第八章 日本土公信仰の現状
第一節 東アジア諸国における土公信仰の異同
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終章
―結論と今後の展望―
これまで、東アジアにおける土公信仰を全般的に考察してきた。日本の土公信仰は東ア ジア諸国と同じ起源を持ちながら、異なる受容と変容の過程を経たことが確認された。本 章は前八章を踏まえて東アジア諸国における土公信仰を比較しながら、その異同の歴史原 因を確認して結論をまとめたい。それから、土公信仰に関する文化交渉の研究によって窺 えた東アジア宗教文化の共通基盤を指摘し、今後の研究の展望を述べて終わりたい。
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主は家宅における四方の土地神を管轄する地神であり、中霤神の性格と極めて類似し土公 とも共通性が見られるが、それを土公の土地神性格と直接結びつけるのは難しい。
日本では、土公が記紀神話に由来した猿田彦神と習合する中で土地神と見做された。た だし、それは一般的な土地境界神の性格が強く、石板に神名を刻まれて神社で祀られたも のであり、一家屋の土地神・守護神とあまり関係がない。一方、近世以来の民俗信仰に於 いて、土公神は家宅神において土地神と見做されたこともある。たとえば、収穫の時期に 土公神の神棚に初穂を供えたことがある。ただし、それは中国の中霤神や土地神と全く関 係がなく、一般的な土地信仰に由来したものである。また、長崎に於いて土公神は墓地の 土地神と見做されたことがある。それは、中国の墓地土地神信仰と関係があるが、魏晋時 代の買地券で見られた地下世界における土地神としての土公と関係がなく、日本化した土 地神としての土公神観念で近世から伝来した中国の后土信仰を変容した産物である。
2 犯土神(動土神)
土地を犯していけないという観念は世界中で一般的に存在している大地崇拝の一種と言 えよう。土公は犯土神としての性格も広義的にこの大地崇拝に含まれている。ところが、
土公の特殊性は原始的な地霊・悪霊に対しての素朴的な観念でなく、陰陽五行思想によっ てある程度抽象化されたことにある。
中国では、後漢時代に現れた土公はそもそも戦国時代における天文信仰や陰陽五行思想 と深く関わった土忌観念の流れを汲んだものであり、規律的に遊行するという性格を持つ 犯土神である。六朝時代から、犯土神の祟り神という神格を踏まえて犯土と関係なく、疫 病を伝播する疫神とも見做されてきた。この犯土神の性格は中国土公信仰の基調的な性格 であり、現在まで続いてきた。それは中国に於いて土公と一般の土地神とはっきり区別す る特徴でもある。
ベトナムでは、正月の行事として「クカイと元のクカイが太鼓と鉦を交互に敲く」29
29 末成道男『ベトナムの祖先祭祀』風響社、1998年、220頁。
とい う動土の礼がある。ただし、それはおそらく犯土神としての土公と直接関係がなく、つま り土神を犯す観念でなく、土を動かして農作を始めるという観念であろう。ところが、上 梁や供土などの祭儀において、「五方土公尊神」の神名が見られるので、犯土神としての土 公はベトナムに伝わったと言えよう。そして、五方土公の「五方」は明らかに五行思想に 基づいたものである。ただし、民俗信仰に於いて、土公は中国のように犯土神の性格が強 くない。
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朝鮮半島では、土公は主に巫経の中で見られ、そして基本として犯土神として見做され た。『仏説地心陀羅尼経』や『仏説太歳経』において、土公は基本として太歳などの神 煞と 同じく、犯土と直接関わる神である。そして、民間に於いて「動土病」という専用の病名 があるように、犯土の観念はかなり流行っていたように見える。近世以来、土公の神名が 忘れられてきたが、犯土の観念だけは強く残してきた。ただし、中国土公信仰における疫 神のように見做されなかった。
日本では、平安時代の貴族社会に於いて土公信仰が盛んであり、主に犯土神として見做 されていた。そして、土公は犯土と関係なく、病気をもたらす祟り神の一種として見做さ れたこともある。ただし、疫神としての土公信仰は民間社会で広く広がらず、主に方忌・
土忌の犯土神として暦を通して認識されてきた。犯土神の神格は現在民俗の土公信仰に薄 くみられ、主に地鎮祭において単なる祭儀として残っている。
3 星神と眷属神
土公の犯土神たる神格はそもそも天文暦法と深く関わり、土公自身は東壁南にある双子 星の名前でもある。星神としての土公は主に天文占において現れ、地上の農作や造営を司 るとされている。ところが、実際は、土公は天文占であまり重要視されなかったためか、
史料でほとんど確認できない。またベトナムや朝鮮半島においても星神としての土公に関 する史料はほぼ見られなかった。日本の場合は、星神たる土公は早くから漢籍を通して伝 来したが、受容されなかったようである。江戸時代に、渋川春海が作った天球儀に土公の 名も見られたが、それはあくまでも文献資料に基づいて表記したもので、実際に観察した ものではい。それは、おそらくベトナム・朝鮮及び日本の天文観察技術とも関係がある。
また、中国の土公信仰は隋唐時代から土公・土母という眷属神の性格が現れ、特に明清 時代から主に夫婦眷属神として認識されてきた。土公・土母の神名は『玉枢経』などの道 教の経典を通して朝鮮半島に伝わったことがあったが、広く認識されたわけでなかった。
ベトナムでは、版画などにおいて土公・土母の神像がたまに見られるが、文字資料でやは り「五方土公尊神」のほうが主流である。日本では、土公・土母という眷属神の観念はお そらく全く受容されなかった。
4 竈神
一方、中国の土公信仰にない竈神としての神格は日本やベトナムでその信仰を展開して きた。
中国では、竈神が古くから信仰されてきており、特に六朝時代から天帝に人間の善悪を
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報告する司命神として広く認識されてきた。土公は竈神と同じく家宅神で、また共に人間 の善悪を監視する職能を持っているが、類型化した司命神としての竈神ほど広く知られな いためか、両者は混淆したことがない。
朝鮮半島では、『仏説竈王経』において、「十二土公八部神」の神名をも挙げられたが、
それはやはり地神で、竈王と区別している。
ところが、ベトナムでは、現在の民俗信仰において、竈神は土公と呼ばれたことがある。
民間伝説にも、土公は厨房のことを司る范郎という人が死んでなった竈神と見做された。
ただし、その祭祀からみれば、本質は依然として家宅土地神である。それは、家宅守護神 と抽象化した土公信仰は、近世特に近代の中国移民によってもたらされてきた竈神信仰か ら影響を受けて、表層的に竈神と見做されたためである。
一方、日本の中国地方を中心とする地域の民俗信仰においても、土公はよく竈神と見做 されたことがある。ただし、それはベトナムと異なり、中国の竈神信仰と関係なく、日本 の信仰の中で変容した結果である。つまり、犯土禁忌において竈はよく犯土を忌まれたと ころであり、また鎌倉時代から活躍してきた盲僧などの民間宗教者は主に竈に対して土公 の神名を唱えた『地神経』を読経したもので、土公は早くから竈という場所と緊密に結び つけられた。土公は竈というところで祀られたことによって竈神と見做されたと思われる が、その背景には日本に於いて竈神はそもそも中国の竈神のように明確した神格を発展し なかったためであろう。