第三章 ASEAN 進出の再開と輸入代替政策への対応(戦後~1971 年)
3.5 小括
図表3-11 1972年における日系製造業現地法人の売上の仕向地域別 (単位: %) 北米 ヨーロッパ アジア インドネシア マレーシア シンガポール タイ 現地 42.9 67.6 62.4 96.0 87.3 62.5 93.9 第三国 24.2 29.9 30.9 0.1 4.8 32.2 5.5
日本 32.9 2.6 5.8 3.9 7.8 4.9 0.6
出所:『第3回調査我が国企業の海外事業活動』(通産省、1974年)、p.44。
図表3-12 1972年における仕入高の調達先別の割合(製造業)
(単位: %) 北米 ヨーロッパ アジア インドネシア マレーシア シンガポール タイ 現地 76.8 27.9 32.6 6.8 40.1 15.9 26.4
第三国 0 4.9 15.8 15.3 19.1 36.9 17.6
日本 23.2 67.2 51.6 77.8 40.9 47.2 56.0 出所:『第3回調査我が国企業の海外事業活動』、pp.49-50。
をはじめ、「賠償に伴う経済協力」「政府ベースの信用供与」その他、有償・無償の 国家資本輸出が推進され、日本企業のASEAN進出の基盤づくりが行われた。
もう一つの特徴としては、総合商社の果たした役割である。この時期、日本の外 国貿易は、ほとんど旧9大財閥を通して行われた。例えば、前に述べてきたように、
三菱商事一社だけで、日本全国輸出入総額の1割以上を占めている。一方、日本か ら機械類、金属品、化学、繊維製品などを輸出し、外国からは原材料や中間財を輸 入した。このように、日本のASEAN貿易は、工業製品を輸出し、一次産品を輸入 するといった形をとったのである。
総合商社は、単に輸出入の貿易活動を行っていることだけなく、ASEAN 諸国へ の投資についても重要な役割を果たし、商社との合弁形態をとってASEAN諸国に 進出する製造業者のケースも少なくないのである。日本製造業のASEAN進出には、
総合商社がオルガナイザとして、日本メーカーと現地企業を結合させた「3 人4 脚 型合弁企業」を主要な形態とするものが多かった。
それは、戦後新局面が展開する中で、海外進出に関するノウハウなどほとんど持 たなかった日本製造業は、商社の助けを借りてはじめて海外進出が可能となった。
資金面での融資や借入も、その多くを商社に依存していた。したがって、多くの場 合、日本での取引関係や系列関係に引きずられて、それと密接に関係した商社が製 造業と並行して進出したのである69。
一方、トヨタ自動車や松下電器などのように、総合商社への依存を極力避け、
ASEAN に進出した日系製造業もあった。その理由は、商社を利用する場合は販売
網の整備や情報収集などにおいて短期的な市場確保に長けていたことに対し、トヨ タや松下のように自社特有のマーケティングや製品の性能についての情報フィード バックやアフター・サービスに重点を置く場合は中・長期的な市場確保に向いてい たことであった。
そして、ASEAN 諸国が輸入代替政策をとり始め、日本からの輸出は規制される ようになった。そのASEAN諸国政府の政策に対応するため、最終工程に近い一部 の工程、あるいは市場に最も近い市場のニーズに即応しなければならない組立工程 を移植し、これに対して機械設備、原材料部品などを提供するという体制を整えた。
また、一部の日本製造業企業はタイなどの有力市場で現地生産し始めた。このよう
69 小林英夫『戦後アジアと日本企業』(岩波書店、2001年)、pp.72-73。
にして、1970年ごろまでに日本企業は、ASEANへの第一次投資ブームを迎えたの である。