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第 5 節 新冷戦のはじまり
第 1 項 アメリカの単独行動主義とその破綻
日本全体がバブルに酔いしれていた1989年夏から91年にかけて、冷戦体制が崩壊するという 世界史的事件が起こった。一連の「社会主義」体制の崩壊とともに、91年初頭に湾岸戦争が勃発 した。多国籍軍とはいってもその主力は米英軍であり、アメリカ合衆国はハイテク技術を駆使して 圧倒的な勝利をおさめた。日本政府は莫大な経済支援を提供し、戦後には自衛隊を掃海活動に派遣 した。この二つの事件によってアメリカは、唯一の超大国としてヘゲモニーを回復していった。ア メリカ単独の軍事的覇権のもとで、日米安全保障体制も極東の範囲を拡大し変質していった。
冷戦の終結とともにアメリカ合衆国の安全保障局(NSA)や中央情報局(CIA)は、諜報活動 の比重を資本主義ライバル国である日欧に移した。自国政府さえ知らない企業情報を利用して、ヘ ッジファンドを先頭としたアメリカ金融資本が経済・投機活動を世界的に展開した。しかも冷戦後 のアメリカの世界戦略は、IMFや世界銀行やOECDや国連などの国際機関を利用して展開される ようになった。東欧・ロシアは西側の経済援助を求めたが、その条件としてのIMF路線(均衡財 政主義と市場の自由化の要求)を受けいれたために、アメリカの資本が自由に利益追求することが 可能となった。
冷戦体制崩壊によるアメリカ合衆国の軍事的覇権の再確立後に登場したクリントン政権は、経済 の再生に取り組んだ。クリントン政権の背後には、アメリカの産・軍・政複合体制(金融寡頭制)
の利害関係がある。ウォール・ストリート街(金融資本)の成功者たちが多数政権の中枢部に入り 込み、財務省=ウォール・ストリート同盟が成立した。それとともに金融資本単独ではなく、産業 と軍部と金融が一体となった新たな「帝国主義的世界戦略」が展開されるようになった173。
1.冷戦体制の終焉とアメリカの単独行動主義―湾岸戦争・イラク戦争・対テロ戦争174 冷戦体制
の崩壊によって、アメリカは唯一の軍事的超大国となった。ブッシュ政権は「京都議定書」の署名 を拒否して、NMD(米本土弾道ミサイル防衛)計画、TMD(戦域ミサイル防衛)システム構想 を進めた。しかし、冷戦によってパックス・アメリカーナが実現したのではなく、湾岸戦争・イラ ク戦争・対テロ戦争と熱戦が連続した。こうしたアメリカの単独行動主義に基づく一連の「熱戦」
の背後で、アメリカの石油産業や軍需産業、そして金融資本の利害が暗躍していた。しかし、アジ アでは20世紀末から中国やインドの台頭があり、とくに中国の台頭によって新しい極が形成され る可能性や、日本を含めた東アジアが米・欧に対抗する地域的な第三の極を形成する可能性もあ る。2019年に入っての「米中貿易戦争」によって、ロシアを巻き込んだ米中の「新冷戦」がはじ まった、と筆者は判断する。
(1)湾岸戦争 冷戦崩壊前後に米国の中東介入が本格化していった。1978~9年にイラン革命 は成功したが、革命前にはイランを支援していたアメリカは、革命後にはイラク支援に転じた。米 国はすでに1983に、中東全域・中央アジアの一部に駐留する米軍部隊を統合し指揮する米国中央 軍を設立していた。1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻に対してただちに、安全保障理事 会はイラクの撤退を要求した(「決議660」、8月2日)。アメリカはサウジアラビア防衛の「砂 漠の楯作戦」を開始して(8月3日)、大統領H.V.ブッシュはアメリカが「新世界秩序」を実現 する、と演説した(1990年9月11日)。安全保障理事会は、クウェートとその協力国にあらゆ る手段を行使する権限を付与したが(「決議678」、11月29日)。しかしイラクは撤退しなかっ たので、1991年1月17日に「砂漠の嵐作戦」が開始された。アメリカは長距離戦略爆撃機B-52
172 たとえば、完全国産化した「10式戦車」・「ひゅうが」型ヘリ搭載護衛艦・潜水艦建造技術・
救難飛行艇「US-2」・国産の「F-2戦闘機」・国産ミサイルの地対艦ミサイル、などである(桜 林美佐『自衛隊と防衛産業』並木書房、2014年)。
173 以上は、拙著『資本主義発展の段階理論』(電子書籍)東京経済大学学術リポジトリ、第7章 第4節「アメリカ覇権の推移」(152~3頁)の軍事的側面を要約した。
174 以下は、同上拙著の第5節第1項1.の(1)・(2)の表題を変更し、若干加筆・修正したも のである。
とステルスF-117によってイラクを空爆し、2月24日に地上作戦に移り、またたくまにクウェー トを完全に解放した(2月27日)175。
アメリカが事実上指揮した多国籍軍とアラブ合同軍は29ヵ国にのぼり、兵力総数は約84万人 になった(ベトナム戦争のピーク時は53万人)。この湾岸戦争の歴史的意味つぎのように要約で きる176。①アメリカが唯一最大の「軍事大国」となり、国連の規制・管理を受けずに米軍が指揮 したが、巨額の戦費を多くの国々に負担させ、かつ「自国の被害を極小とする攻撃=戦争」戦術の 起点となった。戦費の負担割合は、520億ドル(8割強)が他国負担であり、そのうち、サウジア ラビア168.39億ドル、クウエート160.06億ドル、日本107.40億ドル(3国で約8割)、であっ た177。②中東やアフリカの一部の国に米国が直接政治的・軍事的に介入する道が開かれた。しか し文明・宗教・民族の歴史を無視していたので、宗教・民族の対立・紛争を噴出させ、反米テロの 温床を作りだした。③この戦争は最新鋭兵器による一方的攻撃であり、「劣化ウラン弾」が使用さ れ、かつ「自国兵力の損失なき戦争」であった。④アメリカはマス・メディアに報道管制を敷き、
「情報管理」による「情報戦争」がはじまった。
(2)アフガニスタン・イラク戦争 2001年9月11日、アメリカはイスラム原理主義のアルカイ
ダのビン・ラディン一派による「同時多発テロ」攻撃を受けた。アメリカ政府は「対テロ戦争」を 宣言したが、アフガニスタンのタリバン政権はテロ容疑者の引き渡しを拒否したので、10月7日
「有志連合諸国」の最先端兵器を総動員した「不朽の自由作戦」が開始された。その結果、タリバ ン政権は消滅し、12月22日暫定政府が成立した。アメリカ大統領J.W.ブッシュは、2002年1月 大統領一般教書演説において、テロを支援する「悪の枢軸」国として北朝鮮・イラン・イラクを一 方的に指定した。2003年3月19日「有志連合諸国」の「イラクの自由作戦」が開始され、空爆 と巡航ミサイルでイラク軍の指揮系統を破壊し、地上軍の進撃によって短時間に首都バグダットを 制圧した(4月9日)178。
アフガニスタンでは2004年10月選挙で「アフガニスタン・イスラム共和国」が成立し、2005 年から反米武装勢力と米軍との戦闘がはじまり、米軍の長期駐留がつづいた。イラクではアメリカ の「戦争終結」宣言にもかかわらず、増派を余儀なくされ、戦争が泥沼化した。アフガニスタン戦 争・イラク戦争においては、大量のクラスター爆弾が投下され、「無人機」が登場した。しかし皮 肉にも、テロ戦争はかえってテロ勢力を増幅させていった。対テロ戦争の帰結については(3)に おいて考察する179。
(3)対テロ戦争・内戦 第2節第4項で考察したように、2001年の9.11テロ事件後にテロ対策 が新たなアメリカの軍事目標となった。要約すると、「対テロ戦争」によって産軍複合体が潤った が、「対テロ戦争」の本質はアメリカの経済的・軍事的世界支配のための軍事費の増大であり、ま た戦争によって民間警備会社や「民間軍事企業」(PMF)という民間軍事企業が急成長した。中 東の戦争を求めたのはネオコン勢力であり、産軍複合体はさかんに中国の脅威を強調しはじめた。
湾岸戦争はアメリカ製のハイテク兵器の威力を印象づけた実験場でもあり、その後アメリカの兵器 輸出が増加した。2001~10年間の世界の武器輸出の46.5%が中東・中央アジアに集中していたよ うに、対テロ戦争と一体となって武器が輸出された。
冷戦崩壊後、発展途上諸国での民族的・宗教的内戦と、アラブ世界の反米のテロと、それを軍 事的に壊滅させようとする対テロ戦争がつづいている。そして、内戦においては使用される兵器が エスカレートしてきた。内戦が起これば国内の経済成長は低下するし、福祉関連支出は減少する。
内戦はGDPを15%引き下げ、絶対的貧困者数を3割増加させる、との研究もある。このように
内戦は、国を貧しくし、周辺国に経済的被害を及ぼし、対外債務負担を増大させるのに、内戦は長 期化し増大してきた。
テロ攻撃の費用は低く、テロ資金を止めることが困難であるから、テロ攻撃は容易であり続出 してきた。ポール・ポーストは、①1回かぎりに攻撃は影響が少なく、アメリカの連邦準備制度は 9.11攻撃を持ちこたえられるように金融的支援をした、②連発テロ攻撃の被害は観光と経済グロ
175 以上の記述は、井村喜代子『大戦後資本主義の変質と展開』有斐閣、2016年、272~5頁、参 照。
176 同上書、275~7頁。
177 当時内閣官房副長官であった石原信雄は、日本の協力資金の総額は130億ドルだったと語って いる(『日本経済新聞』「私の履歴書」2019年6月21日朝刊)。
178 井村喜代子『大戦後資本主義の変質と展開』342~4頁。
179 同上書、344~7頁。