第 3 章 研究の結果
① 町村看護師の臨床的自律性-その 2
a. 胃切除術後吻合部狭窄の悪化を見て取った絶飲食指示の先取り
町村看護師は、押田さんが胃管を入れられて戻ってくると、排液バックを接続して、そ の排液の性状や量を観察した。そして、押田さんに昼食を食べないよう伝え、また胃管の テープ固定後にも再び繰り返し、念を押すように説明していた。町村看護師は後に、押田 さんは胃切除後の吻合部にがん性狭窄が生じており、消化管通過障害を起こしているので 胃管を挿入したと述べている。すなわち町村看護師は、押田さんが胃管を入れられてきた 事実から、術後吻合部狭窄の増強を見て取り、通過障害を生じていると判断したのである。
そこで町村看護師は、押田さんに食事を経口摂取しないよう説明したのだ。
現行日本の病院では、一般に入院患者の食事については、その内容が食事箋として処方 され、これは医師の指示となる。特に消化管手術後の患者の食事は治療計画上重視され、
押田さんのように通過障害がある場合には、食事摂取によって病状が悪化することもある。
町村看護師は、医師の指示の有無にかかわらず、自身の判断において押田さんの食事摂取 を止めたのであり、これは医師の指示を先取りしたことになる。そして、すぐに医師に絶 飲食の必要を確かめ、事後確認のかたちをとり、指示書に記入するよう伝えたのである。
食物を経口摂取すれば通過障害を生じている消化管に食物が貯留し、胃切除後吻合部のが ん性狭窄部が圧迫され、再び夜間のように嘔吐を繰り返すことになる。町村看護師は、押 田さんがそうした苦痛を味わうことを避け、病状が悪化することを予防したのである。こ れは、消化器診療科において看護を実践する町村看護師の専門的判断による看護実践とい うことができる。また、このように患者が胃管を入れられてきたことの意味を理解し、さ らなる悪化予防を意図して経口摂取を止める判断および行為は、日課業務を慣習的にただ こなすといった仕事の仕方とは異なる。これは、患者の病状把握に基づき個別特性に注目 した主体的行為として、業務遂行上の慣習性を超えており、ここに町村看護師の臨床的自 律性が存在する。そしてこれは、自律的看護実践と呼ぶことができる。
b. 電解質異常を見て取った現行点滴指示内容の補正を促すための医師への再確認 町村看護師は、点滴について主治医に確認して欲しい旨を引き継ぎの看護師に伝えてい た。これは医師への確認行為ではあるが、言い換えれば、点滴指示内容変更の促しである。
これに先立ち、町村看護師は押田さんに、排液バックを指して電解質が足りなくなるとフ ラフラしたりめまいがしたりすると説明していた。そして、インタビューの際にも、電解 質もくるってくると思うと述べている。ここには、押田さんの胃管からの排液が、数時間
の間に1000mlも排出されたことによって、電解質バランスが異常に傾いているとする町
村看護師の判断があったのだ。そしてこうした判断から、町村看護師は、押田さんの点滴 内容補正の必要を見て取り、現行指示を再確認することによってその内容変更を医師に促
したのである。またこれは、消化器診療科における看護実践家としての専門的判断であり、
そこで日常的に行われている標準的な看護実践を超えているということができる。このよ うに、胃管排液の観察により電解質異常を予測して体液補正の必要性を判断し、現行点滴 指示内容について医師にその変更を促したことは、町村看護師の臨床的自律性が発揮され た実践であり、これは自律的看護実践と呼ぶことができる。
c. 怒りっぽい患者の腰痛への医師の処方を先取りした湿布薬貼用の勧め
押田さんは、吃逆のたびに、「いてて。いてえなあ。」と、独り言のように言っていた。
これは、吃逆による身体の振動が、押田さんの腰痛を増強させている状況である。そこで 町村看護師は、何もしないよりはよいとして、押田さんに湿布薬の貼用を勧めた。そして、
カトレップという病棟在庫薬を彼に貼用した。通常、湿布薬は医師によって処方される。
Ⅱ病院C病棟では、事後報告による処方が医師から容認されているようだ。しかし、町村 看護師が述べているように、医師が容認しているとしても、それが正当と認められている わけではない。そうした中でも、町村看護師は病棟在庫薬を使用した。すなわちこれは、
医師の指示を先取りしたことになる。町村看護師は、その発言によると、前日から嘔吐と 吃逆を繰り返していただけでなく、腰痛がある上に吃逆によってその痛みが増強するとい う押田さんの苦痛を、少しでも和らげようとしていたのだ。そしてこうした思いから、本 来は控えるべき病棟在庫薬を敢えて使用する意思決定をしたと考えられる。これは、押田 さんの苦痛を少しでも和らげたいと意図して、積極的に勧められる手段ではないことを認 識しつつそのようにする、すなわちリスクを覚悟したということである。
また、押田さんは、入院時から気難しい人柄とされ、特に手術後には、気分不快などの ためか苛立ちが強度で、看護師に怒鳴ったり、罵声を浴びせたりしたという。そのため、
Ⅱ-C病棟看護師の多くが押田さんを敬遠している。こうした中でも、町村看護師が、押田 さんの重なる苦痛に注目し、少しでもそれを緩和しようとしたこと、そしてリスクを負う かたちとなっても医師の指示を先取りし、病棟在庫薬を用いた行為は、そこで行われてい る標準的な看護実践を超えている。このように、押田さんの腰痛への看護ケアには、町村 看護師の臨床的自律性が発揮されており、これは自律的看護実践と呼ぶことができる。
② 自律的看護実践の特徴的要素
a. 消化器診療科における看護および特定薬剤に関する専門的知識に裏付けられた判 断力 <自律的看護実践の展開根拠:必要条件>
町村看護師は押田さんの病状を把握していた。そのため、胃管が入れられたことの意味 を術後吻合部狭窄の増強と察し、通過障害が生じていると判断することができた。これは、
押田さんの胃がんの進行程度や、胃全摘術における吻合方法や術後の影響に関する知識に 基づいた判断であり、消化器診療科における看護の専門的知識といえる。
また、町村看護師は、電解質異常によるフラツキやめまいについて押田さんに説明して いた。ここには、胃管の留置部位を理解し、その排液成分を予測し得る科学的知識を有し、
これに基づく判断があったと考えられる。町村看護師は、Ⅱ-C病棟に希望して配属されて いることから、消化器疾患患者の看護に関する専門的知識には優れていると考えられる。
加えて、町村看護師は、病棟在庫薬の中からカトレップという湿布薬を使用した。カト レップは、非ステロイド抗炎症薬インドメタシンを含有し、鎮痛作用に優れた貼付剤であ る。病棟在庫薬の中からこれを選択使用した町村看護師は、当然こうした湿布剤について の知識をもち合わせていたと考えられる。
このように、町村看護師は、消化器系の機能およびその疾患や治療に関する専門的知識、
そして特定薬剤に関する知識に基づき、これを裏付けとして押田さんのケアに関する判断 をしていたと考えられる。従って、町村看護師のこうした専門的知識に裏付けられた判断 力が、ここでの看護実践を可能にしていたのであり、自律的看護実践を展開する根拠とな っていた。そしてこの展開根拠は、町村看護師の臨床的自律性が発揮されるために不可欠 な必要条件ということができる。
b. 気難しい患者に気遣い、その関係性を良好に保とうとする努力
<自律的看護実践の起動力:必要条件>
町村看護師は、押田さんは手術後に苛立ちが激しく、またカーテンをきちんと閉めない とすごく怒るのだと話していた。そして、彼の部屋を出る際には、町村看護師はカーテン を毎回きっちりと閉めていた。これは、押田さんがすごく怒るからそのようにしていたの であろう。だが一方で、そうした行為は、町村看護師が自身の動作についてその都度細や かに気遣っていたためと見ることもできる。看護師にとってカーテンを閉めるという行為 は、患者のプライバシー保護のための重要な気配りである。しかし、病室のカーテンはそ の易可動性によって、閉める動作の反動や動いている看護師の身体に触れることによって 隙間ができてしまうことは珍しくない。それゆえカーテンをきっちりと閉める行為には、
実は意識的に細やかな注意を払う必要があり、町村看護師はこれを実行していたのである。
また、昼交替中に押田さんからナースコールがあったと報告を受けた際、町村看護師は、
彼の部屋に早足で向かい、説明が足りなかったとして謝っていた。このやり取りから、町 村看護師は、押田さんのナースコールの意味を、自分の説明不足ととらえたことがわかる。
つまり町村看護師は、安静度に変更はないという説明をしていなかったことに気づき、こ れを反省したのだ。押田さんは、胃管挿入によりそれまでのように自由に歩いてもよいの かわからず、ナースコールをしてきたのだが、これについては、交替中の看護師から必要 な回答が得られていた。しかし町村看護師は、説明を怠った自分の問題として反省し、謝 罪したのだ。町村看護師は、後に「僕も多分、ヘマやると怒られると思ってちょっと怖か ったです」と述べているように、押田さんとのやり取りでは慎重になっていた、あるいは