第 3 章 研究の結果
2) 町村看護師と患者押田さんとの関わり合い
押田さんは、60歳代後半の男性、目つきが鋭く、口髭を生やしており、それが術後は無 精ひげのように伸びてしまっていることや、入院中の履物が雪駄で、寝衣が浴衣姿である ことから強面の印象を与えている。今回の入院では、胃がんのため胃全摘術を受け、約 2 週間が経つ。術後1病日より離床し、トイレや洗面などは自力歩行しているのだが、進行 したがんにより吻合部に狭窄を生じており、嘔気・嘔吐が続いている。
看護師たちによれば、押田さんは入院時から気難しい人柄とされ、特に手術後には、気 分不快などのせいか苛立ちが強度で、看護師に怒鳴ったり、罵声を浴びせたりしたという。
中には、押田さんの発言に抗議し、彼と口論になった看護師も数人いるという。また押田 さんは、怒りが収まらないと当該の看護師以外の者に八つ当たりしたり、別の看護師に告 げ口をしたりするという。そのため、Ⅱ-C病棟の看護師の多くは、押田さんを恐れて敬遠 しているという。
(2) 町村看護師と押田さんとの関わり合い場面の記述
① 参加観察記録
8時48分、朝の情報交換開始である。本日のコーディネーターである町村看護師が最初 に報告した。「押田さんは、胃全摘されて12病日ですね。あの(胃切除後の消化管吻合部)
狭窄のためか、全然食べ物が入らなくて、ずっと吐いて。吐いては吃逆、吐いては吃逆を 繰り返してるみたいですね。昨日も夜間4回くらい吐いて。寝てる間にも1回吐いてるみ たいなので。誤嚥の可能性かなり高いと思うので、呼吸状態等注意していくのと、あと体 勢ですね。本人にも指導して、あまり仰臥位にならないようにしていきたいと思います。
夜間に胃管を入れるかっていう話しをしてたみたいなんですけど。本人がまだ入れないで、
(主治医の)先生と相談してから決めたいということなので。多分、先生、今日の日中回 診に来ると思うので、そのときおそらく胃管入れると思います。今、流動食べてます。」
9時30分を少し回っていた。町村看護師は、男性4人部屋の入り口すぐのベッドに行く と、開いているカーテン越しにそっと顔を覗かせた。そして、「おはようございます。今日、
日中の看護師は町村になりますので、よろしくお願いします。」と言うと、ベッドに横にな っていた押田さんは、「町村さんはなに、出身は因の島?」と、突然聞いてきた。口髭が無 精ひげのように伸びている押田さんの顔は蒼白で頬がこけており、浴衣は無造作に合わせ たままになっていた。押田さんの脇には向かいのベッドの患者が立っており、何か話しを していたようだったが、そっと戻って行った。町村看護師は、押田さんの話しに受け答え をしてから…(略)…「体、楽そう? 思ったより、もっときつそうかと思ったけど。」と、
顔を覗き込んで聞くと、押田さんは、「楽になったよ。熱があるって言ってたけど、ちょっ
と楽になった。…(略)…(朝の)食事が来たときはね、まだ全然よくなかったよ。周り がみんなね、おいしそうな臭いでしょ。だから俺、外へ飛び出したんだよ。それで帰って きたら、随分調子よくなったから。牛乳とそのオレンジのやつ、ちょこっと(食べた)。」 と言うと、町村看護師は、「うん。食べれるものだけ、食べておいて。あんまり無理しなく ていいから。」と言い、点滴を調節して「はい、またちょっと後で伺います。」と言うと、
押田さんは、「OK。」と応えた。町村看護師は、カーテンをきっちりと閉めて部屋を出た。
廊下に出ると、町村看護師が声をひそめて、「手術後はすごかったんですよ。少しおかし くなって。」と言うので、研究者が「せん妄ですか?」と聞くと、町村看護師は、「せん妄 っていうか、本当にイライラしてて。なんか、僕にはあまり厳しいところ、見せないんで すけど。結構バトった(看護師と争った)って言ってたから。それでね、ちょっとでもカ ーテンが開いてると怒るんですよ。きちんと閉めないとすごく怒るんですよ。それでね、
他の看護師にはすごくきつく言うんですよ。ことばもかなり汚い言葉使うらしくて。」と話 してくれた。そこで、「あまりそんなふうには、見えなかったですね。」と言うと、町村看 護師は、「ねえ、見えませんよね。今は怒ってるようではまったくなかったけど。何かある と後で言うみたいですね。」と言って肩をすくめた。
時計は10時50分を指している。先ほど内視鏡室に下りた押田さんが、ヘルパーに搬送 されて戻ってきたのが、ナースステーションから見えた。その後を追った町村看護師は、
「押田さん、お帰りなさい。」と言いながら、部屋に入って行った。車椅子に座った押田さ んは、辛そうな声で、「大変だった。」と言うので、町村看護師は、「大変だったよね。きっ とね、うん。」と、同意するように言った。そして、押田さんの鼻腔から入れられている胃 管を見て、「あ、見事に入ってきたんですね。」と言いながらヘルパーと交替して、押田さ んの車椅子をベッドに近づけた。…(略)…胃管は、押田さんの口髭の上から粘着力の弱 い紙テープで固定されただけで、排液バックは接続しておらず、鼻腔から垂れ下がったま まであった。町村看護師は…(略)…押田さんがベッドに横になるのを見届けてから、「大 丈夫だね、はあい。じゃあねえ、ちょっと横になって待っててください。それ、今すぐや ります。」と言うと、押田さんは、「はい。」と返事したので、町村看護師は、カーテンをき っちりと閉めて部屋を出た。
廊下で町村看護師は、「うん。たぶん。(消化管内容物の排出によって)減圧しなきゃだ めだったと思います、狭窄があって。ご飯、止めじゃないかな。たぶん、ご飯出てると思 うから。」と言いながら、ナースステーションに戻った。
町村看護師は、排液バックと延長チューブを持って再び押田さんの部屋に向かった。そ して、「失礼します。」と言ってカーテンの中に入ると、押田さんの胃管に延長チューブを
つないだ。そしてその先端を排液バックの水の中に挿入してウォーターシール27にした。
三方活栓を開放すると、胃管から薄墨のような消化管排液が、勢いよく流れ出てきた。町 村看護師が、「見える? じょぼじょぼじょぼって流れてるの。ほら、今すごい勢いで流れ てるでしょ。」と言って排液バックを指差すと、押田さんも、ベッドから身を乗り出して、
「黒いのがねえ。ああ、出て来るねえ。」と言って眺めている。町村看護師は、「そう。こ れが溜まってたやつ。だから、すごく楽になると思う、今から。しゃっくりも止まると思 います。溜まってるのが出てるので。」と、排液バックを見ながら言った。押田さんはつぶ やくように、「うれしいなあ。(ヒック―という吃逆音)」と、吃逆しながら言った…(略)
…。町村看護師が「押田さん。先生、何か言ってました? ご飯食べないでね、とか。」と 聞くと、押田さんは「いや。」とだけ応えた。そこで町村看護師が、「ちょっとね、確認す るまで、食べないでもらっていいです? 申し訳ないですけど。」と言うと、押田さんは、
「うん、わかった。(ヒック)」と返事をした。…(略)…町村看護師が、「もう、500くら い出てきたのかな。」と言うと、押田さんは、「いやだねえ。(ヒック)」と、呆れたように 言った。町村看護師は、「うん、これほど溜まってたから。もうこれが全部流れてるから、
おなか自体は楽になる。ただ、(胃切除後の消化管吻合部)狭窄があると思うので。この狭 窄が開いてくれるのを待つって感じになると思うので。」と説明してから、「じゃあ、普通 に横になってもらって。鼻のテープだけ、貼り替えさせてもらいます。」と言うと、黙って 聞いていた押田さんは、「はい。」と言って、ゆっくりと体を横に傾けた。
町村看護師は、テープをはさみで切りながら、「押田さん、皮膚、弱いほうだったっけ。」 と聞くと、彼は吃逆しながら、「(ヒック)弱い。」と応えた。…(略)…町村看護師が、「じ ゃあちょっと、ぐいっと横になれます?」と言うと、半身を傾けていた押田さんは、ゆっ くりと横になりながら、「腰も痛いね。(ヒック)」と言った。町村看護師は、「腰痛い。」と ことばを繰り返しながら、内視鏡室から貼ってきた紙テープをそっと剥がした…(略)…。
テープの切れ端を片づけながら、町村看護師は、「はあい。一応、ご飯配らないようにはし てるんですけど、もし来ても食べないで少し待っててくださいね。」ともう一度繰り返すと、
押田さんは、「(ヒック)はい。」と応えた。町村看護師が、「じゃあ、失礼します。」と言い ながらカーテンをきっちりと閉めていると、押田さんは機嫌よさそうに、「はーい、(ヒッ ク)サンキュー。」と言った。
町村看護師は、ナースステーションに戻ると、主治医に電話をかけた。「看護師町村です けど。…押田さん、今(胃管からの排液が)500 くらい出てきました。…はあい…じゃ、
食止め、水止めですよね。で、先生、後で指示書に書いといてくださいね。…」。
27 ウォーターシール式吸引法(water seal absorption)。水封式とも呼ばれ、水により大気と体内とを遮断する方法。
水圧を利用した吸引法であり、一定の圧をかけられることや胸腔圧(陰圧)などを水でさえぎることで大気圧(陽圧)
と遮断できる。入れ物を倒すことで圧を維持できなくなるため、倒れないようにする必要がある (堀川, 2012)。