第 1 章 研究の背景と目的
3) 看護における専門職的自律性
ここでは、専門職的自律性professional autonomyの側面として、看護の自律性を示す いくつかの事柄について述べる。
(1) 看護の倫理綱領
1950年代から1960年代に社会学分野において、専門職の特質を明らかにする試みが盛 んに行われた。専門職の定義は未だ明確とはいえないが、高度の自律性や社会的権限の付 与、高度に体系化・理論化された知識・技術の保有、国家または団体による資格認定、職 業集団自体の組織化と行為準則の保有、愛他的動機に基づく公共の利益目的という項目が、
専門職の特徴的要素 (時井, 2002) とされており、加えて独自の倫理綱領を備えていること が、研究者間では概ね合意されている (勝原, 1999; 志自岐, 1999)。
専門職倫理綱領は、看護師や医師など特殊な集団の行為指針を規定するものであり、社 会全体を統御して誰にでも等しく適用される道徳綱領とは区別される、専門家自身による 役割道徳を明文化したものである。それゆえ、これは外部から押し付けられた基準とは区 別されなければならない (Beauchamp et al., 1989/1997)。
国際看護師協会ICNは、1899 年の設立当初から、看護職が倫理規定を有する必要性を 強く認識していた (石井, 野口, 2007)。そして、草稿の経緯を経て1923年から世界のすべ ての看護師のための倫理綱領の作成に着手し、第二次世界大戦による中断を経て、1953 年「看護師の倫理国際規律」が承認された (Fry & Johnstone, 2002/片田, 山本, 2006)。
これに先立ち、米国看護師協会ANAが最初の倫理綱領を作成していた。ANAは、世界最 大の職業団体として社会的責務を認識し、1949年初頭に倫理委員会を設置し、1950年「看 護師の規律」を定めた。ここでは、「看護師の基本的な責任は、生命を守り、健康を増進す ることである」としながらも、「緊急時のみ医療行為を行い、その行為をできるだけ早く医 師に報告する」、「医師の指示を知的に行い、指示を確認する」(石井他, 2007, p.7-8) と述 べられている。ANA「看護師の規律」は、ICNおよび諸外国の倫理規定に広く影響を与え、
ICN「看護師の倫理国際規律」においても、先述のように1953年初版では、「医師の指示
を知的にかつ忠実に実行し、非倫理的処置に参加することを拒否する義務がある」(石井他,
2007, p.9) と述べられていた (Beauchamp et al., 1997/1997)。
看護師の倫理的行動の基準は、伝統的に考えられてきた医師への従属的位置づけから、
自律した専門職としての地位が形成されるまでの変化に沿って進化してきている。2000
年のICN「看護師の倫理綱領」には、看護実践の重要な側面として、看護師と看護ケアを
必要とする人々、看護師と看護実践、看護師と看護専門職、看護師と共働者が大項目に分 類されている。現在では、世界の多くの看護師協会がそれぞれの倫理綱領を作成している か、あるいはしつつあるが、ICN倫理綱領は、世界各国の専門職倫理綱領のモデルとなっ ている (Fry et al., 2002/2006)。
わが国では、1988 年に日本看護協会が「看護師の倫理規定」を定め、「看護者は、人間 の生命、人間としての尊厳および権利を尊重する」としている (日本看護協会, 2007b, p.9)。
日本看護協会とICNのかかわりは、1909年にICNが第2回国際看護婦会議に日本の看護 婦(当時)を招待したことに始まる。当時ICNでは、国内に看護婦の自主的かつ独立した
団体を結成することが入会資格とされていたが、明治期日本の看護婦にとってこれを満た すことは困難であった。そのため、前身であった日本帝国看護婦協会がICNに加盟したの は、1933年、日本が昭和期に入ってからのことであった (杉谷, 2001)。日本看護協会は、
早い時期からICNと関連があったことから、初版の倫理規定では、人々の健康生活の実現 に貢献することを第一義的使命とし得たと考えられる。しかしながら、ICN 倫理綱領が 1953年初版から1973年改訂へと、世界情勢および時代の趨勢に沿って改正されているに もかかわらず、日本看護協会の「看護師の倫理規定」がこれよりも15年の後に制定され、
大きく遅れたことが指摘されている (石井他, 2007)。
(2) 看護職の副病院長兼務による経営参画
わが国では、1987年に全国で初めて、次いで1993年に看護職副病院長が誕生した。武
(2007) によれば、その後、主として民間病院に看護職副病院長を置く病院が増え、徐々に
増加したが、10 年間ほど横ばい状態を保っていた。しかし、2001 年に発表された全国国 立病院・療養所総看護師長協議会報告書により、全国の国立病院・療養所院長の83%が看 護職副病院長を置いた方がよいと考えている事が判明した。この影響により、看護職を副 病院長に置く病院数は増加していき、2004年には51病院であったのが、2006年11月の 時点では115病院となった。武 (2007) は、ある県の病院管理者として、その管理下にあ る病院すべてに看護職副病院長を置くことにより、病床稼働率が 7%上昇、外来患者数が 10%の増加をみたと述べている。そして、看護職副病院長を置くことの効果として、看護 職の地位向上、医師-看護師関係が良くなる、病院の活性化などを挙げている。
看護職副病院長として病院経営に参画している鈴木 (2007) は、看護部長としての発言 では一部署の意見にとどめられていた提案が、副病院長として発言することにより、経営 に関わる問題として受け止められるようになり、患者中心の議論ができるようになったと 述べている。例えば、薬剤の調合作業について、看護部と薬剤部のどちらが行うかという 問題では、両部署の活動および病院全体を考慮に入れ、患者中心の議論を重ねた。その結 果、両部署からの要望として分包器(数種類の薬剤を仕分けし、1 袋に包装する器械)の 導入に至り、両者の業務負担が軽減し、看護師が患者のそばにいる時間を増やすことにつ ながったという。このような看護部長の副病院長兼務により、他職種部門との調和を図り、
病院全体の効率を上げること、および患者を中心とした議論の提案による看護の専門性発 揮については、看護職副病院長の大谷 (2007) も同様の成果を述べている。
看護職副院長の存在が増加し注目されるようになると、組織における看護職副院長の位 置づけや役割、業務・活動の実態調査 (神田, 林, 2004) や、看護職副院長の現状について の実態調査 (日本看護職副院長連絡協議会, 2007) などが行われた。巴山、山澄と鶴田
(2009, p.8-10) は、病院の政策形成過程における活動内容について、看護職副院長に半構
成的面接を行った結果、政策立案段階では、「職員の提案を取り入れた具体策の立案」、「合
意形成のための十分な調整」、「明確な主張と次善策の承認に向けた交渉」といった要素を、
政策決定段階では「政策の有用性の説明による会議メンバーへの説得」、「巻き込むべき人 的資源の見極め」、「役割や地位の獲得」といった要素を、看護職者が意思決定に参画する 際に必要な要素として導出している。こうした結果にみられるように、病院の政策形成過 程においても看護の専門性が発揮されるようになった。
(3) 訪問看護の普及
わが国の訪問看護は、1972年頃から少数の病院や一部の地方自治体において行われてい たのだが、1982 年老人保健法の制定により、急速に訪問看護への注目が高まった。杉谷
(2001) によれば、日本看護協会では、職能団体として取り組むことの重要性を認識し、本
部内に委員会やプロジェクトチームを発足させることとした。そして、訪問看護の経済的 基盤確保のため、当時の厚生省や国会議員への陳情を行い、退院患者継続看護指導料を診 療報酬上にのせることを、看護職によって可能にした。また、1985年には訪問看護準備室 を設置し、これを基盤として 1993 年の日本看護協会総会では、財団法人日本訪問看護協 会の設立を可決するに至った。
在宅ケアの普及と発展が急務とされ、1987年から国が制度創設モデル事業に乗り出した ことを受けて、日本看護協会は、各都道府県看護協会とともに訪問看護ステーションの創 設に取り組んだ。その後、重点事業として 1995 年開始の新ゴールドプランに対する国の 目標値の1割を目指すこととして、日本看護協会立訪問看護ステーションの設置に向けて 精力的に活動した。その結果、2001年には全国5100箇所を越える訪問看護ステーション が事業展開するに至り、2005年までに9900箇所のステーション設置を目指すこととなっ た。そうした中、訪問看護をはじめとした在宅ケアサービスの普及・発展を図るため、「公 益財団法人 日本訪問看護財団」(日本訪問看護振興財団, 1994) を設立するに至った。日本 看護協会は、このように訪問看護事業を経営面において支援しつつ、看護の質保証にも取 り組んでおり、21世紀・超高齢化社会に向けた高齢者介護、自立支援のための政府への提 言も行っている (杉谷, 2001)。こうした看護職能団体による地域ケアへの看護力の普及は、
専門職的自律性のひとつの側面を示しているといえよう。