第 3 章 研究の結果
3) 植村看護師と患者下谷さんとの関わり合い
植村看護師への同行回数は間隔をあけた 4 回、担当した患者数は延べ 19 名であった。
そのうち、植村看護師の臨床的自律性が発揮されていると思われる患者との関わり合いは 以下の場面であった。
(1) 研究参加者スタッフ看護師の特徴
植村看護師は、40歳近い女性で、複数の附属病院を有する医科大学グループの3年課程 看護短期大学を卒業後、同グループのⅡ病院に就職した。消化器系外科病棟に配属され、
7年勤務した後、結婚退職し、数年を経て再びⅡ病院に再就職し、このⅡ-D病棟で3年目 を迎えた。看護師歴は通算で18年、リーダー歴は10年目だという。
「どんなお仕事をしたとき嬉しいと思いますか」という質問に、「そうですねえ、(患者 が私を)名前で覚えていてくれるような事をしたときですかね。私が何をしたとかじゃな いかもしれないですけど。なんか、そういう(患者との)関係が作れるとき、嬉しいです ね。看護婦さんっていうんじゃなくて、植村さんって名前で呼んでくれるとき、嬉しいで すね。」と応えた。そこで、「そのように名前で呼ばれたときは、どういった心当たりがあ るときですか」と聞くと、「うーん。あまりないんですよ。私って、そんなに何をどうした らいいかって思いがあってやるような、熱い思いがあるわけじゃないんです。熱い思いっ ていうか、信念みたいなのはないんですけど。必要とされているときはやってあげたい、
尽くしてあげたいなって思うんですね。人は看護婦に全部心を開くとは、私は思ってない ので。そこだけは忘れないでいきたいなって思うんです。」と応えた。
ある患者が再入院してきた際、病棟看護師長に、植村看護師に再び担当(プライマリィ ナース)してほしいと希望したという。これについて植村看護師は、「前の入院のとき何か こう、えらく感激してくれたことがあったらしいんですよ。それは何だったのって聞いた ら、おしぼり渡してくれたのが植村さんが初めてだったんだって、言われたんですよ。そ れがすごく嬉しかったらしいんですね(笑い)。そういうところって私にはわからなくって。
たしかあの時、彼は点滴をしてたんです。自分で動くことはできたんですけどね。でも、
お膳を配るついでに(おしぼりを)渡したんでしょうね、きっと。私はあまり覚えてない んですけど。」と話している。
(2) 下谷さんのプロフィール
下谷さんは 70 歳代の女性、白髪まじりの頭髪がきれいに整えられて品の良い身なりを しており、絹製のパジャマにはアイロンがかかっている。看護師とのやり取りでは、下谷 さんの口調はいつも穏やか、静かな物腰である。肝細胞がんを初発病巣として、数年前に 肺がんのため肺葉部分切除術を受け、今回の入院では、膵臓がんのため別の階にある消化 器病棟で膵臓全摘出術を受けた。その後、経腸栄養等の治療が続いていたが、状態が安定
したためⅡ-D病棟の個室に移動してきた。現在は、膵臓摘出によりインシュリンが分泌さ れないため、退院に向けて注射による血糖コントロールおよび自己管理指導が行われてい る。ある看護師によれば、下谷さんは、「病状は安定しています。指導も済んで、もうほと んど自分でできるようになってるんです。お手本のような方で。もう、ばっちりで、何の トラブルもなく。」という。簡易応接セットのある下谷さんの部屋には常に夫が付き添って おり、彼が血圧や体温などの測定値あるいは医師や看護師とのやり取りについて詳細にノ ートに記録している。
また、下谷さんは肝細胞がんに関する治療のため、週 3 回インターフェロン35の筋肉注 射が隔日投与されており、こうした注射の後には発熱が生じる。だが下谷さんは、植村看 護師によると、「あの人、あまり言わない人なので、辛いとか。」だという。
(3) 植村看護師と下谷さんとの関わり合い場面の記述
① 参加観察記録
昼の休憩が終わると、植村看護師は、「…(略)…あとは、下谷さんって午後からひとり 受け持つ人がいるんですけど。」と言った。今日は、昼交替後から受け持ち患者が一人増え るという。10時からの病棟会(カンファレンス)のために午前のみ勤務した看護師の担当 患者を引き継ぐらしい。植村看護師は続けて、「イントロン36を 13 時くらいに打ってるん で、具合悪くないか、ちょっと見にいって。」と言うと、保冷庫へ向かった。そして、「も しかしたら座薬っていうかもしれない。」と言いながら、ボルタレン座薬を 1 個取り出し た。そして研究者に、「下谷佐和子さんって、膵臓の全摘をしたんです。オペはもう終わっ て、全身状態はいいんですけど。肝臓がもともと(原疾患)で。今イントロンとか打って て。で、膵臓も取ってるんで、血糖もコントロールがつかなくて、っていう感じで。創は もういいんですけど。で、今イントロン使ったので、熱が出てくると思うので。予防的に、
ボルタレン座薬を使ってかまわないってことなので。熱を測りながら、(下谷さんに)聞き ながら、ちょっと早めに入れようかと思って。」と説明してくれた。
研究者が「イントロンとは? それを使うと発熱が」と言いかけると、植村看護師はやや 早口になって、「そうですね。イントロンはインターフェロンです。で、あの結構、熱発す るんですよ、注射すると。それで 39 度くらいまで上がったりするんで。辛かったら早く 入れちゃおうかなって。(本人に)聞きながら、うん。」と言った。そこで「使ってかまわ
35 人間等がウイルス感染を受けた時などに体の中で作るタンパク質の一種で、主な作用として抗ウイルス作用、免疫 増強作用、抗腫瘍作用などがあり、遺伝子のタイプにもよるが、B型肝炎では約3割、C型肝炎では約5割~9割が治 療効果を期待できる。ただし、強い副作用(発熱や頭痛、筋肉痛、脱毛、めまい、不眠など)を伴うことが多い (内閣府 大臣官房政府広報室)。
36 インターフェロンアルファ-2b(遺伝子組換え)注射用凍結乾燥製剤。C型慢性肝炎におけるウイルス血症の改善、
HBe抗原陽性でかつDNAポリメラーゼ陽性のB型慢性活動性、肝炎のウイルス血症の改善、腎癌、慢性骨髄性白血病、
多発性骨髄腫に効果がある (2011年2月改訂第21版効能書)。
ないというのは、医師の指示で?」と聞くと、植村看護師は、「うん。前回も私が担当した んですけど、やっぱり 39 度くらいに上がっちゃったんですね。で、その時、私先生に聞 いたんですよ。熱が上がってからじゃなくて早めに(座薬を)入れてもいいかって言った ら、かまわないってことだったんで。」と話してくれた。
植村看護師は、下谷さんの部屋に行った。軽くドアをノックしてから、小声で「失礼し まぁす。」と、遠慮がちに言いながら部屋の中に進み入り、「こんにちは。」と、そっと声を かけると、ベッドに横になっていた下谷さんは、からだをよじって振り返った。そして、
穏やかな口調で、「こんにちは。」と応えた。ご主人は部屋にいなかった。植村看護師は、
ベッドサイドに立って、「今日、午後から私担当します、よろしく。」と言うと、下谷さん は、にこやかに「よろしくお願いします。」と言った。どうやらまだ、辛い状態にはなって いないようだった。植村看護師が、「今日は、1時くらいに?」と聞くと、下谷さんは、「今 日は 1時 20分頃、(注射)したのね。うーん、まだ1 時間。」と、テレビの横に置いてあ る時計を見ながら言った。そして、「2 時間くらいで来るかしら、と思って。」とゆっくり した口調で言うのを、植村看護師は、「うん、うん」と相槌しながら聞いている。そして、
「ちょっと、どうかなと思って来たんだけど。」と言うと、下谷さんは、「ありがと。」と、
笑顔になって言った。植村看護師も一緒に笑顔になり、「まだ。まだ大丈夫?」と聞くと、
下谷さんは、「まだ、大丈夫そう。うん。」と応えた。そして、「だから、うん。2時間以内 には、寒気がくるかも。」と言うと、植村看護師は、「うん、寒気がくる。座薬、一応持っ てはきたけど。まだ入れなくて大丈夫?」と聞いた。下谷さんは「まだ、大丈夫。ここに 置いといても。」と言い、顔でオーバーテーブルを指した。
植村看護師が、「いいですか。」と確かめるように言ってから、「じゃあ、あの、入れた時 間を後で教えてもらって。」と続けると、下谷さんは、少し不安そうに顔を曇らせて、「自 分で入れられます? わかんないんだけど。」と言った。植村看護師が会得したように、「あ あ、入れたことはない?」と聞くと、下谷さんはきっぱりと、「ない。」と応えたので、植 村看護師は、「ああ。じゃあ、呼んでくれれば。」と言った。下谷さんは「そうですか、い い? すいません。」と、ほっとしたように言った。植村看護師は、「じゃあ、一応置いてお くので。」と言って、ポケットからボルタレン座薬を取り出し、オーバーテーブルの上に置 いた…(略)…。すると、下谷さんはゆっくりとした動作で起き上がって、「どっち向きで もいいの?」と聞いてきた。植村看護師は、すぐに質問の意味を解したように、「一応ね。
こういう形してるので。」と言って、座薬を手に取ると、ロケット型の先端の尖っている部 分を指差して見せた。下谷さんも座薬の先端を指差しながら、「これを先にこう、入れる の?」と聞くので、植村看護師は、「そう。こう入れるの。」と、座薬の入れ方を手振りと ともに説明してから、「でもね、ゼリーとか、つけたほうがいいから。あの、呼んでくださ い。」と加えた。そして、「私後で持ってくるけど。いい? 私のポケットに入れておくから。」