2 英国憲法下の地方自治と法人たる地方公共団体
2.3 法人と地方自治
2.3.2 法人としての地方団体
地方団体はかつて中央との関係では、国会議員選出のための地方選挙人団という役割を 有していた。君主はその機能に着目して地方団体への介入を試みたことがあり、任意のバ ラに特許状を付与することもあった106。
地方団体は地方統治に関わる唯一の団体ではなかった。商業的な利益団体や自主的に活 動する団体が、今では行政に求められる救貧や公用地の管理について一定の役割を担って いた。このように多様化していた地方の統治は時代を経て徐々に整備されてゆく。パリッ シュは一般的に治安官の任命、公共施設の提供、救貧監督官を通して救貧行政を執行し、
パリッシュ内部の法と秩序を管理していた。これらの者は選挙と任命により選出されてお り、いずれの選出方法が採用されるかは地域により異なっていた。バラには地方の特権を 保障する国王の特許状が付与され、地方税の徴収や治安判事の任命といった職務が認めら れていた107。多くの地方ではギルドに対しても特許状が付与されている。ギルドは地方団 体の活動を補完することとなり、地方の交易や商業を規制することから利益を得ていた。
構成員間における代表制や説明責任はギルドにおいて実践されていたものであり、次第に 地方団体に普及することになる108。
カウンティとバラによる非公選の限定的な統制の体制は、急速に発展する産業社会の時 代において、社会から要求される需要を充足しえないほど前時代的で無力なものと考えら れるようになる。当時の自由主義者や社会の改善を望む者は、社会問題を処理すべく地方
104 岡田・前掲注(56)2章参照。
105 岡田・前掲注(56)99-104頁参照。
106 アンドリュー・スティーブンズ(石見豊訳)『英国の地方自治――歴史・制度・政策』(芦 書房、2011)8頁。
107 かつてのバラはロンドンのバラを除いて特許状により設立される法人であった。従来の ロンドンのバラや、後に成立するcounty council, urban and rural district corporations, urban and rural district councils, parish councils and parish meetings and the Greater
London Councilは、制定法上の法人と呼ばれる。現在ではバラ法人は自然人と同等の能力
を有している。
108 スティーブンズ(注106)9-10頁。
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自治を包括的に担う新たな体制の構築を希求した109。
地方統治については1835年都市法人法によって包括的に法整備が行われ、地方団体にお ける地方民主主義の導入を含む制度改革が達成された110。同法では全般的に地方自治の仕 組みを整理しており、地方議会の構成員が直接選挙されるよう保障されることが求められ た111。納税者は住居の占有等の一定の要件を充足し市民名簿(burgess roll) に記載されるこ とで市民となり、カウンシルの構成員や会計監査人等の選挙権を取得しうるようになった のである112。
そして地方団体は従来の法制度上存在しなかった財源の監査に服し、支出活動を非常に 慎重に行うよう規律されるようになった113。地方の財源に対する規律の制度は、地方団体 があらかじめ計画している職務や制度以外に対する支出を禁止するものであるから、地方 団体は結果として支出する金銭に関わる説明責任を住民に対して負うことになる。
1835年都市法人法はこのように地方団体に様々な影響を及ぼすものであり、イングラン ドの地方自治の発展に関する画期的な立法だと位置づけることができる114。民主体制を実 現した代表制の地方公共団体、選挙権の拡大、行政上の効率性、財政上の健全さに関する 基準など1835年都市法人法に規定された条文は、当時先進的団体と見なされた各団体の実 務を参考にしたものだといわれている。
1835年都市法人法は、国会制定法上の制度として都市法人を法的に位置づけ直しており、
国会が地方団体の内部構成や活動内容を定める「地方に対する国会の統制強化」の端緒と してみられる115。1835年都市法人法1条によると、都市法人の団体の法的根拠は国会制定
109 スティーブンズ(注106)10-11頁。
110 スティーブンズ(注106)11頁、Martin Loughlin, “The Demise of Local Government”
in Vernon Bogdanor (ed), The British Constitution in the Twentieth Century (OUP
2003) 528. 法改正に寄与した都市法人に関する王立調査委員会については、岡田章宏『近
代イギリス地方自治制度の形成』(桜井書店、2005)125-135頁参照。
111 1835年都市法人法の制定過程や基本構造については岡田・前掲注(56)2章3節で詳
しく論じられている。なお、パリッシュ監督官が貧困にあえぐ家を地方税の徴収対象の帳 簿に含めることをあえて拒絶したことから、地域住民の多くがその選挙権をいわば自動的 に剥奪されてしまう事態が生じた。スティーブンズ(注106)11頁。実務上は地方の代表 を選出する選挙権が以前と同様に限定されていたといわれる。地方選挙の有権者の範囲は、
1835年都市法人法制定から1世紀以上を経た1948年国民代表法によって、非納税者を含 めるべく拡大された。
112 Municipal Corporations Act 1835, ss 9, 13, 15-17, 29.
113 Municipal Corporations Act 1835, s 92.
114 岡田・前掲注(56)2章参照。
115 岡田・前掲注(56)170頁。ただし中央が地方を一方的に規律したということではない。
スティーブンズ(注106)14頁によると、地方団体の発展には、以前の地方団体の発展と 同様に、地方の多様性や地方の事情が反映されていた。1840年代には、国会による地域的 個別法律(local act)の制定を通して地方公共団体が権限を広く得ている。イングランドの全 域において、多くの地方団体が地域的個別法律を用いて自身の地域に資すべく条項を制定 し、地域の改善に携わっていた。バーミンガムでの新たな地方警察隊設置の権限の要求が その一例である。地域的個別法律の取り組みが全国的な法として普及することもみられた。
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法にのみに求められることになるが、英国地方自治とは憲法上ではなく国会制定法上保障 されるにすぎないとの考えは、この法律に大いに影響されたものだといえる116。
地方団体の財政規律は地方議会の構成員の変容を受けてすすめられた。以前の地方団体 は財政上浪費をしており、その浪費について責任を負わないために非難の対象となってい た117。1835年都市法人法成立前はトーリーや国教徒が地方議会において大部分を占めてい た。1836年の直接選挙によってホイッグの非国教徒や商人階級が地方議会の構成員として 選出された。新たに選出された構成員は地方税の財源を慎重にまた注意深く管理すべき責 任を引き受けるようになった118。
また特定の目的を達成するための団体が設立されるために、地方団体がかつて有してい た中核的な職務を失うことも見られた。例えば法と秩序の維持に支障を来すパリッシュで は、1835年のバラ警察隊や1839年のカウンティ警察隊が個別に設置されている119。
1835年都市法人法の制定から半世紀が経過すると民主制がさらに推進された。1888年地 方自治法 (Local Government Act 1888)は公選団体としてカウンティ・カウンシルを設置し ている。また、50000 人以上の住民が居住するバラはカウンティ・バラとされ、都市法人 が従来有していた権限に加え、カウンティ・カウンシルが行使するとされる権限をも備え るようになった。
都市法人は自分自身で行動することができないため、唯一の機関たるカウンシルを通じ て行動する120。法人によって行われる取引が法的に有効とされるには、地方行政の当局が 法人を代理して行動する必要がある。もっとも、制定法上の権限および義務が法人ではな くカウンシルについて規定されている場合もあり、その場合にはカウンシルが地方行政の 当局となる。
現在では、バラ以外の地方当局は制定法上の法人(statutory corporation)とされており、
制定法上の法人にはさまざまなカウンシルが含まれている121。公選のカウンティ・カウン シルは1888年地方自治法1条によって設置されたカウンシルである。カウンティ・カウン 全国的に好ましいとされる政策を採用しようとする個々の地方団体は、すべての都市法人 にそうした政策が適用されることを求めるようになり、全国に適用される一般的な地方団 体の立法を通して、やがて一連の法律へと整理統合される。
116 岡田・前掲注(56)171頁は、地方自治が日本において憲法上保障されることと比較対 照してこのような見解を示している。
117 スティーブンズ(注106)11-12頁。
118 地方団体の財源が慎重且つ注意深く管理されるべきとされたことで、信託法理を適用し て地方団体の財政支出を統制する1830年代と1840年代の一連の判例が現れた。岡田・前 掲注(56)190-193頁、注62-66参照。これらの判例では、かつて地方議会を占めていた 者の活動に対する財政統制の是非が争われている。
119 スティーブンズ(注106)12頁。他の例として、1834年改正救貧法によってパリッシ ュが地方の福祉に関する責任を喪失するとともに、パリッシュ連合に基づく公選の保護官 委員会が新規に創設されている。
120 See, Bailey (n 76) [1-06].
121 Bailey (n 76) [1-07]-[1-12].