第七章 日本における土公信仰の変容と展開――土公祭を中心として
第一節 日本における土公変容をめぐる問題点
平安時代に盛んであった土公信仰は、後世に於いて民間社会で広く信仰され、変容を蒙 ってきた。その典型的な例として、中国地方の民間神楽祭祀である五行祭がある。ここで は、土公神祭文が読まれ、王子舞が行われる。すなわち五龍王とされる五土公神王子の四 季管轄をめぐる争いに関する縁起を物語るのである。また、民間信仰において土公は竈に 祀られ、三宝荒神と見做された。それらの土公信仰は明らかに平安時代の土公信仰と異な ったものである。
日本における土公信仰の変遷・変容を最も精緻に検討したのは中国地方神楽祭祀の研究 者・岩田勝である。現在の五行祭は主に大夫が主導する土公神を祀る神事になり、かつ演 劇性を重んじて芸能化してきたが、岩田勝の考察に依れば、それは本来土公を悪霊として 鎮めることを中心とする祭祀であって、近世頃からはじめて土公神として崇め祀られる神 になった。土公から土公神への変遷は、五龍王の王子化と密接にかかわっているという。
五龍王は本来祈雨の祭祀などで祀られた水神であったが、日本で「密教儀軌によってあら たな霊格を付与」されて地霊の五龍王となり、「蛇形の地霊である五龍王」はやがて「鎮め られることが度重なるにつれて、人形から、さらには人体をとる五人の王子とされ」「五人 の王子という人形に形象化される頃から、漸次守護霊に変身させられてきた」のである。
それで、土公も地霊なので、「文明年間の五龍王祭文を経ながら、五龍王は地霊の土公と習 合され、中世後期に至って大土公神祭文として変貌した姿を現す」1
1 岩田勝『神楽源流考』名著出版社、1983年。
という。要するに、土 公は本来鎮められる地霊であったが、中世後期に守護霊になった五龍王と習合することで、
守護霊の土公神になって崇め祀られるようになった。そして、三宝荒神と土公の習合につ いては、「三神三毒の荒神は、祀りしずめによって三宝荒神と崇められるようになるという 両義性のある存在だとするのが一般的な理解であったようである。そのような荒神が中世 後期には竈神としても祀られるようになるのである。地神盲僧がもっとも力を致したのは、
竈の神として現じる三宝荒神を琵琶の地神経を誦んで祀りしずめることであった」ので、
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「竈の神とされることを媒介として、三宝荒神と土公神(土公)の霊格が重なりあってく るようになる」2
以上のように、岩田勝は五龍王や三宝荒神などの歴史変遷と照合して、土公神の変遷・
変容を論述してきた。その根底に置かれたのは、中世から発展してきた日本独特な地霊に なった五龍王をめぐる信仰の変容であった。そして、その担い手は、各地を回って地神経 を読んでいる盲僧に負うところが多い。しかし、地神経は日本で作られたものでなく、朝 鮮半島から伝来してきたもののようである。朝鮮の『仏説地心陀羅尼経』と日本の地神経 との関係について、荒木博之が両者の異同を比較して「こういった説話部分のディテール の差異にもかかわらず、仏説地神陀羅尼経の全体構造および普遍部分の一致および可変部 分の対応関係から、これらの日韓の同名の民間経典が過去におけるきわめて密接なるかか わりあいを予想せしめる決めてとなっている」
のである。
3と指摘し、さらに日向盲僧の百済伝来説を 参照して、「盲僧行複合は百済により近い北九州に上陸したのではなく、日向に一気に渡海 伝来したと思われる」と述べた4
一方、斎藤英喜は陰陽道と仏教との習合を注意し、『土公神祭文』を中心として土公神の 変遷を考察した。特に、「土公とともに大地と暦の禁忌に関わる神格であることがわかるの だが、「伏龍」がもつ龍神という神話的なイメージは、陰陽道神たる土公が「五帝龍王」の 物語を引き寄せてくるときの重要な要素となっていることが考えられよう」
。つまり、日本の『仏説地神陀羅尼経』は百済の盲僧が日 向に渡海して伝来したものという。しかも、地霊としての五龍王は、早くも中国ですでに 現れたもので、日本で独自に変容してきたものとは到底言えないだろう。したがって、日 本における土公と五龍王との関係を再考する必要がある。
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2 岩田勝『中国地方神楽祭文集』三弥井書店、1990年、252頁。
3 荒木博之「盲僧の伝承文芸」(五来重編『講座 日本の民俗宗教』7、弘文堂、1979年)169頁。
4 荒木博之「序説」(荒木博之・西岡陽子編『地神盲僧史料集』三弥井書店、1997年)14頁。
5 斎藤英喜「祭文・祝詞ー「土公神祭文」をめぐって」(上杉和彦『経世の信仰・呪術』竹林舎、
2012年)51頁。
と述べ、陰陽 道における伏龍が土公と五帝龍王の習合する引き金と指摘した。それは興味深い見解であ る。実は、伏龍はそもそも中国に於いて仏教の影響を受けて作られた神と思われる。伏龍 は、敦煌文献でよくみられ、唐代ごろによく信仰されていた神である。伏龍の記載は最も 古くは『安宅神呪経』に現れ、おそらく土公と同じ土地の神煞として挙げられた ものであ る。それは、民間の地霊とする蛇信仰にも関連があるが、基本として土公の神格を真似て 作られた神である。余欣が「伏龍は概ね古代人が地震や地基が平穏でなくて家屋を倒させ た現象を精確に解釈できないことから想像してきた神祇であり、その原型はおそらく蛇で
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昔シ世ノ初ニ、南閻洲鳥ノ卵ノ如有シ時ニ、寒古王ト申神出世ニ、左ノ眼ヲ以テ、
日ト為シ、右眼ヲ以テ、月ト為シ、二ノ手ヲ以テ、東西ノ山ト為シ、牙歯ヲ以テ、
南北ノ岡ト為シ、頂ヲ以テ、須尓山ト為シ、腹ヲ以テ、海ト為シ、足ヲ以テ金剛 輪際ト為シ、吸気ヲ以テ雲風ト為ス。五ノ色有リ。青色ヲ以テ、仏種ト為シ、白 色ヲ以テ、法種ト為シ、赤色ヲ以テ、人ノ種ト為シ、黒色ヲ以テ、六畜ノ種ト為 シ、黄色ヲ以テ、大地万物ノ種ト為ス。尒ノ時キ尸棄梵王ヲ父ト為シ、光明天女 ヲ母ト為シ、豊葦原ノ水穗ノ国ニシテ五人王子ヲ生ミ給ヘリ、第一王子ヲハ善遠 ト名ツケ、第二王子ヲハ恵遠ト名ツケ、第三王子ヲ寶遠ト名ツケ、第四王子ヲハ、
目遠ト名ツケ、第五王子ヲハ勝遠ト名ツケ、又第一王子ヲハ木王ト申、亦東方大 頭賴吒天王ト名ツク、第二王子ヲハ火王ト申、亦南方毗留勒刃天王ト名ツク、第 三王子ヲハ金王ト申、亦北方毗樓博刃天王ト名ツク、第四王子ヲハ、 水王ト申、
亦毗沙門天王ト名ツク、第五王子ヲハ土王ト申、亦地蔵菩薩垂跡ト名ツク也、尸 棄梵王大日如来垂跡也、光明天女盧舎那仏分身也、五帝地神之本地、大略如此
と述べたが、文献における土公と伏龍の類似性からみれば、仏教は中国従来の土公 という地霊観念に対応するために、伏龍の存在を唱えたのであろう。それはともかく、中 国唐代から、龍神はすでに土地守護神としてひろく信仰され、土公と五方龍の習合する要 素はその時にすでに備えたといえよう。
ちなみに、土公神の五王子物語は、五龍王伝説に源流を求められてきた。その根拠は、
主に鎌倉中期以前の成立とされた「五帝龍王根源」ではないかと考えられる。
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この中で、五龍王は確かに五王子と見做され、そして「寒古王」は後世の土公神祭文にお いて五王子の父親で「盤古王」として登場しており、それは後世の土公神五王子物語の源 流ともいえる。しかし、土公神祭文は主に四季や土用をめぐる物語であり、それは仏教に 由来した伝説というよりは、五行説から敷衍したものと思われる。諏訪春雄がすでに指摘 したように、中国山西省にも「坐后土」という芸能祭祀があり、「女神の誕生日に祝いに、
女神の命令を受けた使臣王成の迎えで参上した太郎、次郎、三郎、四郎の四人の子は、春 夏秋冬と東西南北の支配をまかされるが、参上しなかった第五子の五郎は、四季から十八
6 余欣『神道人心』中華書局、2006年、204頁。
7 近藤喜博編『神道集』角川書店、1959年、412頁。
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日ずつを抜き出した七十二日の土用日と、中央の支配をゆだねられるという筋」8で、日本 の土公神祭文と基本的に一致している。さらに、雲南省の白族にも似ている民間物語があ り、ただ四季の上に節気をも分けただけの違いである9。そして、興味深いのは、雲南省の 白族にも土公を祭る習俗があり、五人が土公・土母を扮装して踊って一家の福を祈るもの である10