第 9 章 企業の環境対策活動と企業価値
9.1 環境対策活動への関心の高まり
温室効果ガスの削減に対する初めての国際的取り組みであった京都議定書において,第一約束 期間(2008年~2012年)の間に先進国が温室効果ガスの排出量を5%(対1990年比)削減す ることが合意された.しかし,京都議定書の対象は先進国に限られていたため,当時,大量排出 国であった中国やインドは対象外であった.さらに,米国も後に脱退したため,「国際的」と呼 ぶには対象国が限られた取り決めだったと言わざるを得ない.その後,温室効果ガスの排出に伴 う地球温暖化への懸念が国際的に共有されるようになったことを受け,米国や途上国も含む形で
「気候変動に関する国際連合枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change: UNFCCC)」が設定され,その締約国会議(Conference of the Parties: COP)の場を 通じて地球規模での対策が進んでいる.
日本は,京都議定書第一約束期間において,1990年比-6%という削減目標を設定した.この 削減目標は EU等の削減目標(同-8%)は下回るものの,世界の先進国と肩を並べる目標を掲 げていたと言える.しかし,2011年3月に発生した東日本大震災に伴う原子力発電所の事故の 影響を受け,国内の原子力発電所がすべて停止するという状況に追い込まれた.その結果,2013 年度の総排出量は13億9,500万トン(1990年比+10.6%)に達している78.実際の排出量確定 値の算出には,森林等吸収源の増加分や,京都メカニズムクレジットの取得分などが加味される が,削減が順調に進んでいるとは言い難い状況にある.
国内の排出量を削減するためには,各個人が省エネに留意することも大切である.しかし,家
78 環境省「温室効果ガス排出量の現状等について(平成27年1月23日)」
(https://www.env.go.jp/council/06earth/y060-124/ref05.pdf),2015年5月11日閲覧.
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庭が直接排出する温室効果ガスは全体の15.4%に過ぎず,産業部門(工場等)と業務その他部門
(商業・サービス・事業所等)の排出量が半分以上を占めている79ため,企業が排出する温室効 果ガスを削減することが,国全体の排出量削減にとって不可欠である.その第一歩として,2006 年4月1日から,温室効果ガスを相当程度多く排出する企業(特定排出者80)に対し,その温室 効果ガスの排出量を算定し,国に報告する制度が設けられた.これは,地球温暖化対策の推進に 関する法律(いわゆる温対法)の規定に基づく制度である.同制度により,企業は,各事業所で 排出する温室効果ガスの排出量を企業自ら認識することになった.現時点では,温室効果ガスの 排出量を算定・報告する以上の義務はないが,排出量が可視化されることは,一部の企業が排出 量の削減に向けた取り組みを始める契機にもなっている.
では,そもそも,企業はなぜ環境に配慮する取り組みをおこなうのであろうか.また,なぜそ の取り組みについて自発的なディスクロージャーをおこなうのであろうか.それらの動機を考え る支柱として二つの理論がある.正統性理論(legitimacy theory)とステークホルダー理論
(stakeholder theory)である.本論文では,温対法に基づく報告,すなわち強制開示がなされ
る下での分析をおこなうため,両理論のいずれに依拠しても検討する仮説に変化はない.一方,
自発的ディスクロージャーに基づく分析をおこなっている先行研究については,この二つの理論 のいずれに依拠するかによって,分析結果の解釈に影響が生じる場合がある.そこで,両理論に ついて確認し,環境配慮に対する企業行動にどのような差異が出るのかを明らかにする.
Suchman (1975)は,正統性理論について,「企業の行動が,社会的に構築された規範,価値観,
信念,および定義の中において望ましい,相応しい,または正しい」ものである場合に企業が存 在を認められる,とする理論として説明する(p. 574).企業が利潤を追求する存在であることを 前提とすれば,企業に対して社会として何らかの要求をし,それに企業が応えることが必要とい うことである.従来的な「企業の社会的責任(corporate social responsibility: CSR)」の考え方 はこの正統性理論と軌を一にする.すなわち,企業が社会の一員として認められるためには,仮 に企業の利潤に結びつかない活動であっても,文字どおりその「社会的責任」として社会に貢献 する活動をすべきである,と考えられていた.したがって,CSR活動として,文化・芸術・教育 等へ寄付等を通じた支援が多かった.
79 環境省「2013年度(平成25年度)の温室効果ガス排出量(確報値)について」
(http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ghg/2013_kakuhou.pdf),2015年5月12日閲覧.
80 特定排出者は企業だけではなく,自治体や大学等の組織も含まれるが,ここでは企業のみを 対象に議論するため,「温室効果ガスを相当程度多く排出する企業」と表現している.
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環境配慮行動についていえば,社会が求める環境配慮行動を企業が(利益に負の影響を与える という点において不本意だとしても)履行することで,企業の存在が正統と認められることにな る.企業に環境配慮行動をさせるためには何をすべきか,という議論においては,しばしば「外 部不経済の内部化」という表現が用いられるが81,この表現は正統性理論を前提としている.す なわち,何も規制が存在しなければ,利潤を追求すべき企業は環境に悪影響を与える企業活動を おこなってしまう(たとえば,環境への悪影響は少ないが高価である燃料を使用せずに,環境へ の負荷は大きいが安価である燃料を使用する)ので,それによる社会全体の不効用を避けるため には,たとえば環境税を課すなど,企業に費用負担させるための規制が必要である,というロジ ックである.たしかに,河口(2004)は「90年代前半までは,『環境と経済は対立するもの』, というのが経済界の常識であった」ことを指摘しているし(p. 177),経済協力開発機構
(Organisation for Economic Co-operation and Development: OECD)が1972年に採択した
「環境政策の国際経済的側面に関する指導原則」において謳われている「汚染者負担原則
(polluter-pays principle: PPP)」も外部不経済の内部化,という発想である.次章で検討する
CO2排出量の例で言えば,規制がない場合には,「CO2排出量の多い企業のほうが,環境に負荷 をかけるものの安価に製造できるために利益が増大することを通じて企業価値が高くなる」とい うことになるが,規制が作られることによって,「規制を遵守することが社会から正統性を認め られる要件であるので,不本意ながらCO2排出量を抑制する.ただし,そのための環境配慮行動 にはコストが生じるため,CO2排出量の多い企業の企業価値のほうが低くなる」ことになる.つ まり,規制の有無によって,CO2排出量と企業価値との間の関係性が正反対になる.
一方,ステークホルダー理論はより長期のコミットメントとして環境配慮行動をとらえる.
Freeman (1984)が提唱したといわれるステークホルダー理論では,株主のことだけではなく多
様なステークホルダー(環境もこれに含まれる)に対してバランスよく配慮することが企業の長 期的な発展につながると主張している.近年のCSR活動の主張を見ると,このステークホルダ ー理論がベースになりつつなるように見える.たとえば,谷本(2004)は,CSR活動について,
以下のように定義している(p. 5).
企業活動のプロセスに社会的公正性や環境への配慮などを組み込み,ステイクホルダーに対しアカウンタビリティ を果たしていくこと.その結果,経済的・社会的・環境的パフォーマンスの向上を目指すこと.
81 たとえば,阪(2001)や植田(2012).
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「その結果」という単語が示すとおり,環境への配慮と経済的パフォーマンスが同じ方向を向 いていることがわかる.すなわち,「企業の利潤を犠牲にしてでも」環境に配慮すべきなのでは なく,「企業の利潤につながるので」環境に貢献すべきなのである.いわば,企業と環境との Win-Winの関係82が存在する,ということである.竹井(2010)も,CSR活動に関する考え方が変 遷し,現在では「本業とCSRの統合(CSR3.0)」という考え方になりつつあると主張している
(pp. 162-181).日本では,従来からステークホルダー理論に基づく経営が行われていたと考
えられる.たとえば,近江商人の「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」という考え 方は,売り手(企業)だけが利潤を獲得すればよいというわけではない,ということを意味して いるし,松下幸之助の「企業は社会の公器である.したがって,企業は社会とともに発展してい くのでなければならない」という言葉も,企業と社会との共存の大切さを説いている.櫻井(2005) のいうコーポレート・レピュテーションの考え方も,さまざまなステークホルダーとの共生が持 続可能な競争優位につながることを主張している.ステークホルダー理論に基づいて,CO2排出 量と企業価値との関係性を表現すると,「CO2排出量の多い企業は,環境にとって負荷の高い企 業であり,ステークホルダー・マネジメントに失敗している企業であるので企業価値が低くなる」
ということになり,これは規制の有無と関係なく成立することになる.
本論文における検証は,環境配慮に関する規制がなされている期間における検証であるため,
正統性理論とステークホルダー理論のいずれに依拠しても,最終的に導出される仮説そのものに 変化はない.しかし,仮説導出までの過程においては,ステークホルダー理論に依拠する立場を とる.図表9-1は図表1-1のパネルAを再掲したものである.ここから,長寿企業において,株 主以外のステークホルダーへバランスの取れた分配行動が観察されていることがわかる.すなわ ち,長期的視点に立った場合には,利潤のみを追求した企業ではなく,従業員,債権者,国への バランス良い分配行動をした企業のほうがサステナビリティを維持しているということである.
「環境」もステークホルダーの一つであるので,環境との共存をすることが,少なくとも長期的 には企業にとってプラスに機能すると考えられる.そこで,CO2排出量の多い企業の企業価値が 低いということと,そのような関係が観察される理由を明らかにする.さらに,次章では,現状 において環境負荷の高い(CO2排出量の多い)企業であっても,将来に向けたコミットメントが 宣言されている場合には,CO2排出量の多さに起因する企業価値の低さが緩和されることを確認 する.
82 Porter (1991)も同様の主張をしている.