第 3 章 研究の結果
2) 沖看護師と患者佐藤さんとの関わり合い
の医師への発言から、患者中心であることが両者の間で了解されていることが伺われる。
病棟看護師長によれば、看護師の時間外勤務はⅠ病院内1位の長時間を記録し、Ⅰ-B病 棟への配置希望者はほとんどいないという。またⅠ-B病棟はPPC 方式11 における患者の 病状、看護の必要程度としては中等度以下と見なされることから、看護師の仕事満足感も 低いそうである。
看護ケアもⅠ-A病棟同様、全身清拭や陰部洗浄などには機能別看護方式が用いられ、日 勤看護師全員によって分担され一斉に行われている。そうした中でも、看護師によっては、
その日の自分の受け持ち患者を意図的に選んでいる姿が散見される。
事をしたときに満足を感じますか」という質問に「患者さんから感謝されたときです。あ と、忙しくてもみんなで協力して、仕事が終われたときですかね。」と応えている。「具体 的には」と尋ねると「そうですねぇ、うーん。」と少し考えてから、「例えば、患者さんの ために自分が一生懸命考えて、その人にとって一番楽なやり方、体の位置を変えるときと か、動けない人をお風呂に入れてあげて、ありがとうって言われたときとかですね。ちょ っとしたことですけどね。」と話してくれた。
(2) 佐藤さんのプロフィール
佐藤さんは 80 歳代の小柄な女性、看護師とのやり取りは物静かで、自分から何かを要 求することはほとんど無く、口数は少ない。病気のために活気がないこともあるのだが、
病棟看護師によれば、もともと物静かな方だといわれており、時折見舞いに来院してくる 娘さんともあまり多くは話しをしないようだ。
佐藤さんは、肝性脳症の診断名で入院しているが、これまでにも同病名により数回の入 退院を繰り返している。現在は、慢性的肝機能障害とそれにともなう腹水貯留があり、自 宅療養は家庭的な事情もあって難しく、転院先を探して長期療養型の入院施設へ移動する 予定となっている。しかし、佐藤さんの病状が安定した時期をみて、主治医や看護師たち が転院を具体化させようと準備しているうちに、肝性脳症の発現に関与する血中アンモニ ア値13が上昇してしまい、そのために転院の機会が先送りとなったことが幾度かあるとい う。この日も、血中アンモニア値がその 2 日前の検査結果より 2 倍以上に上昇しており、
再び積極的な治療および安静が必要な状況となっていた。
(3) 沖看護師と佐藤さんとの関わり合い場面の記述
① 参加観察記録
夜勤看護師の報告が終わると、モジュールメンバーが朝の情報交換のために集まってき た。…(略)…次に沖看護師が、「うちは、…(略)…佐藤ミツ子さんが、2月4日の採血 ではアンモニアが113だったのが、今日(2月7日)の採血では263なので、またアミノ レバン14入れるんですけど。10時10分にPT15入ってるから、どうしようかなって。一応 連絡取ってみます。以上です。」と報告した。
沖看護師は、朝の挨拶のため女性の6人部屋に行った。入り口すぐのベッドには、佐藤 ミツ子さんが横になっていた。佐藤さんの顔や人の目に触れる皮膚の色は土気色を呈して
13 血中アンモニアは、アミノ酸代謝の中間代謝産物で、肝、腸管、腎などで産生される。重症肝疾患では、腸管など におけるアンモニア産生の増加と肝の処理機能の低下などにより血中アンモニアが増加する。基準範囲は血漿アンモニ
ア15~80μg/㎗、異常値は80μg/㎗以上、血漿アンモニア160μg/㎗になると意識障害をきたす場合が多いが、血漿ア
ンモニア値と肝性脳症症状の程度は必ずしも相関しない (金井, 2006)。
14 血漿遊離アミノ酸パターンの不均衡を是正し、速やかに肝性脳症を改善する (高久他, 2011)。
15 理学療法士Physical Therapist の略であるが、ここでは運動療法physical trainingの意味で用いられている。
おり、その腹部は、痩せて小柄な体に似合わず衣服の上からもそれと認められる程大きく 膨らんでおり、カーテンを廻らせているベッドの周囲には、アンモニア臭が立ち込めてい る。沖看護師がベッド脇にかがみ込み、「おはようございます。今日担当沖になりますので、
よろしくお願いします。」と、耳元で囁くように言うと、浅い呼吸をしている佐藤さんは、
「お願いします。」と、かすれた小さな声で応えた。沖看護師は、「今日、ちょっと点滴を ね、入れますので。」と、ゆっくりとした口調で言うと、佐藤さんはうつろな表情のまま「は い。」と返事をして、沖看護師の顔を見ている。沖看護師は続けて、「でね、今日リハビリ も、ここでやってもらおうと思うんですけど。」と続けると、佐藤さんは表情を変えずに、
「はい。いいです。」と言った。沖看護師は続けて、「もしかしてそれができないって言わ れたら、今日は中止にして。」と言ったが、佐藤さんは何も言わなかった。沖看護師は少し 間をおいてから、言いにくそうな口ぶりになって、「ちょっとね、採血の値がやっぱりね、
悪かったんですよ。」と言った。佐藤さんが「ああ、そう。」と、あまり抑揚のない言い方 で応えると、沖看護師は「ボーっとします?」と、確かめるように佐藤さんの顔を覗き込 んだ。佐藤さんは、うつろな目つきで、「ううん。」と言うので、沖看護師は「そんなこと はない?」と、いたわるように佐藤さんの腕をさすりながら言った。そして顔を近づけ、
その視線を追いながら、「私の名前は覚えてる?」と聞くと、佐藤さんは「沖さん。」と応 えた。沖看護師は安堵したように頷いてから、「じゃあ、お名前言える? ご自分の。」と聞 くと、佐藤さんは、「佐藤ミツ子。」と応えた。沖看護師は、にっこりして「はい。」と言い、
「ちょっとね、今日点滴入れます。じゃあ、あとで来ます。」と、静かに言って部屋を出た。
廊下に出ると、沖看護師は、「佐藤さんは肝硬変で。肝性脳症を繰り返していて。あの方、
ここで一番長いんですよ。もう半月近くになりますね。転院とかいうと肝性脳症で長引い てって感じで。これで3回目かなあ。」と話し出した。研究者が、「そうなんですか。それ で。あのおなかは腹水ですか。」と聞くと、沖看護師は「そうなんですよぉ。もう慢性的だ から全然取れないんですよ。ここにも何回も入院してるんですけど、今はもうターミナル ステージってところですかねえ。」と、声を落とした。
沖看護師が廊下を歩いていくと、一人の男性と行き会った。沖看護師が、「あ、リハビリ の先生ですか。」と声をかけると、理学療法士の名札をつけたその男性が「はい。」と言い、
立ち止まった。沖看護師が、「佐藤さんのリハビリなんですけど、ちょっと今日データが悪 くて。なんか怖いから。」と言いかけると、理学療法士は、「あ、そう。」と相槌を打った。
沖看護師が続けて、「ベッドサイドでできるようであればお願いしたいと思って。」と言う と、理学療法士は、「わかりました。」と言った。さらに沖看護師が、「連絡、どうしようか なと思ってたんですけど。」と笑顔で言うと、理学療法士も、「そうですか。じゃあ、ちょ うどよかった。」と笑顔で言った。そして、「ええとじゃあ、時間がちょっと別の時間にな りますけど、入れておきますね。」と言うので、沖看護師は、「すいません。で、何日か点 滴が続くそうなんですけど。」と言った。理学療法士は、「ああ、じゃあその間、ベッドサ
イドでいいですよ。」と言うので、沖看護師は、「いいですか。」と確かめるように言った。
理学療法士が続けて、「ええ。そういうことだったら。」と言うと、沖看護師は、「点滴、は ずれ次第掲示板(電子カルテ上の連絡欄)に載せますので。」と、にこやかに言った。理学 療法士は、「わかりました。」と言うと、どこかの部屋に向かって行った。
沖看護師は、検温の道具を乗せたワゴンを押して病室に向かった。そしてカーテンの中 を覗きながら、「佐藤さん。」と声をかけた。佐藤さんは掛け物をかけずにベッドに横にな っていた。沖看護師は、「血圧とお熱測りますね。」と言い、ベッドサイドに入り込んだ。
そして「おなか痛いとか、そういうのはない? 大丈夫?」と聞くと、佐藤さんは、かすれ た声で、「ない。」と応え、沖看護師がさらに、「気持ち悪いのはないですか。」と囁くよう に聞くと、佐藤さんは頷いた。沖看護師は、ベッドサイドにしゃがみ込んだ。そして、自 動血圧計のマンシェットを巻きながら、「体重測りに行った? 朝、測った?」と、ゆっく りとした口調で聞くと、佐藤さんは、「測ってない。」と小さな声で応えた。沖看護師は、
カフに加圧してから「じゃあ、血圧測ったら体重測りに行きます?」と聞くと、佐藤さん は、「そうね。」と返事した。そして沖看護師が、「おなか、張る?」と聞くと、佐藤さんは、
「張ってるかな。」と聞こえないような声で、腹部に手をやりながら応え、沖看護師が、「今 日から点滴続くからね、点滴やるから。」と優しく言うと、佐藤さんは、「点滴やるの。」と、
鸚鵡返しに聞き返した。沖看護師は、「そう。今日からやるって。」と、静かに応えてから、
彼女の下肢に目をやり、「脚ってむくんできた?」と言って、その脚を手で触った。佐藤さ んは毛糸の靴下を履いており、足首のゴム編み部分が脚にくい込んで痕になる程の浮腫が あった。沖看護師は、その痕をさすりながら「くっきりだねえ。」と言ってから、顔を覗き 込んで「かゆみはない?」と聞いた。佐藤さんは、「痒くはない。」と応えた。自動血圧計 の値が出たので、沖看護師は「95 の 55」と言い、そっとマンシェットをはずした。それ から、「ちょっとごめんね。」と言うと、佐藤さんのパジャマの上着をめくりあげ、腹部を 聴診した。そして、「おなかはまあまあ動いてる。ガスは出てるかな、この分だと。たまに 出る?」と聞くと、佐藤さんは「はい。」と応えた。沖看護師が「はい。じゃあ。」と言っ て立ち上がり、血圧計を片付けていると、佐藤さんは「スイカみたい。」と、自分の腹部を 触りながら言った。
沖看護師が、「じゃあ、起きましょうか。」と言うと、佐藤さんはゆっくりとベッドに起 き上がる動作を始めた。沖看護師は、サッと佐藤さんの肩に手を回すと、「はいじゃあ、起 き上がって1、2の3」と声をかけ、佐藤さんをベッドに座らせた。そうして佐藤さんがベ ッドに端座位になったのを確かめると、沖看護師は、彼女の足元を見ながら、「足、上げら れるかしら。」と言った。佐藤さんは、自力でベッドに腰掛けているのだが、そのまま足を 上げるには腹部が膨満しており、安定が悪かった。沖看護師は、佐藤さんの足を注意深く 持ち上げ、運動靴を履かせながら「夜は寒くなってきました?」と話しかけると、彼女は