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土公信仰と密教の交渉

ドキュメント内 東アジアにおける土公信仰と文化交渉 (ページ 147-155)

第七章 日本における土公信仰の変容と展開――土公祭を中心として

第三節 土公信仰と密教の交渉

。平安 時代にすでに土公祭の記録が見られたが、鎌倉時代に入ってから、陰陽道は密教と交渉し ながら、自分の祭儀を完備しつつあったと考えられよう。

鎌倉時代における陰陽道の土公祭について密教と関連して考察したが、土公は密教でど のように展開されたかは、明らかにされていない。鎌倉初期の『覚禅抄』に土公供の祭儀 があり、その祭儀次第について現在高野山大学所蔵の『中院流星供及土公供集』に多く収 載されている。その土公供は、「祭文のはじめに五帝龍王を謹請しており、ここに陰陽道の 祭文の影響が認められる」という記載を根拠の一つとして挙げ、陰陽家の土公祭に影響さ れて平安時代末期に成立した説がある21

19 七の数字については、確かに北斗七星の七でもあり、道教・術数とも関連がある。早くも『尚書』にす

でに「在璇璣玉衡以斉七政」という記録がある。ただし、孔穎達がそれを日月五星と解釈したように、七 政は少なくとも唐代において五行・五星によってその構成が理解された。後世道教における北斗信仰及び その関連の宗教儀礼はおそらくインド伝来の七曜信仰と習合したものであろう。

20 黒板勝美編『吾妻鏡』後篇、吉川弘文館、2000年、195~196頁。

21 木下密運・兼康保明「地鎮めの祭りー特に東密の土公供作法についてー」(『柴田実先生古稀

記念 日本文化史論叢』柴田実先生古稀記念会、1976年)338~347頁。

が、五帝龍王は陰陽道だけに由来するものでないの で、それによって陰陽道影響説は成立にならないと思われる。実は中世からの土公信仰は おおよそ密教との交渉に於いて成り立ったと考えられる。

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密教は奈良時代以前からすでに『安宅神呪経』などの雑密経典によって多少もたらされ たが、独立の教義や儀法が整ったのは平安初期の最澄と空海が将来してきた天台密教と真 言密教の成立以後である。そして、その密教は普通の人間に死や苦から解脱させる救済宗 教というより、国家鎮護を祈念する護国宗教である。天災、疫病及び御霊信仰が流行って いた平安京で、密教は鎮護の呪術機能によって速やかに発展して他の宗教を凌いだ。応和 元年(961)十月廿四日の夜に行われたのは、すなわちそういった時代背景で始まった記録 上最初の安鎮家国不動法である。台密の作法儀礼を収録した『阿娑縛抄』によると、安鎮 法は七日間の修法で、その中の地鎮は七日目の夜に行われたのである。たとえば長和四年

(1015)五月廿五日に仁寿殿に行われた安鎮家国法を例として地鎮の作法を見てみる。

第七夜に、まず布を敷いて壇を作り、その中央に折櫃を置く。次に、八方にも折 櫃を置く。次に、帛銭をそれぞれ折櫃に立つ。次に、八色幡をも折櫃毎に置く。

次に、閼伽・灯明・飲食を折櫃の前の壇に敷く。次は、祭文師が祭文を読む。次 は、雅楽寮が出て、歌舞をする。楽人が退出した後、階前の中心に五穀・五宝・

閼伽仏供などを埋める。それから、八方を回って埋める。最後、大阿闍梨が壇所 に入り、鎮祭を終わる22

鎮祭は八方に向けて行われたものであり、五行・五方を対象とする陰陽道の祭儀に異なっ ている。実は、安鎮国家法における地鎮はそもそも陰陽道とあまり関係がないようである。

たとえば、承保三年(1076)十二月に六条内裏に修めされた安鎮家国法の記事において、「第 四日に土用に成って了る。此の間はもし世情に順って犯土べからず。土事者、強いてこれ を避けぬなり(中略)よりて雖え土用の間でもこれを鎮める」

23とあり、また嘉保二年(1095)

六月廿六日に遷居で鎮宅のために行われた不動安鎮法に「六月六日、御修法を始められる。

明日より土用に入るなり。世俗法に任せるのは、猶これを避けるべき」24

22『阿娑縛抄』巻百二十、有精堂出版部、1932年、144頁。

23 同上、163頁。

24 同上、173頁。

と記され、土用と いう犯土の禁忌に従うかどうかは、修法の僧侶によって異なっているようである。つまり、

土用などの陰陽道による犯土禁忌は世俗法のもので、それに従うかどうかはただ仏教の方 便にすぎない。七日間を亘って行われた安鎮法は、おそらく『陀羅尼集経』などの密教祭

142 儀に記された儀軌に則って行われたものであろう25

最勝王経玄枢云。字曰堅牢○能持大地。令不傾毀。故言堅牢。此是女神也。受三 帰故名善女。西域敬神。皆名為天女。長阿含四大神。皆名善女。

。そして、前節で考察した七日間で行わ れた陰陽道の土公祭はこの台密の安鎮法から影響を受けたところが多いのではないかとも 思われる。

一方、真言密教では、世俗で忌まれた土公を地天として土公供を行った。地天とは、本 来インドにおける土地の神に対しての呼称である。『覚禅抄』には、

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と記されているように地天は「堅牢」といい、「善女」あるいは「天女」という女神である。

『金光明最勝王経』にも、堅牢地神を守護神として崇めている。『覚禅抄』の地天法には、

地天供作法と土公供法があるが、地天供作法の最後に「已上土公供作法。貞観寺僧正御伝」

と書いているので、土公と地天が同一視されているのが明らかである。ただし、土公は最 初として地天によって鎮められる対象のはずであった。保元(1156~1158)年間、観修寺 法印雅宝は大法房実任の瘧病・眼疾の為に堅牢地天供を修し、次のような都状文を読んだ27

25 『陀羅尼集経』巻十二に「我今欲立七日七夜都大道場法壇之会」と書かれたように、七日七

夜の儀軌が記されている。

26『覚禅抄』、『大日本仏教全書』、有精堂出版部、1932年、219頁。

27 同上、226頁。

伏惟レハ弟子有宿善余慶。自少年ノ昔至テ長大ノ今。住三密霊地。慭成レリ一 寺ノ官長ト。○近日ノ遇瘧鬼ヌ之厄。発ス両眼之疾。日中迷黒闇之影。夜台失フ 滿月之光ヲ。訪フ陰陽宅。云土公ノ祟リナリト。依之餝リ秘密壇場ヲ。以香花等 ノ礼奠ヲ。奉供堅牢地天ヲ。香花燈明開地天ノ慧眼ヲ。精米抄飯增土公ノ色力ヲ。

念スレハ一字真言ヲ。天忽悟リ四種法身ヲ。誦レハ一巻ノ般若ヲ。五帝龍王諸眷 属。捨三熱毒ノ身ヲ。随喜悦与之砌リ。退ケテ悪鬼土公之害ヲ。保チ百年寿算ヲ。

法楽莊嚴之庭ニハ。誇無病自在之果ヲ。得三明之通ヲ○抑堅牢地天ハ大日ノ化身。

諸仏ノ導師也。昔釋尊驚発シ地神ヲ。降伏ス天魔ヲ。今末弟依テ真言教門ヲ。儲 雲海供養ヲ。盍去天地之叐ヲ。仰五智教王ヲ。養三密衆僧ヲ。更不好犯土ヲ。然 者退土神之厄ヲ。削天魔之跡ヲ。寺内安穩。五穀豊饒。偏可仰地天也。設ヒ雖宿 病ト。早ク除愈ス之ヲ。設雖鬼業ト。速催滅ス之ヲ。

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薬叉羅刹吐毒。此天之掌中天魔波旬成害。此神之眼前也。是ヲ以テ須臾モ帰レ ハ之ニ。七難天外去リ。殺那モ敬ハ之ヲ。七福地上ニ涌ク矣。願ハ周遍法界堅牢 地神。山海大地各各眷属。更ニ以般若ヲ餝頂ヲ。莫忘ル醍醐之味ヲ。兼以山海ヲ 為心。勿レ恠ム涓塵之志ヲ。尚饗。

ここで「悪鬼土公」と称されるように、土公は明らかに鎮められた悪霊である。そして、「陰 陽宅を訪ねて、土公の祟りと云う」は、すなわち陰陽師が土公の祟りであると占ったので あろう。そこで、陰陽師が眼疾の病因が土公の祟りと占い、法印雅宝が地天供を行ったわ けである。村山修一はこの都状を陰陽道の泰山府君の都状をまねたものと見做した28が、具 体的な根拠を示していない。ところが、都状の内容を見れば『覚禅抄』の地天法で記され た土公供法・土神祭29と関連するところがあり、特に五方龍王があるので土神祭と相通じる。

土神祭は平安時代末期の真言僧・心覚による説とされ、祭祀次第は次の五つのステップか らなる。一、25 つの円石を五色で染めてそれぞれ五方に埋めて、壇を建立する。二、五龍 王を祀る。三、十八字の真言を読んでヒリチヒ曳を勧請する。四、祈地略の支度。五、天 地八陽神呪経を読む。五龍王を重視する地鎮作法として、後世に空海の作とされた鎮土法 がある。鎮土法は大土公供ともいわれ、最も中心的なのは五帝龍王に関する祭文であり、

その中に五龍王を五智如来とし、さらに文撰博士のことをも書いているので、後世民間神 楽における土公神祭文の祖型の一つともいえる。五方龍王については、陰陽道における五 龍祭があるので、五方龍王関係の祭祀もよく陰陽道由来のものと見做されたけれども、陰 陽道の五龍祭は祈雨の祭祀で、そこの龍王は水神で土神でない。そして、祈雨としても、

空海は 824 年に平安京大内裏の神泉苑で龍神に祈雨して成功したことがある。陰陽道の五 龍祭は漢代董仲舒の『春秋繁露』で記載した五龍祭を真似たと考えられるが、そこで祀ら れる龍神は後世における仏教から影響を受けて変容した五方龍王と異なっている30

28 村山修一「わが国における地鎮及び宅鎮の儀礼・作法について」(同氏『修験・陰陽道と社寺

史料』、法蔵館、2003年)、123頁。

29『覚禅抄』、『大日本仏教全書』、有精堂出版部、1932年、233頁。

30 平安時代の五方龍王について、門田誠一が出土文字資料を調べて「平安京で陰陽道祭祀の五

龍祭や仏典にもとづく祈雨法が盛行する以前に、東北地方では中国古典に由来する五行思想に基 づく五方龍神に関する思想が認知されており、それによって五方龍に関係する祭祀の一端が、木 簡や漆紙文書に語句として記されたと考えられる」と指摘したが、本論で検討する地霊としての 五龍王を補佐する観点ともいえよう。(詳細は氏の「日本古代における五方龍関係出土文字資料 の史的背景」(『仏教大学宗教文化ミュージアム研究紀要』8、5~27頁、2011年)を参考)。

。したが って、東密の土公供における五龍王観念の由来は陰陽道と関係深いだけでなく、仏教的な

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