第 3 章 研究の結果
② 自律的看護実践の特徴的要素-その 1
a. 患者の怒りの感情を共感的に受け止める真摯さ
<自律的看護実践の展開契機:必要条件>
金田看護師が朝の挨拶に行くと、中井さんは、不機嫌に眠れなかったと訴え、夜勤看護 師が騒ぐ患者の対応に追われ、自分の要求には速やかに応えてもらえなかった怒りをぶつ けてきた。このような場合、看護師はつい言い訳のような発言をしてしまい、返って相手 を怒らせてしまうこともある。だが金田看護師は、気の毒そうに中井さんの顔を見つめな がら、同情するように、「ねえ。」と言うだけであった。
金田看護師は、チーム調整の場で「ご立腹で。昨日うるさいしって」と言っている。し かし中井さんからこうした発言は、実際には無かった。すなわち、夜間同室患者の騒ぎに
よりうるさいとしたのは金田看護師の解釈であり、中井さんの置かれていた状況から察し て、彼の気持ちをこのように解していたのであろう。それゆえ、中井さんが立腹するのは 無理のないこととして受け止め、金田看護師にぶつけてきた怒りの感情をことば少なく同 情的同感的に受け止めたのだと考えられる。これに続けて金田看護師は、中井さんの部屋 を移動する旨を述べていた。この発言は別の見方をすれば、夜間に部屋がうるさかったこ とを認めていることになる。金田看護師は、怒っている中井さんを前にして当惑もあった のだろうが、彼自身も手術当日の夜であり、眠りを邪魔されて苛立つ気持ちを察し、速や かに対応してもらえなかった中井さんの怒りの感情を真摯に受け止めていたのだ。だから こそ、その怒りの元となった夜間のうるさかった状況を認め、それを回避する方策として 部屋移動の話しを持ち出したのだろう。つまりここでは、金田看護師は一切の言い訳をし ておらず、中井さんの怒りを正面から受け止めようとする共感的な姿勢で臨んでおり、真 摯に中井さんと関わっていたのである。
この共感的に受け止める真摯さにより、金田看護師は、病棟在庫薬の代替え使用という 看護実践を行うこととなった。この意味で、金田看護師の真摯さは、ここでの自律的看護 実践が展開されるための契機となっていた。そしてこの展開契機は、金田看護師の臨床的 自律性が発揮されるために不可欠な必要条件ということができる。
b. 患者とのやり取りの中で駆り立てられた看護師としての責任感
<自律的看護実践の駆動力:促進要因>
朝の挨拶の際、はじめ中井さんは金田看護師をにらみ見上げ、不機嫌に怒りをぶつけて きた。この後点滴を行うため、金田看護師が、名前を確認させてくださいと言うと、中井 さんは、「だめ。名前変わっちゃったから。」と言った。このとき彼の表情は、朝とは違っ て穏やかで、口元には笑みを浮かべていた。こうした中井さんを見て、金田看護師は、彼 がおどけて冗談をいっているのだとわかったようだった。これは、点滴を実施しに来た人 物が、先刻自分が怒りをぶつけた金田看護師であることを認識し、それゆえ中井さんは冗 談を言ったのだと考えられる。この冗談は、自分が怒りをぶつけたにもかかわらず、金田 看護師が共感的に真摯に接してくれたことを、中井さんが感じ取っていたため、“今は怒っ てはいないよ”あるいは“さっきはすまなかった”といった思いを伝えようとして発せら れたのではないだろうか。金田看護師は、後に少し眠ったためか機嫌が直ったようだと言 っていた。だが中井さんは、そうした理由だけで機嫌が直ったわけではないだろう。中井 さんは、眠りを邪魔されて苛立つ気持ちや速やかに対応してもらえなかった怒りの感情を ぶつけたのではあるが、金田看護師がその該当者ではないことはわかっているはずである。
それゆえ中井さんは、金田看護師に今度は怒っていないという思いあるいは謝罪の気持ち を、冗談というかたちで伝えていたと解釈することは可能であろう。一方金田看護師は、
中井さんがおどけていることに気づいて、その冗談にきちんと応えていた。ネームバンド
を確認しながら、明るい声で彼の名前を読み上げたのは、金田看護師の“もう怒っていな いことはわかりましたよ”というサインと見ることができる。
このように、両者のやり取りは、怒りをぶつけてきた中井さんに、金田看護師が共感的 に真摯に関わったことから、そうした姿勢が彼に伝わり、次のときには冗談を言い交わす 仲に発展した。これは、看護師の真摯な関わりの姿勢が患者に伝わり、患者が自分から態 度を変化させ、それに看護師がまた応えるという双方的に影響し合う関係、患者-看護師 間の相互影響的関係といえよう。
こうして金田看護師が点滴を調節していると、中井さんは臀部掻痒感を訴えた。この訴 えによって、金田看護師の自律的看護実践が行われることになったのだが、中井さんは、
朝のように怒ったままであれば、果たしてこのように訴えただろうか。中井さんは、自分 が怒りをぶつけても、それに対する言い訳をするのではなく、自分の気持ちを真摯に受け 止めてくれた金田看護師だからこそ、こうした訴えを口にしたのではないだろうか。また 金田看護師も、中井さんの訴えを聞き流すことなくしっかりと受け止め、観察を行い、医 師に報告した。そして金田看護師は、中井さんの掻痒感への対処において、この日中井さ んを待たせることは避けたかったのだ。なぜなら、中井さんは夜間に看護師から待たされ たことに怒っていたのであり、金田看護師は、自分が担当する際には彼を待たせることは 決してしないという思いから、看護師としての責任感を強くしたのだと考えられる。これ は、患者に一般的に向けられる看護師の責任感というだけではなく、金田看護師が中井さ んとの一連の関わり合いの中で駆り立てられ、その思いを一層強くした責任感、すなわち 患者-看護師間の相互影響的関係により強化された彼への責任感ということができる。こ の金田看護師の責任感は、ここでの自律的看護実践が行われるための駆動力となっていた ということができる。そしてこれは、臨床的自律性の発揮を促進する要因となっていた。
c.‘患者にとって良い’として実行に移せる看護師の中の自信
<自律的看護実践の推進力:促進要因>
金田看護師は、病棟在庫薬の代替え使用という病院の決まり事から逸脱する行為を行っ た。こうしたリスクを伴う行為を実行に移すことができたのは、前述のような責任感に加 えて、看護師をそのようにさせる要因すなわち‘患者にとって良い’として実行に移せる だけの金田看護師の中の自信があったからではないだろうか。看護師は、患者への看護ケ アについて、こうすることがこの患者にとって良いと判断し、実行に移すのだが、その場 合、あるリスクを伴うことについて、あるいは他者からの意見に影響され、その実行に際 して躊躇することがある。また反対に、人が何と言おうと、これは患者にとって良いのだ とする根拠や自信を持っている場合、看護師は、そうした看護ケアを躊躇することなく実 行することができると考える。
金田看護師は、Ⅰ-A病棟のリーダー層の中では中堅あるいは上層部に位置しており、そ
の信頼は厚いという。後輩看護師たちが、医師の指示遂行の仕方について相談したり、患 者の病状把握の仕方について尋ねるということは、金田看護師がそれに相応しい人物だか らであり、従って、彼女は看護業務を確実に遂行でき、看護ケアを効果的に実践し、病棟 看護師たちからもそのような評価を受けているのだろう。このように、人から信頼される ことは、一方でその個人が自信を抱くことに繋がると考えられる。また、金田看護師は、
Ⅰ-A病棟で6年目を向かえ、リーダー役割を取って3年を経ていることから、病院内の薬 剤物流システムについて熟知していると考えられる。そして病棟在庫薬の使用についても、
このときが初めてではないように思われる。すなわち金田看護師は、病棟在庫薬による代 替えを行っても、ミスに繋がらないように処理できるという実績を有しており、それゆえ このことには自信があったと見ることは可能であろう。このように、金田看護師には、病 棟看護師たちからの信頼やⅠ-A 病棟における看護経験によっても裏打ちされて、‘患者に とって良い’としてリスクを伴う病棟在庫薬の代替え使用を、実行に移せるだけの自信が あったと考えられる。この金田看護師の中の自信は、ここでの自律的看護実践が展開され るための推進力となっていたということができる。そしてこれは、臨床的自律性の発揮を 促進する要因となっていた。