6 結論
6.2 日本法への示唆
6.2.1 地方自治の憲法上の位置づけ
日本の地方自治制度とイギリスの制度を比較することは難しい。日本の憲法典には地方 自治に関する章が設けられており(第8章)、地方自治が憲法上の保障の対象とされている。
また、日本においては、イギリスの権限踰越の法理のように地方公共団体の授権の範囲外 の行動を一律に違法とし無効とする原則は学説上および実務上発達しなかった。そのため、
国会制定法の規定の欠如により地方自治が大いに影響を被るということは日本において考 えにくい。これに対してイギリスでは憲法典が存在していないために、地方自治は伝統的 に認められてきたものにすぎず、憲法典において明記される存在ではなかった。さらにイ ギリスでは、地方公共団体の権能行使が権限踰越の法理によって違法とされることが、学 説上も実務上も認められてきた。このように両者は地方自治の保障を憲法上明文化してい るかという点で大きく異なり、そうした両国の制度を比較することは容易とはいえない。
日本とイギリスの地方自治制度比較の困難さを理解しつつ、地方自治の憲法上の位置づ けに関する示唆を提示する。
日本の憲法上、地方自治の特徴の一つとされる団体自治の法的根拠について戦後はいわ ゆる制度的保障説が有力となっている13。団体自治とは、「国家の中に国家から独立した団 体が存在し、この団体がその事務を自己の意思と責任において処理すること」をいう14。か つて地方公共団体は前国家的権利として自治権を有しており、国家から自治権を付与され たわけではないとの固有権説が唱えられる一方15、地方公共団体が自治権を有するのは国家 によって付与されたからであり、地方公共団体は前国家的な権利として自治権を有しては いないという伝来説が主張されていた16。戦後の有力説となった制度的保障の理論は、まず 固有権説を否定し、地方公共団体の自治権とは憲法によって保障されたものであって、憲 法制定前から自然権として存在したものではないことを主張している。制度的保障の理論 は他方で、地方公共団体の自治権は憲法上保障されていることを理由として、地方自治の 本質的内容を法律によって否定することを認めていない。現在の有力説はこのように中央 の国会の立法権能を制約することで地方自治の権利を保障しようとしている。
日本の公法学者である柳瀬は制度的保障説を批判し、日本の地方の自治権を限定的に解 釈した。柳瀬は1960年代以後有力説として位置づけられるようになる制度的保障論につい
13 宇賀克也『地方自治法概説』(有斐閣、第5版、2013)6-7頁。制度的保障については『自 由と特権の距離―― カール・シュミット「制度体保障」論・再考』(日本評論社、増補版、
2007)参照。
14 宇賀克也『地方自治法概説』(有斐閣、第5版、2013)3頁。
15 現在では、日本国憲法の定める国民主権原理と基本的人権の保障の規定を根拠として、
かつて自然法を根拠として唱えられていた団体自治を再構成し積極的に評価しようとする 新固有説(憲法伝来説)が唱えられている。宇賀克也『地方自治法概説』(有斐閣、第5版、
2013)5頁。
16 宇賀克也『地方自治法概説』(有斐閣、第5版、2013)3-6頁。
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て17、制度的保障論を利用して日本国憲法92条を解釈することは不必要かつ無根拠である と批判する18。さらに日本国憲法92条の解釈については「やはりその文言の通り、これを 地方自治の本旨に合致する限りにおいての地方自治の制度、従って地方団体の自治の権利 の維持を命じたものと見るのが正しい解釈」であり、地方自治の本旨、すなわち地方自治 が認められる合理的理由から見て地方自治を認める余地が全くなくなった場合には、地方 自治を全廃して差し支えないとともに全廃すべきであるとも柳瀬は主張した19。柳瀬はさら に、「地方自治というのは単に事務処理の一つの方式であって、その価値はその方式がその 処理する事務の性質に適合したものであるところから生ずるもので、決してその点を離れ てそれ自身に固有の価値をもったものではない」ことを指摘し、制度的保障説は「いわば 地方自治という一つの固定観念に取憑かれた考」であると非難している。また柳瀬は日本 の憲法解釈上、国会は地方自治の本旨に反しない限り、地方の状況に応じて法律を自由に 制定しうると主張することもあった20。
このように制度的保障説を批判した柳瀬は「イギリスの地方自治が理解できれば、地方 自治がわかる」と述べており、イギリスの地方自治研究が日本の地方自治研究に多大な示 唆を与えると主張している21。
柳瀬がもしも当時のイギリスの地方自治の理解を背景として日本国憲法の地方自治を限 定的に解釈にしたならば、現在ではどのようなイギリスの地方自治観が参照されるべきで あろうか。まず柳瀬がイギリスの地方自治について言及した時代には、地方自治の保障に 関わる権限踰越の法理が既に存在していたものの、柳瀬はこの原則について批評を加えて いないためどのように理解していたかは分からない。裁判所が地方自治の保障を拡大する 場合には権限踰越の法理による制約が問題となり、岡田が主張するようにイギリス地方自
17 成田頼明「地方自治の保障」『日本国憲法体系5巻 統治の機構Ⅱ』(有斐閣、1964)231 頁。
18 柳瀬は憲法 92 条の解釈に制度的保障を利用すべきでない理由をつぎのように論じてい る。柳瀬良幹「地方自治の制度的保障」自研47巻12号11頁(1971)38-40頁。まず、無意 味な規定を意味のある規定にすべく条文に規定されていない概念を利用しなければならな い場合に限り、条文に規定されていない概念を利用することが法律解釈上是認される。そ して憲法92条は憲法92条のみで解釈することができるので、他の概念を用いる必要がな い。「法律に対して『地方自治の本旨』という限界が課せられ、その結果、地方自治の制度 がその限度において憲法上の制度として承認され、地方団体の自治の権利がその限度にお いて憲法上の制度として承認され、地方団体の自治の権利がその限度において憲法上の権 利として承認されていて、従ってそれ自身で完全に」意味を有する日本国憲法92条につい ては、憲法92条の規定以外に制度的保障の概念を用いて「意味を定めなければならぬ必要 は毫もない」のである。このように憲法92条は無意味な規定ではないから、制度的保障の 概念を利用して憲法92条を解釈することは法律解釈上許容されないことになる。
19 柳瀬良幹「地方自治の制度的保障」自研47巻12号11頁(1971)38-40頁。
20 柳瀬良幹「憲法と地方自治」『憲法と地方自治』17頁(有信堂、1955)、柳瀬良幹「民主 主義と地方自治」『憲法と地方自治』47頁(有信堂、1955)参照。
21 竹下譲『パリッシュに見る自治の機能――イギリス地方自治の基盤』(イマジン出版、2000)
5頁。
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治研究においては権限踰越の法理の意義を十分に理解し、検討することが求められる22。そ して、柳瀬は1952年から1974年まで地方自治研究の成果を公表してきたのであるから23、 柳瀬のイギリスの地方自治観は1979年以後のサッチャー政権が地方公共団体と対立し地方 の行動を抑制する以前のイギリス地方自治をもとに構築されたものであり、地方自治の抑 制と推進が行われる後のイギリス地方自治を参考にしていないものである。サッチャー政 権発足後のイギリス地方自治の展開の評価が重要になる。
サッチャー政権以後のイギリス地方自治は推進の方向へと変容を遂げている。国会主権 の原理によって、地方公共団体は国家によって自治権を付与されることで自治権を有する のであり、地方公共団体は前国家的な権利として自治権を有してはいないという統治構造 が構築されてきた。この統治構造においてサッチャー政権は法律を利用し、行政運営の効 率性を高めるために地方に対してさまざまな統制を及ぼした。サッチャー政権後の国会は 地方の民主制を反映する代表制の地方公共団体に権能を付与することで、権限踰越の法理 の適用範囲を狭めた。国会は国会主権のもとでの地方自治にとり国会制定法による授権が 重要であることを把握し、立法措置を講じてきたのである。
権限踰越の法理をめぐるイギリスの地方自治の展開をふまえると、イギリスの地方自治 とは、いわば伝来説を自治権の根拠とする統治構造の中で、地方公共団体が民主制や効率 性への配慮等の観点から自治権を獲得し、地方公共団体自身の権限と責任において政治や 行政を自主的に処理することだといえる。地方自治はイギリスの憲法典に規定されていな いとはいえ、今では中央が地方自治の重要性を認識しているのだから、地方公共団体が獲 得した自治権について中央が撤回ないし縮減することは今では想定しにくい。
日本国憲法の地方自治を理解するために現行のイギリスの地方自治を参考にするならば、
憲法の運用過程で中央が地方自治を重視することによって地方公共団体が自治権を獲得し ていることが注目されるべきである。イギリスの地方自治は単に一つの事務処理の方式に すぎないものとはいえず、地方の民主制を重視する固有の価値を持つものだと考えられる。
6.2.2 分権改革の評価
最後に中央から地方への授権が行われる分権改革について、地方公共団体と地域住民へ の影響に配慮する観点から日本への示唆を提示したい。
まず、地方公共団体が自身で処理しえない事務を分権改革の名の下に負うならば、地方 の自律性は必然的に害されることになる。権限踰越の法理に関する文脈では、イギリスの 地方公共団体が負担する事務の量は特に問題とならなかった。他方で、日本の地方公共団 体が事務を過剰に負担していることは知られている。日本の地方公共団体の事務負担の量 を考慮すれば、中央が地方公共団体にさらに授権し職務を負担させて、総合的な行政の主
22 岡田章宏『近代イギリス地方自治制度の形成』(桜井書店、2005)269頁注29。
23 柳瀬良幹「憲法第八章について」自治28巻6号3頁(1952)、柳瀬良幹「地方自治三十 年の評価」自治省編『自治論文集 地方自治30年記念』29頁(ぎょうせい、1974)。