5. 小売システム国際移転の意思決定フレームワークとカルフール・ジャパンへ
5.4. カルフール・ジャパンの概要
カルフール・ジャパンは、1999 年 1 月 11 日にカルフール(Carrefour S.A.)の完全子会 社として資本金 1000 万円で設立された。当初は 2003 年末までに 13 店舗を出店する計画だ ったが、2000 年 12 月に日本国内 1 号店となるカルフール幕張を開店し、その後、2004 年 1 月までに関東および関西に 8 店舗の出店に留まり(図表 5-4)、計画を大きく下回った。2004 年度売上高は 500 億円弱といわれている。
2004 年の夏には撤退を決め、2004 年 9 月初めにフランス本社のダニエル・ベルナール
(Daniel Bernard)社長が、「本国での営業不振挽回のため世界で不振店舗を処分して 10 億ユーロを調達する」と発表した。これを受けて 2004 年の秋口くらいから日本企業との交 渉を開始した。2005 年 3 月 10 日に同社の全株式をイオン株式会社に売却し、日本における カルフールの営業権を譲渡、事実上の日本市場撤退に至った。その理由は一般に、本国で の業績の不振と、より大きくより魅力的な市場である中国への経営資源の集中にあったと されている。ドイツの食品関係情報紙レーベンスミッテル・ザイツングは、売却額を 7450 万ドル(79 億 7150 万円185)、撤退による本体の簿価損失額を 9000 万ドル(96 億 3000 万円)
と報じている186。なお、日本での損失額は 2 億ユーロ(278 億円)187から 3 億ユーロ(417 億円)といわれる。
図表 5-4 カルフール・ジャパンの出店 店名 場所 開店日(閉
店日) 面積 概要 施工者
1 カルフール 幕張
千葉県 千葉市
2000 年 12 月 8 日
敷地面積 2 万 9941
㎡、店舗面積 2 万 9941 ㎡(カルフール 部分 1 万 7014 ㎡)
2 階建て(2 階が売場)、
テナント 47 店舗
戸田建設、新 菱冷熱、きん でん(分離発 注)
2 カルフール 南町田
東京都 町田市
2001 年 1 月 16 日
(2009 年 1 月 12 日)
敷地面積 2 万 9249
㎡、店舗面積 9869 ㎡
(カルフール部分 7487 ㎡)
2 階建て、テナント 14 店舗 東急建設
3 カルフール 光明池
大阪府 和泉市
2001 年 2 月 6 日
敷地面積 1 万 4098
㎡、店舗面積 2 万 220
㎡(カルフール部分 1 万 5350 ㎡)
5 階建て(1~2 階が売場)、
立体駐車場、テナント 32 店舗
竹中工務店
4 カルフール 狭山
埼玉県 狭山市
2002 年 10 月 16 日
敷地面積 3 万 89 ㎡、
店舗面積 1 万 9682 ㎡
(カルフール部分 1 万 86 ㎡)
4 階建て(1~2 階が売場)、
テナント 54 店舗
三井建設(現、
三井住友建 設)
143 5 カルフール
箕面
大阪府 箕面市
2003 年 10 月 1 日
店舗面積 1 万 4422 ㎡
(カルフール部分 9000 ㎡)
3 階建て(1~2 階が売場)、
テナント 35 店舗。東急不 動産が 30 年間の借地契約 を結んだ土地に計 8 棟の建 物を建設、総工費約 74 億 円
鹿島・イチハ シ・ハンシン 建設 JV
6 カルフール 尼崎
兵庫県 尼崎市
2003 年 10 月 15 日
敷地面積 3 万 3000
㎡、店舗面積 1 万 8300 ㎡(カルフール 部分 1 万 346 ㎡)
4 階建て(1~2 階が売場)、
テナント 75 店舗 鹿島
7 カルフール 東大阪
大阪府 東大阪 市
2003 年 10 月 24 日
敷地面積 2 万 2500
㎡、店舗面積 2 万㎡
(カルフール部分 1 万㎡)
4 階建て、テナント 59 店舗 大林組
8 カルフール 明石
兵庫県 明石市
2004 年 1 月 23 日
(2007 年 1 月 10 日)
敷地面積 6 万 3000
㎡、店舗面積 1 万 9000 ㎡(カルフール 部分 1 万 1000 ㎡)
2 階建て居抜き、テナント
41 店舗 フジタ
出典:筆者作成
初代社長のジェラル・クレル氏は店舗開設の準備のみで、1999 年 8 月には 2 代目社長と してジャン・クリフトフ・ゴアハン(Jean Christophe Goarin)氏が就任した。同氏は商 学を学んだ後、1972 年にニューデリーでフランス大使館の経済担当官を務め、1976 年にカ ルフール(Carrefour S.A.)に入社した。ベルギーにあるカルフールのファイナンス子会 社の社長等を経て北京駐在事務所の代表にもなっており、ファイナンスと開発に強く、国 際経験が豊かな人材であった188。ゴアハン氏は徐々に新規出店して店舗数を増やし、経験を 積みながら現地適応を模索しようとしたが、出店した 3 店舗は目標の売上高を達成するこ とができなかった。
2002 年 5 月には、ロイック・デュボア(Loîc Doubois)氏が社長に就任した。デュボア 氏は 1981 年レンヌ大を卒業、同年、新卒で同社に入社した、生え抜きのマネジメント層で ある。1995 年からはカルフール・チャイナに赴任し、異動時は営業統括を担当していた189。 カルフール・ジャパン社長に就任するまでの 21 年間、店舗の運営・統括、店舗開発、商品 部の統括などを経験しており、店舗と商品部の双方に精通した人物であった。
社長の交代に伴い、さまざまな戦略の転換が行われた。特に大きなものは、日本を他の アジア諸国と同一視した戦略からの転換と、語学重視(派遣者のいうとおりに動ける人材)
の採用から小売での経験重視(日本の市場に適した活動ができる人材)の採用への転換が
144
挙げられる。就任後に開店した狭山店では、小売業経験者を中心に本部要員も含め約 80 人 を採用した。また 2002 年 12 月に開始した 2003 年の採用では、大手スーパーなどで 15 年 程度勤務し、生鮮食品、衣料品など各分野で専門知識を持つ人を店長候補として採用する こと、20 歳代後半から 30 歳代前半の小売業経験者を積極的に採用することを打ち出した190。 デュボア氏は撤退決定後の 2005 年 1 月に中国法人へ異動し中国総支配人に就任した。完全 にアジア畑の人材といえる。
カルフール・ジャパンの組織体制は、図表 5-5 のようになっていた。日本法人の CEO は アジアのダイレクターを通じて、カルフール CEO との直接の報告経路を持っていた。派遣 者はディビジョンマネジャー以上に配置され、2004 年の段階で 27 名であった191。本部には、
財務・法務部、人事部、ショッピングモールの開発も含む開発部、システム部、物流部、
店舗運営のマーケティング部(この下に各店舗のストアマネジャーが所属)、商品部が存在 した。イオン株式会社への売却時には 200 名弱が在籍していた。店舗を含めると 3000 名超 が勤務していた。
145 図表 5-5 カルフール・ジャパン組織図
ディビジョン 店舗 マネジャー
カテゴリー マネジャー 営業本部
ダイレクター
グロサリー シニア マネジャー
ストア マネジャー
ディビジョン マネジャー
デパートメント
マネジャー リーダー
財務・法務部 シニア マネジャー 店舗開発部シ
ニアマネ ジャー
物流部シニア マネジャー
ジャパン CEO
人事部 シニアマネ
ジャー
ディビジョン マネジャー
システム部 シニア マネジャー
SDD BDD カルフール
CEO
アジア ダイレクター
マーケティング 部シニア マネジャー
ディビジョン マネジャー
ディビジョン マネジャー
ディビジョン マネジャー 給与福利 厚生担当 マネジャー
ディビジョン マネジャー
カテゴリー マネジャー フレッシュネス
シニア マネジャー
SDD BDD
ディビジョン マネジャー
カテゴリー マネジャー バザー
マネジャーシニア
SDD BDD
ディビジョン マネジャー
カテゴリー マネジャー テキスタイル
マネジャーシニア
SDD BDD
ディビジョン マネジャー
カテゴリー マネジャー アプライアン
ス シニアマネ
ジャー
SDD BDD トレーニング
担当マネ ジャー 採用担当 マネジャー 店舗人事 マネジャー
セールス マネジャー
ショッピング モール マネジャー メンテナンス
マネジャー セキュリティ
マネジャー キャッシャー
マネジャー アカウント マネジャー 組織システム
マネジャー
リーダー リーダー リーダー
リーダー
リーダー リーダー
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※ストアマネジャー=店長
※カテゴリーマネジャー=バイヤー 出典:インタビューにもとづき筆者作成
5.5. 初期の小売システムの移転