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緊張の高まりと地方公共団体の統制

ドキュメント内 権限踰越の法理の下で の英国地方自治 (ページ 86-89)

4 副次的権限の成文化と権限踰越の法理の活性化

4.1 はじめに

4.2.3 緊張の高まりと地方公共団体の統制

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法 (Housing Finance Act 1972) が家賃の増額に伴いカウンシルに地方税の増額を強制す ると、クレイ・クロス (Clay Cross) の地方公共団体が1972年住宅財政法の執行を拒絶す るという事件が生じた。中央政府は地方公共団体による地方税の徴収を臨時的に監督すべ く、臨時の監査役を任命した。そこで地方公共団体が中央政府の活動の適法性を司法審査 で争ったものの、控訴院では地方公共団体の訴えが認められなかった15

もっとも、この時代において地方自治に関わる政党間の政治的対立は概して例外的であ り、社会民主主義的な合意が目指されていた。

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度やレイト援助交付金(rate fund contribution)制度といった補助金を用いることで、地方公 共団体の政策を間接的に操作しようとする。サッチャー政権が地方への補助金の交付額を 減額して地方公共団体の歳出を抑制しようとすると、様々な地方公共団体の反発を招くこ ととなった。

中央政府はさらに地方公共団体の歳出を広く抑制すべくレイト・キャッピング(固定資 産税課税率の上限規制)を導入する21。多くの地方公共団体がこの中央政府の政策に従う一 方で、少数の地方公共団体は中央政府の政策に強く反発した。地方公共団体の党派につい ては保守党の衰退とともに労働党の興隆が見られており、労働党系の地方公共団体である

Greater London Council (GLC) は中央政府の政策に強く反発した地方公共団体として特

に有名である。 GLC は中央政府からの地方財政歳出抑制の統制に反抗して「運賃の適正」

(Fares Fair) 政策のために一定の支出を維持しようとした。貴族院判決は「運賃の適正」

政策に関して課税の適法性をめぐり GLC による裁量権の濫用を認定している22。司法審査 における本判決の位置づけは第4節で行う。

中央政府は、公教育の提供について地方教育当局の役割に関する地方公共団体との戦後 合意を変更している。1988年教育改革法 (Education Reform Act 1988) によってナショナ ル・カリキュラムを導入し、学校の運営機関が予算への説明責任をより果たせるように改 革を行い、併せてポリテクニークを地方教育当局から移管した。

また、中央政府は地方公共団体の組織及び事業運営の改革をも進めている。地方公共団 体の組織改革として、中央政府に対する反抗の姿勢を示した GLC を1986年に廃止し、大 都市圏カウンティの廃止にも取り組んだ。他には、地方公共団体の事業運営の領域に関わ る、独立の準公共団体 (QUANGO: Quasi-autonomous non-governmental organisation) を設置している。中央政府はこれらの政策によって地方公共団体の地位を低下させたとい える。

中央政府は1988年地方自治法 (Local Government Act 1988) によって、教育分野と歳 出抑制において地方公共団体の規律を行った。教育分野については同法28条によって、地 方当局による同性愛推進の教育内容を禁じた。歳出の抑制については同法第1部で競争強 制入札 (compulsory competitive tendering) 制度が導入されている。強制競争入札は民間 が地方業務の提供に最大限関わる試みという側面がある一方で、既存の地方公共団体の現 業部局をより効率化させることにもつながった。

サッチャー政権は地方公共団体を条件整備団体 (enabling authority) として位置付ける ことも行った23。保守党政権は労働党系の地方公共団体がサービス提供主体としての職務を

21 See, T P B Rattenbury, Public Law within Government: Sustaining the Art of the Possible (Palgrave Macmillan, 2008) Chs 7-8, 10.

22 Bromley LBC v GLC [1983] 1 AC 768 (HL).

23 スティーブンズ(石見訳)・前掲注(5)43頁参照。サッチャー政権の環境大臣であるニコ ラス・リドリー (Nicholas Ridley) が地方公共団体を条件整備団体として位置づける構想を 示した。民営化を積極的に推進する論者であったリドリーに関しては豊永・前掲注(3)

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維持しようとし、強制競争入札に消極的な態度を示すことについて、不満を抱いていた。

地方公共団体が担当してきたサービスの提供は、強制競争入札を介して次第に外注化され るようになり、やがて、強制競争入札が地方公共団体の既存の各種仕組みに導入されてい る。たとえば、1988年には地方公共団体の清掃業務や保全業務、1989年はスポーツおよび レジャー施設、1992年に財政および技術的業務分野で強制競争入札が導入されている。サ ービスの提供を行ってきた地方公共団体の組織は、地方公共団体と契約するために民間企 業と等しく競争しなければならなくなった。

このようにサッチャー政権の地方公共団体統制は、地方公共団体の行財政を様々な側面 から統制するものとしてあらわれた。次節で取り上げる権限踰越の事件は1980年代後半に 生じたこうした地方財政の統制に直面した地方公共団体が、その財政統制政策の打開を企 てて活動したことが一因だといえる。

さらにまたサッチャー政権は、地方行財政の一層の効率化をすすめるために、人頭税(ポ ール・タックス)と評される制度の導入も図ったものの、国民から大規模な抵抗を受けて 導入を断念した24。このポール・タックス制度への批判はあまりにも強く、サッチャーはポ ール・タックス制度導入の蹉跌を機に政権を退いた25

サッチャー政権の後続であるメージャー政権は、サッチャー政権による地方行財政改革 の路線を修正しながら地方公共団体の改革を全般的にすすめた。

中 央 は公 教育 につ いて 1992 年 継続 教育 およ び高 等 教育 法 (Further and Higher

Education Act 1992) を制定し、地方教育当局の管轄の範囲をさらに制約した。同法は地方

公共団体における継続教育およびシックス・フォーム・カレッジ(6th Form College)を地方 教育当局から新たに設置した継続教育公社へと移管した。また1992年継続教育および高等 教育法は1988年教育改革法の条文を拡充し、地方公共団体の規律に服する学校から政府資 金運営学校への移行を許容するようになった。このような公教育の改革は地方民主主義の 低下の一現象としてみられる。

メージャー政権下では都市開発公社や職業訓練・事業協議会の創設とともに、地方の代 表をあまり受け入れていない多い独立の準公共団体 (QUANGO) の増加がさらに図られた。

労働党系の地方公共団体の数が増加するにつれて、独立の準公共団体の存在は懐疑的にみ られ軽んじられるようになる。

メージャー政権は地方公共団体の職務の分配を見直すべく一層制自治体の導入を試みた。

スコットランドやウェールズでは地方公共団体を再編する改革が成功裏に進んだものの、

イングランドにおいては組織改革への反対論を覆すことができず、一層制自治体の導入は 失敗に終わった。

164-173頁参照。

24 岡田章宏「地方財政システム」戒能通厚編『現代イギリス法事典』228頁(新世社、2003)

229-230頁参照。

25 See, David Wilson and Chris Game, Local Government in the United Kingdom (5th edn, Palgrave Macmillan 2011) 235.

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20 世紀後半のイギリス政治は、中央政府と地方公共団体が大いに関わり合いながら進行 しており、中央政府による地方公共団体の法的統制から争いがしばしば生じた。サッチャ ー政権時代には、特に、中央政府による地方公共団体への法的統制が一段と強められたこ とで、中央・地方間の争いが激化したといえる。

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