3 権限踰越の法理と副次的権限の起源および展開
3.3 地方公共団体への権限踰越の法理と副次的権限の適用
3.3.3 権限踰越の法理の社会的機能
68
の緩和が地方自治分野においても同様に行われたと理解すればよいだろう。また、19 世紀 末葉の時点では地方公共団体に権限踰越の法理が厳格に適用されていなかったのであり、
裁判所は1920年代になり権限踰越の法理の厳格性を緩和する傾向を示したといえる。
ロッホリンも地方自治の伝統への配慮を評価し、伝統的な地方自治制度において権限踰 越の法理の影響の縮減化が目指されてきたと論じるものの、その理由付けにおいて副次的 権限の存在を強調していない。ロッホリンは地方の統治に関する法的枠組みは本質的には 地方公共団体による統治を許容する、司法的統制になじまない統治体制であり、地方公共 団体には広範囲にわたる義務が課されていたものの、義務の内容が客観的に規定されてい なかったために地方公共団体は司法判断に適さない義務を課されてきたと主張する62。地方 公共団体に課せられる義務が広範囲にわたり規定されているというのは、国会が地方公共 団体に対して、広範囲にわたり職務を遂行するよう授権していたということである。授権 が広範囲にわたるほど、地方公共団体が授権されていない領域が狭まり、結果として権限 踰越の法理が適用される領域が限定されるのである。ロッホリンの見解は、国会が司法の 判断になじまない義務を地方公共団体に課すことで、裁判所が権限踰越の法理を利用して 地方自治を規律する事態を抑制し、結果として地方自治を保障してきたと考えるものであ る。
ロッホリンが唱えるように権限踰越の法理の影響の縮減化を目指す観点からは、裁判所 が副次的権限を認めたことを適切に評価することができない。裁判所は司法判断に適さな い義務を課すために副次的権限を認めたわけではなく、権限踰越の法理により行動の法的 効果が無効とされる影響を制限すべく副次的権限を認めたにすぎなかった。副次的権限が 認められる地方公共団体の活動領域において、裁判所の規律が排除されることにはならな いのである。
69
公表し、19世紀の世論が法改革にもたらした影響を論じている64。
ダイシーはこの『法律と世論の関係に関する講義』で、1865年から 1900年の期間を団 体主義(Collectivism)の時代と位置づけ、個人主義と対立する団体主義の高まりを描き出し た。団体主義とは、国家の干渉によって国民大衆に利益がもたらされるならば、たとえ個 人の自由を多少犠牲にするとしても国家の干渉を歓迎するという考えである65。
ダイシーが注意を向けるよう促すのは、当時の産業が私人による経営から国家が設立し た 法 人 の経 営へ と 移行し て い く様 子 で あ る66。ダ イ シ ーに よる と 一連の 鉄 道 会社 法 (Railway Companies Acts) と ジ ョ イ ン ト ・ ス ト ッ ク ・ カ ン パ ニ ー 法 (Joint Stock
Companies Acts) は、個人が団体の規律に関わりうるという点で自由主義者が法改革の意
義を評価してきたものの、しかし実際には、そのような法改革は個人が活動することの重 要性を減じさせる契機となるものであった。法改革は、従来のイギリスでは国家がほとん ど関与してこなかった営業の事項に国家が干渉する余地を与えるのみならず、国家による 介入の論拠をも提供することになる。
さらにダイシーによると、法改革の帰結として、国家の真の利益または国家の利益だと 想定される事項を追求すべく、私人の財産権が干渉されることを国民が慣れ親しむように なってしまった67。法律上独占権も特許も有しない私人は、他人の財産を強制的に買い上げ て取得すべく、または隣人の財産権に一般的に干渉することが認められるべく議会制定法 の授権を必要とすることはなかった。これに対して鉄道会社は議会制定法によって創設さ れ、議会が定める条件に基づいて事業を経営する。鉄道会社は、他人の財産権に干渉する 権限たる土地収用権を授権され、線路の敷設を着実に行うことができる。鉄道会社の運営 が成功したことは、個人の活動よりも団体の活動が優れていたことを示したのであるが、
これによって一般人は、個人が活動するよりも団体が活動する利益に注意を向けるように なってしまった。もっともこれは鉄道会社に限られることではなく、議会制定法によって 授権される権限および特権を得て活動する、他の法人にも等しく当てはまる。
このように団体が主導する産業が当時発達したことによって、個人による営業を重視す る見解が次第に衰退し、団体主義的な思想が普及するようになったのである。
それのみならず、ダイシーは地方団体の業務内容の変遷にも注意を促す68。1835 年都市 法人法制定以前の地方団体は、産業に関与する能力を欠いていたようにみえるという。地 方団体は腐敗し能率的ではなく、地方公共団体が負っていた義務さえも回避する側面があ
64 A V Dicey, Lectures on the relation between law and public opinion in England during the nineteenth century (2nd edn Macmillan & Co, 1914; reissued with a Preface
by E C S Wade 1962) A.V.ダイシー著(清水金二郎訳、菊池勇夫監修)『法律と世論』(法律
文化社、1972)。本書はダイシーがアメリカのハーヴァード大学において講義した記録に基
づいている。
65 Dicey (n 64) 64-65, ダイシー(清水訳、菊池監修)(注64)107頁。
66 Dicey (n 64) 246-248. ダイシー(清水訳、菊池監修)(注64)250-251頁。
67 Dicey (n 64) 246-248. ダイシー(清水訳、菊池監修)(注64)250-251頁。
68 Dicey (n 64) 284-288. ダイシー(清水訳、菊池監修)(注64)269-276頁。
70
った。そのため、地方公共団体は社会から不信視される対象となっており、社会の人々は 地方公共団体の活動の範囲を拡大しようとは考えていなかった。地方公共団体の活動を改 める1835年都市法人法の影響が地方公共団体に浸透した後に、地方公共団体が公益に関わ る産業を運営するということが社会全体に受け入れられるようになった。また、地方公共 団体による営業は当時の自由主義の風潮にそぐわないものだとダイシーは述べている。
1850年以後には地方団体が営業を急速に発展させ、19世紀末に近づくにつれてその規模 を著しく拡大した。当初の地方団体は地方団体の職務と密接に関係する業務に携わってい た。後の地方団体は私人が所有する市場の諸権利を購入している。私人の会社が携わって いたガスの供給業務は、多くの場合地方当局へと引き継がれており、後には鉄道会社や住 宅の建設についても同様の動きが見られた。
その後地方公共団体は地方税に依拠して事業活動を展開し、私人の業者の業務と競合す る事業に携わる姿勢を示した。その地方公共団体による事業活動の目的は専ら地方の住民 に広く利益を供与するというものだった69。
ダイシーが以上のように述べていた都市社会的な所有は1920年代のポプラリズムの運動 で強く主張された70。都市社会主義的活動に熱心だったポプラー・バラは、London CC か らの地方税徴収命令を拒否し、当時の救貧法給付金の運用に対して中央政権に対抗する姿 勢を敢然と示した。その結果、地方公共団体の議員が投獄されることとなり、いわゆるポ プラリズムと呼ばれる動向が生じるようになった71。
ダイシーの見解から導き出される時代的背景を考慮すると、権限踰越の法理が問題とな る場合に副次的権限が認められることは、裁判所が地方団体による都市社会的な所有を許 容することにつながる。地方公共団体に権限踰越の法理が適用された当初は、地方税の納 税者としての地位を利用して関係者訴訟を提起した競合会社の訴えを認めることにより、
裁判所は地方公共団体の活動を法的に制約していた。その後の裁判所は、副次的権限を抽 象的にも具体的にも認めることになるが、それによって地方公共団体の活動の範囲はより 拡充することとなり、実質的に都市社会的な所有が許容されることにつながったのである。
しかし実際には、裁判所が副次的権限を認めるとしても、地方公共団体が副次的権限を 活用して必然的に行動することにはならない。4章でみるように、地方公共団体の積極的な 権限行使がみられないことは、判例上認められた副次的権限が制定法上明示的に規定され る要因の一つとなる。
このように権限踰越の法理には、地方団体の活動を効果的に制約して都市社会的な所有
69 Dicey (n 64) 287. ダイシー(清水訳、菊池監修)(注64)275頁。
70 スティーブンズ(注63)21-22頁。
71 ポプラリズムの動向に関連する貴族院判例が Roberts v Hopwood [1925] AC 578 (HL).
である。同判例では裁判官が信託法上の信認の概念を援用したのだが、その援用が不適切 であるとの批判がなされてきた。See, Martin Loughlin, Legality and Locality: The Role of Law in Central-Local Government (OUP, 1996) 210-212. この事件は1980年代の司法審 査の裁量権統制の文脈で注目されるようになる。