDPのレベルを、2008年7~9月期を100と して比較してみると、アメリカは97.5に対し日本は95.3 である。つまり、アメリ カの経済活動レベルはリーマン・ショック当時を2.5%しか下回っていないのに、日 本は4.7%も下回ったのである5。
その主な要因として、小峰隆夫は、二つの要因を考え、在庫調整と、設備投資の 加速度原理の作用に注目した6。在庫調整については、需要の突発的な減少が大き いほど、そして生産サイドがその落ち込みを把握する時期が遅いほど、生産の落ち 込みは大きなものとなる。
設備投資の加速度原理の作用については、企業の生産能力増強投資は、需要の伸 びに比例するのではなく、最適設備ストックの増加に比例するというのが加速度原 理の考え方である。最終需要が減少すれば、最適設備ストックは減少するので、能 力増強投資はゼロとなる。この場合も、需要の減速以上に設備投資の減速が起きる のである。かくして、需要の減少はアメリカで、設備投資は日本で行われると考え ると、日本の設備投資がアメリカにおける需要の減少以上に大きく落ち込むという 現象を説明することができる。
リーマン・ショックによる世界経済危機は、シンガポール、タイ、日本、韓国を 含むアジア諸国の経済のみに影響を与えたわけではなく、ヨーロッパにおいても厳
『経済志林』第77巻3号(2010年3月)、pp.5-24。
4 同上、p.6。
5 同上。
6 同上、p.8。
しい状況をもたらした。
久貝卓(2010)によれば、「2008 年秋米国で起きたいわゆるサブプライム問題に端 を発するリーマン・ショックは、世界的な金融危機を引き起こし、欧米に依存する 日本をはじめとするアジア諸国の経済に大きな打撃を与えた7。」平田純一 (2011) は、「21 世紀に入って以降、経済関係が緊密になっている ASEAN、中国をはじめ とする東アジア諸国からの迂回輸出も停滞し、日本の輸出はこの経路を通しても急 激に減少したのである8。」他方、久貝卓は、「世界経済の停滞が長引く中で、リー マン・ショックの処理の進んだASEANとリーマン・ショックの影響をあまり受け なかった中国などの新興国の経済は、総じて順調に拡大を続けている。このため、
日本企業は、低迷する国内市場からアジア・新興国市場に経営資源をシフトして一 層の事業拡大を図る傾向にあり、新たに生産・販売ネットワークを構築する必要が 生まれてきたと考えられる9。」
7.1.2 為替レートの変動と日本企業海外投資の変化
2008 年 9 月のリーマン・ショックをきっかけに、一層の円高が進行した。行き 場を失った投機マネーが経常黒字国である日本を安全な投資先と見なし、外国為替 市場において円買いに流れた10。
2011 年 3 月 11 日の東日本大震災後、実効為替レートを見ると、円については、
ドルやユーロ、ウォンと比較して急激な通貨高傾向にあった。市場では急激な円高 が進んでいった11。一時は(2011 年 3 月 17 日のニューヨーク外国為替市場では)1 ドル76円25銭程度をつけて史上最高値を更新し、その後、79円前後で推移した。
3月18日にはG7の財務相・中央銀行総裁は、緊急の電話協議で、円高に対する協 調介入を決定し、ひとまず為替レートは、1ドル81円台に戻した。
大地震や原発事故は、日本経済に大きなダメージを与えたことから、本来ならば 円安傾向に為替相場は推移するはずであり、円高が進むのは一見、不可解である。
経済産業研究所の研究員である小林慶一郎(2011)は、「これは、『被災した日本企業
7 久貝卓「リーマン・ショック後の企業の知財活動に関する調査から(集計結果概要)」(経 済産業研究所、2010年7月27日)、p.1。
8 平田純一「日本経済の今後を再考する上で-1980年代以降の推移と現状の評価-」『社 会システム研究』22号(2011年3月)、p.194。
9 久貝卓「リーマン・ショック後の企業の知財活動に関する調査から(集計結果概要)」、p.1。
10 平田純一「日本経済の今後を再考する上で-1980年代以降の推移と現状の評価-」、
p.196。
11 経済産業研究所「平成22年度ものづくり基盤技術の振興施策(概要)」(2011年10月)。
が復興資金を入手するため外貨建て資産を売って円を買うであろう』という思惑か ら海外の投機家が円買いに走っていることが一つの原因と見られる」とした12。
為替は、輸出企業の想定を上回る勢いで円高傾向に推移した。経済産業省「現下 の円高が産業に与える影響に関する調査」によれば13、製造業分野の大企業が想定 する為替レートは、1ドル80円前半が最も多く、85%を占めた。対ドル・レートで 1円円高が進むと営業利益の減少額は1億円~10億円未満になるとの予想が最も多 く、46%を占めた。一方、ユーロに対する想定為替レートは、1ユーロ110円~115 円未満が最も多く、63%を占めた。対ユーロ・レートで 1円円高が進んだ場合の営 業利益の減少額は、1億円~10億円未満の予想が最も多く、50%を占めた14。
また、対ドルの円高により、7 割以上の企業が「深刻な減益」または「多少の減 益」と回答した。例えば、1ドル76円の為替レートで企業の15%が「深刻な減益」、
そして、1ドル76円の為替レートが半年以上継続した場合には、企業の 32%が「深 刻な減益」と答えている。つまり、1ドル 76 円のレートが半年以上継続した場合 は、「深刻な減益」となる企業がさらに増加する。その減益となる理由は、「海外で 他国企業との競争が激化するため」、との回答が最も多く、61%を占めた。
経済産業省の同調査によれば、急激な円高の対策として、企業の海外移転が一層 促進される可能性が高まった15。それゆえ、経済産業研究所(2011)では、至近の円 高傾向は、日本の製造業による海外企業へのM&Aにとっては追い風となると思わ れた16。
史上最高値となる1ドル 76 円まで円高が進み、これが日本経済を直撃した。日 銀が円安誘導を目論み為替介入に踏み切ったが、2013年までに依然超円高水準を維 持し続けていた。急速な円高の進行はサプライチェーンの中核を担う素材・部品分 野の海外移転を加速し、ものづくり産業の国内雇用の機会の喪失や国内産業空洞化 などが懸念されるようになり、このため雇用の確保に向けた早急な対応が求められ
12 小林慶一郎「大震災に立ち向かう-大震災後の経済政策のあり方-」(経済産業研究所、
特別コラム、2011年3月18日)(http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0306.html)。
13経済産業省「現下の円高が産業に与える影響に関する調査(大企業・製造業編)」(2011年 9月)。本調査は、2011年8月22日~8月26日に、対象は、大企業製造業61社である。
14 当時の為替レートは1ドル=77円06銭(最安値: 8月26日)~76円63銭(最高値: 8月24 日)
15 経済産業省「現下の円高が産業に与える影響に関する調査(大企業・製造業編)」(2011 年9月)。
16 経済産業研究所「平成22年度ものづくり基盤技術の振興施策(概要)」(2011年10月)。
るようになった。
2013年以降は、第二次、第三次安倍内閣がアベノミクスを掲げてデフレーション 克服、インフレターゲットを設定し、大胆な金融緩和措置を講ずるという金融政策 を表明したことから、円はドルやユーロに対して徐々に下落している。2014 年 12 月4日には、ニューヨーク外国為替市場で円安ドル高が進行し、1ドル=120円台を 記録し、2007年8月以来の円安・ドル高水準となった。
日本の対外直接投資は、2008年秋に起きた米国発金融危機(リーマン・ショック) の影響により、2009 年度には前年度比 42.9%減の 746 億 5,000万ドルであった。
2010年に入っても回復できず前年度比23.3%減の572 億2,300万ドルと 2年連続 で減少した。しかし、2011年から回復に転じ、2013 年の日本の対外直接投資(国際 収支ベース、ネット、フロー)は3年連続で増加し、前年比 10.4%増の1,350億4,900 万ドルとなった。同投資額はこれまでのピークの2008年(1,308億100万ドル)を上 回って5年ぶりに過去最高を更新した(図表7-1)。
図表7-1 2008年以降、国・地域における日本の投資額推移
(単位: 100万ドル)
年度 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2008~2013
世界 130,801 74,650 57,223 108,808 122,355 135,049 628,885
北米 46,046 10,889 9,016 15,166 35,768 46,505 163,388
米国 44,674 10,660 9,193 14,730 31,974 43,703 154,934
中南米 29,623 17,393 5,346 11,287 10,454 10,197 84,300
欧州 23,068 17,830 15,043 39,841 31,017 32,227 159,026
EU 22,939 17,039 8,359 36,052 29,023 30,999 144,412
アジア 23,348 20,636 22,131 39,492 33,477 40,470 179,554
タイ 2,016 1,632 2,248 7,133 547 10,174 23,749
シンガポール 1,089 2,881 3,845 4,492 1,566 3,545 17,418 インドネシア 731 483 490 3,611 3,810 3,907 13,033 マレーシア 591 616 1,058 1,441 1,308 1,265 6,280 フィリピン 705 809 514 1,019 731 1,242 5,020
ASEAN5 5,132 6,421 8,156 17,696 7,963 20,132 65,501
ASEAN10 6,309 7,002 8,930 19,645 10,675 23,619 76,179
中国 6,496 6,899 7,252 12,649 13,479 9,104 55,879
インド 5,551 3,664 2,864 2,326 2,802 2,155 19,362
出所: 日本貿易振興機構『世界貿易投資報告』2013年版と2014年版より作成。
増加の主因は、日本企業と海外子会社・関連会社との間の資金移動などが増加し たことである。これに加え、日本企業による新規の海外進出や既存海外事業の強化、
海外企業の買収の増加が全体の金額を押し上げた。
次に、日本の対外直接投資を国・地域別に見ると、2013年に主要地域別では、北 米、アジア、欧州の3地域で日本の対外直接投資全体の約9割を占めた。
米国向けは 2009 年度の106 億 6,000万ドル(前年度比 76.12%減)、2010年度の
90億1,600万ドル(前年度比17. 2%減)で、2年連続で減少傾向が続いていたものの、
2011年から回復に転じ、2013年には465億500万ドルに達し、金融危機前の2008 年の460億4,600万ドルを上回った。
また、EU向けは、2009年には前年比 25.72%減の 170 億390 万ドルであった。
そして、2010年に入ってヨーロッパの財政問題で、日本からの投資が前年比50.9%
減の83億5,900万ドルへと急減している。2013年には欧州向けの直接投資は前年 比 3.9%増の 322 億ドルにとどまった。欧州債務危機の影響で日本からの投資は横 ばい傾向が続いている。国別では、英国向けの投資額が12.1%増の133億ドルとな っているのが目立っている。
一方、アジア向け投資は、金融危機の影響を受けて、2009年度に前年度比11.6%
減の 206 億ドルであった。しかし、2010 年度に入り、増加に転じ、7.2%増の 221 億3,100万ドルに回復した。
ASEAN ではシンガポールとインドネシアがいち早く回復を示した。シンガポー
ルは、2008年には金融危機の影響を受けて2007年比で69.5%の減少を記録したが、
2009年第2四半期から増加に転じ、54.0%増の168億ドルに回復した。さらに2010 年に入り、国内経済の急回復を受けて、第1四半期の直接投資は前年同期比で約3.5 倍となった。2009年は41.5%減であったインドネシアも、2010年第1四半期は前 年同期比35.2%増と持ち直している。
2013 年にはアジア向けの投資額も 20.9%増の 405 億ドルと大きく伸びた。国別 ではタイへの投資額が102 億ドルと、前年比 18 倍の急増を遂げた。この結果、タ イが中国を上回り、日本にとってアジア域内で最大の投資受入国となった。
対タイ投資額は洪水の影響で2012年に前年比9割減の5億ドルまで落ち込んだ。
しかし、2013年には洪水関連の一時的な変動要因が解消され、輸送機器分野を中心 に先送りしていた投資案件が実行された。マツダとホンダはトランスミッション工 場(約260億円)、自動車工場(446億円)の新設をそれぞれ発表した。また、三菱東京 UFJ 銀行が12 月にアユタヤ銀行を53億ドルで買収しており、これもタイ向け投 資額急増の一因と見られる。
2013 年には、タイ以外の ASEAN 各国では、シンガポール(126.4%増)とフィリ ピン(69.8%増)への投資額が急増をした。シンガポールは運輸や不動産業、フィリピ ンは電気機械などが伸びに寄与した。タイ、シンガポール、フィリピン向けの投資