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第 3 章 研究の結果

① 藤井看護師の臨床的自律性

a. がんを患う気難しい患者の意向に合わせた関わりによる医師の指示を先取りした 食事箋変更と代替食持ち込みの勧め

藤井看護師は、検温において朝食摂取量を尋ね、松沢さんから不快感を覚える献立につ いて訴えを引き出すことができ、ここから時間をかけた長いやり取りが始まった。そうし て藤井看護師は、炒め物と焼き魚を出さないよう病院食事箋を変更することとなった。

患者の希望や訴えにより、病院が用意する献立のいくつかをその食事箋からはずすとい うことは、多くの看護師によって日常的に行われている。だがここでの藤井看護師は、松 沢さんの発言によって、単に病院食事箋の変更を決定しただけではないように思われる。

藤井看護師は、松沢さんについて、味覚が変わってしまったと入院の日からずっと言って いたと言い、以前のように食事が摂れなくなったことを気にしているようだと述べている。

このことから藤井看護師は、がんを患う松沢さんの病いの苦悩に配慮し、思い遣っている ことが伺われる。そのため藤井看護師は、松沢さんに対して自分ができる看護ケアは何か と模索していたのではないだろうか。その彼が、いくつかの献立に不快感を覚えることを 知り、藤井看護師は、そうした不快感を積極的に回避することを目指し、食事箋の変更を 意思決定し、実施したのだ。従ってここには、がんを患う松沢さんを思い遣り、看護ケア を提供したいという藤井看護師の明確な意図があったといえる。

また、藤井看護師は、家族は何か持ってきてくれるのかと松沢さんに聞いている。藤井 看護師は、松沢さんが一家で会社を経営していることを知っており、家族が入院中の松沢 さんの食事に配慮し、代替食を差し入れることが可能なのかという心配もあっての質問で あった。松沢さんは持ってきてくれると応え、そして以前の入院のときは自由だったのだ と、わが意を得たりというように発言している。こうして藤井看護師は、松沢さんが自分 で選択した代替食を持ち込むよう勧めるに至ったのである。

特定の献立を病院食事箋からはずしたことによってその選択肢が狭まるため、代替食の 持ち込みを勧めることもまた、多くの看護師が思いつく対策である。だが藤井看護師の行 為は、単純な代替案として食品の持ち込みを勧めたのではなく、この背景にもまた、がん を患う松沢さんの苦悩への配慮があった。藤井看護師は、松沢さんの「抗がん剤のあれ、

やった人じゃないとわかんないよ。」という発言に対して、自分には抗がん剤治療の辛さは わからないが、あのときは自分に感情をぶつけてきたわけではないと思うし、逃げたいと は思わないと語っている。このことから藤井看護師は、松沢さんの苦悩を具体的にわかる ことはできないのだが、逃げることなく真摯に受け止めようとしていることが伺える。

藤井看護師は一方で、今回の入院目的は発熱に対する治療であり、必要とされる食事制 限は設けられてはいないとする科学的根拠に基づく判断をしていた。つまり藤井看護師は、

松沢さんが、抗がん剤治療により特定の食品に不快感を覚えることを理解し、それゆえ病 院食に拘束されることなく、彼自身で食品選択することにより、少しでも食事摂取が進む こと、そして解熱治療のための体力維持を目指し、代替食の持ち込みを考えたのである。

松沢さんが、「だって、前はフリーパスだもん」と、やや語調を強めて言ったのは、藤井看 護師の提案が、まさにそのとき、彼の意に適っていたことを示している。

現行日本における入院患者の食事内容は薬剤処方に準じており、医師により食事(処方)

箋として指示が出される。これによれば、松沢さんが不快感を覚える食品を病院の献立か らはずす食事箋の変更、そして彼に代替食持ち込みを勧めるという藤井看護師の行為は、

医師の指示に先んじたことになる。藤井看護師が、一応先生に聞いてみる、と発言してい たのは、このことを認識していたためである。

藤井看護師は、松沢さんはリピーターで、言いたいことをはっきり言う、気が強い、と 述べており、Ⅱ-D病棟の多くの看護師たちと同様、彼が急に八つ当たりを始め、怒鳴った りすることは知っていただろう。実際、藤井看護師は、松沢さんの部屋を訪問した時点で

は、緊張を隠せなかったようだ。だが、松沢さんとの間では、単なる日課業務として必要 事項を知るためだけのやり取りとしてではなく、藤井看護師は、彼の発言を聞き流すこと なく、そのひとつひとつに注目して応答していた。その背景には、前述のように、がんを 患ってきた松沢さんの苦悩への配慮があった。こうした向き合い方は、急に怒鳴ったりす る彼を敬遠するといったあり方を超えて、その苦悩に配慮し、なんとか看護ケアを提供し ようとする姿勢であり、そこで通常行われている標準的な看護実践を超えている。このよ うに、がんを患う気難しい松沢さんの話しを聴き、その意向に合わせ、医師の指示を先取 りした食事箋変更と代替食持ち込みの勧めには、藤井看護師の臨床的自律性が発揮されて いる。そしてこれは、自律的看護実践ということができる。

② 自律的看護実践の特徴的要素

a. 患者の言動に引っ掛かりを持てるアンテナの高さ

<自律的実践の展開契機:必要条件>

藤井看護師が、朝食摂取について尋ねると、松沢さんは、「うん、食べられる。たいてい もう、半分は食べられる。」と応えていた。一般的なやり取りでは、ここで“松沢さんの朝 食摂取量は2分の1であった”と受け取られ、そのまま通り過ぎてしまうことが多い。な ぜなら、単に看護業務遂行上の日課として検温が行われるのであれば、看護師は、バイタ ルサインの測定値や患者から必要な応えを得ることに集中するため、何気なく発せられた ように見える患者の発言の意味までを、そこで探ろうとすることはむしろ少ない。しかし 藤井看護師は、「じゃあ朝も半分ですか?」と、聞き直している。松沢さんは、食べられた ではなく、食べられると応えており、これには、藤井看護師が聞きたかった応え以上の意 味が含まれていることが伺える。また、松沢さんが「たいてい、半分は」と言ったのは、

彼にとって平均的な食事摂取量を指す表現であり、一方藤井看護師は、この日の実際の朝 食摂取量を尋ねたかったのである。藤井看護師は、松沢さんの言う平均的な食事摂取量か ら“今朝も半分だった”という解釈を加え、自分の中で置き換えることも可能だったであ ろうが、そのようにはせずに松沢さんにきちんと確かめている。

藤井看護師は、自分の質問と松沢さんの応えとがぴったりと整合していないことをやり 過ごすことなく、そこに何かを感じたのではないだろうか。松沢さんのこうした発言の仕 方に、藤井看護師は引っ掛かったのだと思われる。そしてこの引っ掛かりによって、藤井 看護師は、この後に続く松沢さんとの食事に関するやり取りへと発展させていったのであ る。この意味で、藤井看護師の松沢さんの発言への引っ掛かりは、その言動の奥にある意 味をとらえようとする高いアンテナ、言い換えれば看護的感性として、ここでの自律的看 護実践が展開していくための契機となっていた。そしてこの展開契機は、藤井看護師の臨 床的自律性が発揮されるために不可欠な必要条件ということができる。

b. 相手が自分から話し出す聴き方、聴いていることが伝わる関わり、‘関わりのスキ

ル-その1’ <自律的看護実践の展開方法:必要条件>

朝食摂取量に関するやり取りにおいて、松沢さんが、「今日は嫌いなのが 2 点あったか ら、それだけ。他のやつは全部食べた。」と言うと、藤井看護師は、復誦することにより相 槌していた。松沢さんの発言によれば、嫌いな2点それだけは残したのであり、正確には 出された朝食を全て摂取したわけではない。だが藤井看護師は、嫌いな2点とは何である かといった質問はせず、つまり自分の思いや考えを述べたり理屈を言ったりせず、松沢さ んの発言を肯定的に聴いていた。

また藤井看護師は、松沢さんがさらに、朝食に出された食品について発言したとき、そ のひとつひとつを黙って聴いており、ここでも口を挟まずにいた。この口を挟まないこと、

即時的な発言をしないことは、相手の話しを中断させることがないため、相手のペース、

文脈によって話しを進めることができる。こうして松沢さんは、炒め物という不快感を覚 える献立名を具体的に挙げることができた。

人は、自分が話しをしているとき、相手の姿勢・態度から、真摯に聴いてくれていると 受け取ることができ、このことが、話し手にさらに話しを続けようという気にさせること がある。看護師の場合、患者の話しを真摯に聴くことはむしろ当然のこととされており、

これは、傾聴といった言葉で表現される看護の技術に位置づけられることもある。その場 合の技術性とは、看護師が患者の話しに心を傾け、聴き入っているというだけではなく、

真摯に聴いているそのことが、当の相手に伝わるような聴き方、それが意図的にできるこ と、そうした態度、姿勢を指していると考えられる。松沢さんには、藤井看護師が真摯に 聴いていることが伝わっていたのであろう。それゆえ、松沢さんは自分から話しを続ける 気になったのだと考えられる。

このような藤井看護師の関わり方は、真摯に話しを聴いていることが患者に伝わる看護 の技術とみることができ、患者が自ら話す気になるような展開にもっていく‘関わりのス キル’ということができる。こうした関わり方は、看護師であればいつでも誰でもができ るわけではなく、状況によっては課された看護業務の速やかな遂行を迫られることから、

看護師主導のやり取りにならざるを得ない場合もある。その意味で、‘関わりのスキル’は、

単なる受け応えだけの表面的なやり取りを超えた看護実践の仕方といえる。この藤井看護 師の‘関わりのスキル’は、ここでの自律的看護実践が展開されるための方法となってい た。そしてこの展開方法は、藤井看護師の臨床的自律性が発揮されるために不可欠な必要 条件ということができる。

c. 患者自身の意思決定を促す看護師が主導権を握らない関わり、‘関わりのスキル-

その2’ <自律的看護実践の展開技法:促進要因>

松沢さんが「炒め物は絶対だめ。」と言うと、藤井看護師は「炒め物、出してもらうのや