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第 2 節 大衆消費社会 233
資本制商品経済のもとでの社会的分業は、自然と共生し生命と健康を維持・向上させ、人間の潜 在的諸能力を全面的に開花させるのに必要な社会的に有用な生産物を作りだすような社会的分業で あろうか。前項で説明したように、商品を必然化させるものは「商品の物象化」であり、商品経済 は売れるものならば何でも生産するから、本来的な欲望(ニーズ)とは異なり、商品生産者によっ て消費(欲望)は規定されてしまっている。資本主義商品経済になれば「商品の物象化」は一層進
233 本節は、拙著『社会経済システムの転換としての復興計画』(績文堂、2013年)の5.1.1「疎 外された欲望からの解放」と拙著『現代マルクス経済学』148~9頁を書き改めたものである。
展し、欲望は疎外される。さらに、独占資本主義では固有の製品差別化競争によって、独占資本が 欲望を操作し意図的に需要を喚起するようになる。さらに現代資本主義になると、耐久消費財ブー ムが起こり、大量生産=大量消費=大量浪費が定着する。
第 1 項 資本主義商品経済と「欲望の疎外」
マルクスは将来の社会として「必然の王国」から「自由の王国」への移行を展望したが、生産力 の発展と物質代謝と欲望について次のように述べた。「彼〔人〕の発達とともに、諸欲求が拡大す るため、自然的必然性のこの王国が拡大する。しかし同時に、この諸欲求を満たす生産力も拡大す る。この領域における自由は、ただ、社会化された人間、結合された生産者たちが、自分たちと自 然との物質代謝によって―盲目的な支配力としてのそれによって―支配されるのではなく、この自 然との物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同の管理のもとにおくこと、すなわち、最小の力 の支出で、自分らの人間性にもっともふさわしい、もっとも適合した諸条件のもとでこの物質代謝 を行うこと、この点だけにありうる。」234、と述べている。すなわち、「人間の発達とともに諸 欲求が拡大し」、「社会化された人間」・「結合された生産者」のもとで「人間性にもっともふさ わしい」・「もっとも適合した物質代謝」が行われる。そしてさらに、「しかしそれでも、これは まだ依然として必然の王国である。この王国の彼岸において、それ自体が目的であるとされる人間 の力の発達が、真の自由の王国が―といっても、それはただ、自己の基礎としての右の必性の王国 の上にのみ開花しうるのであるが―始まる。労働日の短縮が根本的条件である。235」としている。
「自由の王国」とは「それ自体が目的とされる人間の発達」の世界であるから、欲望も「人間の発 達」に適合したものになる、とマルクスは考えていた。アメリカ合衆国のエコロジカル・マルクス 主義者のポール・バーケットも、「アソシエイト」(結合)された生産の基本原理の一つとして、
「個性の発達のための個人消費、個人の発達は全体の発達の条件となる」ことを挙げている236。
第 2 項 独占資本主義と製品差別化競争
独占資本主義になると、独占資本は製品や価格を操作する力を持つようになるから、欲望(使用 価値)は一層利潤原理に従属するようになる。さらに独占資本は、独占利潤の一部を広告・宣伝費 に支出して、潜在的欲望を作りだそうとする。消費者心理の意図的な操作が行われるのである。も ともと人間は欲の深い動物であるから、他人とは区別(差別化)して自分の存在感を示そうとする 欲求をもっている。独占資本はこうした人間の「自己顕示欲」を巧みにくすぐりながら、潜在的欲 望を作りだしていく。掻き立てられた潜在的需要は、消費者ローンの発達や戦後の高成長時代の高 賃金に支えられて、有効需要化する。
こうした製品差別化競争は独占資本間の競争形態の変化の一つでもある。競争が独占に転化して も、競争が排除されるのではまったくない。たしかに価格競争は排除される傾向があるが、非価格 競争は一層激しくなった。独占資本自らが企業内に研究機関を持つようになり、研究開発投資競争 が激しくなった。また広告・宣伝競争やマーケット・シェア競争も展開される。こうした非価格競 争の一環として製品差別化競争がある。本質的には同一の使用価値機能をはたす商品が、モデル・
チェンジやオプションの取りつけによって、あたかも別の商品のように装って市場に登場してく る。消費者側は「自己顕示欲」を満たそうとして購入していく。
独占の投資行動には慎重独占資本は市場支配力を持つことによって「限界利潤」を基準として投 資を決定するようになるから、独占の投資行動には慎重性が生まれる237。また恐慌・不況期にお ける独占価格の下方硬直性によって、資本破壊作用が弱まる。そのためには独占資本主義固有の過 剰資本が発生し、その捌け口を求めてさまざまな投資先が求められる。その典型が資本輸出であ り、国内的には科学研究開発と結びついた新産業や新製品の開発である。製品差別化競争も広い意 味での新製品開発とみなされる。このような事情によって新製品開発・製品差別化競争が展開され る。
第 3 項 戦後の耐久消費ブーム(大衆消費社会)
第2次大戦後にエネルギーとして原子力が導入され、エレクトロニクス(電子技術)、エーロ ノスティック(航空宇宙技術)、オートメーション、新合成物質などの新産業が登場した。電子産
234 カール・マルクス『資本論』第3巻第48章、新日本出版社版、第13分冊、1434~5頁。
235 同上書、1435頁。
236 Paul Burkett,Marx and Nature:A Red and Green Perspective,NY,St.Martin’s Press,1999,pp.230~239.
237 拙著『独占資本主義の景気循環』(新評論、1974年)、第4章第1節、参照。
業で開発されたトランジスター・ダイオードや集積回路はハイテク産業の基礎となったばかりか、
生産・交通・通信・生活面のコンピュータ―化やオートメーション化をもたらした。エネルギー源 は石炭から石油に転換し、石油化学はプラスティック・人造繊維・薬品・肥料などの合成物質を生 みだし消費生活を一変させた。またこうした新技術は在来の重化学工業を革新した。高度経済成長 期の中心的産業はいわゆる「長厚重大」産業であり、規模の経済(スケール・メリット)が働いた から大量生産され、また公害を全国にまき散らした。こうした戦後の技術革新を基礎として増大す る独占利潤の一部を研究開発投資に回せるし、国家資金によって研究開発されてもゆく。しかも国 家は産業基盤的分野を整備・開発するから、生産力は飛躍的に高まり、剰余価値生産の潜在力は増 大していった。
こうした巨大化する生産能力を吸収する方法が必要になってくる。独占資本自身の方法は製品 差別化と広告・宣伝への支出であった。しかも高度経済成長期には、「ケインズ主義型国家」の高 雇用政策と、労働者の経済闘争による高賃金や、消費者ローン・住宅ローンの飛躍的拡大によっ て、耐久消費財ブームが出現した。その結果、増大する独占資本の生産能力を吸収する大衆の消費 が拡大し、大量生産=大量消費経済(大衆消費社会)が出現した。また国家の有効需要政策も、巨 大化した生産能力を吸収していった。その典型的な「ムダの制度化」は軍事支出であった。原爆や 原発もある意味では「ムダの制度化」であり、経済計算を度外視した国家資金の投入なしには不可 能であった。
こうした大量生産方式はコスト・ダウンを直接の目的としているから、環境の維持・保全のため の費用はかけないで外部に公害物質を放出し、公害問題を続出させた。また、大量消費は製品差別 化によって意図的に操作され作りだされたものであり、その欲望(需要)は本来的に健康と人間の 健全な発達に必要なものから逸脱し、浪費的な性格を持ってくる。人造製品を使い捨てたためにゴ ミ問題が生じ、さまざまな食品・薬品公害を生みだしてしまった。本来的な消費を超える大量浪 費、その背後にある大量(過剰)生産が、再生不能エネルギーそして有限な地球資源の多消費を生 みだしてしまった根源である。
第 4 項 オール電化生活と原発
大量生産=大量消費経済をエネルギーの面から支えてきたのが電力である。「原子力神話」が まかり通っていた時には、原子力発電所は安定した電力を大量に供給できるという特性が宣伝され た。しかしその反面において、大量の電力をたえず使用しなければ経済的な採算が合わないことに なる。しかも産業政策は、企業の電気料金は低く一般家庭の電気料金は高く決めていたから、電力 会社の収益は家庭での消費に大きく依存している。また一般家庭は、電力会社や電気製品メーカー によってオール電化生活を推奨されてきた。戦後の耐久消費ブームによっても電力消費が増大して いった。高度経済成長期の初期には「三種の神器」として「白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯 機」が買い求められ、「経済大国」化しはじめた1960年代後半頃からは「自動車・クーラー・カ ラーテレビ」などにシフトしたが、1970年代にはすでに主要な耐久消費財は「一巡」化しはじめ た。1970年代のスタグフレーションからの脱出過程での省エネ努力によって、耐久消費財は情報 通信革命のもとで「軽小短薄」化していった。しかし、電気多消費の耐久消費ブームは変わらなか ったし、主婦の家事労働が外部産業化されてきたことによって、家庭生活のオール電化は進んでい った。過疎地を中心として進んできた少子高齢化社会の到来によって、一層電化生活が強制されて きた。こうした大量消費と家庭のオール電化によって、原発開発は促進されてきた。
第 5 項 生活様式の変革と自然エネルギーの利用
化石燃料や原子力に依存したオール電化生活は、自然と共生しながら自然エネルギーを利用す る生活からは程遠い生活様式である。また、生活様式を変えていこうとする運動も起こりだしてい る。都市生活者は商品として作りだされた食材から離れ、自らの「家庭菜園」で生産する野菜を求 め、また産地直送の新鮮な有機農産物を積極的に求めるようになってきた。あるいは、都会でのサ ラリーマン生活を脱出して、農村での農業生活が個人的あるいは共同的に追求されるようにもなっ てきた。こうした運動や生活は、貨幣を稼ぐために都市で働き、その貨幣を支出して得られる無機 農産物から、自分たちが大自然のなかでの労働によって喜びをもって作った健康で天然の食材の消 費への転換を意味する。しかし現代では、世界的な食品会社やアグリ・ビジネスが展開する販売戦 略によって、一層グローバルに大量生産=大量消費が進んでいる。この大量消費は、本来人間生活 に必要とされる以上のカロリーを過度に吸収しているのであり、「過剰飽食」と規定できる。「過 剰飽食」を克服しようとしてスポーツやジョギングが要求されたり、無理な「ダイエット」を強要 される。このような顚倒した生活スタイルが定着してくる。「過剰飽食」は外食産業の進める肉食