6 結論
6.1 本研究の成果
6.1.1 権限踰越の法理の抑制による地方自治全般の推進
イギリスでは、主要政党が地方自治の推進を主張し、またスコットランド等への権限委 譲(devolution)がすすめられるなど、分権化の理解の深まりがみられる1。しかし、イギリス の地方自治は憲法典により明示的に保障されていないため、地方公共団体の自律を確保す る体制の構築が長らく課題とされてきた。
本研究は、3章から5章において、19世紀中葉から発展を遂げた権限踰越の法理の展開 を時の流れに沿って分析し、権限踰越の法理の抑制によって地方自治全般の推進が図られ てきたことを明らかにした。権限踰越の法理とは、国会制定法による授権の範囲外では、
法人は権利や義務を負う法的主体とはいえないとされ、授権の範囲外での行動が裁判所に よって違法であり無効と判断される原則である。権限踰越の法理は19世紀中葉の鉄道会社 に対する統制に端を発し、私法と公法に共通する法人の統制の原則と位置づけられ、やが て、地方公共団体を統制する原則となった。権限踰越の法理が判例法理として成立すると、
やがて副次的権限の法理が判例法上形成された。副次的権限とは、既存の権限によって明 示的又は黙示的に認められる権限のみならず、既存の権限に付随すると合理的に考えられ る権限を指す。副次的権限が認められれば、国会制定法による授権の範囲がより広く理解 されることになり、法人の活動の適法性が認められやすくなる。地方自治の推進の観点か らは、副次的権限等による権限踰越の法理の制約が長年の課題となってきた。
本節では現代イギリス地方自治制度の特徴として指摘される四要素、すなわち地方公共 団体が他の国家機関からの制約を受けずに権限を自由に行使しうる裁量権、地方公共団体 が多くの機能を備える多機能性、地方公共団体がサービスの提供に要する財源に充当すべ く自主財源確保の観点からレイトを徴収する課税権、地方統治に携わる者を地域住民が選 出する代表制という分類を参考にしながら本研究の成果をまとめる2。
6.1.1.1 裁量権の制約の緩和
権限踰越の法理はイギリスの地方自治の裁量権を制約する原則として伝統的に理解され てきた。地方公共団体が権限を踰越して行動した場合にはその行動は法的に無効となるの で、地方公共団体は権限踰越の法理の下では自律的な活動を行いにくい。
19 世紀末から 1930 年代にかけて都市社会主義的な思想が浸透し、地方公共団体が提供 する行政サービスの内容が拡充されるようになる(3 章)。地方公共団体は国会制定法によ って、教育分野や社会保障分野など、その後は地方住宅の供給や地域開発分野において、
様々な法的権限を授権されるようになった。
1 David Wilson and Chris Game, Local Government in the United Kingdom (5th edn, Palgrave Macmillan 2011) Ch 20.
2 Martin Loughlin, Legality and Locality: The Role of Law in Central-Local Government Relations (OUP 1996) 80-82.
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20 世紀になると、権限踰越の法理と副次的権限が地方公共団体の権能をめぐる判例にお いて適用されるようになる。地元の民間企業と競合する事業運営や、公共の洗濯場におけ る地域住民に対する洗濯サービスなど、サービス供給の分野での業務運営が、権限踰越で あり、違法だと判断されることがあった。その後、地方公共団体による事業運営に関して、
副次的権限が認定され、適法との判断が下されている。
裁判所が会社法分野に適用されてきた権限踰越の法理を地方公共団体に適用した理由は 二点考えられる3。第一に、法律によって設立され授権される団体は権限踰越の法理が等し く適用されるべきだと考えたことである。第二は、地方公共団体が法律の授権によって課 税権限等を有することで統治の団体として把握されるようになり、法の支配の観点から法 的根拠を欠く行政の行動を抑制すべきと考えたことである。権限踰越の法理が会社法分野 と異なり地方公共団体に対する統制として長年にわたり存続してきたことを踏まえれば、
第二の理由が注目に値する。
裁判所が地方自治に配慮して権限踰越の法理を厳格に適用しなくなる傾向があるとみる 見解があるが、裁判所の地方自治を配慮する考えは一連の判例からは伺い知ることが難し い4。裁判所が権限踰越の法理を厳格に適用しなくなる傾向は、法人分野で既に示されてい た権限踰越の法理の緩和が地方自治分野にも適用された結果として理解することができる。
第二次世界大戦以後は地方行政の領域がさらに拡大する(4 章)。地方公共団体は国会制 定法の授権をうけて教育や住宅供給分野における権限を得た。他方で、社会保障関連のサ ービスや水道やガス等の公共的サービスの提供業務は、地方公共団体の業務ではなく中央 の業務として位置づけられて権限の移管がすすめられた。もっとも、住民にサービスを提 供する地方公共団体の活動の分量には衰えがみえていなかった。
副次的権限については1972年地方自治法111条によって明文化されたものの、地方公共 団体が裁量的な権限をより取得したとはいえない状況が続いた。地方公共団体の行動が権 限踰越であると判断される判例が相次いで現れている5。
権限踰越の法理が地方公共団体に対する司法的統制の強化に資する現象もみられた6。裁 判所による行政の裁量統制は1980年代中葉に積極的になるが、後には裁量統制に関する裁 判所の理由付けへの批判が高まったためであろうか、控えられる傾向を示す。他方で、裁 判所による行政の裁量統制が控えられるようになる同時期には、権限踰越の法理を利用し た行政に対する司法的統制の判例が現れている。権限内の活動に対する裁量統制とは対照 的に、権限の欠如の統制に関わる権限踰越の法理が、地方公共団体の活動を規律する原則 として活用されたのである。
1997年に発足したブレア政権以後は、地方公共団体への授権が広範に行われるようにな
3 3.3.1 参照。
4 3.3.2 参照。
5 4.3.3 参照。
6 4.4.5 参照。
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り、地方公共団体の裁量権が拡大する(5章)。2000年地方自治法2条の福利に関する権限 により、地方公共団体は一定領域で福利を促進する権限を行使できるようになる。ただし 裁判所は福利による権限の規定後も地方公共団体の権限踰越の行動を認定し、地方公共団 体の行動を違法であり無効であると判断することがみられた。国会は裁判所が権限踰越の 法理を適用して地方公共団体の権能を統制したことに対処すべく、2011年地方主義法1条 で概括的権限を規定したので、地方公共団体は自然人の有する権利能力を原則として有す るようになった7。
地方公共団体の裁量権の拡大は権限踰越の法理によって幾度も制約を課せられてきたの であるが、今では権限踰越の法理の範囲を制限することによって、地方公共団体の裁量権 が図られているといえる。もっとも、地方公共団体に適用される権限踰越の法理は、1世紀 に及び定着しており、地方公共団体の法的地位の議論では欠かすことの出来ない法理とし て位置づけられることは否定できない。そしてイギリスの公法上の権限踰越の法理は、裁 判所による行政統制の一手法として確固たる地位を占めている。地方公共団体の裁量権を 制約する権限踰越の法理の行方が注目される。
6.1.1.2 多機能性の強化
権限踰越の法理は地方公共団体に認められる多機能性の限界にも関わる。
当初の権限踰越の法理は都市社会主義的な思想を抑制する機能を果たし、地方公共団体 が多くの機能を担うことに一定の歯止めをかけた(3章)。
中央が地方自治に理解を示さない場合には多機能性の充実は困難になる(4 章)。第二次 世界大戦以後は多くの授権が地方公共団体になされており、地方公共団体の多機能性が強 化される傾向にあった。だが、サッチャー政権では地方行政運営を効率化すべく様々な合 理化政策が講じられ、地方公共団体が備えるべき多機能性が侵害されるようになった8。
また、地方公共団体が副次的権限によって多様な機能を担うべきであると裁判所が判断 を示すこともみられなかった。
近年の中央は地方自治に理解を示し、地方公共団体の多機能性を充実すべく相次いで授 権を行っている(5章)。2000年地方自治法2条の福利に関する権限と2011年地方主義法 1条の概括的権限は、地方公共団体の多機能性を向上させる権限として位置づけられる。福 利に関する権限による多機能性の強化は、判例上は社会福祉分野の一定領域における義務 付けの過程で現れており、他方で地方自治実務においては地域経済や環境の分野において 活用されてきたといわれている。
地方公共団体は国会制定法の授権と裁判所による義務付けを通じて多機能性が強化され てきたのである。
7 5.2-5.3 参照。
8 4.2 参照。