第五章 朝鮮半島における土公信仰――巫経を手掛かりとして
第二節 『仏説地心陀羅尼経』と『仏説広本太歳経』
とあり、竈神は三十六神であることを説いた。『太上感応篇』は南宋時代初期(1127~1129 年)の李昌齢によって作られた善書であり、朝鮮近代の民衆宗教における善陰隲教の主要 経典の一つとして使われていた。この経典はいつごろ朝鮮に伝えられたのか、はっきりわ からないが、『竈王経』はこの三十六竈神の観念に基づいて、自ら神名を作ったのであろう。
従って、『竈王経』は、中国伝来の経典から影響を受け、朝鮮において独自に組み立てら れたものであると推察される。そこで、その中に現れた「十二土公八部神」も、中国から 伝来した土公の観念から変容して作られた神名であろう。それでは、変容される前の土公 信仰はどのようなものであるかを見てみたい。
1『仏説地心陀羅尼経』
中国の土公信仰をより率直に反映したのはおそらく『仏説地心陀羅尼経』18
如是我聞、一時仏在菩提双樹下入涅槃時……五龍王所徒眷属不置奉論……爾時仏 便従棺起立、為此、五龍王五色幣帛捧並土祖父、土祖母、土公土王子孫等名号、
(以下『地心 経』と略称する)であろう。この経は主に五方龍神やその眷属としての地神・土神・土公 などの神々を鎮めるために読まれたものである。土公関係の経文は次の通りである。
17『正統道蔵』(前掲)第45冊、36214頁。
18 荒木博之は「盲僧の伝承文芸」(五来重編『講座 日本の民俗宗教』7、弘文堂、1979年)に おいて李準容の『仏説地心陀羅尼経』を全文的に翻刻したが、増尾氏が示した影印本と比較すれ ば、誤字が多い。ただし、内容はほぼ同じである。したがって、ここで主に増尾氏の影印本に基 づいて論じていく。
93 呼立演此地心経入涅槃……
爾時仏告阿難、言末世衆生為二親祖父母並六親眷属、若死亡日月随時獲得方地、
欲治置者、為先其所、五帝土公土神種種供具、持以奉上、而鎮法、此陁羅尼読誦 五遍、毎方甚大吉利、我釈迦猶暫煩此処、何況末世凡愚、若所鎮墓、先此地心経、
読誦十巻、即令悪心、五帝土公眷属神鬼等、各得菩提果、……彼召五帝土神眷属 八万四千大将軍衆、名読誦此経、即得解脱……呼五帝土祖眷属等読誦此経、病則 除愈……
十二月将化菩薩 五帝龍王諸眷属 土公土王子孫等 家内八方所奉神 我等施主左右 神 三十六竈眷属等……
釈迦は涅槃する前に五方龍王とその眷属だけが仏法に降伏しなかったので、五方龍王眷 属を鎮めるために、『地心経』を説いて涅槃に入ったという。また、「衆生が二親・祖父母 並びに六親眷属のため、若し死亡の日月に随時に方地を獲得し、治め置いてほしいのであ れば、先に其の所の五帝・土公・土神のために種々の供具を持て以て奉上して鎮法すべし」
と書かれたように、この経は本来葬儀において、埋葬する前に墓地の地神を供えて鎮める ために読まれるものであり、いわゆる鎮墓の経でもある。鎮墓の観念は中国漢代ごろにす でに現れたものであり、それは買地券や鎮墓文などの契約書や鎮墓瓶によって、注鬼やほ かの怨霊の祟りを鎮めるものである。ただし、『地心経』のように地神を鎮めるのでない。
それどころか、主に土公・土伯などの地神の力を借りて、邪鬼を鎮めるものである。とこ ろが、隋唐時代頃から、道蔵における『太上召諸神龍安鎮墳墓経』19
19『正統道蔵』第10冊、芸文出版社、1978年、7862頁。
や『太上洞淵神呪経』
の「召諸天神龍安鎮墓宅品」が示したように、土地の守護神は龍神となり、地神などは鎮 められる対象になった。『地心経』はむしろこの隋唐時代以降の龍神鎮墓観念を反映してい る。「十巻を読誦すれば、即ち悪心、五帝土公眷属神鬼等に各々菩提果を獲得させる」と記 されたように、読経で土公などの鬼神を鎮めて仏教に帰依させる。これは、『阿含経』で説 かれた悪龍王が仏教に降伏することによってかえって仏法の守護神になったのと同じ趣旨 であり、そもそも仏教の龍神信仰から影響を受けたものである。ちなみに、『地心経』には 土母の名前が見られず、また「五帝土公」という中国宋代までの呼称を合わせて考えれば、
『地心経』は六朝時代から宋代までの土公観念を反映したものともいえよう。
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また、秋葉隆が盲覡の職業として「地神陀羅尼によって家宅地神の災を防」20ぐものと指 摘したが、『地心経』は古来から盲僧だけによって家宅の祭事に使われたとは思えない。前 述したように、『地心経』の経文によれば、これはそもそも鎮墓の経典でもある。そして、
鎮墓の観念は朝鮮の三国時代にすでにあった。地鎮具や鎮壇具を出土した七世紀ごろの古 代の建築跡として、百済では扶余軍守里寺跡、新羅では皇龍寺の西金堂跡及び九層木塔と 伝味吞寺跡三層石塔跡があり、地鎮具は「建物を建てる以前か基礎を固める時に行われる 地神を祭祀する宗教儀式」の時に供えられた七宝などがある 21。『地心経』は仏教的なもの としてこのような地鎮祭で読まれた可能性が高い。ちなみに、鎮墓の観念は仏教だけでな く、道教的な信仰に伴って早くから朝鮮に伝わった。今まで朝鮮では三例の買地券が発見 され、その中に最も古い百済武寧王買地券は六世紀のもので、「上記の銭をもって土王・土 伯・土父母・上下衆官二千石にたずねて申地の土地を買って墓とする」という文がある 22。 ただし、この買地券は、道教的なものであり、また武寧王(462~523 年)のような一国の 王に使われたものなので買地券を代表とする鎮墓観念は社会的に広く信仰されたとはいえ ない。もっとも、これは買地券や鎮墓及びそれらに含まれた土公などの土地神の観念があ る程度朝鮮に伝えられたことを示すものと考えられる。そして、他の二例の買地券は高麗 時代の僧侶の墓で出土したものであり23、買地券などの観念が朝鮮の仏教でも受容されたこ とが推測できよう。ちなみに、守護龍神や五方龍神などが買地券で登場したのは唐末か五 代からのことである 24
20 秋葉隆『朝鮮巫俗の現地研究』養徳社、1940年、80頁。
21 姜友邦「韓国古代の舎利供養具・地鎮具・鎮壇具」(『仏教芸術』(209)、1993年7月)68~75 頁。
22 李宇泰「韓国の買地券」(『都市文化研究』(14)、2012年3月)、109頁。
23 一つは、高麗仁宗19年(1141)に作られた闡祥という僧の買地券で、券文は「維歲次辛酉二
月朔庚午二十八日丁酉前玄化寺住持僧統闡祥亡過人不幸早終今用錢九萬九千九百九十九貫文買 墓地一段東至青龍西至白虎南至朱雀北至玄武保人張堅固見人李定度已後不得轉有侵奪先有居台 遠避千里之外急急如律令勅」である。もう一つは、仁宗21年(1143)の僧世賢の買地券で、券 文は「維皇統三年癸亥 歲五月朔丁巳七日癸亥高麗國興王寺接松川寺住持妙能三重大師世賢歿故亡 人乞人前一萬萬九千九百九十文就皇天后土母社稷十二邊買得前件墓田周流一頃東至青龍南至朱 雀西至白虎北至玄武上至蒼天下至黃泉四至分明即日錢財分付天地神明了保人張陸李定度知見人 東王公西王母書契人石切曹讀契人金主簿書契飛上天讀契人入黃泉急急如律令」である。詳しいこ とは前掲注の李宇㤗の論文を参照。
24 1998年成都市光華路小学五代大蜀永平六年(916)残磚墓石券に「…一切諸神、左青龍、右白
虎、前朱雀、後玄武、及五方龍神…急急如五帝使者律令」にちゃんと五方龍神のことが書いてい る。また、南漢大宝五年(962)10月内侍省馬氏二十四娘買地券にも「陰陽和会、動順四時。龍 神守護、不逆五行」とある。
。したがって、『地心経』は唐代から宋代にかけての時期で作られた ものだろう。
95 2『仏説広本太歳経』
『仏説広本太歳経』(以下『太歳経』とする)は、『地心経』に比べてより朝鮮独特の展 開を遂げたものである。太歳は、中国において六朝時代から動土で忌まれる太歳将軍神と して見做され、また道教で太歳殷元帥として広く信仰されてきた神である。そして、「太歳 頭上動土」という諺が示したように、太歳は主に動土禁忌と関わる神である。つまり、太 歳信仰は、中国で主に術数や道教と緊密に結びつき、犯土造作に関わるものである。とこ ろが、『太歳経』は明らかに仏教的な内容が多く、太歳信仰は朝鮮で仏教的に展開したとい えよう。それで、土公も『太歳経』において新しく展開されたことを窺える。
『太歳経』は、一般の巫経より長文のものである。この経の縁起や功徳については、
如是我聞、一時仏住舎衛国祗樹給孤独園与大比丘衆二千二百五十人俱、爾時仏告 舎利仏……若有人者受持此経、読誦尊重、礼拝供養、是人一切所願無不成就、若 有人雖有十悪五逆無量微塵重罪煩悩、読誦此経、悉皆消滅、復有重病読誦此経、
諸天神王四王八部与其眷属皆詣其処不離守護、是人無量長寿安穏、若依此経、如 法読誦、於耳聞者現世難諸災患、未来得成仏道、爾時欲宣此義而説神名
と経の冒頭で書かれ、釈迦が一切の所願を成就させるように説いた現世利益特に長寿を齎 すことができる経である。また、経文で現れた各種の神名を分析すると、それらはほとん ど「南無太歳+神名」という形式であり、数は三百あまりがある。そして、神名は仏教の神 名だけでなく、自然神・九宮神・宅神・将軍神・方角神など様々なものが含まれている。
実は、仏教の神は十分の一にすぎない。土公及び土公関係の神名は次の通りである。
南無太歳業障消除下台星神 南無太歳東方歳星土公王神 南無太歳南方熒惑星土公 王神 南無太歳西方太白星土公王神 南無太歳北方辰星土公王神 南無太歳中央鎮 星土公王神 南無太歳子孫満徳貪狼星神 ……
南無太歳県官神 南無太歳道地神 南無太歳土公神 南無太歳伏龍神 南無太歳騰 虵神 南無太歳東地神……
南無太歳五行神 南無太歳年住土公神 南無太歳月住土公神 南無太歳日住土公神 南無太歳時住土公神……25
25 ほぼ同じ内容の『太歳経』は『朝鮮巫俗の研究』(前掲、26~30頁)においても収録してある。