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5. 小売システム国際移転の意思決定フレームワークとカルフール・ジャパンへ

5.11. ハード・リソース

5.11.1. 土地ありきの店舗開発

チェーンオペレーションでは、店舗フォーマットの標準化が求められる。そのため基本 的には、特定の店舗フォーマットに合った敷地を探すという発想になる。しかしながらカ ルフールでは店舗フォーマットの定義が厳密ではなく249、店舗フォーマットのプロトタイプ もなかった。そのため、「大きな土地」を確保することを目指した。フランス本国では郊外 型立地のため、人口密集地ではなく、広大な郊外の土地から選ぶことができたこと、その 立地に合わせて道路を作らせるだけの交渉力を持っていたことなどが、そのような姿勢を 形成したと考えられる。

そのためカルフール・ジャパンでは、土地ありきで開発が進められてきた。さらに開発 担当者も、もともとスーパーの開発を行っていたというわけではなかった。そのため、「大 きな土地が確保できた」ということだけで出店候補地が決定される傾向があり、条件の悪 い土地をつかんでしまうこともあった。また、土地ありきで選んだ結果、店舗のサイズが まちまちになってしまい、棚本数がばらばらな店舗ができあがってしまった。

例えば、町田の店舗は狭すぎて適正規模を下回っていたし、狭山や明石は立地条件が悪か った。狭山は、後ろに川が通り、前は渋滞の多い幹線道路が通っているという、前後で商 圏が取れない立地であった。

5.11.2. 堅持された店舗フォーマットとレイアウト

カルフールは日本でも、ハイパーマーケット業態を展開しようと、店舗フォーマットの 変更を許さなかった。日本では、買い物頻度が高いため、大型店舗でワンストップショッ ピングを行うニーズが少ないということがいわれており、より小型の店舗が好業績を上げ る傾向が見られている。カルフール・ジャパンでも、ミドルサイズ(200 坪程度)の都市型 スーパーの展開が俎上に上っていたという。グロサリーはプライベートブランドを販売し、

輸入品を 30%程度、惣菜を充実させるというフォーマットを想定していた。この市場は紀 伊国屋、明治屋などがカバーしているが、価格が非常に高いこと、またカルフールの惣菜 開発能力が高いことから、優位性があると踏んでいた。都市部ではミドルサイズ、郊外で は大型店という 2 形態で、まずはカルフールブランドの定着を図ろうとしたのである。

しかしながらカルフールの役員会は、アジアで展開しようとしているハイパーマーケッ トのコンセプトから外れることを嫌い、それを許さなかった。日本で新業態が成功したか らといって、カルフール全体にとっては意味がないと考えた。ハイパーマーケットという 業態は、カルフールのさまざまな小売システムの有機的体系によってオペレーション可能

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なものであり、その有機的体系がグローバル展開に当たり海外市場に移転すべきコア技術 と考えられていたのである。

またカルフールでは、週末型の買い物需要を満たすという発想が基本にあり、いかに滞 在時間を長くするか、いかに買い上げ点数を多くするか、いかに高額商品を購入してもら うか、ということに主眼を置いたレイアウトが採用されていた。そのため、入り口に CD や 家電売り場を設置し、動線を伸ばすため、食品売場は店舗の奥に置かれた。また、入り口 は 1 ヶ所に限定され、2 階にも商品が並べられた。これらは、日本では異質のものであった。

例えば食品売場は、日本では入口に近いところに置かれる。日々の買い物需要を満たすた め、ショートタイムショッピングが重視されており、どれだけ短時間にほしい品物を買う ことができるかを重視しているためである。お客の買い上げ頻度が高い商品が、最も便利 な場所に陳列されるのだ。特に、1000 坪を超えた店舗ではいっそう、ショートタイムショ ッピングが重視された。日本では、郊外型といっても、毎日買い物ができるレベルの規模 であり、フランスや世界の郊外型と一緒くたにできない特殊性を持っているのである。

カルフール・ジャパンでは、フランス側の「滞在時間重視」の考え方を崩すことができ ず、レイアウトを変えることはできなかった。変更できたのは大局に影響を与えない些細 な事項であった。入り口を一つにし、一方通行でぐるっと回って、入ったところからまた 出ていくというレイアウトだったが、入り口を 2 つにすることで回遊性を高めた。また、

催事場というこれまでカルフールの概念上まったくなかったスペースを作り、お歳暮、お 中元の陳列を開始した。さらに、日本の行事に合わせたチラシ、販促なども実施した。エ スカレーターの向きを変えたり、カートのサイズを小さくしたり、警備員を立たせないよ うにするなどといったことも行われた。

5.11.3. 輸入品で賄われた備品

什器については、3 店舗目以降は、日本の企業から購入したが、それ以前は輸入品が多く 使用されていた。最初の幕張の店舗では、すべて輸入品が使用されており、スロープはド イツのシンドラー社から調達し、ガラスが割れてもドイツから取り寄せるというような状 態であった。そのため、交換に 1 ヶ月を要した。一度、新しい売場を作る際に、フランス の什器と同様のものを日本で作らせようと見積りを取ったところ、予算に見合わない高さ だった。そのため、しばらくは輸入品でまかなっていた。

レジや集金の仕組みは当初かなり遅れており、幕張では、エアーシューターを使って伝 票やお金を集める設備を一部持っていた。レジも海外から持ち込んだもので、足し算のレ ジしかなく、打ち間違いをしても返金ができず、レシートを持ってサービスカウンターに 行くことになり、それが非常に多くて対応しきれなくなっていた。そのようなレジを利用 する理由は、従業員の不正を防ぐためであった。マイナスキーがあることで、キャッシャ ーが金額をごまかせるという発想があり、従業員の不正に対しては厳密な防衛策を講じて いたのである。南米など途上国と同じような意識で、日本市場に対峙した結果であるとい

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えよう。本社派遣者のそういった意識の変革は、実際に経験してみないと納得しないとい うことが多かった。そのため、カルフールが現地に導入すると決めた手法については、変 革することが難しいか、あるいは変革するために多くの時間を要した。

5.11.4. 商業施設の価値を向上するモール・マネジメント

ショッピングモール・ディビジョンの目標は、モールの集客力を上げ、テナント収入に より利益を得ることである。カルフールでは、構築したショッピングセンターのモール部 分や建物すべてを売却し、不動産売買による収益を上げている。建物の資産性は、商業施 設としてどれだけ利益が出ているかによって変わるため、モールのマネジメントは不動産 価値にとって大変重要な意味を持っている。さらにテナントの構成は、店舗全体の客層を 左右するという点でも重要である。

このように重要な部門でありながら、他部門に比べて大きく現地化されていた。例えば、

ほとんどのテナントは日本の企業であり、テナント選定、賃料250、売上など部門の全責任は 日本人の部門長に完全に権限委譲されていた。日本人部門長が出店するエリアやマーケッ トを理解した上で、業種構成とレイアウトを決め、テナントを決めていく。その際に、本 社派遣者から方針の設定はなく、部門長による全体ミーティングでの説明により、承認さ れた。日本人部門長も「商品部は、商品構成、カテゴリーをカルフールのやり方で押さえ ているなど、大枠を押さえているイメージがあるが、モールはそれがないようだった」と 述べている。

なおこのポジションには、イトーヨーカ堂でテナント開発部を 20 数年経験し、ゼネラル マネジャーの役職にあった人物を採用している。日本のデベロップメント業務に精通して いる人物を採用した上で、権限委譲を行った。したがって商品部のような海外研修も行わ れなかった。このように完全に権限委譲を行うことができ、また商品部と異なり権限委譲 がうまく機能している(モール部門は利益を出すことができていた)理由は、本国と日本 とのデベロップメント業務の類似性にあると考えられる。業務の内容、プロセスが似通っ たものであったため、上層部では、アウトプットである利益の管理さえ行っておけば、マ ネジメントが完了したのである。日本人部門長は、社長に対して途中経過を報告したが、

社長が一番気にしていたのは、どのくらい利益が出るかであり、それさえきちんと押さえ ていれば、すべてが任されていた。

組織としては権限委譲されていたが、現場では、決定事項の実行がスムースにいかない こともあった。オープン当初 1 年くらいは、テナントの位置づけについて、本社派遣者と 日本人との間で認識の違いが生まれていた。テキスタイルのマネジャーが競合になると懸 念し、ユニクロの出店に反対するような事態も見られた。本国では専門量販店の業態シェ アが低かったり、韓国ではテナントにチェーン店が入ることが少なかったりといった状況 があったが、日本では専門量販店が強く、チェーン化が進んでいることがこのようなギャ ップを生んだといえる。