• 検索結果がありません。

道教における土公の変遷

ドキュメント内 東アジアにおける土公信仰と文化交渉 (ページ 44-49)

第二章 土公信仰の展開――六朝時代から宋代まで

第二節 道教における土公の変遷

土公は道教の神と思われたことが多いが、前節で考察したように先秦時代の土忌観念を 受け継いで形成したもので、後漢時代以降に成立した道教よりも古かった神である。ただ し、後漢時代の解土などの観念は道教の儀礼に吸収され、安龍奠土などの安鎮儀礼として 今まで継承されてきた。そして、土公関係の資料もほぼ道教関係の文献に残っており、民 間本来の土公観念も道教の影響を受けて変わってきた。

まず、前述した買地券における土公の神格が高いという点について道教関係の資料から 検討してみる。後ほど詳しく考察するように、道教においても土公は基本として卑しい鬼 神として見做されたが、例外としては北魏時代に編纂された『斉民要術』の祝麴文が挙げ られる。

東方青帝土公、青帝威神。南方赤帝土公、南方威神。西方白帝威神。北方黒帝威 神。中央黄帝土公、黄帝威神。某年某月某日辰朔日、敬啓五方五土之神、主人某 甲、謹以七月上辰、造作麥麴数千百餅、阡陌縦横、以辨疆界、須建立五王、各布 封境。酒脯之薦、以相祈請、願垂神力、勤鑑所願、使出類絶蹤、穴虫潜影、衣色 綿布、或蔚或炳、殺熱火燌、以烈以猛。芳越椒熏、味超和鼎。飲利君子、既醉既 逞;恵彼小人、亦恭亦静。敬告再三、格言斯整、神之聴之、福応自冥、人願無為、

希従畢永、急急如律令。17

17 賈思勰『斉民要術』(任継愈主編『中国科学技術典籍通匯農書』河南教育出版社、1993年)、 93頁。

38

この祭文は、民間でお酒を造る時に読まれたものであり、厳密には道教のものと言えな いが、内容から見ると、特に最後に「急急如律令」という用語があるので、道教と深く関 連するものであるとは言えよう。祭文において、土公は五方の天帝と同じ地位にあり、祀 られる主神である。内容は甘美なお酒を醸せるように土公に祈願するものであり、それは、

古代人が酒の生成原理が科学的に理解できなくて神の力によってなされたと考えられた 18 ためである。ここでの土公は、地下世界でなく、地上世界に五帝と同格の神として崇めら れ、確かに神格が高いと言える。そのためか、余欣もKristoferSchipperの説 19に基き、土 公は古代神話における神々の一人で、その後道教に吸収されて『老子中経』の宇宙信仰の 体系で五岳の神、句芒、雷公、蚩尤などの神々と同じくランクとして並べられていると述 べた20。もしこの指摘が正確であれば、土公は『楚辞』で現れた霊魂が居る幽都の支配者で ある土伯と同一の可能性も高いだろう。しかし、「東方青帝土公、青帝威神。南方赤帝土公、

南方威神…」だけでは土公を「五岳の神、句芒、雷公、蚩尤などの神々と同じ」レベルの 神と判断することはできないと思われる。神に賛美して媚びることによって福を齎すこと は祈願の基本的な構造であり、神名の前に五帝の神名を加えるのは中国古代の道教的な経 典や祭文においてよく現れる形式である。たとえば、『太上霊宝補謝竈王経』で「可請東方 青帝竈君、南方赤帝竃君、西方白帝竃君、北方黒帝竈君、中央黄帝竈君、五方五帝竃君夫 人」21と記し、竈君を五帝と共に並べたが、それは実際に竈神が五帝と同じ地位にあるわけ でない。それはともかく、次に『老子中経』における土公関係の記録を検討してみる。土 公関係の内容を次のように、AとBに分けて掲げる22

18 方益昉、江暁原「通天免酒祭神忙」(『上海交通大学学報』2009年第5期、第47頁)。そのほ かに、李生春「『斉民要術』在中国酒文化史上的意義」(『甘肅経紡科技』、1994年第3期)をも 併せて参考。

19 The Inner World of the Lao-lzu chung-ching.114-131頁。Chun-chieh Huang and Erik Zurcher.Time and Space in Chinese Culture.1995年。

20『神道人心』中華書局、2006年、86頁。

21『正統道蔵』第10冊、芸文印書館、1978年、7864頁。

22『老子中経』( 蔣力生等校注『雲笈七籤』、華夏出版社、1996年)100頁と108頁。

A常以四時祠吾祖先,正月亥日雞鳴時祠郊廟。二月亥日祠社稷、風伯雨師,四月、

五月申卯日、七月、八月己午日,十月、十一月卯戌日,四季月不祠。但解 洿土公,

逐去伏尸耳。郊在頭上脳戸中,廟在頂後骨之上,社在脾左端,稷在大腸窮,風伯 在八門。

39

B常複有邪鬼精魅至於家、思、不祥。里社、水土公、司命、門戸、井竈、清溷、太 陰水瀆,皆能殺人者。

『老子中経』はおそらく魏晋時代ごろに成立したものであり、早期道教の存思法で修練す る方法を記した経典である。その中に、確かに句芒・雷公・蚩尤などの神々があり、頗る 古い神話における鬼神観が反映されているが、土公はそれらと同列に挙げられたことがな い。それどころか、Aに記された土公は、明らかに伏尸と同類のもので、解除される対象で ある。B には、さらに明らかに人を殺す邪鬼精魅だとされた。従って、『老子中経』の土公 は依然として漢代以来の神煞的で忌避され卑しい鬼神であり、『斉民要術』の祝麴文におけ る土公と五帝との関係を裏付けることができない。祝麴文における土公の性格を確かめる には、当時の造酒における祭文の性質を考えなければならない。祝 麴文の祭文を読む前に、

実は一連の巫術的な作法が行われた。

蒸炒生各一斛…七月取甲寅日使童子著青衣…向殺地汲水二十斛…和麴之時面向殺 地和之…地須浄掃…画地為阡陌、周成四巷、作麴人、各置巷中、 仮置麴王…湿麴 王…盛酒脯湯餅、主人三遍読文、各再拝…23

この文から、古代の造麴は呪術的な観念が濃く、一種の宗教儀礼のように見える。甲寅日 は五行で木・東方であり、萌芽する生命力の強い時期であり、「青衣」も明らかに木の色で ある。「童子」や「地須浄掃」などは、祭儀において穢れを忌避する「斎潔」の理念を反映 している。殺地に向かって麴を混じるのは、おそらく殺地の土公を招いてその神力を借り るためであろう。それから、草屋の地で十字の線を書いて四方と中央にそれぞれ麴人を造 って置く。五人の麴人は五人の土公を意味するであろう。麴人の機能について、同じく造 麴法を記録した唐末の『四時纂要』に「麴人及び王を以て中央・四方を守る」24と書いてい る。そして、五方に人形を置くことは、五方神 煞として後世の謝土儀礼で継承されている25

23 賈思勰『斉民要術』(任継愈主編『中国科学技術典籍通匯農書』河南教育出版社、1993年), 92頁。

24 韓鄂『四時纂要』巻三(任継愈主編『中国科学技術典籍通匯農書』河南教育出版社、1993年)、 211頁。

25 第三章で検討する。

。 したがって、『斉民要術』における土公はただ呪術的な造麴において、謝土などの儀式を借 用してその神力を借りるために神格を高めたものであり、一般社会において土公が五帝と

40

同じく地位の高い神であることを意味してはいない。

本来民間信仰における土公は道教の鬼神の体系に吸収されてから、その地位がさらに低 くなったわけである。土公は前述のように威神と呼ばれたのはほぼその一例しかなく、道 教においておおよそ「鬼」とされている。東晋初期までの成立と考えられる『女青鬼律』

には「地青土公鬼名元、地赤土公鬼名赤赫元、地黄土公鬼名尅元、地白土公鬼名述本、本 地黒土公鬼名士民」26と記している。古代において、鬼神の名前を呼ぶことでそれを降伏さ せることができると信じられていた27。したがって、土公はすでに道士の呪語で降伏させる 祟りの鬼として位置づけられた。五世紀ごろに成立したとされる『太上洞淵神呪経』28

と書いている。世間で疫病が流行り、土公が数えられぬ疫鬼と一緒に病気を広げ、人を殺 すという。それは北方の少数民族が侵入して多くの漢民族の人が殺したことや、疫病が爆 発して大面積の人が病死したという世相を反映するものである

巻六 に

道言、甲午之旬、年中有黄牛鬼、鬼王名赤石(略)行万種病、病 炁重多、土公所 害、自称李子敖、子敖兄弟、千千億万、為侶来殺人(略)

また、同書巻七に

道言,甲午之旬,年多有六夷氐獠羌胡之鬼流行,行万六千種病,病殺悪人(略)

土公殺人(略)人多暴死,死不以理(略)一一如女青詔書口 勑律令

29。鬼王が天下の小鬼を率い て疫病を伝播して人を殺すという観念は30

26『正統道蔵』(前掲)第30冊24272頁。

27 張勛燎、白彬『中国道教考古』線装書局、2006年、987頁。

28『正統道蔵』(前掲)第10冊7526頁と7534頁。

29 林富士の統計によれば222~565年まで、27回の大疫が暴発した記録が史書に記されている

(『中国中古時期的宗教与医療』、中華書局、2012年、27~28頁)。

30 鬼王思想について、呉怡潔の「行病之災――唐宋之際的行病鬼王信仰」(『唐研究』第十二巻、

北京大学出版社、2006年)を参考。

、この不安の社会にさらに恐怖感を強めたであろ う。それで、本来犯土だけで祟りをする土公は、無差別的に祟りをおこし、一種の疫病神 になったのである。土公のこのような性格を極端的に描いたのは『洞真太極北帝紫微神呪 妙経』であろう。

ドキュメント内 東アジアにおける土公信仰と文化交渉 (ページ 44-49)