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第 2 章 先行研究概観

2.2 日本語教育における場所を表す「に」の習得に関する研究

2.2.1 理論的背景

中間言語(interlanguage)とは、Selinker (1972)が名づけた用語で、第2 言語学習者 の用いる言語が母語の体系でもなく目標言語(target language=TL)の体系でもなく、第 2 言語学習者の母語の言語体系と目標言語の体系との中間に位置する体系的な言語で ある(Selinker 1972)。Selinker (1972, p. 214)は、第2言語学習者の発話とこれに相当 する目標言語話者の発話は同一ではないから、第2言語習得の理論構築において、目標 言語の体系とは異なる言語体系が第 2 言語学習者の中に存在すると仮定した。以下、

Selinker (1972, p. 214)を引用して示す。

This set of utterances for most learners of a second language is not identical to the hypothesized corresponding set of utterances which would have been produced by a native speaker of the TL had he attempted to express the same meaning as the learner. Since we can observe that these two sets of utterances are not identical, then in the making of constructs relevant to a theory of second language learning, one would be completely justified in hypothesizing, perhaps even compelled to hypothesize, the existence of a separate linguistic system based on the observable output which results from a learner’s attempted production of a TL norm. This linguistic system we will call

‘interlanguage’ (IL).

(Selinker 1972, p. 214より転載)

Selinker (1972, p. 214)は、中間言語には、(1)言語転移(language transfer)、(2) 訓 練の転移(transfer of training)、(3) 第2言語の学習方略(strategies of second language learning)、(4) 第2言語の伝達方略(strategies of second language communication)、 (5)目標言語規則の過剰般化(overgeneralization of TL linguistic material)という5つ の主要なプロセスが作用していると述べている。Selinker の中間言語の概念は、どち らかというと成人の第2言語習得が不完全なものに終わること、その原因が化石化にあ ることから端を発しているため、学習者言語の発達的過程よりは、到達した姿に関心が 向けられ、学習者言語が母語でも目標言語でもない、その中間的な言語体系を持つこと が強調されている(森山2000, p. 100)。Selinker (1972)によって名づけられた中間言語 という概念は、現在では、第2言語学習者の言語の総称であって、抽象的な概念である (白畑・若林・村野井2010, p. 1)。学習者1人1人の習熟度はそれぞれ異なるため、中 間言語の中身もそれぞれ異なることになり、また、同一の学習者でも1年前の状態と現 在とでは習熟度が異なり、中間言語体系も変化しているのが一般的である(白畑・若林・

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村野井2010, p. 1)。これは中間言語の変異性(variability)と呼ばれるが、この概念が初 期の中間言語の概念に欠けていた(山岡1997, p. 75)。

中間言語の今日的概念は、山岡(1997, pp. 75-76)により、以下の6つにまとめること ができる。(ⅰ)体系性:中間言語は体系性を持っている。(ⅱ)浸透性:個々の中間言語 の体系は、不完全で流動的なため母語からの転移や、目標言語から新しい言語形式や規 則を取り入れる「浸透」を容易に受ける。(ⅲ)遷移性:中間言語体系は浸透性の結果、

たえず改訂され発達し、連続体を構成する。(ⅳ)普遍性:中間言語体系は普遍的な言語 規則に従う面が大きく、母語からの影響は少ない。しかしその可能性をすべて排除する ものではない。(ⅴ)変異性:同一時点の中間言語が変異を示す。つまり同じ意味を表す のにある場合にはある規則が用いられ、別の場合には別の規則が用いられる。(ⅵ)化石 化:中間言語は目標言語に向けて発展するが、ある項目が発達を止めることがある。い ったん化石化すると、改善が難しいことが多い。

第2言語学習者の中間言語の研究には、文法習得順序の研究と普遍的習得順序の研究 がある。文法習得順序とは、第2言語習得において特定の文法素性が習得される順序を 意味し、これらは学習者の第1言語、学習状況などの要素によって変化する(エリス1995,

p. 307)。普遍習得順序とは、第1言語などの要因の影響を受けない第2言語習得のプ

ロセスの全体像を意味する(エリス1995, p. 309)。日本語教育では迫田(2002)の「習得

順序」(p. 73)および「発達順序」(p. 73)という語が用いられるため、本研究でも習得順

序および発達順序という語を用いることにする。習得順序とは目標言語の複数の項目を 取り上げ、それらがどの順番で習得させるのかを示した順序であり、発達順序とはある 1つの項目を習得する場合に、必ず通る普遍的な習得の道筋、流れを言う(迫田2002, pp.

73-74)。習得順序は、一般的には目標言語の長期的な観察によって使用の傾向や誤用の

消滅などを分析しながら示されるが、目標言語の正用の割合を調べ、正用の割合が高い ものは、その項目が習得されやすいことを示すため、正用順序を習得順序と見なす場合 が多い(迫田2002, p. 73)。

図2-1は、Krashen (1977)が示した英語を第2言語とする学習者であるESLの自然 な習得順序である。英語の形態素習得順序の研究では、一部を除いて、中間言語の習得 順序が共通していることを示す強力な証拠であるという(ラーセン-フリーマン&ロン グ1995, p. 95)。

56 ING PLURAL COPULA

↓ AUXILIARY

ARTICLE

↓ I. PAST

↓ R. PAST

Ⅲ. SINGULAR POSSESSIVE

Proposed “Natural Order” for Second Language Acquisition and Agrammatics.

(No claims are made about ordering relations for morphemes in the same box) (Krashen1977, p. 149より図の大きさを変えて、転載) 図 2-1. ESL の自然な習得順序

一番上のグループの形態素は「ING」(進行形)「PLURAL」(複数形)「COPULA」(連 辞・be動詞)であり、その下のグループは「AUXILIARY」(助動詞)「ARTICLE」(冠詞)、 その下のグループは「I.PAST」は「Irregular Past」(不規則動詞の過去形)、一番下の グループは「R. PAST」は「Regular Past」(規則動詞の過去形)「Ⅲ. SINGULAR」(3 人称単数現在の-s)「POSSESSIVE」(所有格-s)である。それぞれのグループ内の形態素 は多かれ少なかれ同時に習得されるが、「ING・PLURAL・COPULA」→「AUXILIARY・ ARTICLE」→「I. PAST」→「R. PAST・Ⅲ. SINGULAR・POSSESSIVE」の順に習 得が難しいという(Krashen 1977)。

発達段階についてよく知られているものにはESL の英語の否定構造と疑問構造があ る。Lightbown & Spada (2006)は、Schumann (1979)が先行研究における英語の否定 構造の発達段階について、スペイン語話者とその他の言語話者(日本語話者、フランス 語話者、ドイツ語話者など)とを比べたものを、ESLの否定構造の発達順序としてまと めた。図2-2はLightbown & Spada (1993)が示したESLの否定構造の発達順序である。

57 Stage1

No bicycle. No have any sand. I not like it.

Stage2

He don’t like it. I don’t can sing

Stage3

You can’t go there. He can’t eat nothing. She don’t like rice.

Stage4

It doesn’t work. We didn’t have supper.

I didn’t went there. She doesn’t wants to go.

(Lightbown & Spada 1993, p. 60より一部抜粋して、転載) 図 2-2. ESL の否定構造の発達的順序

ESLの否定構造の発達順序は、発達段階1(Stage1)、発達段階2(Stage2)、発達段階 3(Stage3)、発達段階4(Stage4)という発達段階が示されている。発達段階1では、たい てい「no」または「not」という否定を表す語を動詞の直前に於いて否定の表現が表さ れる(Lightbown & Spada 1993)。発達段階1では「No this one」、「No you playing here」

(p. 97)のような否定の表現も見られることから、「No」を文頭に置くあるいは文の外側

に置く「外置」とも呼ばれている(ラーセン-フリーマン&ロング 1995)。次の発達段階 2では、否定の表現が「don’t」を用いて表されるが、「don’t」が使えるだけであり、人 称、数そして時制による変化形を使うことはできず、また、「don’t」は「can」、「should」 のような法助動詞の前にも置いて使われるという(Lightbown & Spada1993)。このよう な否定の表現は文の中に置かれるため「内置」とも呼ばれている(ラーセン-フリーマン

&ロング1995)。そして、発達段階3では、「are」、「is」のようなbe動詞、そして「can」 のような法助動詞の後に否定の表現を置き始めるようになるが、この発達段階では

「don’t」はまだ十分に分析的ではない(Lightbown & Spada 1993)。「don’t」がまだ十 分に分析的ではないというのは、発達段階2と同じように、人称、数そして時制による 変化形を使うことはできないという意味で「doesn’t」の代わりに「don’t」を使うとい うことである。最終段階の発達段階4では、「doesn’t」「didn’t」が正しく使えるように なる(Lightbown & Spada 1993)。しかしながら、「I didn’t went there」「She doesn’t

wants to go」のように助動詞と動詞の両方に時制、人称、そして数を使う人もいると

いう(Lightbown&Spada 1993)。

英語の疑問構造の発達順序は、エリス(1988)によると最初の段階は自発的に質問を発 することはできないが、誰かの質問を反復する初期の「非伝達(non-communicative)」

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段階で、最初の自発的な疑問は語順は平叙文のままで、文尾を上昇イントネーションで 発するというイントネーション疑問の段階があるという(p. 72)。

e.g. I am coloring?

Sir plays football today?

I writing on this book?

What’s this?

(Ellis 1985, p. 61より転載) 次の発達段階は、自発的な「Wh-疑問」が出現し、「主語+動詞」は倒置されず、助動 詞が省略されることもある(エリス1988, p. 72)。

e.g. What you are doing?

What ‘tab’ mean?

What the time?

Where you work?

(Ellis 1985, p. 61より転載) 少し後になって、「Yes/No疑問」と「Wh-疑問」との倒置が起こり、またbe動詞の倒 置はdo動詞の倒置より先に起こる(エリス1988, p. 72)。

e.g. Are you a nurse?

Where is the girl?

Do you work in the television?

What is she’s doing here?

(Ellis 1985, p. 61より転載) 発達段階の最後には倒置疑問が起こり、これらの疑問文では最初、通常の「Wh-疑問」

のように主語と動詞が倒置される(エリス1988, p. 72)。 e.g. I tell you what did happen.

I don’t know where do you live.

(Ellis 1985, p. 61より転載) 学習者はこれより少し後になって、通常の語順と倒置疑問をうまく区別するようになる (エリス1988, p. 72)。

e.g. I don’t know what he had.

(Ellis1985, p. 61より転載)

このような発達段階は明確に定められているわけではなく、通常部分的に重なり合っ ているという(エリス1988, p. 71)。したがって、突然ある段階を飛び越えて習得される ことはなく、後の段階のために初期の段階の規則が徐々に再調整されるということであ る(エリス1988, p. 71)。

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日本語の否定表現の発達段階を示したものは、家村(2001)が知られている。図2-3は

家村(2001)が示した中国語話者の名詞・形容詞・動詞の否定形の発達順序である。発達

段階は、名詞とナ形容詞の否定形では2つの段階、イ形容詞の否定形では3つの段階、

そして動詞の否定形では4つの段階が示されている。

名詞、ナ形容詞の否定形の発達段階 じゃない

*ない → じゃない *くない

イ形容詞の否定形の発達段階

くない(誤用を含む) くない(誤用を含む)

*じゃない → *じゃない →くない *ない

動詞の否定形の発達段階

正用形 正用形 正用形

*活用混同型 → *活用混同型 → *活用混同型 → 正用形 *じゃない *じゃない

*辞書形+ない

(家村2001, p. 77より転載) 図 2-3. 名詞・形容詞・動詞の否定形の発達順序

家村(2001)によると、基本的には初期では「*学生だない」「*学生がない」「*きれい

くない」「*遠ない」「*飲むない」「*降るません」「*乗り換えりません」など多様な否定 の形態が使用され、その中の誤用が徐々に消滅し正用形に移行するというもので、品詞 間の否定形の習得順序は、名詞・ナ形容詞・動詞がイ形容詞より早い(家村2001)。英語 の否定構造の発達段階では、第1言語習得、第2言語習得ともに、「don’t」や「can’t」 などが非分析的に用いられる段階が存在することが報告されているが、日本語において も、「じゃない」や「くない」を伴った「*安いじゃない」「*安くじゃない」「*安じゃな い」「*食べじゃない」「*安いくない」「*きれいくない」のような誤用の形態が多く観察 されている(家村2001, p. 76)。

まとめ

本研究の目的は、1.2 で示した通り、場所を表す「に」の発達の1つの段階を明らか にしようとするものである。しかし、上で見た英語の否定文、疑問文の発達順序、また、

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日本語の否定形の発達順序に関する先行研究がその形式的正用の習得のあり方を扱っ ていたのに対し、本研究が対象とするのは同一の形式「に」が持つ諸用法の習得がどの ような発達順序で行われるのかを、特に、中級レベルの日本語学習者の観点から考察し ようとするものである。

これまで格助詞「に」の誤用に関しては、存在場所を表す「に」と動作場所 を表す

「で」との混同によるものが指摘されてきたが、それは主に初級レベルの学習者の間に 見られるものであり、本研究が対象とするような中級レベルの学習者が犯す格助詞「に」

の誤用についての研究は管見の限りない。つまり、中級レベルの日本語学習者に現れる 格助詞「に」の誤用をその諸用法の発達順序という観点から考察した先行研究はないと いうことである。以下では、そのような観点から本研究を遂行するにあたり看過するこ とのできない先行研究、すなわち、格助詞間の習得順序を扱った先行研究と同一の格助 詞の諸用法の習得に関する先行研究を見ていく。

2.2.2 日本語能力が初級レベルの学習者を対象とした習得に関する研究

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