第 2 章 統合報告の方向性とその変遷
2.3 統合報告に関する先行研究の分類
32
務資本提供者を含む)多様なステークホルダー同士の扱いはフラットであり,結果として「価値」
という用語の定義が曖昧であるという批判を受けることになった.これを受けて,最終的に提案 されたIRフレームワークでは,「(財務資本提供者を含む)多様なステークホルダーに関する情 報を,財務資本提供者に対して開示する」という方向性に変化はないものの,開示内容である「価 値」を,「組織に対する価値」と「他者に対する価値」に分けることで,財務資本提供者への情 報開示という姿勢がより強まったと言える.ただし,その他の情報利用者を排除しないことで,
A4S報告書やGRIガイドラインが担ってきた役割をも継承しようとしていることがわかる.以 上をまとめると図表2-4のとおりである.
図表2-4 開示内容および想定する情報利用者の変遷 財務資本提供者に
関する情報
財務資本提供者以外 のステークホルダー
に関する情報
想定する情報利用者
伝統的な財務報告 短期 なし 財務資本提供者
A4S報告書および GRIガイドライン
なし 長期 財務資本提供者以外
のステークホルダー
IIRC (2011) 長期 長期 財務資本提供者
IIRC (2013) 長期 長期 財務資本提供者
※ IIRC (2011)では,財務資本提供者に関する情報と財務資本提供者以外のステークホルダーに関する情報をフラッ
トに扱っているが,IIRC (2013)では,前者を「組織に対する価値」,後者を「他者に対する価値」として分けて扱 うとともに,相互作用を有するとされている.
出典:筆者作成
33
た.この原因を探ることは,財務資本提供者にとっての価値に限定したとしても,企業の価値の 決定要因は何であるのか,すなわち財務資本提供者の投資意思決定に資する情報は何か,という 問題を検討することに等しい.論者によって,無形資産,インタンジブルズ,など呼び方は異な るし,それら無形資産やインタンジブルズの具体的な構成要素という点についてはさらに多くの 見解があるが,統合報告の導入によって,そのような様々な要因が効率的に開示されるようにな ると考えれば,財務資本提供者が企業価値を評価するために必要な情報提供の枠組みとしての統 合報告が期待されるだろう.
たとえば,広瀬(2011b)が提案したEFR (Enhanced Financial Reporting)はIRフレームワ ークに示された概念と同様の概念を提示している.広瀬(2011b)は,EFRを,「現在および将 来の投資者その他の情報利用者が自己の責任で企業価値の創造・向上プロセスを正しく理解し,
企業価値を推定するのに有用な情報すなわち企業価値に影響を及ぼすバリュー・ドライバーにつ いての情報を利用可能にさせ」る財務報告スキームだとしている(p. 256).これは,IIRC (2013) における,「統合報告書の主たる目的は,財務資本提供者に対して,組織がどのように長期にわ たって価値を創造するかを説明すること(p. 4)」,「統合報告書は,・・価値創造能力に影響を与 える要因の組み合わせ・・の全体像を示す(p. 5)」とほぼ同じ主張である.
さらに広瀬(2011b)は,開示すべきバリュー・ドライバーの例として,「気候変動」「社会」
「人材・組織構造」「イノベーション」に関する項目を挙げている.これらは,IIRC (2013)が例 示した6つの資本のうち,「自然資本」「社会・関係資本」「人的資本」「知的資本」にそれぞれ対 応するように思える.すなわち,財務報告スキームとしての概念においても,想定される開示項 目においても,IRフレームワークと広瀬(2011b)の根本的な考え方が類似していると言える.
同じように,経済産業省(2014)(伊藤レポート)も,伝統的な財務報告の問題点を克服する ための手段として統合報告を指示している.経済産業省(2014)は,「短期主義に陥りがちな資 本市場(投資家)の圧力から解放されて中長期的経営を行う」ために,「経営者と投資家との間 の溝やすれ違いを解消する」必要があることを指摘し,質の高い対話の一つの手段として統合報 告を推奨している(pp. 7-8).
広瀬(2011b)も経済産業省(2014)も,伝統的な財務報告の限界を受けて,その問題に対応
することの必要性を指摘し,そのために非財務情報の開示を拡充すること,そして開示される非 財務情報が(財務資本提供者にとっての)企業価値との関連性を有することの重要性を指摘して
34
いる31.この主張は,前節においてIRフレームワーク(IIRC 2013)の特徴として指摘した,
①主たる情報利用者として財務資本提供者を想定し,②長期的志向に基づいて財務資本提供者に とっての企業価値を説明できるような情報開示を目指す,という姿勢とも合致する主張である.
この主張に基づく立場から統合報告の研究を進める研究者が第1のグループである.
統合報告を研究している2つ目のグループは,社会や環境という,財務資本提供者以外のステ ークホルダーに関する情報を,財務資本提供者以外のステークホルダーへ開示することに関して 研究してきた研究者,すなわちA4S報告書やGRIガイドライン,さらにCSR報告書に代表さ れるような社会・環境情報の開示を研究してきた研究者である.この分野の研究者は,財務資本 提供者以外のステークホルダーを主たる情報利用者として想定したうえで開示されてきた社会・
環境情報が,統合報告においては財務資本提供者を主たる情報利用者として想定された情報とし て規定されることに懸念を示している.
たとえば,上妻(2012)は,「統合報告とCSR報告では目的が異なるので・・CSR報告が統 合報告で代替されるようになると,ステークホルダーは重要な情報チャネルを失うことになる」
と警告している(p. 570).水口(2013)も,「これまでサステナビリティ報告書やCSR報告書 などの社会環境情報ディスクロージャーがマルチ・ステイクホルダーを対象に発展してきたこと を考えると,投資家を主要な対象とした統合報告の概念は,議論の後退ではないかとの批判もあ るかもしれない」と指摘している(p. 74).向山(2015)は,同様の懸念を示す一方で,投資家 が環境や社会の要素を組み込んで行動するようになり,責任投資が中心になってくることで,「サ ステナビリティ報告書と統合報告は対立するものではなく・・・補完的なものと捉える」とも主 張している(p. 74).すなわち,統合報告が財務資本提供者を主たる情報利用者として想定して いるとしても,財務資本提供者とそれ以外のステークホルダーの方向性が一致すれば,両者が納 得し得るような情報開示の仕組みが構築可能であるということになる.そのような視点から統合 報告のあり方を研究している研究者が第2のグループである.
統合報告の研究を進めている 3 つ目のグループは,管理会計の研究者である.Kaplan and
Norton (1992)がバランスト・スコアカード(Balanced Scorecard: BSC)の概念を提唱して以降,
非財務情報と財務情報との関連性,という要素が研究されるようになった.BSC のいう因果連 鎖という概念は,統合報告における結合性という考え方と類似していると考えられる.また,「財 務」以外の視点に基づく活動が,最終的には「財務」の視点に影響を与えるというBSCの主張
31 ただし,広瀬(2011b)の想定する開示方法とIRフレームワークが提案する開示方法が異な っていることは前章において述べたとおりである.
35
は,統合報告における「組織に対する価値」と「他者に対する価値」という2つの価値が相互に 作用する,という捉え方と類似している.
伊藤(2012)はCSR活動を「将来的には企業の財務的な成果に結びつくインタンジブルズで ある」と捉え,CSR活動と財務的成果との関連性を「見える化」することの意義を主張している
(p. 63).そこでは,CSR活動を,環境価値,社会価値および経済価値を創造するツールと位置
付けた上で,企業の価値を高めるための会計である管理会計においてCSR活動を研究する重要 性を説いている.BSC によって提示された思想を発展させた形での非財務情報の開示スキーム として統合報告を扱う研究を実践する研究者が第3のグループである.
特許庁(2010)では,わが国企業が「知的資産を適正に表現・開示していくための枠組みにつ いて」検討するため(p. ii),知的資産情報を包含する非財務情報の開示の実態を調査し,非財務 情報開示の目的について,(1)「財務報告を補完」,(2)「CSRの議論の延長としての財務情報 と非財務情報の統合」,(3)「財務情報を補完するリスク情報を開示させる意味での・・開示対 象を拡充」という3種類があるとまとめている(p. vii,番号は筆者).さらに,外部報告目的だ けではなく「内部管理」目的での利用も考えられるとしている(表58,p. 216).このうち,(1)
と(3)は同様の趣旨であると考えられるので,実質的には全体で3つの目的が存在することに なる.本節で見た3つのグループはこのそれぞれに対応していると言える.
なお,本論文は,基本的に第1のグループの立場,すなわち財務資本提供者を主たる情報利用 者として想定し,財務資本提供者の意思決定に有用な情報としての非財務情報の開示方法を探求 する,という立場を採る.