第五章 朝鮮半島における土公信仰――巫経を手掛かりとして
第三節 土公観念の伝来と受容
これまで巫経を通して朝鮮における土公信仰の変遷を考察したが、現代の巫俗文化は特 に朝鮮王朝の時代の影響が強いものであり、巫経も朝鮮全部の巫経を収集し得なかったし、
歴史伝承において失われたものも多いので、それだけでは朝鮮歴史における土公信仰の変 遷を全体的に把握するには材料が不足している。まして、経巫は巫覡の中でも少数の存在 に過ぎない。次に、歴史における朝鮮と中国の文化関係を通して、より大きな文化背景か ら土公信仰の伝来と受容を考察してみる。
1 星である土公の受容
前掲の『太歳経』において多くの星神が現れたが、土公は星神と見做されなかった。と ころが、中国で土公はそもそも土の神煞だったが、星神の性格を持ち、さらに天文占にお いては壁東南にある二つの星となっている。朝鮮の北部は漢武帝の時にすでに楽浪などの 四郡として中国の直接管轄に置かれ、それ以後も中国を中心とする冊封体制下にあり、中 国文化と密接な関係を持っている。したがって、星である土公が朝鮮で受容されたかはま ず明らかにしたい。
朝鮮側の天文暦法に関する史料は九世紀からのものなので、その以前のことを考察する のが難しい。ところが、中国側の記録から、朝鮮古代の天文信仰を若干窺える。『三国志』
によると、高句麗の風俗が「霊星」を祀っていたし、濊と辰韓も
暁候星宿、豫知年歳豊約。不以珠玉為宝。常用十月節祭天、昼夜飲酒歌舞、名之 為舞天、又祭虎以為神。28
28『三国志』東夷伝、中華書局、1982年、849頁。
と記されたように、星宿をよく知っていた。六朝時代から、百済などの国が新興して、新 羅・高句麗と鼎立して朝鮮の三国時代に入った。百済は中国の南朝とよく交通して、南朝 の文化を積極的に摂取した。『宋書』によると、
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二十七年、毗上書献方物、私仮台使馮野夫西河太守、表求『易林』、『式占』、腰弩,
太祖并与之29
百済之先、出自高麗国……俗尚騎射、読書史、能吏事、亦知医薬、蓍龟、占相之 術。以両手据地為敬。有僧尼、多寺塔。有鼓角、箜篌、筝、竽、箎、笛之楽,投 壺、囲棋、樗蒲、握槊、弄珠之戯。行宋『元嘉暦』、以建寅月為歳首……毎以四仲 之月、王祭天及五帝之神。
百済は、中国の占術文化を積極的に吸収していた。特に、『隋書』において百済の風俗文化 について次のように詳細の記録がある。
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関連事項
正統の書史だけでなく、医薬や卜占などもよく知り、仏教も伝来し、宋の暦をも使ってい る。そして、前述の武寧王買地券が示したように、道教関係の文化も百済に入った。
一方、新羅は六朝時代に、まだ文字がなくて漢字をよく理解せず、隋の時代に初めて「そ の文字・甲兵が中国と同じ」となった。斉藤国治が、日本と新羅の天文・暦数に関する記 録に基づいて、次の表を作り、
飛鳥朝廷 新羅朝廷
暦日の始用 推古12年(604) 記録なく不詳 漏刻の設置 天智10年(671) 聖徳王17年(718)
占星台の建設 天武4年(675) 善徳王16年(647)
改暦 持統4年(690) 文武王14年(674)
天文官の官制 大宝元年(701) 景徳王8年(749)
「上表で見るかぎりでは、天文暦数に関しては飛鳥朝廷も新羅朝廷も同じ程度の発達段階 にあったようである」と述べた31
29『宋書』夷蛮伝、中華書局、1983年、2394頁。
30『隋書』中華書局、1982年、1818頁。
31『日本・中国・朝鮮 古代の時刻制度』雄山閣、1995年、269頁。
。ただし、新羅の天文暦法の発達は、特に白村江の海戦で 高句麗と百済が唐と新羅の連合軍によって滅ぼされ、新羅が朝鮮を統一して以来のことと 思われる。当時の新羅と唐における文化交流は頻繁であり、特に僧侶が多大な役割を果た
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した。『三国史記』によると、686年8月に僧図澄が唐から帰って天文図を献上した 32。そ して、新羅は唐の制度を真似て、景徳王8年(749)3月に天文博士1員と漏刻博士6員な どの官職を設けた33
両紅下頭是霹靂、霹靂五烏横著行。雲雨次之口四方、壁上天厩十円黄。鈇鑕五烏 羽林傍
。天文博士は、天文現象を観察して特に異象を記録して天文書に基づい て卜占する人である。唐代の李淳風(602~670)は『晋書』や『隋書』の天文誌を著し、『麟 徳暦』を制定する優れた天文学者であったが、同時に『乙巳占』などの天文占書をも著し た。これらの天文占書は土公星のことをも記載しているし、また当時の天文占でよく使わ れていた。したがって、唐代の天文図が伝来した新羅では、少なくとも天文博士は土公星 のことを知っていたはずである。
ただし、星としての土公は天文暦法によって朝鮮に伝来したにも関わらず、受容されて いないようである。『天文類抄』は、中国の天文星図を整理して成立したものであり、その 中に壁宿の項目で、
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と記している。七言詩の形式なので、すぐに分かるように「鈇鑕五烏羽林傍」は上句で、
その次にまた下句があるはずである。ところが、それは『天文類抄』の作者が中国側の史 料を写した時に意図せずに漏れたものかと思ったら、実はそうでもないようである。本書 は星を説明する七言詩の後ろに星図が配されるという形で編纂されたものであるが、前掲 の七言詩の後に配された星図はちょうど文字に書かれた星座しかない。したがって、文字 と星図を対照してみると、漏れたものがないように見える。
ところが、前掲の七言詩は実は中国の『歩天歌』に由来したものである。『歩天歌』の成立
32『原本三国史記・三国遺事』大提閣、1987年、84頁。
33 同上、93頁。
34『韓国科学古典叢書Ⅱ 書家暦象集・天文類抄』誠信女子大学校、1983年、419頁。
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年代や作者は今でも明らかにされていないが、唐代にすでによく知られていたことは確か である。そして、『歩天歌』の「壁宿」に、
両星下頭是霹靂、霹靂五星横著行。雲雨之次曰四方、壁上天厩十円黄。鈇锧五星 羽林傍、土公両黒壁上蔵。
と記されている。『天文類抄』の記述を『歩天歌』と比較すれば分かるように、前者は誤字 が多いだけでなく、最後に「土公両黒壁上蔵」が抜けている。それは、意図せずに写し忘 れたというより、故意に土公関係の内容を削除した可能性が高い。土公は、東壁の南にあ る二つの星で、中国正史の天文誌にもほとんど記録されていないように、あまり重視され ていない。また、土公と土公吏は混淆されやすい。『天文類抄』に、営室宿における土公吏 について「土公吏、主土功之官也、動揺則有修筑之事」35と記している。ところが、土公も
「土公距西星去極八十五度、入壁初度動揺有板築事」36
ただし、『天文類抄』の編纂者が土公の記載を削除したのは、民間社会で土公信仰が盛行 していなかったことを仄めかしたものであろう。中国の場合は、土公信仰があってから、
それを使って星の命名に用いられ、さらに土公吏という新しい星座名が現れたと推測され る。朝鮮では、民間信仰において土公の名が知られていないので、土公吏のほうが正しい と判断されたのであろう。そして、『天文類抄』は李純之(1406~1465年)によって編纂さ れたものであり、朝鮮時代から、土公信仰は漸次衰えてきたかもしれない。ただし、より 深層の原因はおそらく天文関係の占術が朝廷からひどく忌まれ、天文占書の私蔵が禁止さ れたことと関係深いであろう
と記されたように、土公吏とほぼ同 じ職能を持っている。そして、土公より土公吏は中国の正史で多く記されていた。したが って、朝鮮では、土公を土公吏と重複するものとして、それを削除したのではあるまいか と憶測する。
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35 同上、418頁。
36 第二章第四節の『霊台秘苑』における土公の記載。
37 野崎充彦が十五世紀の朝鮮における予言書について「もし秘蔵里に私蔵すれば、処斬の刑に
処すと厳しい通達をつけているのを見れば、これらの占書に朝廷がどれほど神経を尖らせていた かが分かろう」と指摘した。野崎充彦「パンス試論―朝鮮盲僧の占卜・呪詛・祈雨について」(前 掲)77~78頁。
。
2 犯土観念
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土公は土を動かしていけないという犯土観念に由来したものと言える。一定の周期で遊 行してその居場所を犯せば祟りを起きるという家宅の土神は「土公」という特殊の名称で 呼ばれた。ところが、土公という特殊の名称は土公信仰の衰退に伴って知られなくなって きたが、犯土の観念は依然として朝鮮民俗で残っている。たとえば、庚申信仰とも関わる
『動土経』という呪文があり、この呪文の後に、動石符、木(上又下木)符、動土符、大 将軍符、和合符、竈王動土符、瘟㾮不入符、退厄符、官災不入符、三十二元通用などの呪 符が収録してあり、犯土によって起こった病気の治療などをも行うという。朝鮮の犯土観 念と土神との関係について、以下のような興味深い資料がある38
つまり、土の神を犯して病気になった時に、以上の呪符を使用して治療する。特に甲の呪 符からは、明らかに数多くの土鬼を厭勝して病気を払うという観念が読み取れる。道教の 解土儀式などにおいてよく土の神を「土鬼」と呼び、また土公も「土公鬼」と呼んだこと がある。この呪符における土鬼は土公と同じものとみても差し支えないであろう。特に注 意すべきなのは、「動土病」という専用の病名があり、犯土観念の盛行を反映していること だろう。
朝鮮の犯土観念は、道教や仏教などによって朝鮮の民間信仰にもたらされたが、朝鮮の 知識人は漢籍を通して中国の犯土観念を知ったようである。たとえば、李朝時代の『芝峰 類説』巻十八「技芸部」において、
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家屋の建築修繕等に土を使用せし為め病気に罹りたるものを動土病と云ふ。之を 豫防し、全治するには次の符(甲)を土を使用せし場所に貼るか、又は『南無南 方内王神、南無北方内王神、南無西方内王神』と云ふ呪文を七回唱ふ。転宅せし 為めとなりたる時は左記の符(乙)を門口の上に貼る。
容斎随筆曰。世俗営建宅舎。或小遭疾厄。皆云犯土。故道家有謝土司章醮之文。
38 村山智順『朝鮮の巫覡』(前掲)、349頁。